『わだつみのいろこの宮』

 

この絵は幼い頃から憧れの絵でした。

でも、その作名の意味も、実物の素晴らしさも、先日初めて知りました。

兄の海幸彦から借りた釣り針を海に落とした山幸彦は、それを探しに海に潜り入り、魚の鱗(うろこ=いろこ)のように煌めく、海の神の「わだつみ(綿津見)」の宮に辿り着く。
井戸端で座って休んでいると、水を汲みに来た侍女に見つかり、侍女は慌ててわだつみの娘を呼びます。
絵の左側で山幸彦を見上げるのがその娘。

やがてこの二人は愛し合い、結ばれて子を成し、それが天皇家の始まりとなる・・・。

という古事記の一節を基に描かれた、この絵。
初めて、実物を観られました。

60年も前に小学生の時に本で見て、細身の白い体で座るこの人を「綺麗な女の人だなあ」と思っていたのですが、それが山幸彦という男性だったのも、知りました。こんな大事なことを。

作者の青木繁は28歳で夭折した天才画家ですが、生前はあまり評価されず、作品は散逸します。それを嘆いた親友の美術家の坂本繁二郎が、たまたま学校の教え子だった実業家の石橋正二郎に青木の絵の収集を依頼します。

それを受けた石橋が青木の作品に感銘し、経営するブリジストンの本社ビルを東京日本橋に建設中だったところ、その2階に急遽美術館を作り、「わだつみのいろこの宮」や「海の幸」などの青木の絵を飾った・・・ということだそうです。

小学生の時に本で見た「わだつみのいろこの宮」には、「ブリジストン美術館蔵」と記されていたのを、よく覚えています。

今はこの美術館は、「アーチゾン美術館」となり、世界の名作が気軽に見られるようになっています。
今年になり2回訪れましたが、積年の願いだった青木繁の本作品とは今回遂に出逢えました。思いが実ったとも言えるし、よっやくその時が来たとも思えました。人にはそういう瞬間があるのでしょうか。

石橋の遺志を受けてか、私設でありながら入場料も1200円と安く、しかも学生は鑑賞無料。盛んにテーマを探り、様々の角度から所蔵作品を身近に見せてくれる、いい美術館です。

絵を見た後、うちの通販のお客さんである、日本橋の「だしいなり海木」さんにお邪魔しました。

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九州出身の女将さんにご挨拶をして話をしたら、うちを海木さんにご紹介下さったのは、ある女優のお客様だったとお教えくださいました。

海木さんのおいなりさん、極上のお味です。
4個で1500円弱というお値段ですが、決してお高くはありません。それは食べればわかります。本当に、美味しいです。

美術作品も、食べ物も、その価値を表すのは価格という「数字」ではありません。
その「作品」を味わったり鑑賞したりして得られる「感動」の深さこそ、その価値なのです。

それを分かろうとする人には、作品の方から語り掛けるのでしょう。
その語り掛けを聞いた人は、価格は副次的なものだということを体感するのだと思います。

買いたくて買えれば買えばいい。買えなくても見られる機会に見ればいい。それはどちらも同じ行為です。
味わう、感じる、感動するということは、そういうことだと確信します。
数字で測ることが出来ないことです。

その事をこうして書くまでに、私は長い人生の時間を要しました。そしてまだ、修業中の身です。まだまだ、駆け出しです。

世の中、動かないと、見て歩かないと、知っていたようで知らないことばかり。
まだまだ、駆け出しですから、学ばなければなりません。

美術作品の良し悪しを分かるためには、いい作品を多く鑑賞することが必須だそうです。
私見ですが、食べ物の良し悪しを分かるようになるためには、素材そのものの味を理解することが必須となると思います。

たとえば料亭のふろふき大根を食べる前に、生の大根の味を理解することです。
それをしている人は意外と少ない。私も毎日、仕入れた白菜を生で齧っています。
そうしていれば無添加の味わいが段々理解できます。

上から化学調味料等を人工的に被せたような味は、このほんの100年未満で出来たものなのです。

おそらく昔の人は、土の味、水の味、空気の味を感じられました。

今の私たちがその境地に至るためには、まず素材の味を知ること。そして、天の恵みに対して敬虔になること。

そうすれば、料理を値段で判断するような下卑た味覚からは離れられます。
ある意味、味を「芸術」として感じられるはずです。

そうしなければと思い、毎日仕事をしています。

猛烈な暑さの今年の夏も終わりに近づきます。時間だけは容赦なく進んでいきます。

残る人生の時間も、容赦なく少なくなっていきます。

いい物事、いい人、いい機会と出会い、大切に過ごして行きたいと思います。

知性があれば、戦いは起こらない

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パリ五輪が始まりました。

もともとスポーツ観戦は好きですが、今回の五輪にはあまり関心も持たなかったのですが、いざ始まれば、やはり見てしまうものですね。

それでも、五輪開催中でもウクライナやパレスチナでの戦火は消えず、多くの人の悲鳴が上げられています。
同じ地球という星の上で、平和の祭典と言われる五輪と、無垢の人を殺す戦争が同時並行で行われている矛盾。
言葉を続けられません。

このような時に、一番必要なものは何でしょうか。
世界には様々の宗教があり、宗教対立による戦争も頻繁に起きます。ですから、宗教の語る教義は、この矛盾の解決策にはならないでしょう。
「愛」という言葉も、その解釈次第で正反対の意味にもなり得ますから、「愛」だけでは解決できません。

私は、人間の「知性」こそが、いま最も必要とされるものではないかと思うのです。

知性とは何でしょうか。

知性とは、知識や計算力のことではありません。人を論破する力のことでもありません。学歴や地位などとも関係がありません。

Youtubeとかインスタとか、自分が見たいものだけを見ていると、人は馬鹿になります。
望まないこと、見たくないことから、敢えて人は学ぶものだからです。

実体験でも、成功体験より失敗体験の方がよほど貴重です。
一度失敗している人は、成功だけ重ねてきた人よりも数段たくましいし、危機に対する防衛力もあります。
などと書いてもわからない人は分からない。

そういう人は、夜空を見上げましょう。
ほら、銀河鉄道が走っているでしょう。
ジョバンニやカムパネルラのように、想像の世界で宇宙を巡る。
そこで多くの人と触れ合い、優しさに出会う。

知性とは、世界の真実を探る想像力のことであり、探求心の事であり、その結果自らが宇宙の中で取るに足らない小さな存在であるということを知る能力のことです。
それを知れば、陰謀論などには決して与しなくなり、ましてや隣国や他国の人を殺す行為など、最も忌むべき行為であることを知るのです。

知性のある場所に、戦争はありません。

ぜひこの五輪が、世界の人にそれを気付かせる場になることを、祈ります。

日本のメダルはどうでもいい。
ただ、全力を尽くし、相手を称え、スポーツで集うことのできる平和の貴重さを訴え、笑顔で世界が埋め尽くされるようになることを。

あの気球の聖火が消える前に、出来るだけ多くの人が、その知性の大切さに気付くことを。

間違いだらけの「(NHK)キムチのトリセツ」・・やがちゃんキムチにはカツオ節は振りかけないで頂きたい!

NHKで、「キムチのトリセツ」という番組を見ました。
普段料理番組でも「あれ?」と思う部分があるNHKだけに、ある程度予想はしていましたが、やはり、キムチ屋として「唖然とする内容」が多い番組でした。

以下、それを簡単に書き並べます。

まず、キムチの「旨味」を、「グルタミン酸」と「イノシン酸」で説明し、市販のキムチには「グルタミン酸」が多いので、そこに「イノシン酸」を多く含む「かつお節」を加えれば美味しくなる、という前半の山場が、唖然とする部分でした。

何故か。

番組でいう「市販のキムチのグルタミン酸」とは、現実には「化学調味料」に頼っている部分だからです。
アミの塩辛がグルタミン酸を生む元だというくだりもありましたが、実はアミ塩辛は非常に高価で、スーパー等で扱う市販のキムチには少量しか使われずに、それを補うために、化学調味料(グルタミン酸ナトリウム等)が使われるのです。
原材料上は、「調味料(アミノ酸等)」と書かれている、あれです。

化学調味料は非常に安価で強力な旨味を呈するため、ほとんどの加工食品に使われていますが、もちろん、自然の食材ではなく、化学的に合成された添加物です。
こういった添加物は、人間の体では「異物」と認識されるので、強い刺激感を伴います。
それを「旨味」というのは間違っていて、「旨味に似せた刺激」とでもいうべきものなのです。

そして、その刺激感を持つ添加物入りのキムチに、「上からかつお節を振りかける」という行為。

これは、真面目に味を作っている人々の苦労を反故にしかねない、安易な行為とも思えます。

少なくとも、やがちゃんキムチに「かつお節」などを振りかけないで頂きたい。
そんなことをしなくとも、無添加で十分に美味しく作っております。
余計なことは、しないで頂きたい。

かつお節にだって失礼な話で、一概にかつお節と言ったって、様々な種類があり、使い方があり、出汁の取り方がそれぞれにあります。
そこはもう、職人さんたちが長年積み重ねてきた貴重な歴史があるわけです。
それを、ただ「スーパーのかつお節をかけろ」とは・・。

これはもう、化学調味料をかけると同じ発想の、安直なお遊び以外の何物でもないです。

真のキムチを、そしてかつお節を馬鹿にするような行為です。

「味作り」とは、「素材の旨さ」をいかに生かし、それを様々な技術で「下から」、あるいは「同時に」、或いは「時間差で」というように、様々の方向で調味を施して「新たな美味しさ」を生み出す行為であり、出来上がったものに何かをさっと加えて「ほら、メチャウマでしょ?」などとする行為は、まずは「お遊び」に過ぎません。

もちろん、ぱっと食べた目には美味しく感じるかもしれません。しかしそれは一時的なものです。

下味の段階からじわじわと積み上げた「静かな旨味」と比べたら、そういった乱暴な味付けはすぐに飽きを呼び、忘れ去れるものと思います。

一から苦心して無添加の味を作っている当店からすれば、間違いなくそれは、「邪道」に他ならないやり方だと、強く思いました。

繰り返しますが、やがちゃんキムチには、何も振りかけずに、そのままお召し上がりいただきたいです。

さて、番組の最後の山場の「簡単にできるキムチだれ」の件です。

スイカにもかけて、「美味しい!」と言わせていた、あのタレですね。
(ヒコロヒーさんは、あまり美味しくないと仰っていましたね。)

そのタレは、ナンプラーとかトマトとか、ニンニクとか、スーパーで買える素材で作るものだそうですが、一体だれがこんなものを思いついたのでしょう。

そこにはもちろん、アミエビも入っていませんし、量も雑駁にしか語られません。
それになにより、「さきいか」を使っています。
さきいかは、化学調味料のアミノ酸たっぷりの「おつまみ」です。
確かに「旨味」は強く感じさせる材料ですが、邪道中の邪道の、化学調味料入りということは明白。
平気でそれを使う行為。
全く、感心できませんね。

天下のNHKです。

全国で何百万人もが見たことでしょう。

それなのに、ちょっと器用なアドバイザーさんが考えた「キムチ」なるものをざっと写して見せた、それだけのものに思えました。
韓国でのロケの場面も多くありましたが、どこにでもあるような、「ざっーっと紹介する」ことでお茶を濁していただけのように思えました。

以上が、盛んに番組予告をしていた「キムチのトリセツ」の感想です。

 

当店は、今まで通り、自然の食材のみを使い、本格的な、自然の美味しさのキムチをこれからも作り続けます。

 

人としての想像力と心さえあれば

1枚の絵があります。それを書いた女子中学生のコメントもあります。

ブログの更新が滞りました。半年以上経過しました。

半年前に見た一枚の絵の事を書きたいと思います。

この絵は、昨年秋に東京ビッグサイトで行われた「ジャパンモビリティショー」(旧名:東京モーターショー)の会場に貼られていたものです。

多くの観客でごった返すビッグサイトの片隅の、トイレの向かい側の壁面に無造作な形で貼られていました。同じ場所には、交通事故で障害を負った方の絵、親を事故で失った遺児が描いた絵などが数枚飾ってありました。

トイレに立ち寄った方で、これらの絵を鑑賞する方はいませんでした。私はこの場所に10分以上立っていましたが、絵を見ていたのは私だけでした。数十人、数百人が通り過ぎて行っただけでした。

この赤ん坊を抱くお父さんは、事故で天国に行かれたのだと思います。

そして赤ちゃんは、実際抱かれていたのか、あるいは以前抱いていた姿をこの作者の中学生が見たのか、あるいは、想像の姿を描いたのか、定かではありません。
しかし作者の文面を読み、この絵を見ると、父親の愛情、赤ん坊の無垢の笑顔、家族の結びつきの強さを温かさ、そしてこの家族に起こった悲劇の大きさがひしひしと感じられ、会場で私は涙を零してしまいました。

会場では、鮮やかな光彩に照らされて、華々しく自動車の展示が行われており、それを夢中で見入る多くの観客がいます。喧騒と感想と興奮とが渦巻いています。その傍らに、この絵があります。

そして確かなのは、この絵の示す悲劇の側面こそ、自動車社会の負の側面であることは誰にも否定できないことであるということです。

自動車事故は、一瞬にして、人間の最大の喜びを奪います。
落ち度のない人の人生を、奈落の底に落としてしまいます。

その反面、もちろん、自動車の無い世界はもはや、考えらないのです。

しかし、自動車製造の担い手であるメーカーは、これらの事故について全く責任が無いのか・・・と考えた時、どうでしょう。
現代の技術では、防ぎようのない事故だ、とばかり言えるのでしょうか?

たとえば、最近よく話題になる、アクセルとブレーキの踏み間違い。
高齢化社会になればなるほど、運動能力や認識能力が落ちた高齢者が増えるはずですから、この間違いは起こる可能性が高いです。

今、自動運転の時代です。半導体の大きさは加速度的に小さくなり、宇宙衛星を利用した安全運転の技術も飛躍的に向上していると聞きます。
それなのになぜ、踏み間違いの単純なエラーが重大事故を引き起こすことが防げないのでしょうか。

民間では、何年も前から、そういう高度な技術ではなく、アナログ的な方式で踏み間違いを防ぐ装置も完成されているという報道も見ました。
それなのになぜ、それを緊急的にでも応用しようとする大メーカーや国の姿勢が見られないのでしょうか。

いろいろな事情があると思います。
出来ない理由づけも山ほど聞かされると思います。
「個別の案件についてはコメントを差し控えます」という不思議な日本語の用法も聞かされるかも知れません。

ですがもし、それを担当する国や大メーカの方々のお身内でこうした不幸な事故に遭われた方がいたとしたら、その方はそれでも姿勢をあらためないのでしょうか。
そういう思いが込み上げてこないのでしょうか。その方の「心」は、それだけのものなのでしょうか。
違うはずです。

「無作為」の犠牲を生まないこと。「何もしないことが最良のこと」と思わないこと。
「失敗するかもしれないが、別の方法を試そう」という動きを止めないこと。
それもまた、管理管轄する方々の「義務」だと感じて欲しい。
「上」にいる方は、そうして自らの「心」を律してほしい。

そして私たち車ユーザー、つまり「下」の我々が、思いを一つにしてそういう気運を高めていきたい。上とか下とかは、単に役割や立場上の違いであり、双方が一つとなった存在こそが「社会」であり、それを為す核心こそが、他ならず「人の心」であると、私は信じています。

目の前に、手の届くところに悲劇を生まない技術や方法ががあるのに、何らかの理由でそれが実現されない。実現さえできれば多くのいい結果が生まれると思われる。今の日本には、そうした事象があふれていると感じています。
政治の世界も、税制の問題も、平和の問題でも、エネルギーの問題でも、ありとあらゆる分野で、「こうすればよくなるのに」と思われていることが実現できない。実現を阻止する何らかの力が、意識的に、或いは無意識に働いている。
そこを切り崩そうとする動きが、霧消してしまう。「前例がない」とも言われてしまう。前例など、もともと存在しないのに。
最初の物事には、前例など無かったのです。前例は、無作為の言い訳、保身のレトリックの言葉です。

この冒頭の絵を描かれた方の悲劇に思いを馳せる人としての想像力、善意、「心」があれば、そのようなことは無いはずなのです。

 

 

 

 

インボイス制度の本質は何か

10月1日から始まった 消費税のインボイス制度。今になって「ああ、そういうことか」と感じることが多々出てきました。

SNS等でも多くの方が色々書かれていますが、 表層的なことしか書かれていないと思われるものも多いです。
例えば、「消費税は預かり金 だから払って当たり前じゃないか」とか、「今まで益税を貰っていたのだから、これからは許されない」とか。

 

一方 インボイス制反対派の立場の方からは、「消費税 自体が 逆進性があるから無くした方がいい」とか、「消費税がなければ 景気は大浮揚するはず」とか、「零細業者いじめではないか」とか。

それぞれに「なるほど」と思うことも多いのですが、しかし、インボイス制 問題の本質はもう一つ重要な要素を孕んでいる、と私は感じています。

インボイス制度では、「年商1000万」で線引きをしますね。
9月30日まで、売り上げが1千万未満の人や会社には、消費税納入の義務はありませんでした。
それが10月からは、1千万未満でも「インボイス制登録業者」であることを選択すると、納入の義務が生じます。
一方、 売上1000万円以下でも、今まで通り非課税業者の立場を選択出来て、今まで同様に非課税となります。

ところが、その非課税業者に物やサービスを発注した会社は、その非課税業者が免除された消費税を、代わって払う義務が生じるのです。これが、今回の制度の大きなポイントですね。消費税は必ず払われるのです。

つまり、非課税の業者に発注すると、発注元の負担が増えるのです。
そうであれば、出来るだけ「課税業者」から仕入れようとするのは、自然の流れですよね。

端的に言えば、「非課税かも知れないような小さな零細業者や個人の業者などには、発注しない、仕事を回さない」という現象が増えるはずなのです。これは、「課税業者に違いない大きなところに仕事を頼めば、間違いない」という考えにつながります。

少し飛躍して書きますと、これはつまり 小さな下請け業者をたくさん抱えているような規模の大きい 元請け業者を優遇させることにつながる、ともいえると思うのです。

つまり、仕事を発注する側は、課税業者である 大手元請け業者に発注すれば消費税関連の負担や処理の心配はなくなる。
一方、個人でやってるような 零細な現場の職人さんに直接頼むと、頼んだ側が消費税を負担しなければならなくなるかもしれない。
だったら初めから、そんな零細業者に頼まず、比較的規模のあるナントカ建設とかナントカ設備工業だとかいう 元請け業者に頼む、という動きになるわけです。
ここまでは、新聞等で指摘されていることですね。

問題はその先です。
上記の場合、ナントカ建設は多くの場合、その仕事を関連の下請け業者に回します。
さらに場合によっては、その下請け会社は、個人でやっているような熟練の職人さんに孫請けに出すかもしれません。
その孫請けを出された職人さんは、ついこの前までは、自分で直接仕事を受けることが出来ていた方かも知れないのです。

つまり、今回のインボイス制度は、日本のあらゆる業界に蔓延っている「元請け下請け構造」を増長させることにもつながると思えるのです。
そして、最終的に「現場」で仕事をするのは、こういった「孫請け」である個人の職人さん等であることが、相変わらず多いのかもしれません。

元請け、下請け、孫請けの3者があるとして、孫請けは、現場で仕事をします。作業を行うのは、最下層の孫請けなのです。
孫請けに発注する下請けは、元請けからもらう工賃から「ピンハネ」して利益とします。
下請けに発注する元請けは、発注者から工事代を貰い、「ピンハネ」して利益とし、仕事を下請けに回すのです。

末端の個人の職人さんが直接仕事を受ければ、孫請けとしての仕事よりも当然 収入は増える。
でも個人の職人に仕事が回ってこない 以上、こういった 下請け、 孫請け、さらにひ孫受けのような構造がどんどん増長することになる。

お分かりでしょうが、こうした不自然ともいえる構造は、日本の産業界の構造的な 特徴なのです。
そして今回 税法改正がこの構造を増幅させることになっているわけです。

頼む側とすれば 個人の職人さんに直接頼んだ方がよほど安くできます。「ピンハネ」が無いのですから。
しかし インボイス制度によって それが大いにしづらくなる。
下請け費用、 孫請け費用を加えた無駄な 代金を払う 構造になってしまう。
その代金の原資が、税金であることも多いです。公共工事などはそうでしょう。
税金が増えるということは、国民の負担が増えるということです。

そして、乱暴な言い方をすれば、「構造」の上部にある人や会社にとって、とても都合のいい構造である、ということになるのです。

建設だけではなく あらゆる業界に見える この いわゆる 孫請け、下請けの連鎖が、さらに増幅していくということです。

これが 今回のインボイス制の問題の本質だと私は思っています。

別の言葉で言うと、産業界の格差の拡大です。
国民の間の格差はこうして広がっていきます。
ビジネスや政治構造の上層に位置する人たちの権益利益だけが増え、現場で実務に携わる 多くの人たちの利益がその分 減る。

日本は、中小企業立国と言われてきました。
独自の技術を培った個人や零細業者や中小業者が、産業界を「下から」支えてきました。

それが、税制の改革で、「上から」抑えつける構図になってしまわないか。
今回のインボイス制で一番気になるのは、その点です。

百花繚乱、人の数だけ、会社の数だけ「売り」の技術がある。
そういう国は強いと思います。ピラミッド型の社会とは、大きな違いがあります。
一つがだめでも、他がある。次から次へと新たな斬新な技術や発想がどんどんと出てくる。そういう国が、これからの「乱世」では強い国となるのです。

上からの統制を強める税制が、それに逆行しているような気がします。

味音痴を作らないために

味音痴・・・いい言葉ではありませんね。味の本質が分からずに、本当の美味が理解出来ない。そういう方、こう呼びますね。

味音痴は、生まれつきのものなのでしょうか。
一生、治らないものなのでしょうか。

私の経験では、そういうものではありません。
むしろ、比較的短期間に治せるものだと思っています。
その治し方も、別に難しいものではありません。

味音痴で一番多いのが、「化学調味料依存症」です。
今やほとんどの加工食品に利用されている「化学調味料」は、味音痴を大量に生む、いわば「諸悪の根源」なのです。

化学調味料は、化学的に調合された強い「旨味」を加えるものです。
旨味というものは本来は天然の素材に含まれる穏やかな味わいですが、その「旨味」を、化学的に調合して、料理の上から覆いかぶせるように使うのが、化学調味料です。自然の旨味とは表面的には似た味わいですが、その作用は強く、化学的で不自然であり、いつまでも味覚から消え去らず、料理本来の味わいとは程遠い味となります。

その上、習慣性も強いのが化学調味料の一つの特徴で、使い続けると、あたかもそれが本来の旨味だと錯覚し、その化学的な旨味が無いと「まずい」と感じるようにさえなります。

これが、「化学調味料依存症」です。

私の感じる限りですが、今の日本では、程度の違いはあれ、ほとんどの方がこの「化学調味料依存症」に罹っていると言っても過言ではありません。

たとえば、だれでも好きな、「蕎麦」。このそばの温かい汁の味は、鰹節や昆布などから「出汁」を取り、その旨味を利用します。
ところが、中にはこの出汁さえ取らず、昆布や鰹の旨味に似せた化学調味料で「偽の味」を出しているところもあります。
スーパーで売っているカップ麺のそばやうどんなどは、全部がこの類です。

そして、それがまた売れるのです。

昆布や鰹から出汁を取るのは、手間もコストもかかりますが、顆粒状の化学調味料を少し入れるだけで、「偽の、よく似た」旨味が出るなら、それを利用する業者が現れます。

ものによっては、ほとんどすべてが「化学調味料の偽の似た旨味」に侵されている食品もあるくらいです。
キムチも、その一つです。

さて、こうして「偽の、よく似た旨味」を利用し続けると、どうなるか。

味覚が、鈍感になります。
より強い「偽の、良く似た旨味」を欲するようになります。
化学的な旨味のほとんどは、食べた後口の中から長時間消えないものですが、それに慣れて来ると、その不自然な強い旨味が無いと物足りなくなるのです。

そのような食生活を続けるとどうなるか。

血圧が高くなります。
化学調味料の成分は「ナトリウム」であり、ナトリウムは高血圧の元凶でもあります。

そして、飽食によりカロリーオーバーとなり、糖尿病や痛風のリスクが高まります。

高血圧、糖尿、痛風。いわゆる「生活習慣病」のオンパレードですね。

そして、不自然な濃い味に慣れ、味覚が麻痺してきて、「馬鹿舌」「味音痴」となっていくのです。こうなると、本当の食の素晴らしさの世界からは、遠く離れてしまうわけです。

では、これは修正できないのか。「味音痴」の深刻な世界から離れられないのか・・・?

それは、出来ます。
離れられるのです。
それなりの行動をとれば、自然な味の世界に戻れるのです。

その基本は・・・

★薄味の生活をする。化学調味料から離れる。

ということになります。

馬鹿舌になってしまうと、強い味、濃い味を求めるようになります。
これを治すには、まず「薄味」に慣れるしかありません。

ただし、これを何年も続けろと言うことではないのです。

1カ月、いや、せめて半月でも、化学調味料から離れ、薄味の生活をしてみてください。

その間に、あなたの舌の細胞は新しい細胞と入れ替わります。
その新しい味覚細胞を、薄味で慣れさせるのです。

そうすれば意外と早く、今までの「味音痴」生活から脱することが出来るはずです。

個人差はあるでしょうが、それほどの長期間を必要としないことは、私の経験から思うことであります。

そして「味音痴」を克服したら、その後は本当の食生活の楽しさを味わって頂きたいと思います。

「素材の美味しさを直接味わうこと(たとえば、サラダにドレッシングを使わない)」「出汁を利用すること(昆布、カツオ、しいたけ、煮干し等が基本です)」、
「無添加」の食生活をすること

こういう生活慣習が、味覚を正常化させ、成人病を予防し、健康的な生活を続けることにつながると思います。

 

 

 

 

 

職人の誇りを捨てるな(監修品について)

最近、コンビニやスーパーの棚に「有名店監修」などと銘打ったラーメンや唐揚げやカレー等の商品が並んでいるのをよく見かけます。

各地で人気のお店の店主が「監修」し、その店の味に模した商品をレトルトやインスタントなどの形で販売をしているのですね。

そういう姿を見て思うことをはっきりと書きたいと思います。

★職人の誇りを捨ててどうする!?

言うまでもないことですが、お店で店主が生み出した味を、大量生産の商品として製造ラインに乗せようとしても、同じ作り方が出来るわけがありません。
まさか有名店主が全国のスーパーやコンビニの店頭に自分で立って作るわけにもいきません。だから、「できるだけ本物に近いものを」というコンセプトで、有名店のメニューを再現しようとするわけです

しかし多くの店舗で扱う大量生産品となれば、保存性の問題や味の統一性の問題などから、「添加物」を使わざるを得ないのです。
添加物を使った大量生産なら、食品メーカーはお手の物なのですから。

それは、「本物に近い」と言っても、本物ではありません。当り前ですよね。
味の雰囲気が本物に近いだけで、要は人為的な加工を施した「偽物」の商品になるわけです。

そんな偽物の商品に、有名店店主は自分が「監修」という文字の元に関わったと世に示して、いったいどうなりたいというのでしょうか。

あなたが自分の店の厨房で苦労して磨き上げて来たその味が、全く違う製法で偽物として仕立て上げられ、自分の名前や店名がパッケージに載ることが、それほどに嬉しいのでしょうか。
あなたの職人の誇りは、一体どこに行ったのでしょうか。

私自身も、職人の一人です。
ですから、自分の名を冠した商品が世に広まるのを喜びとする店主の気持ちは分かります。

元来飲食店というものは、好きでなくては出来ない業種であって、それほど儲かるものでもありません。
せめて自分や店舗の「名前」が世に広まれば、日々の辛い仕事が評価されている気分にもなり、それは嬉しいでしょう。

ですが、今一度言います。

「偽物」の商品に自分の名前を冠されて、何が嬉しいのか。

聞くところによりますと、こうした「監修」により手にする「監修料」の金額は、わずかなものらしいです。
そんな金のために、自分の誇りを捨てていいのか。

それより、自分の店の考え方ややっていることを自ら主張し、日々の「商品」自体にさらに磨きをかけることの方が、誇りを増すことにつながると思います。

誇りを持ち、「偽物」の軍門に下ることを辞めましょう。

 

人は平等である

知り合いの方のお子さんが、高校生になりました。

とても礼儀正しい女子のお子さんなのですが、制服等の校則が厳しいということです。
髪型は肩まで伸ばしてはいけない、靴下の色は白だけ、靴もベストも指定のもの限定、カバンも指定のものだけとか、事細かに色々決められているそうです。違反すると、原則として学校の中に入れてくれないとか。

それを聞いて、50年前の私の高校時代を思い出しました。50年前ですよ。

東京都立上野高校には、制服というものがありませんでした。
何をどう着て行こうが、自由。
電車で通おうが、自転車やバイクで通おうが、自由。

それだけではありません。授業の出席も原則自由。嫌なら出なくてもいのです。

中間や期末のテストもありません。

噓だろうと思われるかもしれませんが、事実です。この学校は、生徒を「大人」として扱うことを校是としていて、無益な縛りは全廃したのです。

ただし、全ては自己責任となります。
テストは無くても、レポートの提出は頻繁にあります。

生徒は、自分の責任で勉強し、結果も自分の責任で受け取ります。

そう言う校風の学校で3年間過ごしましたが、「規律の乱れ」のようなことは1回も見ませんでした。
放任では無く、要所要所は教師がバックアップしてくれますので、学業の方も、それなりの成果を見せたと思います。東大に合格した生徒も、数人おりました。

繰り返しますが、50年前です。50年前に、生徒を、男も女も大人として扱ってくれた高校が存在し、私もそこの生徒の一人でした。私自身、バイクで通学し、当時のフォークソングの歌手のように長髪で、ベルボトムのジーンズを履いて、たまに授業をさぼってパチンコをしたり、喫茶店で友達と「だべったり」していました。


でも、好きな文学の鑑賞には夢中で、三島由紀夫や太宰治についての論文を書いて先生と議論をしたりしていました。楽しい3年間でした。

その後の大学の文学部での4年間は、それに比べれば実に退屈で凡庸に感じ、「まるで大学と高校のレベルが逆転しているようだ」と感じていました。

ただ、大学の途中で1年間だけ、アメリカの大学の文学部に編入して、英米文学を学んだ時だけは別でした。
アメリカという国もまた、自己責任の国です。
好きな分野の研究を好きなだけやれる国で、その結果は全て自分に帰ってくる国です。日本の大学生が遊び中心の4年間を過ごしている時に、アメリカの学生は本当によく勉強します。大学の図書館は24時間開いていて、学生が勉強するスペースが十分に用意されています。

自分で学び、導き出した結果は、正当に評価してくれます。
私のように、英語ネイティブでない東洋人が必死に英文で書いたレポートを、教授は一字一句漏らさず読んでくれて、批判してくれたり褒めてくれたりします。
教授も学生も、留学生も、「文学研究」という中では平等であり、切磋琢磨し合うという場が、大学という場所なのです。

権威主義などありません。出自で学生を差別したりしません。

だから、世界中から優秀な学生が集まるのが、アメリカなのです。

この国には、勝てない。戦争で負けたのは当たり前のことだと、1年間アメリカで過ごして、痛感したものでした。

人間の正当な力を評価してくれるのが、アメリカの発展の原動力です。
キリスト教国家であるからこそ、「神の下で平等である人間であるからこそ、信じ合う」という文化が根付いています。成果を上げれば、国籍や肌の色を超えて、信じてくれる国です。

人間は、疑われれば、相手を疑うのです。
信頼されれば、信頼するのです。

人として公平に扱われれば、その相手に対してもフェアに接するようになるのです。

出自や、家柄や、好みや外見だけで、人間を評価しようとせず、一人の人間として敬意を持って接すれば、その相手からも信頼されるのです。この日本でも、その筈です。

高校の制服や校則の問題だけではなく、もっと広い意味でも、大いに言えることです。

国籍や肌の色で人を区別、差別してはいけません。

性の好みや特性の違いで、区別や差別をしてはいけません。

互いに信頼し、ともに同じ場所で生きて行かなくてはなりません。

何故なら、全ての人間は、同じ人間であるという意味で、平等であり、公平に評価されるべきだからです。

今日本では、LGBT理解増進の法律が出来るそうですが、それに抵抗する勢力があるそうです。
由々しきことだな、と感じています。

そう言えば、私は留学から帰国して日本の大学に復学し、渾身の卒業論文を提出したのでしたが、担当教授は原稿用紙400枚に及ぶその大論文をろくに読みもせず、面談試験で「君はかなり生意気だね」との言葉を僕に投げかけ、「これじゃ卒業させられないかもなあ」といやらしい笑みを浮かべたのでした。

卒業式の日に、その論文と最終成績表を渡されるのですが、卒論の成績は、最低合格点の「E」でした。
50枚程度の読書感想文を出した友人の女子学生は、「A」をつけてもらったそうです。

この一事で、「16年間に及んで受けた日本の学校教育はこんなものだったのか」と、大きな失望感を味わったことを、昨日のように思い出します。

因みに、私の論文に「E」をくれた教授は、当時の「統一原理教」、つまり、今話題の「統一教会」の関連団体の「勝共連合」の幹部さんだったことを、最近になって知りました。

話題を戻します。

服装? 外見? 髪の色  国籍?

そんな「外側の事」で人間を評価している国には、未来は明るいものではないと思います。

どうでしょうか。50年前の都立上野高校のあの自由で溌溂とした空気は、今どこにも無いのでしょうか?

どうでしょうか?

 

孤独感こそエネルギーである

類は友を呼ぶ、と言います。

人は、似た者同士で集まるようです。親戚、友人、あるいは同じ地域の出身者、同じ学校の同窓生、さらには、同じ宗教や思想の信奉者、セオリーの実践者、等々。
こうした「同じ」でくくられる中にいると、人は安心感を感じるのでしょう。周りを見れば皆、「同じ」仲間なのですから。

ですがその「同じ」を、「違う」立場で見るとどうなのでしょうか。

「同じ」人たちの中に、「違う」人はなかなか入って行けません。入っていても、話題は合わない、思想も合わない、「仲間」どころか、「異邦人」扱いされて、「敵」とみなされることもありそうです。

ネットなど無い時代の伝統的な人間関係では、実際に「対面」してから関係が築かれることが殆どでした。

ところが、この数十年で、スマホや携帯電話、パソコンなどのインターネット環境が発達した今では、LINEやフェイスブック、ツイッター等のSNSが人間関係のプラットフォームとなり、そのSNSの場で、「類」が集団を作ります。

その集団に入って行けない人は、そこでは疎外感を感じます。

本来は人間関係の自由な往来に寄与するはずのSNSが、こうして、「分派」と「疎外」の行為を促すことになるのです。
過去、こうした被疎外感から、自分は社会関係から「排斥」されていると感じ、それに反発した人が大きな犯罪を起こした例がいくつもありました。

これは、ネット社会で生きて行く上で、実に大きな問題となります。

そして、これは誰にでも起こり得る問題なのです。
今や、良い意味でも悪い意味でも、ネット環境から離れて生きて行くことなど、非常に困難なのです。

では、何か解決策があるでしょうか。

私事ですが、私自身、こうした疎外感を感じた時に心がけていることです。

「孤独は最大の自由である」と思うことです。

孤独であることは、いい言い方をすれば、他者からの束縛が無い、ということです。
どこで何を思い、何をしようが自分の自由。邪魔をするものはありません。

人間の自由とは、物質的なものだけではありません。
精神の自由も含みます。心の自由です。
心が何物にも縛られていなければ、どれだけ強いことか。
あなたは、キリスト以上にも慣れれば、お釈迦様以上にもなれるのです。
こんな無敵な状態があるでしょうか。
敢えて孤独を選ぶことで「比較」する対象が無くなり、ひいては「敵」という概念も無くなります。

そう、「無敵」なのです。

私自身が今行っているキムチ製造業は、日本では、ほとんどが韓国系の方々の生業のような形で行われてきました。当然、業界の人間関係もその中で築かれているのです。

ですが、日本人である私には、そうした「しがらみ」もありません。
キムチ屋と名乗っていますが、旧来の常識からは、とてもキムチと呼べないようなものを作っているのも、オリジナルな発想と工夫が出来る立場だからです。それを止める人間関係も、仕事関係の条件もありません。

和食や中華等の別ジャンルの料理のノウハウをキムチに応用しているのも、同じ理由です。
私は、業界の因習や人間関係に縛られることなく、全く自由に「キムチ」を作ることが出来、やがちゃんキムチという名の世界を構築することが出来ています。

私は孤独なキムチ屋です。そして自由なキムチ屋です。
そうでなくなった時、やがちゃんキムチは一気に生気を失うこととなります。

添加物も酵母エキス等も使わないで、今の日本でキムチを作り、商い続けることは困難なことです。その困難に立ち向かえるのも、この「孤独」なパワーがあるからです。

無添加の味の世界を、これからも大きく、広く、深くしてまいります。

人は神にはなれない

最近やはり「老い」を感じることも多く、それではいけないと、思い出したように運動をしています。プールで泳いだり、ジムでマシンで鍛えたり。
でも、体は多少丈夫になっても、精神的なことは、また別の話ですね。
歳を取ったからこそ、思うことも多くあるのです。

そこで今回は、ちょっと真面目で深いお話。

私は今まで、様々の業界の多くの経営者の方々とお会いし、お話もし、交流もしてきました。

中には若くして短期間で株式一部上場をされた方もいます。
飲食業界の風雲児と呼ばれ、あっという間に日本中に店舗網を築かれた方もいます。
海外の有名雑誌の表紙を飾った方もいます。

一方、志を果たせずに去った方も多くいます。

手元に、経営者仲間で30年以上前に東南アジア旅行をした時に、タイで撮った一枚の記念写真があります。数えてみると、20名の経営者が写っています。端っこに一番の若手だった私が居ます。

写っている一人一人の現況を知っている限り思い出し、数えてみました。

条件により重複しますが、
不慮の事故や病気で亡くなった人、6名。
それも含めて自分の会社が倒産した人、12名。
命を絶った人、3名。
一方、見方はいろいろあれど、会社を発展させて「成功」させたと言える人、2名。
経歴は色々あれど、今でも元気で経営を続けているだろう人、3名から5名。
消息不明の方、少なくとも5名。

30年という月日は、それだけ人の世の表向きの姿を変えてしまうものです。
私自身は、こうして元気に仕事を続けているので、幸いな事だったと思っています。

そして今、こうして思い返して一番強く感じることを、敢えて書きます。

人は、功成り名を遂げることを目指せども、それだけでは決して成功しない。
自らの名を捨て、この世の人の役に立つを信じることを為せば、神は少なくとも見放さない。
後はどうなるか、全ては運命のなせる業だ。

何を知ったようなことを言うかとお思いでしょう。
ですが今、どう思い出して考えても、これ以上のことは書けません。

人は神にはなれません。これは真実です。
自分が神であると誤解した時、神は間違いなく何らかの罰を我々に与えます。
それが倒産であるか、死であるか、単なる絶望であるかは神が選び、与えます。
だから、自分を唯一絶対の存在だと自惚れてはならないのです。

私が出会った風雲児と呼ばれた方は、私の大恩人ではありますが、その最期は私にすら知らされない寂しいものでした。数年後に私はそれを知りました。
あれだけの魅力的な方が、自分を神と勘違いされ、そうなったと、近い存在であった私は今思っています。

 

謙虚であり続けるということは、最も難しいことなのかも知れません。
人生の目標は「名前も跡形も無くこの世を去ること」と仰った、尊敬する経営者のある方の言葉を思い出し、あらためてそう思います。

世に役に立つ仕事をすること。
それを誇らないこと。
そしてその実りは、この世に残して逝くこと。

胆に銘じて、今のキムチ業に邁進したいと思います。

(画像は、ウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカ氏夫妻。大統領になっても中古車を自分で運転し、月たった1,000ドルの収入で生活して、世界一貧乏な大統領と呼ばれました。善政を敷いたこの方から、我々が学ぶべきことは多いと思います)

アミノ酸入りや酵母エキス入りを見抜くコツ

周知の事実ですが、ほとんどの加工食品には添加物が使われています。

添加物は「使う必要がある」から使われている訳です。たとえば、「綺麗に見せるために」使うのが「着色料」であり、「日持ちを伸ばすため」に使うのが「保存料」であり、「希薄な素材しか使わないで形を作るために」使うのが、「増粘材」なのです。

そして、「美味しく感じさせるため」に使うのが、「アミノ酸調味料(=化学調味料)」や「酵母エキス」などです。(酵母エキスは分類上は商品添加物ではありませんが、本質的には添加物そのものです)

なぜ「美味し感じさせる」必要があるかと言えば、「美味しくないから」、ということになります。
そしてなぜ美味しくないかと言えば、「十分な素材を使っていないから」「十分な技術が無いから」ということになりますが、突き詰めて行くと、すべては「経済性」に行き着きます。

少しのコストで、多くの利益を出す。
ほとんどの添加物の使用理由はこれです。
これをまず、しっかりと認識しておきましょう。

さて、添加物の中で分かりずらいのが、アミノ酸調味料や酵母エキスのような、「化学調味料」です。
私たちはこういった「化学調味料」に舌が慣れ切ってしまっているので、その存在を見抜くのが困難になっています。

そこで、こういった「化学調味料」の添加を見抜くコツを列挙することにいたします。

 

1)食べてすぐに「美味しい!」と感じるのは、化学調味料の味である

テレビの食レポ番組等で、タレントが料理を口にした途端に「美味しい!」と叫ぶような場面を良く見ます。これは、化学調味料の味を「美味しい」と感じている、と判断できます。

本来の「旨味」というものは、口に入れて、舌で味わい、それが脳に伝わり、「美味しい」と感じるまで、最低6秒から10秒はかかります。
身近に無添加の食品があれば、それで実験してみてください。あるいは、大根やニンジンを生のままかじってみてください。その「味」を感じるのに、それだけの時間がかかるのがお分かりになると思います。

化学調味料は、化学的に合成されているので、私たちの体には「異物としての刺激」と感じられ、すぐに刺激感を感じるのです。
試しに、台所にある化学調味料を舐めてみてください。ほら、口に入れた瞬間に、刺激を感じますよね。

 

2)後味がいつまでも残るのが、化学調味料です

例えば、ラーメン屋さんで化学調味料入りのラーメンを「美味しいなあ」と言いながら食べたあと、喉が渇きますよね。だから、多くの人が、水を飲みます。

これは、化学調味料の刺激感が、消えずに口の中で残ってしまっているからです。
本能的に、その刺激を洗い流したいと思うから、水を飲みたくなるのです。

このように、化学調味料の味は、食後もしばらくの間口に残ります。
食中に「飽きる」感覚を覚えるのも、原因は同じです。

 

3)結局みんな、同じ味に感じる

中華料理などでは典型的に感じることですが、料理の素材が、タケノコであろうが白菜であろうが、キノコであろうが牡蠣であろうが、牛肉であろうが鶏肉であろうが、結局「同じ旨味」であると感じたことはありませんか?

これは、同じ化学調味料を使っているからに他なりません。

料理店には様々の化学調味料が置かれていますが、化学的に合成された「グルタミン酸」「イノシン酸」「酵母エキス」がその主成分の主なものです。

中華料理店では「鶏ガラスープ顆粒」が多く使われますが、それにもこの3種の成分が入っています。
だから、素材が何であれ、結局こうした強烈な「旨味」を持つ調味料で味を被せてあるので、同じ味に感じてしまうのですね。

無添加の料理は、そのお皿ごとに全く違う味になるはずです。

以上の3つの視点で、「無添加」か「添加物入り」かを見分ける意識を持つと、味覚レベルは飛躍的にアップするはずです。

店は無名でよし、すべてはお客様のために

新しい年が始まりました。

新年あけましておめでとうございます。

この3年ほど、「コロナ」が社会行動の変容を促し、食の世界でも大変動が起きました。
そして昨年のロシアのウクライナ侵攻を契機に、食材の大幅値上げや、光熱費高騰、人件費高騰と人手不足という、数重苦が襲ってきました。
「食」は今、危機に陥っています。

当店も、本店の小売価格は昨年小幅の値上げを数回致しましたが、食材価格はまだ上がる予想が立てられています。

その中でも、当店の営業指針には、変わりはありません。今まで通りの哲学を保持し、日々の業務を行ってまいります。

●「無添加」を徹底し、アミノ酸や酵母エキス等も排除し、食材の本来の味わいを生かします。

●ただ無添加であるだけではなく、「美味である」ことを追求し、そのために、良質の食材を濃厚に使用し、キムチ以外の食のジャンル(和洋中華)も研究応用し、お客様に「感動」を覚えて頂くレベルの味わいを実現します。

●徒に価格を上げることなく、あくまで「庶民の食」の範囲で販売します。

●やみくもに販売量を増やさず、品質のさらなる向上を常に追求します。広告宣伝費は一切使わず、その分は良質な食材を調達することに使います。

というような指針で、相変わらず営業を続けてまいります。

 

ところで、私は不偏不党で、選挙になれば、右や左や中間のどの政党にでも投票することがありますが、昨今の日本は、明らかにおかしな方向に進もうとしているように感じてなりません。
なぜ今、増税なのか。なぜ今、防衛費の突出増額なのか。
なぜ今、いろいろな社会的規制を強めるのか。
なぜ今、日本だけが世界の経済成長から取り残されて「後進国」になりつつあるのか。

こういった疑問を感じながら、それでも、やがちゃんキムチは、商品の品質に関しては「頑固一徹」を貫いて行く覚悟です。

通販の販売も、特例を除いて、モール(楽天等)には出店せず、自社サイトのみで行います。なぜなら、モールでは外部リンク禁止や「囲い込み」等で、自由なものの表現や販売を規制されるからです。
商品も強制的に何かの「ジャンル」に閉じ込められ、比べられたくも無い他店の「同ジャンルの商品」と無益な比較と競争をさせられます。

やがちゃんキムチが目指すものは、第一義的に、お客様の幸福であり、モールの繁盛ではありません。
もちろん、自店の繁盛でもありません。それは、お客様の喜びの結果、正当な報酬として自然と残るものと考えています。

自店の力で商品を作り、それを召し上がる方に直接販売するという原則を絶対に守り、下請けに出したり、右から左に横流ししたりすることは致しません。

自店で作り、お客様に喜んでいただき、そして「おこぼれ」として利益を頂く。
それで十分だと考えています。
モールや他の団体等に、余計な経費を払うことは致しません。すべては、いい商品作りに使っていきたいと思います。
マスコミにやたらに登場したり、冗舌に「売らんかな」の行動も取りません。有名にもなりません。無名のまま、最も価値のある商品という「作品」を作れれば満足です。

不穏な空気が蔓延している2023年初頭ですが、やがちゃんキムチの考えも行動も少しも変りないことを、ここで宣言したいと思います。

どうぞ本年も、よろしくお願い申し上げます。

※冒頭の写真は、沖縄竹富島の「西桟橋」の夕陽の光景です。女性がお二人でアーチを作られているのを遠くから撮らせて頂きました。

鶏ガラスープって何?

料理番組などで、味付けの調味料として、砂糖や塩などと並んで、よく「鶏ガラスープ」という名前が出てきます。
そのまま聞き流してしまいそうですが、これ、いったいどんなものを指して「鶏ガラスープ」と呼んでいるのでしょうか。

本来なら、鶏ガラ、つまり鶏の骨を、野菜や海草などと一緒に長時間煮込んだものを指すはずですが、家庭の料理でわざわざ鶏ガラスープをそうして煮込んでいる方は稀でしょう。

そこで、簡単に憶測すれば、市販の「鶏ガラスープの素」と言われる、粉末や顆粒状の調味料を使いなさい、という意味で、料理番組の先生が言っているのだと思われます。

さて、その顆粒の鶏ガラスープって、何でしょう?

確かに、メーカーさんが鶏肉や骨を煮込んだものを加工して作るのでしょうが、現場での経験から言って、それだけで、鶏の「旨味」が簡単に取れるとは思えません。

市販の鶏ガラスープの原材料の欄を見ると、やはり、調味料(アミノ酸等)とか、酵母エキスといった、化学的に旨味を合成した添加物を加えていることが書かれています。
(酵母エキスは、分類上「添加物」では無いとされていますが、従来から書いてきたとおり、本質的には「添加物」以外のものではないです。)

こうした「添加物」を、堂々と「加えてください」と仰る先生方を、私は、尊敬は致しかねます。

こういう添加物の旨味というものは、その作用的に、素材の表面をいち早く化学的に覆い尽くし、原材料自体の旨味を隠してしまうものだからです。
それは表現を変えれば、素材を量的に十分に使わなかったり、調理方法が粗雑であったりすることを「カバーする」方法とも言えるのです。悪く言えば、「味の偽装行為」であるわけです。

添加物の化学的な旨味は、それを使う全ての料理の味を「同じ味」にしてしまいますが、それを「美味しい」と勘違いしてしまう人を増やすことにもつながります。

それは、いわゆる「味音痴化」を助長するだけでなく、本来摂れるはずの素材の栄養素も摂れず、本来味わえるはずの美味しさも味わないという結果にもつながります。

ですから、料理番組で推奨されているからと言って、添加物入りの鶏ガラスープの素などを使うべきではありません。
もちろん、添加物そのものなども、使ってはなりません。
何度も書きますが、使ってしまえば、それは「作り物の味」で覆われてしまうからです。

ですから、面倒でも、本物の「鶏ガラスープ」を使いましょう。でも、面倒ですね。
それなら、スーパーやお肉屋さんで簡単に買える「手羽先」や「手羽元」でもいいです。
それを料理の材料として加えてしまえばいいのです。手羽は比較的短時間で、旨味が出ますし、もちろん食べても美味しいですから。

とにかく「添加物は極力使わない」という考え方が広まれば、我々の食生活がいい方向に進むと、いつも思っています。

失敗体験の方が貴重である

 

法務大臣が、とんでもない発言をして辞任しましたね。

法務大臣とは、死刑執行の朝に執行命令書にハンコを押す時くらいしか目立たない、金が儲からない役職だ、などと繰り返し語ったそうです。実に不適切で醜悪な発言であり、大臣辞任どころか、議員辞職、いや、政治の舞台から永久に追放してもいいようなレベルのものであると思います。

この「元」大臣、辞任会見でも、どこか他人事のような態度であり、一層呆れましたが、その経歴を見ると、東大出身、警察官僚から国会議員、そして大臣の座に登り詰めた、エリート中のエリートでした。いわゆる「頭のいい」方だったのです。

東大出身、京大出身という方々は、若い頃に受験で一度も失敗していない、という方が多いわけですね。それ以上の「偏差値」の高い所は無いわけですから。

それは「優秀さ」の証でもあり、国会議員や、ましてや大臣ともなれば、「優秀」でなければいけないのでしょうから、さて、優秀な方なのに、何故このような下卑た発言を繰り返ししてきたのか。理解に苦しみます。

おそらく、我々凡人とは、物事を見る位置や方向が全く違うのではないでしょうか。

国の組織で人の上に立つ方というのは、国を、組織を、国民をより良い方向に導くのが仕事ですよね。
ところが、恐らくそんなことはどうでも良く、自分が歩いてきたエリートの道を順当にこの先も進むことだけを考えて来たのでしょう。
一度も失敗が無い、常に一番上で来た、必ず「合格」して来た、挫折という経験が無い。
そう言うエリート生活で身に着いた思考方式が、そのまま出てしまった、ということなのでしょう

分かりやすいと言えば分かりやすく、間抜けと言えば間抜けであり、やはり、醜悪な思考方式と言わざるを得ません。

この大臣一人だけならまだいいのですが、今の日本の「上層」には、同様の考え方をしている、苦労知らずのエリートや二代目、三代目、四代目の「ボンボン」が沢山いるのだと思います。

何やら、消費税をさらに上げようとしている動きもあるようですし。

それでこの国が良くなるというより、自ら属する「上層」の安定が図れると思っているとしたら、大きな大きな間違いです。そんな安易な方法で、この国が良くなるものですか。
間違いの上塗りを繰り返すだけだと、気が付くことも無いのでしょう。

こうした「失敗経験の無い」方々には、ぜひ「生活の現場」に下りて来ていただいて、一緒に我々と汗を流し、涙を流し、泥に汚れて頂きたいものです。

そこから生まれる「誰も取り残さない」「常に弱きものに寄り添う」というものの考え方を、ぜひ頭の良い方々にこそ、身に着けて頂きたい。

どうか、もっと失敗をしてから、要職について頂きたいものです。

 

 

 

お客様と一番近い商売

やがちゃんキムチの自社サイトが新しくなって、1カ月ほど経ちました。
お買い物が大分しやすくなりましたので、どうぞご利用ください。
間もなく、恒例の「おまけセール」も始まります。

https://www.chanja.co.jp/

うちのキムチ販売は、今回リニューアルしたこの本店自社サイトがメインで、全商品を最安値で販売しています。ほとんどのネット売り上げがこのサイトから生まれます。
他にもアマゾンとヤフーのサイト(現在閉鎖中)もあるのですが、品揃えも少なく、行く行くは閉じて行く方針でいます。

また、当店の商品は、すべて自社製造です。製造外注は一切しておりません。

さらに、当店はお客様に直接販売することを心掛けています。
飲食店様は別として、スーパー等の小売店や食品卸会社への卸販売も、地元一生協と道の駅売店以外は、全廃しました。

ネット販売を自社サイトに限るのは、楽天やヤフーといった「モール」で売ることは、純粋な自社販売とは言えないと思うからです。

一言でいえば、「食べる物を作るものが、食べる人に直接売るべき」という原則です。
ここに、余計な諸物を挟みたくないのです。
モールという場所に出していると、様々の縛りがあり、また、同ジャンルの他店との競合を意識せざるを得ません。
過去、そういうことで嫌な思いを散々してきた経験もあります。
こちらが嫌な思いをしながらモールの規制に従って行くことは、お客様にも決していいことであるとは思いません。

うちが売るのは、目の前の「自分が作ったこの商品」であり、買って下さるのは、「それを召し上がるお客様」です。それ以上でも以下でもありません。そこに、モールの思惑を挟みたくありません。そのものだけをお売りしたい。

商品以外の「余計な事」を意識しないためにも、当店は今後も、「自分で作り、直接お売りする」ことを基本としてまいります。

たとえそれが、商売を大きくするために無駄なことであっても、「本当に良いと信じ、それ以上、それ以外のものなど無い」という真実の中で、お客様と一番近い商売をさせて頂きたいと思っています。

 

 

 

 

物は焦げなければ匂わない

以前東京五輪の開催が決まった時に、「この五輪の動機に利権の匂いを感じる。今日本でオリンピックをやる理由はない」というような投稿を、何度かしました。

それを読んだ(だろう)知人たちから、その後何となく接し方を変えられたようにも感じていましたが、何ら意に介していません。思ったことを書くことには、誇りすら感じますから。

そのうえで今、五輪の組織委員会の関係者や関連業者の逮捕が報じられているのを見て、思います。

「火の無いところに煙は立たない」

「物は焦げなければ、匂わない」

煙が立つほどに派手に燃えれば、誰にでも異常は察知できます。
料理が正常に煮えていれば、いい香りしか漂って来ません。

しかし、どこかに異常があれば、料理はシグナルを発します。料理人はそれを察知したら、すぐに火を止めます。

料理以外の場面でも、「何か良からぬことが行われているな」という程度の「くすぶり」でも、おかしな雰囲気は感じられるはずです。それを口に出すか出さないか。それが大きな別れ道になることもあります。

「おかしい、何か焦げている!」と口に出せば、火を止める人は出てくるかもしれません。延焼が防げるかもしれません。大きな火事には到らないかもしれません。

五輪の事でこんな例えは不適切かも知れませんが。家庭の鍋の焦がしも、国家的プロジェクトの不正も、「人の間違い」ということでは一緒です。違うのはその間違いの規模と、もう一つ、

「意図した間違い」であるのかどうか

ということです。意図した間違いのことを、「不正」と言います。意図していなくても自分に多少でも原因があれば「過失」と言い、そうでない場合は「不運」と言うのでしょう。

五輪の組織委員会やJOCには、かつて国民の尊敬を集めた高名な元スポーツ選手がトップを務められていました。私自身も、現役時代の彼らの活躍に熱中し、自分の青春のエネルギーの燃焼の夢を重ね合わせて来もしました。
彼らは、焦げの匂いに気が付かなかったのでしょうか。
不正のくすぶりを感じなかったのでしょうか。

感じなかったとしたら、組織の長など引き受けなければよかったのです。たとえそれが過失であろうが不運であろうが、責任はあります。不運と言って済まされる問題ではありません。

結局、今回報道されている数億という単位の不正の金額も、あるいは五輪全体が残した数兆円に及ぶ負債も、これから背負っていくのは、「不運な国民」、つまり私達です。

背負っていくのだから、感じたことくらい書いてもいいでしょう。

私ごとき一介のキムチ屋が書くことは世間を1ミクロンも動かせませんが、私自身の気は多少は収まります。悲しいかな、市井の愚民が書くことはその程度でもいいのだと思います。

それでも、不正を感じ、焦げの匂いを感じても押し黙るのだったら、「木偶の棒」(でくのぼう)だと呼ばれても仕方ありません。
木偶とは木で作られた人形のことで、役に立たなければ、ただの棒に過ぎないから、木偶の棒と言うのだそうです。

 

 

 

料理の順位付けも、無帽の調理も「失格」!

 

先日、テレビで、シェフの日本一を決めるような番組をやっていました。
私はこの手の番組は好きではないです。というか、嫌いです。

料理の評価は、あくまで食べる方の「主観」で為されます。

その方の人生の背景、ものの考え方、食べる相手、季節、天候、精神的状況、等々、様々の要素が評価に絡んできます。
それが主観というものです。

ですから、同じ料理を10人が食べた時に、その評価はまさに十人十色。それが自然の姿であると思います。

そういう「主観的評価」しかできない「料理」という作品を、数名の審査員がさも偉ぶって(のように見受けられました)評価して、客観的な順位付けという行為をする・・・・もうこれだけで、矛盾そのものの行為だと思います。

ですから、「料理Aは料理Bより美味しくて優れている」という評価は、無意味です。

「AよりBの方が自分は好き」という主観的評価なら、意味があります。主観には、順位がありませんから、評価の基準を「好きか嫌いか」で行えば、問題はなくなるのです。

「好きか嫌いか」でやれば、評価はバラバラになるでしょう。
人の好みは千差万別。バラバラであることは、自然の理にかなっています。

ですから、メニューの良し悪しを順位付けすることには、全く意味が無いのです。
優勝しようが予選で落ちようが、そんな評価は無意味です。

ましてや、日本一だとか王だとかいう称号を冠すること自体、言葉は悪いですが、とても嫌らしく感じられます。
マスコミとはそういうことをするものなのでしょうが、公共の電波を使って流すべき内容とは思えません。
また、そこで仮にいい評価をされようが、そうでなかろうが、そのレストランの価値は一つも動かないということを肝に銘じるべきです。

否むしろ、下手にいい評価をされてお客が大挙して殺到でもしてしまったら、正常な店舗運営などは出来なくなるでしょう。

ところで、私がもし審査員なら、この日のシェフさんたちは、「全員失格」です。
全員帽子を被っていなかったから。

洋食関係の方に、無帽で調理する人が多く見受けられると思います。。

髪の毛は、必ず落ちます。いくら整髪剤で固めても、落ちます。
髭も伸ばしたらだめです。やはり落ちます。

だから、失格とさせて頂きます。

あくまで、やがちゃんの個人的な規準ですが。

最後の食事に何を食べる?

人生最後の食事に何を食べたい?・・・・という質問をよく見ます。
大好物のメニューを答える人もいますし、「卵掛けご飯」とか、「裏山の水」とか、シンプル素朴な答えも良く見ます。

私ならどう答えるか。
一つに絞るのは大変ですが、すらすらと、次の5個のメニューの名前が出てきました。

1)味噌チャーシューメン
2)カツカレー
3)カニチャーハン
4)カルボナーラ
5)カルビ丼

我ながら、すごく庶民的ですね・・・。

生まれは信州の人里離れた山奥で、育ちは東京下町の商店街。骨の髄まで庶民です。

しかし、もっと真剣に考えれば、「何を食べる」より、「誰と食べるか」の問題に行き着きます。

たとえご飯とお新香とイワシ焼きだけでもいいから、「最後に会いたい人」と一緒に食べたいです。
あの方、あの人、いいや、あいつかな・・・?

いえ、違います。
やっぱり、家族です。。血を分けた家族や近親者と会いたい。
できれば、死んでしまった父母や祖父母とも。

小さなテーブルを挟んで、何も語らなくていいから、向き合って食べたいです。
言葉など無くてもいい。ただ、顔を見合って食べたい。

病院勤務の方に教わりました。
病院では、あらかじめ許可を得ていない限り、何人(びと)も、たとえ絶命していても、近親者が来るまでは救命措置を続けなくてはならない。近親者が到着したうえで、死亡を確認するのだそうです。

元首相の思想信条は概ね受け容れられませんでしたが、立ち位置のはっきりした、大きな存在でした。
それでも、非業の死を「同情」や「神格化」につなげても意味はありません。
ましてや、政治利用するなど、もってのほかです。

今するべきことは、暴力では何も解決しないことをあらためて胆に銘じるべきことでしょう。

もうすぐお盆ですね。
先祖が帰ってきます。

敬虔に構え、今後の自分の生き方を、亡くなった親族に問いかける時でもあります。

生きている者と彼岸の人たちとの違いは一つ。

生きてる我々は、前に進むことが出来ます。彼岸の人は、我々の思いを聞き、見守ることしかできません。

つまり、前に進む行為そのものを、「命」と呼ぶのだと思います。

命ある私たちは、様々な制約を受けながらも、進みます。前へ。
生きているから、そうしなければなりません。

昆布はガンガン煮ればいい

昨晩出来上がった直後のチャーシューの鍋の画像です。

ネットが掛かっているのが、豚バラ肉。
それ以外はすべて、味だし素材。
これらを、ザラメ、丸大豆しょうゆ、清酒、和風だしを混ぜた液体で煮るわけです。
それは、旨いです。

 

ここにもある「昆布」ですが、最初から最後まで入れっ放しです。
昆布は沸騰させてはいけない、なんて言う方もいますが、昆布は煮れば煮るほど味が出る。

それを「雑味」と呼んで、沸騰直前に火を止めなければ雑味が出る!・・と良く言いますが、違いますよ。
雑味という味なんかない。雑味というのは、昆布に失礼な話です。
それは「旨味」なんです。

 

こうやっていろいろな素材の旨味と合わさって、混然一体となって、最後にはその料理の「味」となる。

ちなみに、チャーシューを煮終わった昆布は、「佃煮」として、最高に美味しくなります。

味は、相乗作用の世界。自由に作れる世界です。

もちろん、伝統の技術を学んで上で、そうする。
それが革新ということだと思います。

そして革新を重ねて行くことが、「伝統」の継承につながるはずです。
だから、その世界の「何代目」であろうがなかろうが、「破壊と創造」を繰り返さなければ、伝統は継げません。

やがちゃんキムチは狭い狭い世界ですが、連日これを繰り返しています。

無添加への道のり (旨味素材の工夫)

やがちゃんキムチの全商品は、「食品添加物無添加」です。

保存料や着色料等はもちろん、アミノ酸・核酸等の化学調味料だけでなく、一般的に添加物とはされない「酵母エキス」や「たんぱく加水分解物」なども使っておりません。

「味」作りにおいて、人工的な合成物を使ってはいない、ということです。

ですが、別にこれは、ベジタリアン、ビーガンやマクロビオティック等の考え方に基づいているわけではありません。私自身は、日常生活においては普通の食生活をしていますので、添加物も結構摂っています。

≪やがちゃんキムチは、ビーガンやマクロビの考え方とは無縁です≫

 

ただ、当店の作る商品には、もちろんそういった化学合成物は使っておりません。

理由は単純です。

「本当の美味を追い求めた結果、気が付いたら無添加になっていた」のです。

決して「無添加にするべきだ」という考え方から出発したわけではないのです。

それはどういうことか、以下に書き連ねます。

私がキムチ業を始めたのは、身近に韓国出身の方が居て、その方が私が当時経営していた会社の商品一つとして、キムチを作ってくれたのが始まりです。

当時のキムチはそれなりに美味しかったですが、別段無添加ではありませんでした。
否むしろ、「え、こんなに入れるの?」と言うくらいに、大量の化学調味料(味の素やハイミー、ほんだし等)を使っておりました。
それでも結構売れたので、特に気にしておりませんでした。

ところが、その韓国出身の方が事情で帰国し、キムチ担当が居なくなって、私自身が受け継いで思いました。
「こんなに合成物を入れて、本当にいいものなのだろうか」と。

そこで、試しに、化学調味料をゼロにして作ってみたのです。
その結果・・・・まずくて食べられたものではありませんでした。あの白い粉たちを入れないと、こんなに腑抜けの味になってしまうのかと驚いたのです。

そこで工夫してみました。

味の素の旨味は「グルタミン酸ナトリウム」です。
そのグルタミン酸を多く含む出汁素材と言えば、昆布ですね。そこで、キムチのタレ造りの時に、たくさんの昆布を煮だして使ってみました。

結果、「あ、昆布の味がする」程度のものでした。微かに旨味が増えた感じがする程度です。
そこで、昆布の量を増やしてみました。2倍、3倍、4倍、5倍、10倍と・・・! 鍋に入りきらないくらいの量まで使ってみました。

入れれば入れるほど、タレの旨味は増します。
ですが、化学調味料のあの味の強さには遠く及びません。
憶測ですが、「味の素」1キロ分の旨味を昆布で出すには、おそらく100キロ以上の昆布が必要なのではないかと思えました。それくらい、化学調味料の味は強力なのです。

それならば、と考えました。
「旨味」の要素は、グルタミン酸だけでは無いだろう。他の要素は何かないのか、と。
そこで、和食の「出汁」の世界に顔を突っ込みました。

ありました、ありました。
グルタミン酸以外にも、イノシン酸は魚介類に、グアニル酸は干ししいたけ等に。コハク酸は貝類や酒に。そしてこれらを組みあわせて使うと、旨味が相乗効果的にどんどん増していくことにも気づきました。

そして自然に、こうした素材の使う量は増えて行き、量の組み合わせにも一定の法則があることが分かりました。
結果として、かなりの量の化学調味料の使用を減らせました。

ただ、ゼロにするとやはりどこか、物足りなくなります。「腑抜け感」がどうしても漂ってしまうのです。

いくら無添加でも、美味しくなくては失格です。

やはり、完全に無添加にするのは無理なのだろうか?・・・・いや、そんなことはない!
まだまだ、工夫の余地はあるはずだ。
そう、思ったのです。

そして、こうした「旨味」の側面以外にも、もっと工夫を重ねてみようと思いました。

出発点は、あくまで、「美味しさ」の地点です。
ゴールが、「完全無添加」の地点です。
それが決まりました。

だから、要は、美味しさの追求から入ったわけであり、思想や哲学的な「無添加至上主義」では無かったのです。ここが、他の無添加メーカーさんとの大きな違いだと言えると思います。

以下、次号に続きます。

※なお、このテーマについては、拙書「秘伝レシピ公開! 無添加で超美味を実現するとっておきの現場ノウハウ(アマゾン電子書籍・定価2万円)」に詳細に書かれています。その読者さん方のために、このブログでは細部にまでは触れられませんので、ご了解ください。

沖縄の海

50年前、私は都立高校の2年生でした。

その高校は高校学園紛争の象徴のようなところで、「自由と責任」を強調し、生徒の政治活動には極力寛容。私生活にも寛容。制服も校則もなし、授業の出席も自由。試験もないし、成績順位もつけません。

大学のような「自主ゼミ」もあり、生徒が「自分で考えること」は大いに推奨したものですから、この年の沖縄の本土復帰については、友人同士で教室で大いに語り合ったものです。

本土復帰のその日か次の日かだったと思います。
しょっちゅう嫌がらせに来る右翼団体の街宣車が、授業中なのに校庭の脇で大音量でアジテート演説を始めました。

「〇〇高校の諸君、君たちの学校の教師はクズばかりだ! もっと歴史を学びたまえ! 大和魂を学びたまえ!」などと怒鳴り立て、授業どころではありません。

あまりにうるさいので、私と仲良しのN君が合図して、「やっちまおうぜ!」と立ち上がって、教室を出ました。先生は止めもしませんでした。

校庭に降り街宣車に近寄った私とN君は、フェンス越しに「うるせー!帰れー!」と叫び、校庭の石を投げ始めました。パチンパチンと、石は街宣車に当たりました。

中から、迷彩服を着た男性が飛び出てきて、「てめーら! この野郎!」などと叫んで走り寄って来ましたが、フェンスがあって上って来れません。
私達はその男性にも、石を投げつけました。

男性は堪らず車に逃げ帰り、またマイクで、「おまえたちの学校は間違っているぞー!」などと叫びながら、走り去っていったのです。

校庭を戻る時、教室からクラスメイト達が顔を出し、「よくやったー!」と拍手をしてくれました。手を振って応えました。他の教室からも、「いいぞー!」という声が掛かりました。

その後、先生や学校からのお咎めはありませんでした。

N君と私は、共同で文学同人誌を作って校内で配ったりした仲でしたが、N君はその後東大文学部に進んでビール会社の企画関係の部署に就職し、私は私大の文学部に進んだあと、一時は原理的な右翼思想に影響されたりもしましたが、親の急死で家業の小さな商店を継ぐことになり、それきり文学生活には別れを告げました。

それから10年も経ったころ、ビール会社の営業マンに連れられて、突然N君が私の店にやって来ました。
エリートサラリーマンになっていた彼は相変わらず受け答えに賢さがあふれていましたが、沖縄返還の日のあの石投げ事件の話になった時には、少年の顔になって「あの時は楽しかったなあ」と笑っていました。

とにかく、あれから50年。
沖縄は相変わらず、日本で一番貧しい県のようです。
米軍基地もそのままです。
もう左翼でも右翼でもなく、ただのキムチ屋の主人でしかない私も、「何とかならないものか」と思うことがあります。
今、石を投げるべき相手は誰か。いるのかいないのか。
石を投げなくても、思いを馳せるところは、どこか。
そもそも、大和魂とは、沖縄の心とは、いったい何なのか。それに答えられる者がいるのか・・。

キムチを自分で作って、吹けば飛ぶような商売をしている身には、いろいろと思いが浮かびますが、文章にはなりません。

何はともあれ、健康であること。体もそうですが、それ以上に頭も、考えることも。

今堂々と言えることは、そうやって自分の心を養いながら、さらによりいいものを作り、人様のために商うことだけが、するべきことだということです。

年齢を重ねて来ると、友人関係も無理には広げたくなくなるものです。
自分の真実の姿を理解しようとしない、あるいはできない人たちとは、敢えて近しくなろうとしなくなります。一言でいえば、好きな人とだけお付き合いするようになる。

場所もそうでしょう。今更、行きたくない場所には行きたくない。
好きな場所には、何度でも行きたくなります。

どうやるか、ではなく、何を何故やるか

久々の投稿です。1年近く経ってしまいました。
様々の事がありましたね。
ウクライナの侵略戦争は2月に始まり、いまだに終わりません。
東京五輪は、はるか昔のことのようです。
コロナは、ようやく終息するようです。

長く生きてきて、いろいろ技術革新を見て来ました。

通信手段の「電話」にしても、ほとんど全部見てきた気がします。

自宅に黒電話が入ったのが小学生の時。父があちこちに「電話が入ったよ」と嬉しそうに知らせていた光景を記憶しています。

プッシュホンになったのが中学生の時。同級生の女の子と長電話して、母に怒られました。

ポケベルを使ったのが40年前の20代の時。鳴ると慌てて公衆電話を探して、自宅(兼会社)に連絡しました。

ショルダーバックのような初期の巨大な携帯電話を買ったのがが35年前です。通信料が月に10万円はかかりました。当時、北海道で商売をしていましたが、その店の駐車場で車の屋根に携帯電話を乗せて、東京によくかけていました。屋根に乗せないと、電波が通じなかったのです。

折り畳みのガラケー携帯が30年くらい前から使いました。段々小さくなり、メールが打てるようになったり、ネットの画面も見られるようになりました。ワンセグのテレビまで見られたので、重宝しました。北京五輪の400メートルリレーで日本が3位に入った時は、このガラケーでテレビを見て興奮しました。

シャープのザウスという端末を使ったのが20年前。エッジと呼ばれる差し込み式の通信機を指して、ネットを見られました。速度は遅かったですが、それなりに便利でした。

スマホの初代(iphone3)は15年位前に、渋谷の友人の店で初めて見ました。
指先で画面のサイズを広げる機能に感心して、すぐに買いました。「これで電話ですべてが出来るな」と思った時でした。

wifiは当初、無線LANという言葉で語られ、ある団体の勉強会で知り、驚きました。

インターネット自体に触れたのが25年位前。
ネット通販でキムチを売り始めたのが20年ちょっと前。
今の自社サイト開始は15年前です。

この長い利用履歴の中で、わかったことがあります。それは・・・

「人はちっとも変わらない」

ということです。

こういう技術革新は。それ自体はただの「手段」。
少し遅れたからといっても、そのうちいやでも手にするようになるから全然大丈夫です。

問題は、こういう技術の嵐の中で、自ら「何」を作るか。創るか。
さらには、どういう哲学を背景に持つか、・・・ということでしょう。

「何をやるかで業績の7割は決まる。どうやるかでは、3割しか決まらない」と、尊敬するある方から何十年も前に学んだことは、やっぱり正解でした。

方法論ばかりに右往左往するより、しっかりとした哲学を持て。
方法などは、そのうちいくらでも現れる。
その通りの時代になっていますね。

要は、「お前は何者なのか?」という問いに、すぐにはっきりと答えを出せる存在になれ、ということです。

時代の中で浮わついていてはいけない。
たまたま時流に乗っても浮かれていてもいけない。

地面に根の張った、不動の姿勢をとれるかどうか、です。
結局、自分という人間などは、ほとんど進歩していないのですから。

知らぬ他国の夏祭り

 

松本清張原作の名画「張込み」の1シーンに、刑事役の宮口精二が

「知らぬ他国の夏祭り、か」

とつぶやく場面があります。

知らぬ他国の夏祭り・・このシーンは、犯人を追って東京から九州の佐賀までやってきた刑事の独白で、その町では夏祭りの季節でした。
孤独、徒労、不安・・・そういった感情が、この一行によく表れています。

今、東京で「知らぬ他国の夏祭り」が開かれています。

東京オリンピック 2020。

日本という国も、東京という街も私はよく知っています。生まれた国であり、育った街でありますから。

それでも、この夏祭りをやるような国は、私は知りません。

それは、以下の理由です。

ーーーーーーーーーーーー

五輪がとうとう始まりました。

開会式の中継を見ていて、私は寝てしまいました。それでも、感想は人それぞれ。
それについてはここでは書きません。

それより、今更ながら、開催自体について、個人の独白。
誰に対してでもない、個人の率直な気持ちが整理できましたので、書き留めておきます。あくまで、個人的にです。

ですから、僭越ながら、否定的なコメントはお断りです。

コロナなんか無かった7年前に、開催が決まった瞬間からずっと東京五輪に反対してきました。あちこちで書いてきたから、ご存じの方もいると思います。それがついに開幕したので、いよいよかという気持ちです。

それでもやっぱり、日本選手が健闘するのを見ると嬉しくなる。率直に、そうです。

これはどういうことかな・・・?と自問自答して、答は出ました。

競技やアスリートは何にも悪くない。
スポーツは素晴らしい。
スポーツという言葉は「非日常」という世界を表す言葉につながり、「日常」からかけ離れた時間と空間で、普段は「生きるため」にだけ活動する人たちが、より活力を得られる高い次元のパフォーマンスをしたり、見られたりする場なのです。

その意味では、演劇や「祭り」と一緒です。

オリンピック精神自体も素晴らしく高邁なもの。

古代オリンピックは、小国同士の戦争が「日常」であったギリシャで、4年に一度は武器を捨ててスポーツという「祭り」で集おうという、当時の人間の叡智から生まれたものです。
まさに、非日常の「スポーツの祭典」であったのです。

その精神を、19世紀末にフランスのクーベルタン男爵が、長年の戦火に揺れるヨーロッパ諸国に提唱して始めたのが、今の近代オリンピックです。
開催中は戦争行為をやめ、敵国同士もスポーツの場で、平和に競おうという、「非日常の祭典」なのです。
だからオリンピック自体の元来の精神は、平和を愛する人なら誰も否定できないものであり、文句なく美しいものです。

そして、日本人である私が、自分の国である日本を愛する気持ちももちろん強い。
結構社会の現状に批判的なことを書く私を「反日」と言う方々もいるようですが、そういう人たちは、単純な思考で単純な決めつけと表現をされるだけです。言葉を換えれば、「見識」が足らないだけのことです。

それはそれとして、五輪の精神は高邁であり、人が自国を愛する気持ちは強い。
だから、自国開催の五輪を、本来はもろ手を挙げて歓迎すべきでしょう。

ですが、今回の五輪については、決定的な事実があると感じています。
それは、この五輪誘致を決めた人たちの一部の「動機が悪すぎる」ということです。

彼らが目指したのは、一言でいえば、五輪開催による日常の中の「利権」でしょう。
政治的利権、経済的利権、権力的野望・・・。

今までの五輪でも、そういうものがあからさまに現れた例がありました。
ナチスが支配するドイツで開催されたベルリン五輪です。
この五輪でナチスがその正当性を世界中に示した後、世界は未曽有の戦火の時代に突入していったのです。まさに、五輪の精神の悪用と破壊であったと言えます。

それでは、今回の東京五輪。

その開催の意義は、何なのでしょうか?

復興五輪? まだ、震災復興は道半ばです。
コロナに打ち勝った証の五輪? 今、コロナ禍の最中です。
どんな美辞麗句も空疎に聞こえ、とてつもなく大きな違和感を感じます。

1964年の「戦後復興の証」として行われた前回五輪にももちろん利権はありましたが、それは、利権というよりも、復興の結果として普く(あまねく)国民に降り注がれた「国益」というものでした。

これを契機に、新幹線や高速道路が出来、都市部の近代化が急速に進み、日本が世界の先進国の仲間入りをしたのです。あきらかに、「国益」を増した五輪でした。

TOKYO2020には、そういう国益がありません。
一部の関連業界や企業や圧力団体の利権という次元に留まっている。
まさに、「矮小な世界の巨大な利権」なのです。
普く国民に降り注ぐ国益などは全くなく、むしろ、終わったあとの負債が国民にのしかかってくることが明確です。

負債は、これからの世代が負担するしかありません。

だからでしょうか、今の若い世代は、今回の五輪に全然沸き立っていない。
五輪は若者の憧れのイベントでもなく、何処か別次元で行われる大きなスポーツイベントに過ぎず、その開催が自分達の負担になるのであれば、そんなものはやらないほうがいい、と思う人も当然多いでしょう。

コロナも、早晩終結します。
だから、コロナ禍を避けるために開催中止せよとは言わないし、もう始まっています。

アスリートたちは懸命にプレーしている。それは感動的です

だから、競技自体は楽しめばいい。
私だって、自分で経験してきた種目の競技(陸上・ボクシング)などは夢中で見るでしょう。
そして、日本選手が活躍すれば、それはとても嬉しいことになる。日本人ですから。

それでも、やはりこの大会の開催自体への疑念は残り、違和感は最後まで消えないと思います。
今、この時代に、この国で、確固たる理念がない五輪など開くことはなかった。
「矮小な世界の巨大な利権」だけが蠢いた五輪だったと、この先も思い続けると思います。

このような「祭り」をやる国は、私は知りません。

知らぬ他国の夏祭りが、進行しています。

 

以上、あくまで個人の雑感として書き留めました。

その上で、選手、善意の関係者の方々の健闘と健康を祈ります。

利を受けるか、利をとるか。(五輪が歪曲の祭典にならないように)

私は23歳の時から商売をしています。

それまでは学生でしたので、今まで一度も「従業員」として人の下で働いたことがありません。
常に、「店主」でした。

こんなに長い間商売をしてきて、紆余曲折はあったものの、結局今でも小さな店しか経営できていないのですから、経営者としては大した能力が無かったと、自ら認めざるを得ません。

商売にはお金の問題がつきもので、今までもずっと、お金のことで頭を悩ませて来ました。商人は皆さん、そうだと思います。

たとえば、月に100万円儲かりたいとします。

大体これくらい売って、そこから仕入金額を引いて、さらに家賃や人件費や諸経費を引いて、さあ決算してみると、なんだ、30万しか残っていないとか、あれれ、赤字だったとか、よくある話です。平凡な商人としての私の実力は、こんなものです。

ところが、ある種の人たちは、違います。

100万円利益を取ることを最初に設定してしまうのです。
100万円を残すためには、仕入れをこのくらいに、経費をこのくらいしなければならない。売り上げがこれしかなければ、一つ一つの商品にこれくらいずつ利益を乗せなければいけない・・・・と、凡人の私とは逆の計算方式で、強引に100万のお金を残してしまいます。

なるほどなあ、さすがだなあ、と感心します。

こういう方々には、すべてが見えているんだろうな、自分もそうなりたいな、などと思うこともあります。
少なくとも、かなり以前の私は、そう思っていました。

ですが・・・。

何かが足らない。何かが。そう感じています。これではいけないのです、足りないものがあります。決定的に足りないもの・・・それは何か・・。

「お客さん」の気持ちは、どこにあるんでしょうか?
「お客さん」は、利益を吸い上げる対象なのでしょうか?
「お客さん」の気持ちを汲み取ることを第一にできないのでしょうか?

といった、「お客さん目線」の問題。これが欠如していますね。

そして、お客さんにとって、「より良い商品」を提供していくという姿勢の欠如にもつながります。
目指すもの第一が「利益」なのですから、そういう結果になってしまいます。

そして、その根本のところにあるのが、「理想の欠如」ということになるのだと思います。
理想であり、「哲学」の欠如と言ってもいいでしょう。

 

自分は何のために商売をするのか。

それはある「哲学」をもち、そこから生まれる「理想」の状態に少しでも近づくために、物つくりを研究し、精査し、商品化し、お客さんに問うていく。
それがお客さんにとっての理想に近いものであれば、購入していただける。
支払っていただける金額は、あくまで「対価」であり、本来は、作ることにかかった費用と同等であるべきだとも言えます。
しかしそれでは作り手の生活が成り立たないので、生活を維持できる程度の利益を上乗せさせていただく。

利益とは、本来そのようなものであるべきではないでしょうか。

もっといい家に住みたい。いい車に乗りたい。いいものを食べたい。贅沢をしたい・・・・そういう思いは、誰にもあります。もちろん私にもあります。
ですがそれが度を越えてしまうと、人は何かを失います。
その何かとは・・・。
たとえば、知性であり、品性であり、品格であり、人間としての尊厳のようなものかもしれません。
人は、驕奢に走ると、留まるのが難しくなります。

100万円を得ると、1000万円が欲しくなります。1000万円を手にすると、1億円が欲しくなります。
この「アスピレーションコンプレックス」にひとたび陥ると、なかなか抜け出させません。
私もかつては、そのような時期がありました。
ひと時の「バブル時代」というのは、日本中がそのような潮流に覆われた時代でもありました。

まずは、基本に戻らなくては。商売の基本にです。

商売は、利を奪うためのものでありません。

商売の利は、正当な対価として、お客さんから「受けるもの」です。

このブログを書くのに、表現に行き詰まり、何日もかかってしまいました。
途中で間違ってアップしたりもしてしまいました。

その間、オリンピックの無観客開催が決まったり、緊急事態宣言の再発令が決まったりしています。

 

 

さて。

今回の東京五輪は、何のためのものでしょうか?

そこにある理想や哲学はどういうものなのでしょうか?

私はスポーツが大好きです。特に自分で体験してきた陸上競技やボクシングには、熱中します。

それだからこそ、今回の五輪は、本来あるべき姿が極限まで捻じ曲げられた、歪曲の祭典となってしまうような気がします。

願わくば、期間中もその後も、コロナ感染者や重症者、死者が増えずに、テロも起こらないことを。

人々が、正常な「理想」を持てる世界の再構築のきっかけになるように。

非常に困難ではあるでしょうが。

美味しいと不味いの境界線・・・無添加になった理由

食事の場面で一番使われる語彙は、「美味しい」でしょう。

「あの店は美味しいよ」「まずくて食べられたものじゃないよ」というように。

いったい、美味しいと不味いの境目はどこにあるのでしょうか。それを考えてみたいと思います。

たとえば、あるレストランを予約しようとする場合。電話予約の場合も多いと思います。

電話で、「何月何日の何時に3人で行きたいのですが。AコースとBコースとCコースでお願いしたいのですが」と頼んだとします。それに対するお店側の返答が、以下のようなものであったら、どうでしょうか?

1)皆さん同じコースでお願いしたいのですが(一つ一つ別々に作るのが大変なので)

2)同時に3名分出しますが、3つのコースを、同じお皿に一つに盛っていいですか?(盛り付けがたいへんなので)

3)皆さん別々のコースなので、出来上がりに差があります。別々の調理時間をいただきたいのですが、それでよろしいですか。

4)はい、同時にすべて別々の盛り付けでお出しします

 

私見ですが・・・

1はもちろん、論外ですね。
メニューに3つのコースが表示されているのですから、3種類注文されたら、作る義務があります。3種類を作れないのなら、表示するべきではありませんね。

2もよくある例ですが、これももちろん論外です。
メニューの写真等は、多くの場合1人前の盛り付けで撮られていると思います。それが3種類となれば、当然3種類の別々の盛り付けで出さなければいけませんよね。
こういう「一緒盛り」をすると、結果的に一人当たりの量が少なくなるのではないか、などという、つまらない憶測や疑念を生みます。作業が大変だからやらないのなら、最初から店をやるべきではありません。

3も、やはり失格ですね。
3人でお客さんが来て、別々の時間に料理が運ばれて来たとしたら、最後のお客はイライラしますし、先に来たお客も、食べるに食べずらいですよね。こんな気まずい時間をお客さんに提供したら、飲食店としては失格です。

お客さんは、ただ食事をするために来ているのではありません。
食べて、会話をし、感情を共有し、心と心を通わせるために来ているのです。その対価として、原材料の数倍(時に数十倍)のメニュー価格を支払うのです。
それが出来なければ、カップ麺とお湯をお客さんの前に同時に置いてあげた方が、まだましでしょう。
飲食店とは、そういう存在なのです。

 

話は若干逸れますが、コロナ時代の今、「黙食」とか、「マスク会食」とか、妙な提言がなされています。
それも、どうにも科学的根拠が乏しいと思わざるを得ません。どこのどういう飲食店で、どういう形の会食で「クラスター」が発生したのか、それがどれくらいの質量だったのか、そういうことを示されなければ、我々飲食業としては、はいそうですか、と思うわけにも参りません。

幸福な時間と場と、美味のメニューを提供したい私たちを、ぜひ納得させて頂きたいものです。

話を戻します。

上記1から3までは、いろいろな意味で、飲食店としては失格点でした。それなら、4なら、「合格」で決まりでしょうか?

いえいえ、そうたやすい問題でも無いのです。

4の時点では、まだ、メニューを提供しただけに過ぎません。いわば、スタートラインに立っただけです。肝心の「中身」の問題が残っています。

まず、提供したメニューが、もちろんですが、美味しくなくてはなりません。

味の問題は、極めて主観的な問題ですから、「どれくらい美味しい」とかを、数値で図るわけにはいきません。ただ、「すごく強烈な味で美味しい」「素材の味が生きていて美味しい」「家庭的で美味しい」「まろやかで優しい味で美味しい」・・・というような、いわば「味の主張」が為されることが必須だと思います。
人は食の好みがそれぞれですが、どのような内容であったにせよ、そこに、他のものとは一線を画する「特徴」がなければ、価値は半減します。
そして、その「価値」を左右するのが、店や料理人の「哲学」であると、私は強く思っています。

自分や自分たちが提供するメニューで、何を表現したいのか。
何を問いかけたいのか。
何を訴えたいのか。

それがどのようなものであれ、そのような働きかけがあれば、それを食する人の心は動きます。必ず動きます。

それはあたかも、美術作品と同じなのです。

芸術家が全力で描いた油絵や版画や彫刻を鑑賞して、感じ入って感動するように、料理人が全力で提供したメニューで、感動する。

それは時に、その人の人生観すら変えることがあるかも知れません。美術作品ではそれはよくあることですが、「食」でも、あっていいともいます。

そのくらいの力が、「食」にはあります。

ですから、上記1から3まではもちろん失格ですが、4においても、その力を示していかなければ、人の心を動かすことはできません。そこまで出来て、初めてお客さんから及第点を頂けるのではないでしょうか。

僭越ながら、やがちゃんキムチの場合は、可能な限りの美味しさを提供し、食する方に心を和らげていただきたい、という思いがあります。
「真に美味なるものは人の心を和らげる」
それが私の哲学です。
それを追求した結果、自然と「無添加」に行き着いたのです。決して最初から無添加を目指したわけではありません。
最初に目指したのは、食する人の心を和らげることだったのです。

美味しいと不味いの境目とは、実はこれだけの意味を孕んでいます。

たかが食事。されどそれは、人生の重要な場面であると、私たちは肝に銘じて、料理人としての「作品」を提供できるように努力しなければなりません。

 

 

キムチ作りは生き方そのもの

今回は、やがちゃんキムチの店主としての今までの経緯を簡単に書かせて頂きます。

長野県で生まれ東京に移り、小説や漫画が好きな普通の日本人の少年として育ちましたが、どういう運命のいたずらか、私は今、味の世界にいます。

料理の勉強をしたこともなく、師匠もいません。飲食店に勤めた経験も皆無です。もともとは実家を継いだ酒屋の小売店主であり、その前は英文学を学ぶ文学部の大学生でした。
やがちゃんキムチの創業は35歳の時。もう30年前のことです。

副業で経営していたラーメン店があまりうまくいかず、韓国出身のパートさんに作ってもらったキムチを、酒屋の得意先の飲食店に売り始めたのがきっかけでした。

そのキムチの評判が良かったので、新聞広告を出したり、楽天市場に出店したりしたのが20数年前。
もともと辛いものは苦手ですからキムチなど嫌いでした。それはキムチ屋を始めてからも変わらず、自分ではほとんど食べませんでした。
とにかく、売れればいい。売ってお金が入ればいい。どんな売り方でもいいから、売れればいい。その一心でした。

ですが、韓国のおばさんも帰国していなくなり、公私ともに失敗を繰り返して千葉に移ってから、考えが変わりました。というより、変えざるを得なくなりました。

強引に作り、やみくもに売っても、誰にも喜ばれない。自分にも喜びなどなく、ただ、売り上げがいくら上がったか、いくら足らないか、そんなことばかり気になって、幸福感や満足感や充実感などという言葉とは無縁の世界にいました。

そのうち、とにかく、売り上げが少なくともいいから、自分にとってもお客さんにとっても、「嬉しいもの」を作って売ろう。そう思うようになりました。

それならまず、キムチでは不可能とも思われた、「無添加」に挑んでみよう、と決めました。キムチは、辛い漬物です。ただでさえ、漬物はアミノ酸まみれの世界。そこに辛さが加わったキムチで、「自然の美味」を」無添加で感じてもらえるのは、ほとんど不可能だと思われていました。
無添加のキムチと称するものもあるにはありましたが、自分には食べられたものではありませんでした。

無添加にするのは簡単です。
アミノ酸等の添加物を入れなければいいだけの話で、だれでもすぐに無添加にできます。
しかし、それで美味を実現し、保存性も兼ね備えるのは、至難の業です。

工夫を凝らし、無添加化して売ってみました。
多くの方から「まずい」と言われました。
卸していた飲食店のお客さんには、「客の体の事などどうでもいいから、化学調味料をバンバン入れて作り直せよ!」と怒られたりしました。

でも、一旦無添加化してからは、二度と有添加には戻しませんでした。それをしたら、商売をやっている意味がなくなります。私にとっては、商売をやめるということは人生をやめることに等しいです。
やったのは、天然素材を増やすこと、配合を工夫すること、和食や中華の技術を応用すること、旨味の科学を勉強すること・・・等々です。
言ってみれば、現場で自分で、料理学校を開いていたようなものです。それも、お客さんをある意味実験台にしながら。
「おたくのキムチはいつも味が違うね」とはよく言われましたが「前より美味しいね」とも言われました。ある意味で本望でした。

キムチの作業の第一歩は塩漬けです。
それなら、無添加で美味しい塩を自分で配合し、それで白菜を漬けてみようと考え、東日本大震災の年に、一つの結論として、「頂」という名の白菜キムチを出しました。
それは大好評で、10年後の今に至るまで、うちの看板商品として活躍してくれています。

その後、唐揚げやカレー、マーボ豆腐、チャーシュー、弁当等々に扱い商品網を広げられたのも、キムチの無添加化で呻吟した経験があったからです。こうした総菜類も、もちろん無添加ですが、関連業種の人なら、それがいかに困難なことであるかは分かっているでしょう。

料理学校に行ったことはありませんが、学校ではたぶん無添加技術を教えてくれないし、教えられる人もいないでしょう。
何故なら、たかがキムチや総菜ですが、それは、すでに「技術」の問題などではなくなり、「生き方」の問題になっているからです。現場で苦しみながら、商品にだけは噓をつくまいと、固く思ってきた結果です。

料理は現場で「実践」したり「味わう」ことが先決の世界です。座学は関係ありません。理論も参考程度にしかなりません。
結局は、食べて味わうことでどのような「幸福感」を感じられるか、それがその人の人生の状況にどう働きかけるか・・・つまりは、生きていく上での大きな「力」になってくれるのが、「食」の世界なのです。

「頂」から、10年。

その後の総菜の経験を生かし、さらなる進化のキムチを作りましたが、ネーミングに悩みましたが、それを「頂・その先」としたのは、以上のような経緯があるからです。

やがちゃんキムチは、社是として、「有料広告」を一切しません。(無償の取材や紹介報道はお受けします)
それから、無理な宣伝やSNS活動もしません。
SNSでしようとしているのは、今何を考え、何をしているか、何を見て何を感じたかを、率直に書くことです。
ご反応も、気にしないようにしています。

「売らんかな」の書き方をすることには、避けるようにしています。

商品は、それ自体が、少しずつ少しずつ、お客さんのご協力で、広まっていくべきもの。
「頂」も10年間で、そういう定着の仕方をしてきましたし、「頂・その先」も、そうなってくれると信じています。

私にとって、商売とは、自分で自分が「良い」と信じるものを作り、お客様にお渡ししていくことです。
これからもそれを続けていくつもりです。

それでもオリンピックは必要か?

私が子供時代を過ごしたのは東京足立区の東部で、環状7号線の「大谷田交差点」がすぐ近くにあります。

この環7は未舗装の砂利道で、「十三間道路」と呼ばれていました。1間(けん)が1.8メートルですから、23メートルもの幅のある大きな道路です。

この環7が、近くの「綾瀬川」で分断されていました。橋を架ける予定の場所に、通称「バナナ工場」という黒い大きな建物があり、そこが立ち退かないからだ、という話を聞いていました。黒い建物の中では、輸入のバナナで何か製品を作っていた工場だったらしいです。

ところがその工場が突然立ち退いて、「十三間道路」が舗装されて開通しました。そして、町にはうれしい噂が飛び交いました。

「オリンピックのマラソンが十三間道路を走るらしいぞ! 大谷田交差点がその折り返し地点になるぞ! だから、バナナ工場が立ち退かされたんだぞ!」と。
昭和39年のことです。
私たち子供は皆その噂を信じていました。

小学校3年生だった私は、親にある少年向けの本を買ってもらいました。オリンピックの歴史が書いてある本で、古代五輪のマラソンの由来や、歴代の日本選手の活躍の様子も書いてありました。何度も何度も読み返し、文章を暗記するまでになりました。4年前に、ローマオリンピックでエチオピアのアベベ選手が、裸足で走って優勝した様子も、目の前で見たかのように心で描けました。

私の家は下町の小さな食品店です。
ようやく黒電話が入り、近所の人たちが電話をよく借りにきました。

そしてある日、電話以上に待ちに待ったものが現れました。
テレビです!
オリンピックを見るために、親がなけなしのお金を出して買ったのです。
店も居間もつながっていた小さな家ですから、買い物に来たお客さんや、買い物もしない人までもが、家の中に入って、テレビを見にきました。
力道山のプロレスの時や、美空ひばりが出る歌番組の時などは、人がたくさん押しかけて来ました。。
10月についに始まったオリンピックの時は、家じゅうが大変な騒ぎになりました。
一人息子の私は、それがうれしくてたまらなかったです。
としちゃん、としちゃんと近所の人にかわいがられ、すし詰めのような人と人の間から、真新しいテレビの画面で、開会式や、三宅選手の重量挙げや、東洋の魔女のバレーボールに熱狂しました。

そして、あのマラソンの日。国立競技場のスタートの様子を見てから、私は、友達と一緒に、大谷田交差点に走りました。
「アベベがやってくるぞ! アベベを見に行こうぜ!」
「アベベはまた裸足かな?!」
「大丈夫だよ。もう十三間道路は舗装されてるから、裸足でも大丈夫だよ!」
などと叫びながら。

ところが、着いてみると交差点には誰もいません。日の丸の旗を持つ人もいません。
車が盛んに行きかいますが、オリンピックのマラソンが来る雰囲気ではありません。
おかしいな?と思い、急いで自宅に帰ると、アベベは東京の逆方向の府中の道路を走っていました。戻ってきた私たちに、大人たちが大笑いでからかいました。
「アベベはいたかい? 速かったろう?」

その日、アベベは独走で優勝しました。靴を履いていましたが、世界新記録で、ローマに続く二連覇です。
日本の円谷選手も、最後の競技場内でイギリスのヒートリーに抜かれましたが、見事に銅メダルを取りました。国立競技場に、初めて日の丸の旗が上がりました。それをテレビで見た私たちは、大人も子供も興奮しました。

 

この1964年の東京五輪は、大人も子供も、日本中が熱狂して観覧しました。あの五輪を境に、高速道路や新幹線が通り、日本の高度成長が一気に進み、世界の先進国の仲間入りをし、私たちの世代は、青春時代に突入していったのです。良いにつけ悪いにつけ、日本の国が一つにまとまっていました。騒々しく喧々諤々しながら、それでも結局同じ方向を向いて、進んでいました。

政治では保守と革新が激しく対立し、日本中で公害が発生し、自然と国土が壊されながらも、それでも日本全体が「成長」の同じ方向を見ていました。
「もう戦敗国ではない」「アメリカやイギリスを抜くんだ」「世界に向かって扉を開こう」「今日よりも明日、明日よりも明後日のほうが、より豊かになるはずだ!」と信じながら。

57年経って、今。

私は65歳です。東京を離れ、千葉で小さな商売をしています。
東京にも千葉にも、未舗装の道路は既にありません。
電話は一人一台持っていますし、映像で世界中の様子を見ることも出来ます。世界中で何が起こっているか、その場で分かります。
人がすし詰めの状態になってものを見たり、奪い合ったりすることもほとんどなくなりました。

一方でコロナという厄介な風邪が流行り、人が集まることは避けられてます。

生活に必要なインフラはとうに出来上がっています。
若い人や子供が少なくなり、町には老人の姿が目立ちます。
外国語がしゃべれなくとも、外人としゃべれます。
原子力発電所が何か所もできて、そのうちの一つが、10年前の大地震と津波で破壊されました。

都心は超高層ビルが林立しています。
タワーマンションという巨大な集合住宅が人気を集めてます。
高速道路も地下鉄も、これ以上必要のないほどに張りめぐされました。

そんな中、コロナで人と人の接触が避けられています。

外国から人が入ってこれません。日本からも簡単には出ていけません。
それだけではありません。
家族が入院中の人は、病院に見舞いにも行けません。
介護施設に入ったおじいちゃん、おばあちゃんに気軽に会いにもいけません。
病院で危篤になっても、駆け付けることもできません。手を握ることも、最後の声をかけることも出来ません。

それがたった一人の配偶者でも、親でも、子供でも兄弟でも、触れることすらできません。
亡くなっても、葬式すら出せません。

若い人同士が愛し合い、新たな家庭を作ろうと決めても、その結婚式すら開けません。
大人になる大きな節目の、20歳の成人式すらなくなりました。

心から愛する人との、人生で一番大切な出会いや別れの儀式すら、出来ないのです。

そしてその憎きコロナは、まだ感染者を増やしつつあります。

ワクチンが出来たといっても、一般の日本人は今年中に受けられるかどうかも分かりません。特効薬ができるのは、まだまだ先の話です。

そして、問います。

今東京でオリンピックを開くことは、こうした、人としての大切なことすら出来ないさなか、許されることですか?
今、どうしてもやるべきことですか。

何のためのオリンピックですか。

誰のためのオリンピックですか。

オリンピックとは、いったい何ですか?

 

私は東京五輪が決まった当初から、成熟した社会の日本で、しかも灼熱の真夏に行われることに懐疑的でした。幾度かそれは発信しています。コロナ禍の中、その思いは決定的に強くなりました。

少なくとも今、オリンピック開催より優先しなければいけないことが、山ほどあるでしょう。

今、最後に問いたいです。

本当に東京オリンピックは必要ですか?

 

 

 

 

 

 

 

涙はどこへ行った

あなたは、最近いつ泣きましたか? 人前でです。

中学一年生の夏休みに、私は陸上部の練習で、校庭を走っていました。暑い日でした。
その時、校内アナウンスがあり、「陸上部の矢ケ崎君、すぐ職員室に来るように」と言われたのです。
慌てて職員室に行くと、電話の受話器を渡され、叔母の声が聞こえました。「お爺ちゃんがね、危ないの。すぐに病院に来なさい」

祖父は、その日の朝は元気だったのです。しかし、私が飛んで行った病院のベッドで、ちょうど息を引き取るところでした。
女医さんが祖父にまたがり人工呼吸を試みていましたが、それも終わり、「ご臨終です」と言いました。
心筋梗塞でした。

その時です。
ベッド脇にいた私の父が私たち家族に背を向けて窓に向かい、顔を上向きにして、涙をハンカチで拭いたのです。
そしてすぐに向き直り、先生に「お世話様でした」と頭を下げました。
その時の光景を、50年もたった今でも、私は思い出すことが出来ます。
それが私が体験した最初の肉親の死で、初めて見た父の涙でした。

次の体験は、ちょうど10年後。その父の死でした。
年末の寒い朝、父もまた、前の日まで何も無かったのに、心筋梗塞で急死しました。
同居していた姉の夫が人口呼吸を必死にしてくれましたが、息は戻りませんでした。
私は茫然と父の枕元に座り込み、動けませんでした。背後では、救急車を呼び、あちこちに電話したりと、家族があたふたと動く音が聞こえていましたが、やがて急に静かになりました。
姉の夫が襖を閉めて、私と父を二人きりにしてくれたのです。
無言で父の顔を見ていた私は、急に涙がこみ上げてき来て、堰を切ったように嗚咽しました。
ほんの、数十秒だったと思いますが、激しく泣きました。
それが二度目の肉親の死でした。

三度目は、それから35年後。母の死です。
店の商売があるから普段めったに地元を離れない私が、その秋の日に限って大阪城のすぐ傍のホテルに居て、夜開催されたある会合に参加していました。そこに妻から電話があり、入院中の母の死を知らされました。妻は、「お母さんは穏やかな顔だったよ」と言ってくれました。
会合の場を抜け出し、私は大阪城のお堀の前まで行き、誰にも分らないように泣きました。老いても私が心配を掛け通しで、念願の海外旅行にも連れて行けずに逝かせてしまった申し訳無さや、それでも、常に私を守ってくれた母の大きさや優しさを思い、泣いたのです。泣けて泣けて仕方が無かったです。

私の世代は、「男は親の死に目以外には、人に涙を見せてはならない」と言われた世代かもしれません。「抑制の美学」ですね。

このように私も、肉親の死で泣いてきました。それは、心から悲しかったからです。
祖父の死で涙をぬぐった父は、大正生まれの陸軍の兵隊上がりで、「抑制の美学」を教えられてきましたが、さすがに自分の父の死では、泣いたのです。あの涙は、13歳の私から見ても、純粋に美しいと思われた涙でした。

感情を表に出すのは、「抑制の美学」からは、よくないことかもしれません。
もちろん、やたらに泣く男は、「女っぽい」「女々しい」などと揶揄されるように、みっともいいものではありません。

しかし・・・

しかし、抑制したからと言って、感情が沸き立たないわけでありません。
泣かないからといって、冷たいわけではないのです。
それは「我慢」をしているだけであって、人目をはばからない場所であれば、どんな男でも、愛する人の死に際して、号泣するはずなのです。泣かないことと、感情を持たないことは、関係がありません。

ですが、最近の世にあふれる、無表情、無感情、無感動、冷淡、知らぬふり、等の顔、顔、顔・・・はどうでしょうか。

コロナでマスクをしているせいもありますが、思い切り笑ったり、泣いたり、怒ったり、喜んだりしている人を見る機会が、本当に少なくなりました。
これはいったい、どうしたことでしょうか。

それは少なくとも、「抑制の美学」などではありません。

一言でいえばそれは、「感情の欠如」なのです。

「汚れていないもの」「穏やかなもの」「清潔だと思われるもの」「感情的にならないもの」「喜怒哀楽を表さないもの」等々が、尊いとされる風潮が、今の世に広まっています。
そして、心の奥底を表現することが、「汚いこと」「恥ずかしいこと」「避けるべきこと」などとされがちなのです。

本当は泣きたい、笑いたいが、人前だからそれを忍んで抑制する、といったこととは違います。

云わば今の世の風潮は、泣くこと自体、笑うこと自体を「いけないこと」としてしまうのです。

これでは、人は人でなくなってしまいます。

人が人である所以は、感情を、心持を、喜怒哀楽を、精いっぱい表出出来ることにあると言っても過言ではありません。
それをするなというのは、人であることを捨て去れということに等しいのです。

あなたは、最近いつ泣きましたか?

人前で。

あなたの心の本当の姿を晒せる日が、早く来ますように。

清濁併せ呑む

コロナ禍で、「感染症」に関する関心が高まりましたね。
テレビでも連日、いかに飛沫感染や接触感染から身を守るかについて、専門家のコメントが伝えられています。

とにかく、ウィルスの存在が疑われるものには、近づかない、吸わない、触らない…というのが基本のようです。

確かに、それが完全にできれば、感染のリスクは全く無くなるわけですね。完全にできれば、です。

ですが、常に違和感を感じることですが、このような、「完全なる対策」をすることと、人間としての「人間らしい」生活が両立することは、まずありえません。人間らしさを捨てなければ感染が防げないというなら、その対策にどんな意味があるのでしょうか。

もちろん私は、どこに行くにもマスクはしますし、通常唱えられているような「対策」はしています。その上で思うのですが、「ウィルスから完全に離れることよりも、万一ウィルスが体内に入ってきても、コロナに感染しないという「免疫」の強さを養うことに力点を置いた方がいいのではないか」、ということなのです。

これは食中毒の話ですが、よく、高級ホテルのバイキング料理で集団食中毒が起きたりします。
それは、徹底的に清掃、消毒した会場に、なんらかの原因で菌が持ち込まれると、ほとんど無菌状態になった会場で、一気にその菌が繁殖するから、と聞いたことがあります。

つまり、徹底的に消毒をすると、普段は存在している「常在菌」までもがいなくなり、侵入する悪玉菌の邪魔をしてくれないから、ということなのです。綺麗すぎるのは、却って感染のリスクを増やすということなのです。

もしこの見方が合っているのなら、そして新型コロナにも当てはまるのであれば。これは由々しきことです。感染リスクをなくすために消毒をすると、逆に感染力が高まるということなのですから。

実際はどうであるか、私にはわかりません。

話は飛ぶようですが、人間そのものについて観察を続けてみると、同様のことがあるのは確かです。

過保護で無菌状態で育った者は、刺激に弱い。「悪いもの」への免疫が無いからです。

成功体験ばかり持つ者は、いざ失敗してみると、過度にへこんでしまう。あるいは、失敗そのものを認めないで、原因を他者に押し付けたりする。これも、よく見られることです。

理想ばかり唱える人は、異論をまったく受け付けない。または、異論を言う人を遠ざけてしまう。自分の信じる理想や理論ですべてが片付くと思ってしまう。そんな立派な理論や理想があれば、とうに世界は平穏に収まっているはずなのにも関わらず、です。

等々、ウィルスの件とはかけ離れていますが、全く無関係とも言えないのではないかとも思います。

ともあれ、ウィルスは、間もなく始まるワクチン接種で、何とか駆逐しましょう。

そして、人間そのものは、

★清濁併せ呑む★

という器量を持ちたいものです。最近、そのような「大きな人」をあまり見かけなくなったと思うのは、私だけではありませんね。

もちろん、ウィルスに対する免疫力が増すとまでは、申しませんが。

 

 

アフターコロナを生き抜くために

2021年ですね。
もう1月も10日を過ぎました。遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

昨年のほとんどの時間は、我々は「コロナ」に翻弄され続けました。今まだ、この奇妙なウィルスとの戦いの最中に居ます。2度目の「緊急事態宣言」が発令されたばかりです。

その中で、飲食業や地方の観光業などは、とても大きな影響を受けています。
飲食業とかかわりの深い、キムチ製造業もまた然りで、うちの同業者の何件かが閉鎖した、という知らせも入っています。ことは、深刻です。

その中で、先日偶然お邪魔したある和食旅館の繁盛ぶりに直面し、感じるところがありました。

その旅館は、千葉県君津市の海近くにある、「わかな」という、比較的小さな旅館です。

歴史は古く、以前は海釣り客相手の「釣り宿」だったそうです。君津には温泉は出ず、工業地帯となった今では釣り船も出ません。この宿は、そういう時代の変遷に対し、ある思い切った対策で今、堂々と生き残っているのです。

それは、「極上の食事」と「貸し切り露天風呂」に特化した宿、ということなのです。

食事ですが、驚きの内容でした。素材、味つけ、盛り付け、演出・・・どれをとっても最上級であり、十分過ぎるほどの満足感がありました。味についての詳細は控えますが、とにかくレベルは間違いなく「最上等」のものでした。

そして、貸し切りの露天風呂です。
最上階に、2~3名用の5つの露天風呂があり、無料で自由に借り切れるのです。
そこで夜風を浴びながら、風呂に入る。温泉ではありませんが、麦飯石を使った「健康風呂」で、肌当たりは優しいお湯です。
目の前は、東京湾。遠く、富士山の影もくっきり見えます。
家族や恋人同士でくつろげる、とてもいい空間です。

飲食業や観光産業は、「食べる」「寝る」ということを産業化したものですが、ただ食べて寝るだけでは、「飯場」に過ぎません。
人は、生きるためだけに食べるのではなく、休むためにだけ眠るのではありません。
そこが人と動物の違うところです。

人は時に、美味なるものを食べ、癒しの空間でくつろぐことで、新鮮な感動や驚きを感じるのです。そして、明日から生きる活力を得る。

そのために、宿に泊まり、食事を摂るという、「非日常の空間と時間」にお金を払うのです。

非日常の空間と時間には、「新鮮な驚き」がある必要があります。
決して、高価なものや華美なるものが必須であるということではありません。
質素なら質素なうえで、それでも何らかの「感動」「驚き」「喜び」といったものを、使用者に感じさせるものでなくてはなりません。

ですから、私の持論でもありますが、すべては、「芸術作品」と一緒なのです。

味わう人、くつろぐ人が、芸術作品を鑑賞して感動をするということと同じ意味で、食事も宿もサービスも、単なる「商品」ではなく、「作品」であるべきなのです。

ここまで出来てこそ初めて、その「作品」たちは、世に受け入れられ、それ相応の「報酬」を受け取る資格が出来てくる。そう私は考えています。

この君津の旅館「かわな」で、あらためてその思いを強くしました。

もちろん、食に関しても、サービスに関しても、そのレベルに達することはたやすいことではありません。

当然ながら、長年の経験と研鑽が絶対的に必要となります。
おいそれとできることではないのです。

しかしながら、そうであるからこそ、今コロナ禍で苦しんでいる日本中の「ベテラン職人」達には、まだまだ生き残る余地があるはずです。
ここで、まずは踏ん張る。
いろいろと補助や支援の策もでてきていますから、遠慮なくそれを使って、まずは生き残る。

そして、今までの長い経験を活かし、さらに、ネットなどを活用して、今の世に受け入れられる、ハイレベルの「味」や「サービス」をさらに作り出す。
それが出来る技は、ベテランにこそ備わっているはずです。

現場を知る者こそが、生き残らなければならない。今までの苦労を、今こそ生かさなければいけない。格好の良い理論やシステムなどに負けてはならない。
勝つのは、泥と汗にまみれて苦労してきた、我々職人たちでなくてはならない。何故なら、我々こそが、感動を「創る」行為をするものだからです。我々は、嬉しい驚き、感動の喜びを作り上げる職人なのです。

もうすぐ、コロナの闇は明けます。ワクチンも出来ました。
ですが、アフターコロナの世界では、人々の選別の目は一層厳しくなります。
今までと同じレベルでは、相手にされません。必ずそうなります。

ですから、何としても、「感動」を生む作品を作らなくては。

強くそう思います。

 

 

 

 

 

 

お客様と密になれ(コロナ禍が生んだ、本来のコミュニケーション)

コロナを契機に、お店に関する「口コミ」の形が変わってきています。

飲食店の場合も、広告が入る「食べログ」等の既製大型のものではなく、フェイスブック等で地域の市民が地元のお店を自発的に紹介しあうローカルなSNSが増えています。当然無料ですが、その影響力たるや、絶大なものがあると思われます。

地元で実際日々利用している人の自発的発信だから、信用度も注目度も高いです。
アマゾン等でよく問題となる「サクラ」的な投稿ではなく、リアルな店舗でリアルな消費をした、実在度100%の投稿だからです。

それと呼応するように、当店あたりの「通販」の場面でも、従来型の一方通行のネットでの「自動販売機的」な売り方より、お客様とのパーソナルな交信が確実に増えています。
ネットではなく、古典的な「電話注文」も増えていて、お客様の声を直接お聞きし、ご質問を受け、ご提案をし、商品の販売に至る形が蘇っているのです。

最近、店の側がインスタグラムの画像投稿やユーチューブの動画投稿を通じて商品販売をしようとする動きもありますが、そのようなもの以上に、実際のお客様の生きた声を通じてコミュニケーションを取る方がはるかに効果的であることは明らかです。

コロナがもたらした、いい影響の一つだと思います。

密になるな、ディスタンスを取れ、オンラインでつながれ、等々の暗黙の「同調圧力」が今世の中を被っていますが、その反動でもあるかのように、お客様と店との「密接な」つながりが見直されているのです。
いや、間違いなくこれは、反動でしょう。

人は、もともと群れて、触れ合い、顔を突き合わせて話し合い、自分の気持ちを伝えあう存在です。
コロナでそれを制限するのがあたかも「正義」のような風潮が出来ている中、こうした本来のつながり方が復活しているのは、間違いのない事実です。

我々小さな商人には、それは特に言えることです。
ものをこの手で作りお売りする立場から言うと、嘘偽りなく、一生懸命いいものを作り続ければ、お客様や身近な方がそれを強く紹介してくれます。

言ってみれば、口コミの強力化です。

お金を払って自社製品のアピールを絨毯爆撃のように「上から」繰り返したり、「一方的に」ネット広告で強引にホームページに誘導したりする必要はありません。

上から、一方的に、ではなく、「お客さんが自発的に」、「お店とお客さんが相互にフラットに」という動きこそ重要なのです。

お店が自分で「これはいいよ!」と発信することよりも、お金を払ってそれを利用してくださったお客さんという「他者」が、無償で自発的に「これはいいですよ!」と言ってくれた方が、はるかに効果的であることは、言うまでもありません。

これこそ、純粋なる「口コミ」の発生なのです。

そして今、そのような純粋な「口コミ」が実際の販売につながる割合が、コロナ禍の中で急速に増えているのです。

口コミが発生してくれた商品を売るのは、容易です。

上記のように電話注文も来れば、ネット知識が無くてもすぐに売れる「メルカリ」のような場でも売れるし、飲食業でしたらMENUでネット注文も受けられるし、Uberや出前館でデリバリーも出来るし、ネット通販も「BASE」のような仕組みで、無料で世界相手に売ることも出来ます。
お客様の側から「いい商品だ」と太鼓判が押された商品は、もう、売り方はいくらでもあるのです。これからも次々にいいシステムが現れて来るはずです。

以前のように、「SEOが出来ていなくてはだめだ」とか「食品は楽天で、スペック商品はアマゾンで」とか、「動画や音声で誘導しなくてはだめだ」とかいうような「セオリー」は、もう全く通用しないようになって来ます。

そのうち、SNSとショッピングサイトの垣根も無くなると思います。

だから、「いかに売るか」という発想自体がもう必要なくなり、「いかにいいものを作り続けるか」、の方がはるかに重要になると思います。HOWよりWHATの時代に急激に向かって来たのだと実感しています。

メディアでもない、広告会社でもない、一般のお客さんのほぼ全員がスマホを持っていて、お店を実際に利用して「取材」し、画像を撮り、自由に感想を発信するのだから、それによるいい口コミを広めてもらうためには、「いいものを作る」ことが一番の近道なのです。逆に悪い口コミもすぐに広まります。

もう、売り方のコンサルテーションは要りません。
それより、いい商品を作る「職人」の我らの「腕」が今まで以上に問われるという時代に入ったのだと思います。

そう、コロナの影響で、「職人の時代」が早くやってきたのです。

コロナも、あながち悪い影響だけ残したわけではないのです。もともと不要でありながら膨らんだ様々の要素が一気にはがされた、という表現も出来るでしょう。

本当に世の中の人が必要とするものの情報は、テレビやマスコミにはありません。
Youtubeの動画の中にもありません。
何故なら、こういったものは「売る側の立場」から作られた情報だからです。

本当に必要な情報は、商品そのものの中にあり、それを実際に体験したお客様の経験談の中にあります。
お客様の側から発信される情報こそ、宝物なのです。

「あずましや」の焼き鳥の向こうに見えるもの

『水戸で高校出てから、移動販売の焼き鳥屋に勤めたんです。10年間。スーパーの駐車場とか、花火大会とか祭りとか、ずっとやりました。10年間。
焼いてたのは、中国産の冷凍の鶏です。鶏肉の入った段ボールを見られないように隠してました。
売れたら売れたで歩合でいろいろ取られるんで、あんまり儲からなかったです。それでも10年やったんで、もう独立したいと思って、そこを辞めて、埼玉の焼き鳥の師匠に弟子入りしたんです。1年間修業しました。最後まで、焼かせてもらえませんでしたけど。

それで、この場所を紹介してもらって、借りたんです。ちょうど3年前です。最初の1、2年は、全然売れなかったです。それでもここのところ売り上げが伸びてきて、なんとかやれそうだなあ、と思っていたところで、やがちゃんさんのキムチの噂を聞いて、女房に「買いに行こうぜ!」って言って、その日に行ったんですよ。去年の秋でしたよね。土浦から来ました、焼鳥屋です、と自己紹介したら、やがちゃんさんが、遠いところ悪いねえ、って言ってくれたの、よく覚えています。それで、食べてみて美味しくて、店で出したらお客さんが「うまいうまい」と褒めてくれて、
あの、物まね芸人で有名な方がうちの常連さんなんですけど、こんな旨いキムチやチャンジャは他にないって、どこのキムチ屋かって聞かれたから、南柏のやがちゃんキムチですって言ったら、奥さんが千葉の方で、やがちゃんさんのこと知ってたんですよ。

とにかく、飲み物で儲ければいいから、焼鳥はいいものを安く出そうって。遠くから食べに来てくれる人も増えて、食べログとかでも評判がいいらしくて、これで何とかやっていけるなって、女房と言ってたんですよ。今、僕は32になりました。女房は昨日の土曜に忙しすぎたんで、今日は休ませています。

ところが、コロナで。
店は開けてやってましたけど、4月5月なんか、1日一人か二人しか飲みに来るお客が来ない日があったりして。テイクアウトで焼き鳥丼やりましたけど、ほとんど原価ですから、もう、自分たちの飯代が出ればいいくらいの気持ちでいました。でも6月に解除になって、お客さんが戻ってきましたね。

とにかく田舎なんで、悪いうわさが広まるのは早いんで、いいものを出すことに努めてるんですよ。焼き鳥のタレは、壺に半分くらい師匠から最初にもらったものに、ずっと継ぎ足し継ぎ足しで作って来ました。
鶏は筑波の生の鶏です。塩も、モンゴルの塩に色々味をつけて使っています。とにかく、新鮮な肉を毎日仕入れて、炭火でお客さんの目の前で焼いて、美味い美味いって言ってもらえるのがうれしくて・・・・

もう、それだけですよ。出来る限り、最高のものをたっぷり食べてもらいたいです。それだけでよね』

・・・・・・・・・

茨城の荒川沖の町に入った。駅から歩いて10分ほどの、真っ暗な田舎道の辺に、その焼き鳥屋はある。「あずましや」という名前だ。「ほっとする」という意味の方言の「あずましい」という言葉からつけたという。

開店3年経ち、4年目に入った。店主、まだ32歳。朴訥な茨城弁で恥ずかしそうに喋って、いろいろ話を聞かせてもらい、そして、今まで僕の人生で食べた中で、間違い無く最高の焼き鳥の数々を食べさせてもらった。

モモ。砂肝。ネギ間。皮。どれもが、柔らかい。もちろん、焼けている。ジューシーそのもの。今まで焼き鳥はタレで決まると思っていたが、違う。味なんかつけなくてもいい。新鮮な肉をこれだけ上手に焼けたら、それだけで、もう十分だ。
その焼き鳥が、一串わずか100円から150円。

レバー。牛ハラミ。牛タン。こういうものが一串350円。
もう、焼き肉専門店に行かなくてはいいのではと思うほど、旨い。

肉がいい。焼き方がいい。タレがいい。塩がいい。文句のつけようがない。

実に、実に美味かった。

この場所で繁盛するには、最高の味を、地域の人に受け入れられるそれなりの値段で出すしかない。それを、弱冠32歳のこの青年が、やってのけている。32歳と言っても、もう15年の経験を持つ、焼鳥の達人だ。とんでもない、超一流の焼き鳥職人だ。

都心で、かつて何度も「匠の技」などと賞される焼き鳥店に行った。バブル時代やバブルがはじけてからも、そういう超高級店で、1本1000円近くもする串を有難がって、拝むようにして食べたものだ。
そういう自分の過去が、おかしくなった。
都心で「一流店です」と、土地と店名と、かなりの虚飾に彩られた「味」に、いったい今までどれだけ無駄な金を払ってきたことだろうか。バブル以前のことまで入れたら、それこそ、天文学的な無駄遣いを自分はして来た。

茨城の荒川沖に、焼鳥一筋15年焼き続けて来た、32歳の素朴な青年がいる。3年経っても、店は新築のように美しい。焼き鳥の煙を吸い続けるフードのステンレスはピカピカしている。

虚飾に染まらない、今の彼は、ザ・焼鳥屋だ。

都心の一等地で、コロナを境に苦境に立つ飲食業の方々が長い間掛けて見失ったものを、32歳のこの彼は、今は100%持っている。今、彼は「旬」だ。

何か、数十年前の、汚れない頃の僕自身を思い出してしまった。
行け、行け、このまままっすぐに行ってくれ。
目の前で焼き鳥を焼き続けるその姿を見て、煙の向こうに、失ってしまった自分の姿を見ている錯覚に捕われた。
もし、飲んでいたのがノンアルコールでなかったら、口に出して言っていたかも知れない。
「お前、おい、曲がるなよ! 曲がっちゃだめだぞ! このまま行けよ! このままだぞ!」と。

どうか、このまま焼き鳥道に励んでくれるように。
そう祈らずにいられない、身に沁みる美味しさでした。

食とは、心です。
これを失ったら、崩れる。
今、寸分も狂わない青年が、茨城の荒川沖の町中で、「あずましや」の看板を掲げて焼き鳥を焼いています。

意思さえあれば道はできる

やがちゃんキムチの店舗で最近顕著な傾向があります。

メインの白菜キムチやサムゲタン等のほかに、ラー油、カレー、マーボ豆腐、スンドゥブ等の「サイドメニュー」にも人気が波及して、すぐに売り切れてしまうのです。
本来なら、中華屋さんやカレー屋さんが出すものですが、キムチ屋のうちが作るものが支持される・・・。理由は何だろうかと思いますが・・。

一つには、やはり、「美味しい」ですね。
そして同時に、「無添加」であることでしょう。

日本の中華屋さんやカレー屋さんで、アミノ酸その他の添加物と使わないところは稀有ですね。
何故使うのかといえば、間違いなくそれは「経済性」故です。
素材の味だけで満足な味を出すには、相当の濃度を伴わなければなりません。
そうすると、途方もない原価がかかるからです。

そこを、使うのです。
素材の味の特性や味わいの方向性をうまく組み合わせて、使うのです。
出来ないことはありません。
実際に当店は、すべて無添加で、キムチも、中華製品も、カレーもご好評をいただいています。

うちのメニューの特徴は、ヤンニョムジャン、コチジャン、オリーブ七味、醤油だれ、にんにくだれ、味噌だれ等の数種のメインのタレを自由自在に組み合わせて、新たな味を作れることです。
そのすべてが無添加ですから、出来るものも全部無添加です。

どの製造にも、一滴の水も加えない濃厚なものですから、味のメリハリがはっきりしていて、他のものとの差は歴然として来ます。

このことはお客さんが一番よくご存じで、これらのタレ自体を買われる方が最近は急増してています。うちのお客さんは、グルメレベルが高い方が多いのです。

こういう味をお出しして、少しずつ、少しずつ、じわじわとお客様が増えてくださって来ている状況の中で、当店は一切のPRや広告などはしていません。これは、社是です。
在庫処分や売り上げ確保のための安売りもいたしません。
するのは、無償で「おまけ」を出したりすることや、感謝の意味でたまに「増量」をすることくらいで、これも、うちの味をもっとご存じ頂きたい、という動機からです。

そんな当店にも、いろいろな営業や勧誘電話がかかって来ます。
ネットの大手モールなどからも頻繁にお誘いがあります。
ですが、全部お断りします。

うちは、うちだけの「やがちゃんキムチ」であって、仮に大手モールの傘下に入ってしまえば、その中の様々な縛りやルールによって、そのコンセプトが揺らぎます。
したくないセールを要求されたり、ポイントがどうの、ランキングがどうの、という話になります。
独立して営業する店舗にとって、わざわざネットのモール内で同業他社と競うことくらい、無意味で嫌なことはありません。ランキングを勝手につけられたり、賞を競ったり、とんでもない話です。
当店のお客さんは、うちの「やがちゃんキムチ」が好きで召し上がる。ザッツオール、です。それ以外の物事は全く望みません。

そんなことはありえませんが、仮に「ミシュラン」の星をくれると言われても、お断りします。ミシュランは、うちのお客さんではないからです。

どんな時にも、道はできます。
意思さえあれば、自分の前に道はできるのです。
その道を歩くだけ。固くそう思います。コロナの時代でも、同じでしょう。

話は全く変わりますが、学生時代の専門は「シェイクスピア」でした。

シェイクスピア劇の最高峰は4大悲劇などとよく言われますが、人生を生きる上での「深み」を考える最高峰劇と言えば、迷わず、「Measure for Measure」 邦訳名「尺には尺を」をお勧めします。

人間の不条理な裏表の真実を描いた「問題喜劇」で、これを理解すれば、これからの「コロナ時代」にどう生きるべきかも見えてくるかもしれないです。

和食かんざに脱帽

美味しいものは、確実にある。

6月某日、千葉県野田市の「かんざ」という和食のお店に行きました。

前の週に行くつもりで予約電話を入れたら、「満席で申し訳ありません」と丁寧に謝罪をしていただき、1週間待って、ようやく席を確保。

野田の市街からかなり離れた、田園地帯にそのお店はあります。外目には普通の農家。ですがその中で頂いた料理は、心を揺さぶられるものばかりでした。

 

頼んだのは、和食弁当御膳と、カニクリームコロッケ御膳。どちらも2200円。
和食弁当の、お造りに驚く。
ぶり、鯛、サクラマス。分厚い。口に入れると弾力がある。今の今まで生きていたのではないかと思えるほどに、新鮮。しかも、盛り付けがあざとく無く、小さく深い椀に重ねてあるのだが、椀の底にワカメと茗荷と生姜が敷いてある。それを魚と一緒に食べさせるように、無造作に盛り付けてあるのが、なおいい。

何かの魚の肝の煮つけ。苦みと旨味が優しく調和。
手作りの数種の練りもの。よほど丁寧に練り上げなければ、この滑らかさは出ない。もちろん、出汁の味付けだけの無添加。
ひじきの煮つけ。糸こんにゃくの白和え。優しい、柔らかな味付けで、しかも奥深い旨味。

ご飯。小粒で、粘り気も旨味も満点。毎日自分の店でコメを炊く僕も白飯には一家言あるが、これは美味しい。非常に美味しい。おかずとの比率もいい。おかずが終わるころに、ご飯も終わる。

うまい。

カニクリームコロッケは大好物だが、これほど柔らかでクリーミーで、カニの自然の味わいに満ちたコロッケは初めて食べた。

赤だしの味噌汁も深い。実に深い。
自家製のお新香もいい。お新香だけでも食事ができると思えるほど、食感と野菜の旨味が生きている。

最後にデザートの、小豆のムースにも驚く。
和のデザートの一つの極致ではなかろうか。
それが、何の衒いも無く、さりげなく出てくる。もっと、もっと食べたい。

これで一食2200円とは。

これを作ってくれたご主人はさぞ優れ者だろうと、会計の時に挨拶したいなと思っていたら、先にこちらを待っていてくださいました。

「畑の中の懐石料理屋 かんざ」 オーナーシェフ 石原喜之氏。
柔和な表情ながら、眼光に鋭さが垣間見える。
聞けば、この地に根を下ろして15年。
海鮮素材は北海道から空輸し、野菜は敷地内で自分で育てているとのこと。

この人は、出来る。
帰りに車に乗り、こちらが出発するまで、玄関から見送ってくださいました。こんな美味なるものを出していただいて、恐縮至極。

今日も一つの芸術に出会いました。

味の世界は、果てしなく広く深いですね。

不要なものは消えていく

コロナ問題勃発から数か月。
世界中で悲劇となり、日本でも相当の影響が出続けています。まさに、世が一変しました。

それでも、日本では自粛が解除され、また生活や経済が動き出しています。
数か月の空白を埋めるべく、誰もが必死です。

そうした中で、食の世界では何がどう変わったのか。
変わりつつあるのか。
これから先には、どうなるのか。

それを、この業界の人たちは必死に考えています。私も考え続けています。そして、今のところ行き着いた答えは、わずかながらあります。

全体に言うと、「不要なものは淘汰される」です。

不要なものとは何か?
それは、食が本来持つ役割とは無縁であることです。

食が本来持つ役割とは、何か。

一つには、栄養摂取。人は生きるために、食べなくてはなりません。
しかしそれだけでは、人は単なる動物に過ぎません。種の保存だけの理由で、人は物を食べるのではありません

人が人である所以は、「幸福を追求すること」です。
このことに、食は深くかかわっているのです。
少しでも、生を意義あるものにするために、生きる喜びを感じるために、人は食べるのです。

この、「幸福を追求」することに関係のないと思われる「食」は、これからの時代には淘汰されるのではないか。そう思えてなりません。

たとえば、飽食。
必要以上に食べ漁り、挙句の果てには貴重な食材を無駄にしてしまう。
食材の乱獲もその一つかもしれないです。このような食の形態は、これから許されないこととなるでしょう。

たとえば、不要なブランディングや格付け。
食に順位をつけて、権威付けや拡売を狙う行為は、食本来の価値判断を邪魔し、利用者に不当な差別感を植え付けます。これをビジネスとして行う行為は、厳に慎むべきですし、将来的には、消滅していくと思われます。食する人は、それほど馬鹿ではないのですから。

たとえば、不要で過剰な添加物や化学製品の利用。
全てがいけないとはいいませんが、低温流通や保管技術が進んだ今、それでも利益目的でなお食品添加物を過剰に使用したり、化学肥料や飼料を大量に使用したりする行為は、不要でもあるし、食の聖なる部分を犯す行為だとも言えます。
経済的にそれを使用せざるを得ないと言っても、長い目で見たら、人の健康や幸福を害する行為にもなります。
食材は、必要なものを必要なだけ、可能な限り自然近い形で利用する。それが本来の「美味」を生み、人の心に触れるのです。

やがちゃんキムチが「無添加」を標榜するのは、売るためにそうしているのではありません。

美味を、美味を、と研究するうちに、自然と無添加に行きつくのです。
これは、自信をもって断言できることです。

食品添加物を安易に使用しないことは、自然の食材を濃厚に使うことにつながり、美味の実現と保存性を高めることにつながります。見た目も、自然の色合いや形で、不要な「お化粧」を避けられます。
ただし、無添加美味の道は決して生易しいものでもなく、それ相応の学習と忍耐が必要です。食の職人には、その覚悟が求められます。

外食店舗も、今後はある程度整理されてしまうかも知れません。
ただ出来合いの冷凍ものを揚げたり解凍したりして出すだけでは、食する人の心を動かすことなどできません。チェーン店はもとより、個人店でもそういうお店が目立つのは嘆かわしいことですが、猛烈な自助努力をして、食のレベルを上げることが出来なければ、これからの「選別の時代」に生き残ることは難しくなります。

すべての大きな理由は、

  「食によって人々を幸福にする」

という使命を果たしていないから、ということになります。

食の世界以外でも、同様な動きが見られると思います。

人の選別の能力は、高まっています。

食でも食以外でも、「本質的なもの」だけが残る。

そういう時代になって行くと思います。

(私見)無添加キムチが免疫力アップを期待される理由

新型コロナウィルスの問題が大きくなっていますが、ウィルスを封じ込めない以上、ウィルスに出会っても感染しない抵抗力を持つことが必要になりますね。

いわゆる「免疫力」アップです。

どういう生活を送り、何を食べれば免疫力がアップするのかという話題に必ず登場するのが、発酵食品の免疫アップ力です。

生きた発酵食品に含まれる「良質の生きた乳酸菌」が腸で善玉菌として活躍し、体の免疫力を高めてくれる・・。

生きた乳酸菌食品の代表格がヨーグルトですが、周知のとおり、動物性の乳酸菌は胃酸で殆ど死んでしまい、腸まで届きません。

そこで注目されるのが、植物性乳酸菌が豊富な「漬物」である、というわけです。

この漬物も様々の形がありますが、ぬか漬け、一夜漬け等とは比べ物にならないくらいに乳酸菌量が豊富なのが、「やがちゃんキムチ」なのです。

以下、薬事法の問題もありますので、あくまで私の「私見」として書かせていただきます。

キムチ一般がそうではないのか?・・と思われるでしょうが、違います。豊富な乳酸菌が生まれる背景には、

 ★ 魚介塩辛 (=アミ海老やイワシの塩辛)

の存在が不可欠だからです。
これを使わないキムチは、ただの一夜漬けにアミノ酸だらけのタレを塗ったもので、満足に発酵もいたしません。また、野菜が発酵しても添加物は発酵しないので、とてもおかしな味わいになり、私個人的には、食べられたものではありません。

やがちゃんキムチの旨味の重要要素の一つは、キムチのタレ(ヤンニョムジャン)に含まれる、大量のアミ海老塩辛です。
その量、タレの総量の2割弱にも及びます。これは、他のキムチでは考えられないほどの多量の配合です。

この塩辛に元々含まれている動物性の強い乳酸菌が、白菜の塩漬けの中で、どんどん増殖します。それは、植物性の乳酸菌となります。非常に良質の菌だと個人的には思われます。

これが、胃で死なずに腸まで届くので、腸内環境を浄化してくれて、免疫力アップに役立つと期待される、というわけです。

また、免疫力アップに役立つのは、乳酸菌だけではありません。

 ★ ニンニク(滋養強壮、殺菌免疫アップ作用のあるアリシンが豊富)

 ★ 生姜(体温を高め、殺菌や免疫力を上げるジンゲロールが豊富)

 ★ ニンジン(抵抗力を高めるベータカロティンや、各種ビタミンの宝庫)

 ★ 唐辛子(殺菌力が強く、体温を上げるカプサイシンが豊富)

この4つの素材も、やがちゃんキムチのタレには大量に配合されています。

どの素材も、抵抗力、免疫力を高めてくれて、悪性菌を殺す力を期待される強い素材ばかりです。
体温を上げ、悪い菌を退治し、また病気予防だけでなく、病気からの回復も支援すると期待されます。

やがちゃんキムチのタレには一滴の水も加えてありませんから、すべてはこうした自然の素材なのですが、その配合量は、キムチの常識をはるかに超えた量です。

やがちゃんキムチが完全無添加でこれほどの美味を産むのは、他でもなく、こうした「自然素材の大量配合」に依るものですが、その量は、他社さんの作り方の水準をはるかに凌駕していると断言できます。(企業秘密でその配合量を公開できないのが残念です)

つまり、まとめるとこうなります。

1)やがちゃんキムチは魚介塩辛を大量に使っているので、その作用で自然発酵する結果、良質の植物性乳酸菌に満ちています。これが腸まで届き、腸内環境を整備し、免疫力をアップすると期待されます

2)ニンニク、生姜、ニンジン、唐辛子も豊富に使っているので、体の抵抗力や免疫力を高めると期待されます

以上、繰り返しますが、私の「私見」であり、科学的な根拠に基づくものではありません。
また、上記のような「効果」を保証するものでもありませんので、その点は申し添えさせて頂きます。

最後に一言。

無添加であるということは、美味、健康、幸福・・・こういうことにすべてつながっていると、あらためて実感しますね。

 

 

 

 

 

ミシュランの星など要らない

レストランの格付けの「ミシュランの星」を巡って、星を失ったシェフが命を絶ったり、訴訟を起こしたりと、穏やかでない話題が聞かれます。

また、日本人シェフがパリで経営しているお店がミシュラン三ッ星を獲得したことが大きな話題にもなっていますね。

大変結構なことでしょうが、正直に書けば、あまり関心を持ちません。

当方はキムチ屋ですので、ミシュランの星などは無縁ですし、もし万が一ミシュランがキムチ部門に評価の手を伸ばしたとしても、審査することすらお断りします。

なぜなら、「作りもしない者、経営もしない者に何がわかるか」と思うからです。
顧客の立場で、美味しかった素晴らしかった、いや味が落ちた手抜きがあった等、個人的にいろいろ発信されることは大いに歓迎しますし、参考にもさせて頂きます。
ただ、それが、星がいくつだとか、何点だとか、ランクがAだとかBだとか、やれグランプリだとか金賞受賞とか、頼んでもいない方法で勝手に評価してこれ見よがしに発表されることは、まったく良しとしません。

大きなお世話なのです。

私どもは、キムチや唐揚げやサムゲタンなどの当店の商品をお買い求めくださる方のために全力を尽くしてお作りしているだけで、その関係は、常にその時のお客様との1対1の関係なのです。
その商品についてそのお客様がどう思われるか、どう評価されるかは、その時だけの、お客様と私どもだけの閉じられた関係の中でのことなのです。
それが満点をいただくときもあれば、「今回は失格」とお叱りを頂くことももちろんあります。

その閉じられた関係とは関係のない、勝手なランク付けをされることは、良しとしないのです。

キムチに関しても、いろいろな考え方があり、作り方があります。
どれが正しいか正しくないか、何が一番か二番か、などという詮索は全く意味がありません。味の評価は主観であり、その主観にも、様々の要素が絡みます。作り手と食べ手のそれぞれの背景、事情も関係してきます。

すべては、その時の「一期一会」の関係からくるものなのです。

それを、関係のない他者から、評価を「下される」ことなど、あってはなりません。味も、雰囲気も、サービスも、すべてはその瞬間に生まれ、その瞬間に消費され、その瞬間に直截に主観的に心を動かすものだからです。

星も、勲章も、賞状も要りません。

欲しいのは、お客様からの笑顔。それだけです。

謹賀新年

2020年になりました。
あけましておめでとうござます。
やがちゃんキムチのお客様、このブログの読者様、また「食」に関わるすべての方々に、素晴らしい一年になりますよう、お祈り申し上げます。

 

過去一年、やがちゃんキムチとして成して来たことをつらつら思い出しますと、やはり「もっと美味しく、さらに美味しく、の一念で努力して来たきたことに尽きます。
「夢の塩」の開発はその中でも特筆するべきもので、その後の商品全般の味のレベルアップを決定的にしたものでした。
また、過去から蓄積してきた「無添加美味」の技術を電子書籍という形でまとめ、体系的な味の仕組みをひとまず作り上げたことも、大きかったことでした。

新商品の開発にもそれらが役立ち、秋に発売した「手羽サムゲタン」や、年末に完成した「スンドゥブ」も、「無添加」と「美味」が自然とマッチングした味わいとして、発売間もない今でも多くの方にお褒めの言葉を頂戴しております。

そして年頭に際しまして、今年も「現場主義」「お客様第一主義」で行くことをお誓いします。

どこまでも、現場、現場。何よりも、お客様。

現場やお客様に関係のないことは、行わない。
余計な名誉職や集まりにも関わらない。
有料広告宣伝も一切しない。
商品や商売で嘘は言わない。過剰なことも言わない。
ただ、お客様のためになる「最上の商品作り」のことだけを現場で考え、動いていく。

今年もこれで、一歩もぶれずに進みます。

もちろん、全商品漏れなく、「無添加」「美味」を守り通すことをお誓いします。

本年も、何卒宜しくお願い申し上げます。

2019年 年末配送受付状況です

今年も大変お世話になりました。

年末の配送予約が立込んでおります。

12月24日8時現在の受付状況です。
(ご予約は24日中に受付終了予定です)

どうぞお早目のご予約をお願いします!

   やがちゃんキムチ  2019年年末 配送ご注文 状況 

本州・四国お届け日
(北海道九州沖縄は
1日遅れです)

(発送日)状況

12月25日

24日 ×締め切りました
26日25日 ▲あまり余裕無し
27日26日×締め切りました
28日27日 ×締め切りました
29日28日 ×締め切りました
30日29日▲あまり余裕無し
31日30日 ▲あまり余裕無し

味作りとラグビーと、子供の経済教育と

ラグビーのワールドカップ、日本チームの戦いが終わりましたね。
俄かファンとなった私も、手に汗を握って応援しました。感動を感じました。
今回のイベントは、日本で行われて本当によかったですね。
いまだに来年の真夏の東京での五輪開催について懐疑的な私ですが、ラグビーワールドカップについては、拍手したいです。

五輪の真夏開催は、大スポンサーであるアメリカのテレビ局の都合によるそうですね。秋になると、アメリカのプロスポーツのイベントが重なるため、4年に一度の五輪は、夏にしか出来ないのだそうです。

一方、聞いた話に寄りますと、日本のラグビーチームのメンバーの年収合計よりも、たとえば、日本のプロ野球のある一選手のそれのほうが上だとか。アマチュアリズムが堂々と働いているラグビーは、「お金」がまだ絡み付いていない部分があるのですね。それを知って、さらに好感を持ちました。

ところで話は変わりますが、最近、子供に「投資」や「経営」の教育をする、という動きが増えているようですね。会社経営や投資のシミュレーションをさせて、優劣もつけるようです。

小さいうちからそのような「技術」を身につけることはいいことだ、という考えには、私は大いに違和感を持ちます。

子供の頃に妙に「金銭感覚」や「経済観念」を身につけたら、ある類のものを敬う気持ちを失うと思うからです。
ある類のものとは・・・一言で言うと、「その価値を数字や金額で表せないもの」です。

言うまでもありませんが、世の中、すべてがお金の経済で回っているわけではありません。
夢、愛、善意、恋、憎しみ、悔悟、喜び、・・・そういった言葉で表せる「心」で動くことも多いのです。そして、子供の頃こそ、この純粋な心の世界を助長するべきなのです。アマチュアリズムもそのひとつですね。

お金のことや経済のことは、大人になれば否応なしに直面することです。
子供の頃にその教育をすれば、必ず「優劣」を競い合う結果になるでしょう。シミュレーションゲームでより利益を上げた子が「出来る子」として尊敬を集めるでしょう。その子は、仕事で成功することこそ人間の価値だと誤解してしまうかもしれません。

それでよいのでしょうか?

それより、稼げない子、打ち解けない子、負けてばかりいる子、心を閉ざしている子、成績が悪い子・・・そういう子に「どうしたの?」「一緒に遊ぼうよ」「大丈夫だよ」と声をかけ、寄り添える心。
それこそが、子供時代いっぱい時間をかけて、育むべきものだと思うのです。

それは、大人になってもとても重要な心の要素となります。

大人の世界は、少しの経済的成功者と多くの非成功者で成り立っています。
それは資本主義の宿命です。

その中で、弱きものに寄り添う心が持てるのか持てないのか。
それは人生を豊かにすることにつながります。

「誰一人置いていかない教育」
それこそが、若い人たちに成されるべきものだと思います。

そして、経済的に成功することと豊かに生きていくことは全く別のことです。

これはすでに、「共生の時代」の重要性を感じ始めた世界共通の認識と言っていいでしょう。

それに逆行する、子供への経済・投資教育。意味がないと申し上げたいと思います。

そしてそれに関連して強調したいのは、私のいる「味」の世界も、「数字」「利益」とは関係のないものだということです。

そう。ラグビーと一緒です。

味やラグビーの精神の本質は、むしろ、そういうところとは「逆」の側にあります。
お金や名誉の影がちらついては、いい味は作れません。
いくら売れたとか、マスコミで紹介されたとか、ナントカ賞をもらったとか、そんなことは味の本質とは何の関係もありません。

選手の年収が何億円だとか騒がれても、アマチュア選手のタックルに倒れたら、直ちにその看板は崩れます。

一人の喫食者に、感動を与えられるか与えられないか。
一人の観る者に勇気を与えられるか与えられないか。
そこで全てが決まります。
つまり、味作りもラグビープレーも、一つの芸術と言って過言ではありません。

笑われるかもしれないですが、食に携わる私は、日々そう思いながら仕事をしております。

日本中を感動させたラグビーチームのあの頑張りにはとても適いませんが、さらに精進していきたいと思います。

馬鹿舌を捨てて、本当の美食家に

最近再び「激辛ブーム」とやらが起きて、5倍だの10倍だのの「辛さ」を売りにする食べ物が氾濫しています。唐辛子業者さんは大忙しだそうです。

ちなみに私、キムチ屋ですが、辛いものは苦手です。
でも、最近気がついたのですが、辛いものそのものが苦手なのではなく、辛いものを美味しく感じさせるために投入される添加物(化学調味料等)が苦手なのです。

キムチもそうですが、辛さは素材の「旨み」を消しがちです。
そこで、化学調味料を大量につかうことで、人工的な旨みを意図的に加えるのです。

辛さで舌がしびれるところに、大量の化学調味料。

こういうものを日常的に食べていたら、その人の舌の味覚は麻痺してしまいます。
本当の「美味」などを理解できなくなるのですね。

辛くなくても、それは同じです。

化学調味料の作用は、「本来美味しくないものを無理やり美味しく感じさせること」ですから、やはりそれだけでも舌は麻痺してしまいます。

そして、そういう方が持つ舌を、私は「馬鹿舌」と呼ばせて頂いています。言葉は悪いですが、ぜひとも直していただきたい意味を込めて、敢えて辛らつにそう言わせて頂きます。

馬鹿舌は、一種の味覚障害です。

強い味を好むようになり、糖尿や肥満にもなりがちです。
情緒不安定にもなるのではと思われます。
馬鹿舌はエスカレートして、さらなる濃い味、さらなる人工的な味付けを好むようになります。

馬鹿舌を直すには、方法は一つ。

無添加のものを食べ続けるのです。
それも、そう長い時間は要しません。
なぜなら、人の舌の細胞は、わずか半月ほどで入れ替わるのだからだそうです。

無添加で自然の味付けに慣れれば、入れ替わった細胞もそれに慣れます。

たった半月です。

是非明日から、無添加の世界へ。

そして、本当の美味しさを知ってください。
そのときには、舌だけでではなく、「脳」も「心」も、入れ替わっていてほしいです。
それが、本物の「美食家」につながる道だからです。

まずは、濃い味や刺激的な味からの逃避です。
そこからスタートしてくださいね。

無駄な格好付けは必要ない

前から気になっていることですが、テレビ等で見かける食の職人さんの中には、かなりのヒゲを生やしたり、男性でも長髪の方がいらっしゃいます。

また、長髪か短髪かにかかわらず、帽子を被らないで調理をされている様子も散見されます。

これについては、さまざまの意見もあるようですが、私の見解。

料理人は、ヒゲを毎日剃りましょう。
どうしても伸ばしたければ、調理中はヒゲをラップで抑える等の対処が必要ですが、実際は不可能でしょう。

髪の毛にいたっては、全員坊主にせよともいえませんから、長髪でも短髪でも構いませんが、必ず髪の毛が隠れる帽子を被りましょう。

理由は明確です。

ヒゲも髪の毛も、かなりの頻度で「抜けて落ちる」からです。単純にそれだけです。
それが料理の上に落ちる可能性は、否定できません。

料理人は、おしゃれをしてもしなくても自由ですが、それは料理の出来映えに関係しません。
ただ、料理の主役は料理そのものであって、料理人は過剰な自己主張をすることは控えたほうがいいというのも、私の考えです。

それはともかく・・・

無帽、ヒゲのたくわえ・・・・やめましょうね。

無駄な格好付けは、必要ないです。

 

 

60の素材には、60のタレを自分で作る

すべてを自分で作る

やがちゃんキムチでは、ほぼすべての商品を自作しています。
店内で販売しているもので自作でないものは、韓国のりや冷麺といった乾物商品くらいです。

それだけではありません。

やがちゃんキムチは、すべての商品に使う「調味料」(化学調味料の意味ではなく、自然調味料です)も、「自作」しています。

塩まで作る

タレの基本は以下の10種類です

(タレ) →  (用途)

ヤンニョムジャン→ヤンニョム系の基本だれ
スーパーヤンニョムジャン→魚介系キムチ
マイルドヤンニョムジャン→野菜系キムチ
オリーブ七味→からあげ、やきそば、甘辛チキン
野菜用醤油ベースキムチだれ→香辛野菜系キムチ
コチジャン→全般
丸大豆醤油だれ→全般
もみだれ→焼肉系
和風だし→全般
塩(夢の塩)→野菜塩漬け、唐揚げ味付け、ナムル等

この10種類のタレを、各商品の素材に合わせて、それぞれブレンドしています。

最近になって「塩」の自作ブレンドも始めました。
これによって、化学調味料等の食品添加物だけでなく、酵母エキス等の疑似化学調味料も使わない路線がより強固に確定しました。

もちろん、醤油やみりん等の市販素材はタレの素材として使います。
しかし、商品に直接使う「タレ」は、すべて、自社で製造しています。

つまり、やがちゃんキムチには約60種の商品がありますが、60通りのタレを作っているという意味です。

同じタレは、他の商品には使いません。60種の商品に対して、60のタレを作っています。

効率が悪くても、そこは譲らない

これは、非常に非効率的なことです。
一つのタレで総てが済まないわけではないです。
そのほうが余程効率的で、利益も上がります。

しかしそれでは、最高の味が出るわけ無いです。
素材にはそれぞれに最適のタレの味がある。

だから、すべて、違う味のタレを作り、使うのです。

タレ作りは業務の要です。

タレで商品の味が決まります。いくらいい素材が手に入っても、タレがだめだと、いい商品にはならない。

素材もタレも、最高の品質とマッチングを

いいステーキ肉が入っても、いいソース(タレ)があると無いとでは大違いですね。
そのような例は、よく散見されます。
肉屋さんや魚屋さんが、一流の素材を扱いながら、いい加減なタレを一緒に売っている例も多いです。

それではだめなのです。

それは私どもの誇りです

味付けのタレまで、すべて自分で作る。何から何まで、塩まで作る。

それは、キムチ屋としての私どもの矜持であり、また、哲学でもあります。

もちろん、無添加であること、限りなく美味であることは、いうまでも無い前提条件です。

すべての商品に、ベストの味を追求する。

すべてを、自分で作る。

やがちゃんキムチは、そういう店です。

 

キムチは本来腐らない

キムチは腐るのか?

 

お店で頻繁にお客様から受ける質問は・・・

「これはいつまで保存できますか?」

です。賞味期限ですね。

当店の商品には全品賞味期限が表示されています。

ただ、当店のキムチでは、この期限の示す意味合いが多少違います。
普通賞味期限とは、
「この日までに食べてください」という意味合いですが、やがちゃんキムチでは、ニュアンスが違うのです。

野菜系キムチの場合は、

●賞味期限までに召し上がって頂ければ、通常の味わいです。期限寸前になると発酵が進み、酸味が出る場合もありますが、これは腐敗とは違います。期限が過ぎると、その発酵熟成が進みます。酸味も増しますが、旨みも増します。それが大変美味しいと感じられる方も多いです。

ただし、気候条件や保存状態によって、この基本が崩れることもあります。お気になさる方も多いので、賞味期限までにお召し上がりください。

ということです。

魚介系キムチの場合は、

●賞味期限までは通常の味わいです。期限寸前になると魚介にタレが沁みて、魚介本来の味が失われる場合もあります。期限が過ぎても腐敗にはなかなか至りませんが、気候条件や保存状態によって、この基本が崩れることもあります。ですから、賞味期限までにお召し上がりください。

私自身は、「白菜キムチ 頂」が、かなりの酸味が出たころに食べるのが大好きです。
酸味の出たキムチを白いご飯に乗せて、たっぷりと食べる・・。
これはたまりません。

ですが、やはり、賞味期限内に召し上がるようにお願いします!・・と申し上げておきます。

個々のニュアンスの違いを理解されたうえで、ご自信の責任のものとに賞味期限を過ぎて召し上がる方もいらっしゃいます。

それでもやはり、公的には、賞味期間内に召し上がることを推奨いたします。

結果は、このように普通の賞味期限と同じ意味なのですが、ニュアンスの違いがお分かりいただけたでしょうか。

「やがちゃんキムチは長期間腐りませんが、賞味期限までに召し上がってください!」

 

 

 

休日散策と名店のアナゴ丼

今にも雨が降りそうだった本日の休日は、自宅近くの松戸駅周辺を散策。駅前の繁華街を歩いたり、旧水戸街道沿いを進んだり、徳川昭武の別邸の戸定邸を訪ねたり。

帰りはこれも風情のある「馬橋」駅から自宅のある「小金」まで、さらに歩きました。
半日歩き続けて、気持ちのいい疲労感に浸りました。

 

途中、旧道沿いの著名な和食店で、有名な「アナゴ丼」を頂きました。

 

とてもシンプルな味つけで美味でしたが、もし自分がアナゴ丼を作るなら、酒でふっくらさせた後にもっとタレをかけて、甘辛くしたい。もちろん、出汁が効いて、無添加で多少の辛味があるような味付けで・・・などと思いました。

でも、このお店は恐らく、開業以来味を変えていないんでしょう。
それはそれで、存在感があります。徒に新しければいいというものでもないですし。
常に革新を意識しながらの守旧主義ならそれでいいのです。

そういえば以前、「アナゴのキムチ煮」というのを作り、一時ネットで売ったことがあります。
作るのに難度が高くて止めてしまったのですが、あれはあれで、自分にはいい経験でしたし、すごく美味でした。
ところがその時、あるコンサルタントさんに、「アナゴのキムチなんかやってましたよね」と揶揄するように言われたことがありました。
「なんか」とは何だ。何がわかる。それも、食べてもいないのに・・・と思いましたが、口には出しませんでした。

この方は、やがちゃんキムチを「キムチ屋」としてしか理解していなかったのだと思います。

やがちゃんキムチを最も理解しているのは、コンサルさんたちではなく、実際にお金を払って買ってくださるお客様です。それは間違いがありません。

お客様は、うちをキムチ屋としてではなく、「やがちゃんとかいう人が一生懸命新たなグルメを次々と開発している美味しいお店。それも、全部無添加で。そういえば、キムチが多いかな」というように認識してくださっています。だから、新商品をご案内すると、すぐに買ってくだいますし、感想も度々下さいます。

南柏本店の店頭にしても、キムチはもちろん、唐揚げはある、弁当はある、コロッケはある、たまに焼きそばあるし、タレはある、キムチだって50種はある、最近は塩まで作って売っている。もちろんオール無添加。そして、ご好評を頂いています。

単品のキムチ屋では、全然無いのです。

アナゴのキムチがあっても、いいじゃないですか。

などということを思い出しながら食べたアナゴ丼でした。
次はここで天丼を食べようと思います。
どんな天ぷらと、タレなんだろう? 食べるまでに色々思いを馳せるのもまた、グルメの楽しみです。

料理に順位などつけられない

料理の順位付け自体がおかしい

一例ですが、ミシュランガイドというものがありますね。

といっても、興味がないので、私は実際にその本とやらを見たことがありませんが、高級レストランや和食店などに「星」をつけて評価するものらしいですね。最高ランクは、三ツ星だそうです。

それでどうした?・・・・と思います。

食べるものに、順位がつけられるのでしょうか?

しかも、基準がはっきりしない。
もちろん、「味」とか「雰囲気」とか「サービス」とか、さまざまの基準があるのでしょうが、それはそれとして、それで何点とろうが、それでどうした?・・・・と思います。

味の評価は「主観」です。

サービスへの評価も「主観」です。

雰囲気をどう感じるかも、どこまでも「主観」です。それ以外のもので判断のしようがありません。

主観でしか判断できないものに、数字で表現する客観的な「順位」をつけるという行為。それ自体が間違っていると思うのは、私だけでしょうか?

数字で評価を表現することは、あまりにも安易です。

たとえば、一皿の料理には、料理人やそのお店のさまざまの歴史や人生が影響しています。

食材の選択にも、調理の方法にも、盛り合わせの仕方にも、その人の、その店のすべてが反映されます。

それを単純にランキングや星の数で他の料理と「比較」など出来るわけがないのです。
それは、星をつけられた店にも、つけられなかった店にも、同時に失礼な行為ですし、料理という人間の崇高な行為に対する冒涜にもつながると思います。

料理は、ただ料理として味わう

料理は、ただそれとして味わう。
そして、美味しいか、そうでないか、感動するか、心を揺さぶられるか、そうでないか、それを一人ひとりがそれぞれに感じる。それだけでいいのです。

作る人と、食べる人の静かな会話。
それが、料理を味わうという行為です。

真剣に食べる人には、時には他の人に見えないうそやごまかしが見えることがある。
それも含めて、料理を作る、食べるという行為は、人間だけが味わえる一つの芸術作成行為、芸術鑑賞行為であるともいえます。

それを、やれランキングだ、やれ星の数だ、やれグランプリだなどと、下心の含まれた商業行為で汚してはなりません。

そして、作る側も、徒にそういうコマーシャルベースに乗ってはいけないです。

やがちゃんキムチがそのような星の対象になることは間違ってもないでしょう。
が、それはそれとして、その手のイベント等からは距離を置き、これからもずっと「わが道」を行きます。

 

 

真贋の森 (食の本物と贋物)

松本清張の名作「真贋の森」。久々に読みました。

優れた作品というのは、繰り返し読んでも、読むたびに新たな感動や気付きがあるものですね。

実力のある初老の美術評論家が、田舎に埋もれていた模写の名人を徹底指導し、著名な日本画家の贋作を次々と画かせます。

それを自分を排斥した学会中枢の評論家達に鑑定させ、「真作発見!」と発表させた後、「あれは自分が指導した田舎作家が画いた一連の贋作だ」と公表し、彼等に大恥をかかせるという筋立てです。

計画は周到に進められましたが、いざ公表寸前という段になって、頓挫します。

計画の一端を、なんと田舎作家が知人に漏らしてしまったのです。
田舎作家にしてみれば、「これだけそっくりに画ける自分は天才である」という自負を持ち始め、それを誇りたいという衝動がそうさせたのでした。

こうして、報復の計画は果たされずに終わります。

こういうストーリーなのですが、今回の読後私は、「真贋」の問題を「食品」に当てはめたらどういうことになるのかを考えました。

食品は芸術ではありません。食べればなくなりますから、「作品」として残すことも出来ません。

ただ、食する人の「感動」を呼ぶこともあるのも事実です。
それが芸術的感動に匹敵する瞬間があることも、時にあります。
ただ、それであるからこそ、「真贋」の問題が起きることがあるのかもしれないです。

今の世の中、ネットで食べた感想を気軽に書き込めますし、それを評価制にしたり、ランキングとして表現することも流行っていますね。やがちゃんキムチのメニューも、多くの方がご評価を下さっています。

そんな中、「食通」と自称する人もいます。その方々の評価は、影響力を持ちますね。

でも、食品に「真贋」があるのでしょうか?

無添加だから正しいとか、添加物で偽装しているから間違っているとか、ここではそういうことは書きません。

「正しい」「本物」と自称する人には、どこか胡散臭さも漂います。

そういうことではなく、毎日食品をこの手で作っている立場として、今言えることがあるとすれば・・・

1)食べるものに対する評価は千差万別。ポイントやランキングがあるのは結構だが、一番の基準は、個人の主観である

ということです。

カレーライスのランキングがあるとしても、たとえば私自身の「ベストカレーライス」は、子供のころ母親が作ってくれたカレーです。
朝学校に出かけるときに、「今日はカレーだよ」と母に言われると一日中ワクワクし、家に帰るのが楽しみで楽しみで仕方がありませんでした。

同様の方は多いのではないでしょうか?

食べ物が美味しい、美味しくない、と評価する基準には、その個人の過去の思い出や経験も加わります。そこがまた、食べ物の奥深いところなのだと思います。

こう考えてくると、芸術でも同じことかも知れません。

私にとって「ベスト芸術」を挙げろ言われたら、ひとつに、ピカソの「青の女」という絵です。

これは、人生の進路に悩んでいた20代前半のときに上野の美術館のピカソ展で見たものですが、青が基調の女性像の唇の赤さが、当時結婚を考えていた女性を思い出させ、衝撃を受けたものです。(結局結婚は破談になりました)

もうひとつは、奈良の中尊寺の「弥勒菩薩」。

 

会社経営が思わしくない30代の時に奈良を訪れ、この像の前に座り、一時間も見入っていました。
これからどういう生活が待ち受けようとも、仏様は許してくれるのかな・・・ということを考えたのを覚えています。

そうです。

芸術作品に対する評価も、個人の生活の状況で変わるのです。

私たちは、自分というひとつの生きた存在として芸術に向き合うのですから、当然ですね。

芸術ですら、そうです。

食べ物なら、尚更ですよね。

食の「真贋の森」も、芸術同様に奥深いです。

ただ、どんな食でも、愛情が伴われて作られたものは、贋物ではありません。
本物です。食べて美味しくなくとも、本物です。

そこが、芸術と食品の違うところなのかも知れませんね。
食は、「作る動機」が重要なのです。

添加物を入れまくったり、誇大広告をしたりして売りまくり、自分の利益だけあればいいという姿勢で作るものは、どんなに美味しく感じられようとも、私には「本物」には思えません。

また、偉ぶって「俺のものこそ本物だ。おまえの作るものは贋物だ!」と言ってのける食の評論家の評価も、「贋物」の場合があるということですね。
評価は、絶対のものではありません。それを絶対のように表現してしまうひとは、真贋の森で迷子になり、ただ叫んでいるだけなのだと思います。

今日の結論。

人を愛するがゆえに作る食べ物に、贋物はない。

ただ己の利益のために作るものには、贋物がある場合がある。

 

フェイスブック記事より

フェイスブックではかなり頻繁に記事を投稿しておりますが、プライベートな内容も多いので、公開はしておりません。

最近の投稿のなかから、ひとつご紹介いたします。

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先ほどご来店の女性のお客さん。キム唐と塩唐のお弁当とキム唐単品をご注文。
「ウチの子がね、今日誕生日だから、ケーキでも買ってあげようか、と聞いたら、やがちゃんの唐揚げがいいって。おたく、すごいわね。ケーキに勝ってるわよ」と。

嬉しくなって、「お祝いに!」と唐揚げをメガ盛りにして差し上げたら、お母さん、「うれしいわあ!」と涙ぐんでくださいました。
僕も、ちょっともらい涙。

うちの唐揚げは無添加美味。安全性と美味しさはどこにも負けない自信があるけど、それは別としても、こういうお客さんとのやり取り、コンビニや最近増えてきた大手の唐揚げチェーンじゃ絶対に出来ない。

お客さんは、お金儲けの対象じゃないです。自分の生き甲斐の対象。だから、添加物なんかバンバン入れたり、油を真っ黒になるまで代えないような唐揚げなんか売れません。自分の生き甲斐を汚してどうするの。

今頃あの親子さん、メガ盛りの唐揚げを頬ばってくださってるでしょう。

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以上です。

ところで、ブログの書き方については、10数年も前に、ある専門家のセミナーで、「マナー」だとか「理想的な記事の組み立て」とかを習ったことがあり、どうにもその「束縛」から抜け出られないでいました。

あまり真面目ではない自分ですが、やはり、「三つ子の魂百まで」で、捉われてしまうんですね。

・・・と、人のせいにするのはいけませんね。
自分の表現力が足らないせいなのです。

それはともかく、フェイスブックでは特にそういうことがなく、結構自由に書けています。

ただ、上にも書きましたが、かなり狭い範囲での個人的な事項についてのことが多いので、公開もはばかられるわけです。公開したからといって、特に何も起きる訳でもないのですが。

今後は、このブログにも、あまり気にせずに軽い感じでいろいろと書いていこうと思います。

どうぞよろしくお願いします!

 

さしすせそを汚すな

さしすせそ、ご存知ですよね? 料理用語です。

さ・・・砂糖
し・・・塩
す・・・酢
せ・・・醤油(昔の仮名使いの「せうゆ」から)
そ・・・味噌(ソースではありません)

この5つの基本調味料は、さしすせそ の順番で使うことが基本です。

まず、甘み。そして塩。これを間違えると、塩味が先に立ってしまい、うまくいきません。漬物でもそうです。砂糖を使う場合は、塩より前に振ります。

酢も後から入れて、味を確認しながら量を調整します。
醤油や味噌は最後ですね。早く入れると、材料が硬くなったりします。

それはそうと、この「さしすせそ」、汚されてるんです。

汚されるというのに語弊があれば、「混ぜ込まれている」と書くべきでしょうか。

混ぜ込まれているのは、「化学調味料」「たんぱく加水分解物」「酵母エキス」などの「うまみアイテム」ですね。化学調味料はれっきとした食品添加物です。ほかの二つは添加物には分類されては居ませんが、強い旨みを呈する調味料ですね。

私、思うんです。

調味料といのは、料理の味付けをするものですよね。

たとえば、「きゅうりの酢の物」があったとします。

新鮮なきゅうりには、酢の味が良く合います。これに醤油が少し入ってもいいですよね。きゅうりの味が引き立ちますね。

この酢や醤油に、化学調味料等の混ぜものなんか不要ですよね。

もっといい例で、握り寿司。
お寿司のシャリに酢、砂糖、塩が使われているのは、寿司という食べ物を美味しくするためです。シャリに乗せられた魚の味とあいまって、また食べる直前にちょっとつける醤油の味、ワサビの味と一緒になって、ひとつの「寿司の世界」が展開されるわけですね。

それで、十分に美味しいのです。

寿司用の醤油や酢に化学調味料が入っていたらどうですか?
より美味しくなりますか?
なると感じられていたら、ご自分の味覚を疑ってください。

なぜなら・・・・

「さしすせそ」に代表される基本調味料は、それだけで強い旨みを含んでいます。
そして、食材本来の味を邪魔せずに、食材を「より美味しくする」力を持っています。

ここに、化学調味料や酵母エキス等の混ぜ物は要らないのです。

料理は。そういったものの「ニセの旨み」を感じるためのものではないからです。

料理は、食材の美味しさを最大限に表現するものです。

ですから基本調味料は、みずから前面に出ることなく、食材の自然の味を引き立てる役目を持っているのです。
調味料は料理の脇役でなくてはなりません。

化学調味料や酵母エキスは、それだけで料理の味わいを被ってしまうのです。せっかくの素材の味が、隠れてしまいます。

「アジ○○」という名の、化学調味料入りの塩。
新味醤油というような名の、アミノ酸調味料(化学調味料)入りの醤油。
「~~ぽん」とかいう名をつけられたアミノ酸調味料入りの酢。
「だし入り」と銘打って、じつは化学調味料入りの味噌。
さらには、「出汁パック」と書かれて、料理にこだわる人に人気の商品に入れられた、酵母エキス。

等々。

みな、素材を汚すものばかりです。

立派な会社の作る立派な商品ばかりですが、やがちゃんキムチでは絶対に使いません。

不要ですから。

 

出汁の力

だしは「旨み」の真髄

日本には独特の「だし」(出汁)の文化があります。

それぞれ各地の山海の産物から、「旨み」を抽出するものが出汁ですね。

代表的なものは、かつおぶし、昆布、魚の煮干し、菌茸類、アサリやホタテなどの貝類、野菜類などですね。
それぞれが独特の旨みを持ち、そこから取り出した成分が料理の「下味」を支える役目を担います。
これこそが、「旨み」の真髄ですね。

味の7要素と、その構造

私見ですが、「味」には、「甘い」「酸っぱい」「辛い」「苦い」の要素とともに、「旨い」という感覚と、「しょっぱい」という感覚があります。「旨味」は、「塩味」とともに、味全体の構造を支えます。この二つがない味わいは、土台のない味となり、いわば「腑抜け」の味となります。(繰り返しますが、私見です)

ですが、この「旨み」を出す最大の武器の「出汁」は、なかなか利用されません。

それは、材料が高い、手間がかかる、保存が利かない、という「三重苦」を背負っているからです。

そこで登場するのが、「化学調味料」なのですね。

化学調味料を使う理由は簡単

安い、入れるだけの手軽さ、そして半永久的に保存できるという「有難さ」があるからです。

これは私が実験的に試したことですが、グルタミン酸を多く含む昆布を長時間煮出して、煮詰めて煮詰めて180ccの昆布出汁を作り、化学調味料の「味の素」(科学的にサトウキビのエキスからグルタミン酸を抽出した商品名です)10gを水180ccに溶かしたものと味比べをした場合・・・いったい昆布を何グラム必要としたか・・・

「味比べ」なので感覚値ですが、なんと、1キロ以上の昆布が必要でした。

かたや市販の味の素、10g、約5~10円程度。かたや昆布1キロ、数千円。
重さにして100倍、値段にして千倍!

しかも、昆布を1キロ煮詰めるその手間たるや、半端なものではありません。
加工食品は、塩分とともに、旨みを出す「アミノ酸化学調味料」を非常に多く使いますがその背景には、こうしたことがあるのです。「美味しい」「味がある」という感覚を出すために、化学調味料を入れる。非常に安易で、非常に効果的で、経済的。

市販のキムチに平均的に入れられる化学調味料の配合費は、2~数パーセント以上と思われます。これを昆布出汁で賄おうとすれば、計算上、キムチよりはるかに多量の昆布が必要となってしまいます。

やがちゃんキムチは無添加です。化学調味料、もちろんゼロです。しかも、無添加でありながら、豊かな旨みを目指しています。何故か?

問題は、「志」

その理由は、ひとことで書けば、「志」なのです。

なんとしても、美味しいものを作りたい。無添加で作りたい。そこが私の出発点です。それを実現させるのが当店の進み方であり、添加物を入れることは、当店の価値を無くすことにつながります。

その志で、日本の「出汁」の利用を考えたのです。

日本に生まれ日本で育った日本人の調理人が、和の出汁を利用しない手はありません。

さまざまの素材で出汁を取り、キムチに応用してみました。

そして現在の『やがちゃん出汁』に行き着きました。

鶏肉豚肉スープの出汁と、昆布、イワシ、シイタケから取る和風出汁です。

この二つの出汁のミックスが、キムチのタレ(ヤンニョムジャン)の味の下支えをしてくれます。
やがちゃんのヤンニョムジャンは、無添加で優しい味なのに、しっかりとしていて、薄めても味が割れない。キムチの残り汁だけでも十分ご飯が食べられる・・・・というのは、この出汁の力の成せる技なのです。

仮にこの出汁と同じ成分の化学調味料を作り加えたとしても、同じ味はまったく出ません。なぜなら、生きた自然の食材に、高温抽出した合成素材は馴染まないからです。
キムチ独特の、発酵による味の変化も楽しめません。
上から強制的に味をかぶせる化学調味料添加は、本来の美味しさとは全く別の味にしてしまいます。

それを使うのは、職人の恥。こう言い切っていいと思っています。

出汁の詳細については、別の項でまた触れます。

 

 

 

 

 

 

キムチなんて嫌い、という方にこそ召し上がって頂きたい

あけましておめでとうございます。

本年も「やがちゃんキムチ」をどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、昨年11月にオープンいたしました、「やがちゃんキムチ南柏本店」は、おかげさまで盛況です。

JR常磐線(千代田線直通)南柏駅東口下車1分です。
地図はこちらです。

どうぞお越しください!

 

本年、やがちゃんキムチが一番お伝えしていきたいことです。

「キムチが嫌いという方こそ、召し上がって頂きたい!」

理由は以下のとおりです。

 

1)キムチ嫌いの理由は、市販のキムチの添加物の過剰使用が原因であることが多い

これは常々思っていることです。

キムチは、その色、味、素材から、無添加で「美味しく」することが非常に困難な食品です。

ほとんどすべてのメーカさんは、それを、化学調味料等の食品添加物を多量に使用することで補っています。少ないところでも、総量の2~数パーセントの添加物を使うことが常識になっています。

合成添加物は、少し食べると「美味しく」感じさせるものですが、体が自然と「拒否反応」することも多いのです。

キムチが嫌いという原因の多くは、ここにあると思われます。

 

2)キムチといえば「白菜キムチだけ」という状態の業界に、創意工夫の努力が感じられない。

やがちゃんキムチでも、一番売れるのは「白菜キムチ」には違いないですが、それでも全体の3割程度です。残りの7割は、野菜系、海鮮系、肉系などの、「創作」メニュー群です。

やがちゃんキムチをお買い上げになるお客様の平均お買い上げ品目数は、6~7品に上ります。多い方は、20品目以上お買い上げになります。
皆さん、味のバラエティをお楽しみいただいているのです。

やがちゃんキムチは、「キムチ屋」ではなく、「やがちゃんの創作グルメワールド」なのです。

 

キムチ、唐揚げ(キム唐・塩唐)、サムゲタン・タトリタン等の鳥丸煮、カニのケジャン、ホタテ・牡蠣・タコ・エビ等の海鮮キムチ、野菜系キムチ10数種、もずく、アボカド等の新作キムチ、お弁当、焼きそば 等々・・・・

キムチはだめだけど、やがちゃんキムチなら大好きです、というお客様が、本当に多いのです。

すべてが、「無添加」です。

どうぞ、今まで味わったことの無い味の世界にお越しください。

ご注文が多くお待たせすることもありますが、全力でお作りし、お届けします。

新店舗が開店しました

やがちゃんキムチの新店舗が開店しました

新たな店舗の詳細は以下のとおりです。

開店日 11月20日(火)

やがちゃんキムチ南柏駅前本店

営業品目

キムチ  唐揚げ  お弁当  サムゲタン等 店頭売りと通販(従来と同じです)

住所 千葉県柏市豊四季508-16 1F
JR常磐線 南柏駅 東口下車徒歩1分

 営業 10時30分~20時
 定休日 日曜日

駐車場 あり(店に隣接する No.1 の1台分です)

 電話 0471-71-5701 (以前と同じ)
FAX 0433-32-8861
メール yagachan@gmail.com

今までの「光ヶ丘団地店」では、12年間お世話になりました。
今般、南柏駅前に、拡大移転をすることになりました。

何とぞご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

マヨラー的発想では味は出来ない

マヨラー

マヨラーという言葉があります。

何にでも、マヨネーズをかける方々。
サラダはもちろん、和食にも中華にも。白いご飯にかけるのも当たり前。
それがマヨラーにはたまらなく美味しいそうです。

味の好みはもちろん自由ですが、そこを少々考えてみました・・。

世の中は「レシピ自慢」が花盛り

料理専用サイトなどで、ご自分で作ったおいしい料理レシピが無数に公開されていますね。これは私などもよく利用させてもらっていて、とても参考になります。

そんな中でよく気になることがあります。

まず、化学調味料(うまみ調味料と書かれることが多いですね)がレシピに入っているとがっかりしますね。

それから、関係のない異質な食材が「味の決め手」として使われることにも、違和感を覚えます。

たとえば、よく出てくる「昆布茶」。

ある料理上手タレントさんの得意技ですが、実はこの昆布茶にも、塩、砂糖、昆布だけでなく、化学調味料がたっぷり入っているんですね。

マヨネーズも、そうなのです。
普通のマヨネーズには、化学調味料が多量に使われています。

「あれとあれを合わせれば意外とうまい!」という例は多く、それは楽しくもあり、私も否定するわけではありません。

それでもよくよく見ると、結局は化学調味料か・・・という「結末」になってしまう場合も多いので、気をつけていただきたいです。

化学調味料を少しでも使えば、その味はそのメニューのすべてを覆ってしまう。
それは、必ずそうなります。
素材が何であれ、その素材の味を生かすことはありません。
素材の味を消し、化学調味料自体の味が最前面に出てくる。
これが、添加物である化学調味料の作用であり、特徴なのです。

新素材も・・・

ついでですが、「新素材」にも要注意です。

でんぷんや米などから新たな食素材がどんどん開発されています。

そういうものに飛びついて、「ああいうのもできる」「こういうのもできる」と、色々な「新商品」が山ほど出てきます。

もちろんそういうことを全否定するわけではありません。

それでも、「これとこれを合わせただけ」「あれにこれを入れただけ」というような安易な発想では、本当に有益な味や食べ物は作れないと思います。

食の基本はやはり、「自然食材から作る」です。

自然の食材が、自然の美味しさを自ら生んで行く

素材と素材が絡まって、相乗効果で新たな美味しさを作り出す。

自然のもの同士が絡まると、自然の新たな美味しさが、自然に出現する。そういうものです。

強引に、科学的なものを「振り掛ける」とか、「ある味で覆い尽くす」というような味の作り方は、褒められたものではありません。

マヨラー的発想の食の摂り方から、自然の工夫を楽しむ食べ方へ。

ぜひ変えていきたいですね。

 

 

 

 

 

お買い物が便利になりました!

やがちゃんキムチの本店サイトのお買い物システムが一新しました。

今まで、「注文のたびに顧客情報を入力しなければならないので、大変!」というお声を数多く頂戴してきました。

使っていたシステムが古いもので、お店サイドではシンプルで扱いやすいものだったのですが、お客様には長い間ご不便をおかけしてきました。

9月から、新しいものに変えました。

 

1)マイページ機能がつきました!

●まず、アマゾンにアカウントを持つ方なら、それだけで簡単に「会員登録」が出来ます。
アマゾンにアカウントを持たなくとも、最初の1回だけのお手間で、会員登録出来ます。

いったん登録されると、その後は「ログイン」するだけで、ご注文情報を入力する必要がなくなります。

 

2)決済機能が豊富になりました!

●アマゾン支払いが出来ます。アマゾンの会員さんなら、そのアカウントで簡単に決済!

●その他、従来のクレジットカード、代引き、銀行振り込みのほか、コンビニ払い、楽天銀行決済なども導入しました。

 

★旧システムの残ポイントは、新システムに移行できます。まずは、新システムで会員登録をお願いします! やがちゃんキムチサイトはこちら   ご登録はこちら!

味作りには哲学が必要である

あなたのお口は肥えていますか?

「私は味にうるさいのよ」

「ひと口食べれば、その料理のレベルがわかるさ」

と、食通を自認する方は多いです。それはすばらしいことで、それぞれにご自分の味覚である「基準」をお持ちであることの証明なのです。

料理は、素材を加工して味付けし提供するものです。

味を決める技術的な3つのポイント

ですから、料理の技術的なポイントがあるとすれば、次の3つでしょう。

1)●素材が良質でなければなりません
2)●加工技術(切る、焼く、煮る等)が優れていないとなりません
3)●味付けが上手でなければなりません

どれかひとつが欠けていても、美味しい料理は出来ません。
すべてが調和したとき、「ああ、美味しい!」ということになるのです。

ですから、お口が肥えた方というのは、

●素材の良し悪しが分かる
●加工技術の良し悪しが分かる
●味付けの良し悪しが分かる

方であるわけです。普通はなかなか、この全てをクリアーできる方は少ないですね。

一般的には、日常的にこういう作業をしている人たちが、それに当たりますね。つまり、プロの料理人の方々は、日々こういうお仕事をしているわけですから、自然と素材を見る目は肥え、技術は磨かれ、たくさん味見をして、お口も肥えるのです。これは当然のことですよね。

ただ、それでも・・・・

なかなか、「本当の味の価値」を測ることは難しいものです。
私自身も、キムチやラーメンや唐揚げなどの、自分の専門分野については理解できますが、専門外の味の判断はなかなかしずらいものです。

ただ、こうした「技術的な側面」とは別に、料理人の「哲学的な側面」が、さらに重要になるのです。

料理には、哲学が必要である

料理人は、その料理を作ってお客様に召し上がって頂いて、 何をお客様に伝えたいのか・・。何をお客様から得たいのか。そこが問題となります。

単純に、売り上げが欲しい、利益が欲しい、お金が欲しいだけなのか。
あるいは単純に、空腹を満たしてあげたいだけなのか。

私は、「食は哲学である」「食は芸術である」と、よく考えます。

食べることは、ただの生きるための栄養摂取行為では無いのです。

食べるもので人は成り立つわけですが、体の一部になるということは、物質的な意味だけではなく、精神的な意味も大いに含みます。物心両面での「価値」を提供する行為が、料理なのです。
言葉を換えれば、食に対する考え方、自然に対する考え方、健康に対する考え方、あるいはさらに、人生に対する考え方、社会に対する考え方等をメニューに詰め込む行為が、料理です。

つまりは、あらゆる意味での「人間としての考え方」を表現する行為が料理であると言っても、過言ではないのです。
「哲学」を持たない料理は、決して一流のものではない、と言えるのです。

経済性、利便性のみを考えたものは、一流の料理とは呼べません。

化学調味料などの添加物を私が遠ざけるのは、こういう理由からなのです。

味を追求すれば、必ず無添加に行き着く

食品添加物を使う行為は、多くの場合、「食」を「お金」を稼ぐための行為として捉える姿勢から来る物です。
お金を稼ぐことは決して悪いことではありません。
ただ、それが第一の目的になったり、唯一の目的になったりしてはいけないのです。

なぜなら、添加物を使わないでも美味のものはできるからです。
いや、それだけではありません。

本当の美味を追求すれば、食は必ず「無添加」に行き着くのです。

やがちゃんキムチは、その姿勢で、製品つくりを日々しております。

 

 

 

血圧は化学調味料で上がる

ナトリウムこそ血圧を上げる

高血圧は、健康の大敵ですね。

そして、「食塩の摂り過ぎ」が、高血圧の原因となるということも、周知の事実です。

ですが、食塩と同等に、「化学調味料」が高血圧の原因となることは、あまり語られていません。これは不思議なことだと思ってます。

化学調味料の主成分は、主につぎの3つです。

●グルタミン酸ナトリウム

●イノシン酸ナトリウム

●グアニル酸ナトリウム

すべて、「ナトリウム」ですね。

食塩は、化学的にいうと、「塩化ナトリウム」ですね。

血圧に影響を及ぼすのは、この「ナトリウム」です。ナトリウムの摂り過ぎこそが、高血圧の大きな原因となるのです。

 

キムチの場合はどうなるか

白菜キムチの仕込みの場合、普通、白菜総量の3~5%前後の塩で塩漬けをしますが、その後水洗いをしますので、残存塩分は、2%前後となります。

海の水の塩分が3%程度ですから、キムチの白菜漬けの塩分は、海水より低いわけです。

100gの白菜キムチの塩分は、2gにしか過ぎないこととなりますね。

ところが、化学調味料がどれだけ一般的に使われてるかというと・・・・これがまた、驚くべき数字です。

やがちゃんキムチは無添加ですから、もちろん、ゼロです。

生協等でも扱う「低添加」化学調味料入りのキムチは、2~3%。

スーパーに並ぶ低価格のキムチにいたっては、その数倍のものも、珍しくありません。それくらい入れないと味が感じられないほどに、素材を削っているからだと思われます。

また、化学調味料以外の添加物(保存料や着色料等)にも、ナトリウムであるものが多いので、ナトリウム総量は、相当のものとなります。

つまり、無添加のやがちゃんキムチのナトリウムは塩分だけなので、キムチ100g中で、2g前後。
添加物入りのキムチは、塩分と化学調味料とその他の添加物を入れて、なんと、4~10g以上となるわけです。

 

化学調味料は無害とは言いがたい

化学調味料は「無害」だという説が、よく言われます。

しかし、少なくともこの「血圧」の側面で見る限り、それは説得力が無いと思います。

そして、加工食品のほとんどに、「調味料(アミノ酸)」と表示される化学調味料が含まれている現状こそ、もっと問題にされてしかるべきだと、私は思います。

無添加でも、美味しいものは出来ます

無添加でも、素材を選び、技術を駆使すれば、美味しいものは出来ます。

というより、こう言い換えた方が適切でしょう。

◎本当に美味しいものを作ろうとすれば、無添加に行き着く

やがちゃんキムチが、そのひとつの例です。

しかしそれは、商品の製造販売という世界での「利益」を考えると、困難になることも事実です。

必要なのは、「食とは何か」「なぜ人は食べるのか」という、根本的な問題をよく考えることだと思います。

過剰な利益追求、過剰な宣伝、過剰な添加物利用。
それはなかなか、止みません。

こういうことを踏まえた上で、高血圧、気をつけましょうね。

 

 

「キムチ 和の味」登場・・・見えないところに味がある

キムチ 和の味

震災と頂の創作から7年

やがちゃんキムチの看板商品、「白菜キムチ 頂」を作ったのは、あの震災直前の2011年2月でした。

白菜を丸ごと漬けないで、カットしてから特製の風味をつけた極上塩で漬ける、という逆転の発想。
バランスの取れた無添加のマイルドヤンニョムジャンで味付けし、「別物キムチ」という名前で売り出したのでした。

当初からご好評をいただいていたところに、地震。しばらくはキムチも作れませんでした。

それでも、再開後はこの「頂」だけはよく売れてくれて、各地からの引き合いも頂き、やがちゃんキムチの代表商品となってきたのです。

震災で半分無くなった「タレ」

あれから7年。

キムチ屋の命ともいえる「ヤンニョムジャン」に、まったくの新作ができました。

まったくの新作といっても、すぐ出来上がったわけではありません。

20年以上に渡って「継ぎ足し」で作り続けている、にんにくの醤油漬け。この上澄みの醤油だれをベースとして使用します。

このにんにく醤油だれは、実は、あの震災で冷蔵内で容器がいくつも倒れ、半分以上が流出してしまったものです。当店のある柏市にも、震度6弱の揺れがあったのです。

それでも半分は残り、従前からの「継ぎ足し」の歴史は途絶えないで来ました。

まさに、「見えないところに味がある」という当店のコンセプトの象徴のようなタレです。

その見えない歴史のタレで出来た、和の味

そこに、伝統のヤンニョムジャンを加え、レモンとりんごの果汁をたっぷり加えて、みりんや清酒といった日本伝統の発酵調味料も使います。

このタレで、特製塩で漬けあがった白菜を味付けすると・・・

口当たりが、かつてないほどマイルドです。

それでいて、軽いというのではありません。

奥深く、コクのある味わい。

そして、特筆すべきは、食後感の良さです。まるで果物を食べた後のような、爽快感が広がります。

食べはじめから食べ終わりまで、自然と体になじむ爽やかさ。「和の味」と呼ぶ理由は、ここにあります。

7年かかり、辿りつたこの味わいです。いや、震災前の長い歴史も継ぎ足しで受け継いだ、「見えない歴史」も背負ったタレの味わいなのです。

従来の「頂」は、もちろん今後も作り続けます。

そこに並んで、今回発売した「和の味」です。

お試しください。

「キムチ 和の味」誕生です。

 

魚は頭から腐る

30年近く前の韓国で

キムチ業を始めて間もない1990年代のころ、私は何度も韓国に渡り、唐辛子やチャンジャの原料を探して歩きました。
当時は今のように、韓国食材が日本で十分に流通していなかったから、本場韓国で探す必要があったのです。

韓国語がわからない私は、いつも現地のガイドさんを頼み、車も運転してもらっていました。

ある時、市場回りでソウルの裏町を走っていたとき、急に白バイが私たちの乗った車の前に割り込み、停止させたのです。

運転していたガイドさんが車の運転席の窓を開けると、白バイのお巡りさんが覗き込んで何事か言いました。

するとガイドさん、猛烈な勢いで言い返し、大声を上げ、怒鳴ったのです。

しばらく言い合った後、お巡りさん、そのまま諦めたように白バイに乗って走って行ってしまいました。

呆気に取られて見ていた私が「何があったんですか?」とガイドさんに聞くと、驚く内容の返事がありました。

「スピード違反だから金を払え、というんですよ。正式な罰金じゃありませんよ。警官が自分で懐に入れてしまう金なんです。最近それが社会問題になってますから、私、言い返してやったんです。罰金なら払うが、切符をちゃんと切って、あんたの名前も書け、と。自分は直接あんたに金は一切払わない。切符をもらったら、それを警察に持っていって、あんたに賄賂を要求されたと騒いでやるから。それでもいいのか、とね」

ソウルオリンピックも終わってかなり経っており、すさまじい経済発展をしている「アジアの先進国」の韓国で、まだそんなことが起きているのかと、私は驚きました。

きちんとした先進的法治国家である日本では考えられないことだな、と思ったのです。

今から、30年近くも前のことです。

先進国家日本では・・・・今・・・

その、「先進的法治国家・日本」という言葉は、確かにそのころの日本には当てはまったと思います。

ところが、30年経った今。わが日本。どうでしょうか?

まさか、と思うような政治や行政の腐敗らしきニュースが、最近後を絶ちませんね。

しかも、政治や行政の最高位の方が関わっているのでは、とされるニュースが多いのです。

魚が腐るのは頭から

魚は頭から腐る、と言います。

しかしながら、まだまだ、実際の我々の日常はいたって正常であるとは思います。
腐った魚は、まだ普段は見ていない気がします。

どうか、今後もそうでありますように。

本当に魚が腐った国では、無添加キムチも、キムチ作りの哲学も、何の役にも立たないとされてしまうことになるのでしょうから。

 

ふるさと納税返礼品、スタートしました

やがちゃんキムチが、地元の柏市の「ふるさと納税」の返礼品に指定されました

 

ふるさと納税というのは、

●住んでいる自治体以外の自治体に一定金額を「寄附」することにより、実質2000円の負担をするだけで、住民税が控除され、寄附先の自治体から「返礼品」がもらえる、という仕組みです。人気の制度ですね。

しかも、返礼品を選べます。各地の特産品が用意されていますが、千葉県柏市の返礼品に、

 やがちゃんキムチの商品も仲間入りいたしました!

いまのところ、5品です。こちらです。

「無添加やがちゃんキムチ」白菜キムチ「頂」とチャンジャセット 1万円の寄附でもらえます↓

 

「無添加やがちゃんキムチ」本タラバ蟹ケジャン800g 3万円の寄附でもらえます

 

「無添加自家製サムゲタン 1.9キロ」2個セット 25000円の寄附でもらえます ↓

 

「無添加やがちゃんキムチ」本タラバ蟹ケジャンと白菜キムチ「頂」セット 2万円の寄附でもらえます 

 

「無添加やがちゃんキムチ」ホールタトリタン(丸鶏のキムチ煮)とサムゲタンの紅白セット 2万円の寄附でもらえます 

 

今後は商品数を増やし、からあげグランプリ最高金賞を目指す「キム唐」なども導入してまいります。

どうぞ、その納税を、柏市に!

そして、無添加やがちゃんキムチをもらってください!

無添加で美味を作る最終段階・・発酵の力

発酵の力はものすごい

さて、このテーマの最終項です。

発酵とは・・・単純にいえば、微生物の力で起きる変化のこと・・・でしょう。専門家で無いので、こんな表現しかできませんが。

その発酵の結果、食べ物の味も変わります。そして人間にとって、それが強い「美味」として感じられることが多いのです。無添加で美味しいものを作ろうとするときに、これを利用しない手はありません。

発酵調味料を多用する

気候的なものでしょうか、日本には特有の菌や微生物が多く存在するとされ、「発酵大国」といっていいくらい、種々多様の発酵食品、発酵で出来た調味料があります。

醤油、味噌、酢、みりん、清酒、焼酎、麴・・・・どれをとっても、優秀な「味」です。

そして、発酵調味料の味は、「強い旨み」を伴います。
もちろんこれは、自然の発酵作用の生む天の恵みです。これをどんどん利用すればいいのです。

化学調味料など、不要なのです。

「残念な調味料」に要注意

ここで注意点が一点。

せっかくこうした優秀な発酵調味料であるのに、わざわざ化学調味料を添加して販売している「残念な調味料」も多数あります。

アミノ酸入りの醤油、だし入りと表示されているアミノ酸入りの味噌、「味酢」的な品名のアミノ酸入りの酢加工品、合成清酒、麴加工品等等・・・・。

まさに本末転倒のこうした「残念な調味料」は、いくら安くとも、いくら便利でも、使ってはいけません。

こうした時には、これをこう使おう

清酒・・・「柔らかな旨みを出そう」を出そうという時(加熱してアルコールは飛ばす)

みりん・・・「コクのある甘みを出そう」という時(加熱してアルコールは飛ばす)

味噌・・・「強い旨み」を出すのに最適

醤油・・・「味に奥行きを与える」時に最適

・・・「甘酒」にして、コクの深い甘みを出す時。また、上級者向けとして、自分で麴を培養し、独特の旨みを出す方法もあります。

乙類焼酎・・・「香り・雑味を与えたい」時(加熱してアルコールは飛ばす)

さて、キムチの場合

やがちゃんキムチの商品は、「キムチ」です。

キムチは、それ自体が生きた発酵食品です。菌が生きています。当然、旨みも生きています。いわゆる、「生」の状態なのです。

塩だけで漬け込む「浅漬け」の場合と大きく違うのは、アミや他の魚介類に含まれる天然の菌が作用して、強力な乳酸発酵が行われる点です。このような食品は、世界に他に例がありません。

そのため、やがちゃんキムチでは、アミだけでなく、牡蠣、ホタテ、あさりなど、天然の魚介類を大量に使用してヤンニョムジャン(キムチのタレ)を作ります。
それがあの、えもいわれぬ美味につながっていくのです。

ですから、無添加で十分過ぎるほどの美味しさが出るのです。

添加物を入れて嘘の旨みを出すことなど、考えられないことです。

 

 

無添加で美味を作る第3段階、「旨み素材の使い方」

前号の続きです。

味の仕組みを理解したら、最後に来る「旨み」を、無添加で最大化する努力をしなければなりません。

「旨み」を出す物質の代表的なもの

1)アミノ酸の中では、「グルタミン酸」がそれです。もっともポピュラーなのが、「昆布」の旨みですね。

2)核酸の中では、「イノシン酸」「グアニル酸」が代表的です。イノシン酸は、魚介の旨みで、かつお節や煮干などに多く含まれます。グアニル酸は、干しシイタケに多く含まれます。

 

 

3)このほか、あさりなどの貝類に含まれる「コハク酸」も、強い旨みをもっています。

 旨み素材は大量に使います

では、その旨み素材は、どれくらい使えばいいのでしょうか?

答は・・・・「大量」にです。量を使わなければ、望む強さの旨みが出ません。これはひとつの真実です。常識的に考えられる量の、数倍を使うと思ってください。

つまり、「ケチってはいけない」のです。

旨さは複合効果で倍化します

1)味というものは、傾向の違うものを合わせると、強くなる、という現象を示します。

たとえば、味噌は赤味噌と白味噌を合わせた「合わせ味噌」が、一番旨みを強く感じます。コーヒーに砂糖を入れると、苦味と甘みが作用して、おいしく感じますね。
カレーにビールを入れたり、コーヒーを混ぜたりすると、より美味しくなるのも事実です。

旨みも一緒です。

グルタミン酸とイノシン酸を、それぞれ個別の料理に使うより、同時に使うと、新たな強い旨みが生まれます。これを、「旨みの相乗効果」と呼びます。

これにグアニル酸とコハク酸などを加えれば、さらに複雑で深い旨みが、強く現れます。

そうなのです。

何をどういう量で、どういう組み合わせで使うかは、どういう味わいを出したいかで、決めていけばいいのです。

やがちゃんキムチの場合、「昆布」「しいたけ」「いわし煮干」の3つから、出汁(だし)を取っています。

素材は大量に使います。その量たるや、半端ではありません。

ケチってはいけない。

複合効果を狙い、組み合わせで使う。

これが、旨み素材の使い方の極意です。

無添加で美味を作る最初の2段階

無添加で美味しいものを作るためには、順序があります。

まず第一に、「無添加にする理由をはっきりさせる事」です。

これについては、非常に多くの議論があると思いますので、詳細はここでは割愛しますが、やがちゃんキムチの場合の「理由」だけを書いておきますね。

それは、

美味しいものを作ろうとすると、結局は無添加に行き着く

と言う事なのです。

つまり、「食べ物は絶対無添加でなければいけない」というところから出発していません。「本当に美味しいものを作ろう」という地点から出発しています。そうすると、終着点は「無添加」になるものなのです。

 

第二に、「味の仕組みを考える」ことが必要だと思います。

これが無いと、どこをどうすれば味がどうなる、と言う事がわかりません。

やがちゃんキムチの場合は、以下の図を用いて、味の設計図を組み立てます。

これは、科学的な図などでは決してありません。あくまで、私的に考えているものです。

ものをたべると最初に感じる味は、図の通り、「甘み」だと思います。

その次が「酸味」

次が「辛味」(辛さを感じるのは舌の別部位だからこれは間違っている、と言われる方もいますが、繰り返しますが、あくまで私の主観的判断です)

その次が「苦味」

最後に「旨味」です。

この旨味が「美味しさ」の根源になるのですが、必ず最後に来ます。感覚的には、物をかんで飲み下して、3秒から5秒後くらいでしょうか。「あ、美味しい」と感じるあの感覚。あれが「旨味」だと、私は理解しています。

ですから、口に入れた瞬間に「旨い!」と思ってしまうような味は、実は天然の旨味ではなく、「化学調味料」で人工的に加えた旨味である、ということに気づかなければいけません。

旨味は、あとから来るのです。

図にはその下に「塩味」が書いてありますが、これは、「あらゆる味の下支え」をする味、と言う意味です。
塩味が無いと、旨味や他の味わいもなくなります。

いわば、味の源、電源のようなものが「塩味」だと考えていいと思います。

以上が、「無添加で美味を作る」という作業の、最初の二段階です。

次の段階については、また次回以降書きますね。

最後に宣伝。

やがちゃんキムチは今、「春の大おまけセール」を開催中です。

楽しく美味しいですよ。ご利用ください!

 

私がよそでキムチ鍋を食べない理由

寒い冬です、キムチ鍋が人気だそうですね。

 

だそうですね・・・と他人事の様に書くのには理由があります。
私は、他所(よそ)では「キムチ鍋」なるものを食べないからです。
メニューにあっても、奨められても食べません。
何故かといえば、「キムチ鍋もどき」がほとんどだから、と思っているからです。

本来のキムチ鍋には、主に2種類あるのだと思います。

(1)文字とおり、キムチ(白菜キムチ)を鍋に入れて作るやり方。キムチの味が鍋にしみて、辛い、旨い味が出ますね。タレが鍋に染み出た白菜は、そのまま鍋の具材となります。一緒に入れる具材はお好みで。魚あり、練り物あり、肉あり、野菜あり。

(2)好きな具を入れるのは(1)と同じですが、白菜キムチは入れません。入れるのは、キムチのタレ(ヤンニョムジャン)です。タレの辛味、甘み、旨みがストレートに利用できて、濃厚な味わいになりますね。

どちらも本来おいしいのですが、それでも私が食べない理由は以下の理由からです。

◎市販のキムチやキムチのタレのほとんどは、その味を「添加物」で出している。

◎キムチだけならまだしも、せっかくのさまざまの具材にも、その添加物の味が行き渡り、「逃げどころがない」

という理由です。

ところが、

「添加物がいけないのか! 貴殿は添加物を入れるのはいけない、とばかり言うが、食品添加物は合法であり、安全性は保証されている。何故それほど添加物を悪視するのか?」

というご意見もたまに頂きます。

そう言われるのもごもっともなことで、確かに、食品添加物は、データ上は安全性を保証されています。

ですが、そういうことではないのです!

つまりは、

「添加物を入れなくても出来るものを、わざわざ入れるのは、コストを下げるために、自然の食材を入れるべきところを入れずに、その分を安価な添加物で補うからでありそれは、美味なるものを提供してお客様に喜んで頂くという目的からはほど遠いから・・・・

ということなのです。

やがちゃんキムチの全品は無添加です。

そして、当然、やがちゃんキムチの商品は、他社さんのものより、お値段が高めです。

自然の食材の値上がりが激しい昨今、ますますそうなりつつあります。

ですが、お値段の高い低いの問題ではなく、「本当に美味しいものを食べる幸せ」を味わえるか、添加物で偽装した味を味わうか」という側面で見てください。

お宅様のキムチ鍋、それでいいのですか?

お鍋は、家族やパートナー同士や仲間たちが、一緒につついて楽しく食べる、「喜びのメニュー」の最たるものでしょう。

ぜひ、「一番いい味」で、召し上がってください!

ぜひ!

やがちゃんキムチがお奨めするキムチ鍋用のタレは、「スーパーヤンニョムジャン」と「マイルドヤンニョムジャン」です!

 

 

年頭ご挨拶

 

あけましておめでとうございます。

2018年、平成30年ですね。

やがちゃんキムチ、今の柏の地に移って、満11年となりました。

キムチ製造業の創業以来、30年目です。紆余曲折もあり、移転も何度かありましたが、この地に根を下ろして、11年です。ここまでこの仕事をやり続けて来られたのは、偏に、お客様のおかげです。まことに有難い限りです。

ネット通販では特に、様々の業者さんが生まれては消え、また生まれては消え、を繰り返しています。

そんな中、「やがちゃんキムチ」(登録商標です)の名で30年近くも続けて来られたのは、お客様の、「無添加でおいしいキムチを!」というご要望に応え続けて来られたからこそだと思います。
グーグルの検索で、「キムチ」「無添加」という二つの言葉をお好きに組み合わせて、検索してみてください。
結果はすべて、「やがちゃんキムチ」になります。もう、10年以上も、それが変わったことがありません。

少人数の零細規模での経営ではありますが、商品品質だけには、間違いがございません。

うちのキムチの製造現場を、一度ご覧くださればわかります。

入った瞬間、「何か」が香ります。

にんにくやキムチの匂いだけではありません。無添加キムチだけが持つ、純粋な発酵菌が工場中に浮遊し、それが濃厚な「気」となって漂っているのがお分かりいただけると思います。

うちの工場には、添加物と呼ばれるものは、一粒も置いてありません。まったく必要がないから、置いていないのです。

当店に追随して、最近は他社さんも「無添加キムチ」をずいぶん出してこられています。

それらとぜひ、お比べいただきたいです。

単純に「無添加」を名乗るキムチと、2重、3重、4重以上の「美味しさの備え」をしているやがちゃんキムチとでは、無添加のレベルがまったく違うという事が、お分かりいただけると思います。

やがちゃんキムチは、敢えて無添加にしているわけではありません。

「売らんかな」で、無添加のキャッチフレーズが欲しいから無添加にしているわけでもありません。

本当に美味しいものを、いや、もっともっと美味しいものを、という希求心で作っているうちに、自然と無添加になるのです。

無添加の成り立ちの違いを、ぜひご実感ください。

年始は5日より製造発送を行います。

やがちゃんキムチは、単なる商品ではなく、「作品」である。

このポリシーをさらに深めて、進んで参ります。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

化学調味料(うまみ調味料)使用は職人の恥

先日あるテレビ番組を見て、絶句しました。

食欲が出ずに栄養摂取がままならないある一流アスリートの食事改善で、ご飯に化学調味料を入れて炊いて、解決に導いた、というものです。

本来、ご飯自体にも旨みは十分あります。おいしく炊く方法は、古来いくつも提唱されています。

それでだめなら、炊くときに天然の出汁を入れるなど、工夫次第でおいしく炊く方法はいくらでもあります。
あるいは、一緒に食べるおかずにでも、食欲を湧かさせる方法は無数にあります。

それを、化学的に合成された旨味調味料の粉末を入れるだけで、間単に済ませてしまう。

なんという安易で、またある意味、なんと危険な方法でしょうか。

これをいつまでも繰り返していたら、味覚の異常をきたし、刺激物を好むようになり、理想的な栄養摂取とはかけ離れた方向に進むことは目に見えています。塩分過多で高血圧症を招いたり、糖分を過剰に摂って糖尿病になる可能性が大きくなることも考えられます。

まさに、本末転倒です。

ところが、後でわかったことですが、この番組のスポンサーは、化学調味料のメーカーさんでした。

笑えない、「大人の事情」だったのですね。妙な意味で、納得しました。

食材には、どんなものでも、もともと「味」があります。

その味をさまざまに組み合わせて、「料理」として作る。それは人間だけが出来る高尚な作業です。

さらに、日本には独特の「出汁の文化」があり、おだやかな天然の味わいを、料理の味わいの基調として使います。昆布、かつおぶし、にぼし、しいたけなどが、その代表素材です。他にも、いくらでもあります。

また、日本には、独特の「発酵調味料」群があります。

良質の発酵菌が活躍できる風土を持つ日本は、良質の「発酵調味料」の宝庫の地なのです。

日本酒、みりん、酢、味噌、醤油・・・・これらは、無添加で強い旨みを醸し出す重要な仲間たちです。これらの発酵調味料の優秀さは、他国にぬきんでています。これを利用しないわけにはいきません。

さらに、海に囲まれた島国日本には、百千の海産物を気軽に手に入れられます。

「海のもの」には、旨みが詰まっています。魚にも、貝にも、海草にも。
これを利用しない料理をするなど、私には考えられません。

出汁、発酵調味料、海産物。

これらを利用すれば、化学調味料など、使う必要などこれっぽっちも無い筈です。

使うとしたら、それはその職人さんの「失格」を意味します。

恥なのです。

無添加は、料理人として当たり前の鉄則。

これを日本の料理人の共通ワードとしたいですね。

 

 

 

 

ため息の出るサムゲタン


サムゲタン(参鶏湯)は、若鶏を煮て、中に薬膳素材を詰め込んだ伝統の健康食です。

当店でも、長年専門業者に製造を外注して販売し、好評を博して参りました。

ですが今回、研究を繰り返して「自社製造」に踏み切り、非常に高品質のサムゲタンを開発しました。それはもう、思わず

  ため息の出る美味しさ

です。

商品特徴は、

1)安心の国産鶏を使用します。市場のサムゲタンは、ほとんどすべて、ブラジル等の外国産です。

2)鶏のサイズは、最低1キロ以上の大型サイズです。市場のほとんどは、700g前後の小サイズです。

3)やがちゃんの製造ですので、味付けはまったく無添加です。アミノ酸調味料や酸化防止剤等の添加物は一切使用しておりません。

4)無添加で旨みを出すために、さまざまの技術を駆使します。無添加製法は、やがちゃんの大得意分野。
たとえば、素材の味を損なう圧力釜は用いません。大型の普通鍋で、時間をかけてコトコト煮ます。また、酒や海鮮素材も多用し、奥行きのあるふくよかな旨みを実現します。

5)メインの味付けは、瀬戸内海産の高級塩の「藻塩」です。海の旨みがたっぷりです。

6)レトルトではなく、美味しさそのままの。作ってすぐの冷凍保存。賞味期間は、冷凍で半年。解凍後は3日以内にご消費ください。

大型1.5キロ以上、無添加 国産

ため息の出る美味しさです

こちらで販売しています。

アマゾン販売はこちらです。

送料値上げのお知らせ

 

お知らせです。

ニュース等で大きく報じられているとおり、宅配便の送料が大幅に上がります。

長年今の設定送料を維持してまいりましたが、このような状況に伴い、やむを得ずに当店の送料も上げさせて頂きます。(今まで送料の消費税部分は当店で負担してきましたが、それも修正させて頂きます)

10月10日より、以下のような送料体系とさせて頂きます。

(すべてクール便での送料です)

お買い上げ(税込み)5400円未満の場合  

   現行送料 800円 → 10月10日より 972円

お買い上げ(税込み)5400円以上 10800円未満の場合

   現行送料 400円 → 10月10日より 486円

お買い上げ(税込み)10800円以上の場合

   現行と変わらず10月10日以降も無料

 

どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

なお、10月9日までのご注文でも、12月末までの先日付配送のご予約も特別にお受けしますので、どうぞご利用くださいませ。

 

 

 

今必要なのは、ミサイルでもなく、スマホでもなく・・・

iphoneⅩが発売されましたね。先週発表され、今週には販売開始だそうです。

私がスマホを持ったのは。初代のiphone3からでした。
パソコンの代わりになる携帯電話は衝撃でしたね。これでずいぶん便利になると思ったものです。

その後、4、5、7と変えてきましたが、2年ほど前からはiphoneではなく、使用料の安いアンドロイドの機種に変えました。特に不便もなく、便利に使っています。

元々は、30年ほど前に、「自動車電話」や、ショルダーバッグ型の重く大きな携帯電話から使っています。

その後30年で、いったい何台の携帯を使ってきたでしょうか。

そして、30年の経験で今間違い無く言えることですが・・・・

◎携帯電話がどう変わろうと、パソコンがどう変わろうと、自分自身はそれによって少しも変わっていない。確かに便利ではあるが、それによって自分が成長したとはまったく思えない◎

ということです。

文科系出身の私ですが、20代のころに、ソードPIPSという巨大なコンピュータを仕事に導入し、給与計算や売り上げ分析に使った記憶があります、1980年前後のことです。

それも、単に「計算が便利になる」程度のことで、それで経営が上向いたなどということはありませんでした。

その他の電動機材も、すべて同じです。

ビデオがVHSからMD,CD,ブルーレイ、HDになっても、パソコンの容量が数万倍になっても、自家用車の燃費が数分の1になっても、wifiを日常的に利用するようになっても、確かに生活の様式は変わっては来ましたが、自分の本質は何一つ変わって来てはいない。どう考えても、そうなのです。

では、自分は何によって変わってきたのか。

それは、読んだ書物、お付き合いしてきた人々、経験してきた数々の失敗、などからだと思います。成功体験からは、あまり学ばなかったような気がします。

自分が自ら手垢をつけてきたこと、深く考えて来た事、失敗をして後悔や反省をして来たこと・・・そういう経験の積み重ねが、自分を変えて来ました。

逆に言えば、人は、便利になったこと、うまくいったことからは、ほとんど何も学べないのではないでしょうか。少なくとも、私自身の場合は、そうなのです。

今、スマホの新型が出ても、関心が沸かないのは、こういう理由からなのでは無いか。

そう思えた、秋の1日です。

今必要なのは、ミサイルでもなく、スマホでもなく・・・

ミサイルや核実験で揺れる国際社会。

先の大戦から、軍事技術も格段の進歩をしてきました。

1発で地球が破壊されるほどの爆弾も作られました。何万発も。

それこそが、技術の進歩と人間の英知がまったく逆の方向に進んでいる証拠でしょう。

世界が今なすべきことは、深く考えることです。「失敗」してしまっては、世界が無くなるのですから。

 

八月や六日九日十五日

八月や六日九日十五日

俳句です。日本人なら、意味は書かずともわかりますね。

毎年毎年、うだるような暑さの中の盆の時期、広島長崎の惨禍や、戦争の無意味さ、悲惨さがメディアで表現される時期です。

八月の3つの日にちを並べただけのこの俳句は、一瞬でその日本人の記憶と心に働きかけます。

私自身は、ラジオで永六輔さんがこの句の紹介をされたのを聞いて、すぐに記憶に刻みました。忘れようのない言葉の句だからです。記憶では、「八月や」ではなく、「八月は」だったと思うのですが、どちらでも同じですね。

実は作者が6人もいる

それで、この句の作者は誰か?・・・と調べましたら、なんと、複数いらっしゃるんですね。

ブログ等で「自分が書いたのに、先行で書いた人がいる」と書かれている方が、少なくともお二人います。記事をよく読むと、なんと、6名もの方が同じ句を書かれていることがわかります。真似をしたということではなく、まったく別の時期と場所で、偶然6つの同じ句が生まれたということなのです。

そして、まったく同じものが6つも生まれたこと自体が、実はこの俳句の価値を語っているように思えます。

戦争は起こしてはいけない。人は殺してはならない。傷つけてはならない。戦争は愚か者の行いである。・・・・・この真実に、日本人は、大戦で300万人もの命を失ってようやく、気がついたのです。

偶然の一致の、6つの同じ言葉の俳句が存在するということは、日本人なら誰しもそのことをわかっていることのひとつの証明であるのでしょう。私にはそう思えます。

権力は何のためにあるか

広島、長崎、終戦。

毎年その日に、記念式典が開かれ、為政者が演説します。ですが、ここ数年のそれは、空々しく聞こえてなりません。

国である以上、為政者は必要です。その為政者が「権力」を持つことも、もちろん必要です。

ですが、その権力をどのように使うかに関しては、厳格な規制と監視が必要です。
それが出来なかった最も不幸な結果の例が、「八月や六日九日十五日」の句に示される、日本の国を挙げての戦争だったのだと思います。

権力は、その国の人々の幸福の実現のためにだけ、使うべきものです。
それ以上でも、以下でもあってはなりません。

権力を私することは、絶対にあってはならない。

特定の思想や宗教のために使うこともあってはならない。

権力とは、弱い立場の人を救うために、使うべきものなのです。

平和だからこそ、美味しさが味わえる

八月や六日九日十五日

今一度この句を、為政者にも、人々にも、読んでいただきたいです。

やがちゃんキムチは、一介のキムチ屋です。政治や宗教には関わりません。

ですが、平和な世の中でなければ、やがちゃんキムチも、その味も、存在しません。

八月のこの時期、その思いを強くします。

利益なのか、お客様なのか

最近、「売り上げより利益を重視しろ」という主張をよく聞きます。

ある会計・経営セミナーでは、「いくら儲けたいかを先に決めて、そこから売価や販売数を逆算して決める」と教えます。私もそのセミナーを受け、「なるほどな」と思ったものです。

ですが一方で、「果たしてそれだけでいいのか?」という思いは、常に感じていました。

商売というものが「儲ける手段」であるだけのものなら、それは正しい教えだと思います。ですが、それだけでしょうか?

ここに、ハンバーグ屋さんが2軒あるとします。

Aというハンバーグ店は、月に30万円儲けたいと考え、ひと月30日だから、1日1万円儲けようと決めます。お客さんが1日20人来るとして、一人500円ずつ儲ければ、1万円になります。一皿1000円のハンバーグの原価を500円にすれば、500円が儲かります。それで、500円で済むような材料のレシピを決めるのです。

このとき、お肉を輸入にすれば500円儲かり、国産にすれば400円儲かるとすれば、輸入肉を選びます。すべてその考え方でレシピを決めます。コストダウンのために、化学調味料も使い、「まあまあの味」が出ればいいとします。とにかく、月に30万円儲けることを優先するのです。

一方、Bというハンバーグ屋さんがあります。

Bは、とにかく味と品質を重視します。お客さんに最高の味を提供し、喜んでもらうことを目指します。

肉なら国産、玉ねぎなら北海道産、卵なら地鶏の産む健康卵を、と決めます。
そして計算してみると、一皿の原価が700円になってしまいました!

大体原価の2倍で売ろうと決めていたたので、「なんとなく」価格を1400円にしてみました。1400円で売れるか売れないかは、その時点でわかりません

結果、あるときは1日20人のお客さんがあって、700×20で14000円の儲け。

またあるときは10人のお客さんがあり、7000円の儲けしかありませんでした。

 

・・・・といったことがあった場合、さて問題です。

数年後、A店とB店は、どう変化していくでしょうか・・・?

私の答・・・。「わかりません!」

利益を重視する人たちの答・・・・「利益を決めてかかる考えのA店が成功し、あやふやなB店は失敗する」

・・・・ということなのだろうと思いますが、

さらに私の考えでは、

◎お客さんを儲けの対象と見なすA店と、お客さんにより美味しいものを食べてもらおうという姿勢のB店とでは、商売の考え方が逆だ。「私は、B店に成功してもらいたい」!

ということになります。

実際のビジネスの世界では、A店のほうが成功率が高いのかもしれません。

しかし、「こういうお店が残ってもらいたい」という希望的観測を持つ私のような人間からすれば、B店のような「お客さま第一」のお店が残れる社会であってほしいと思います。

やがちゃんキムチも、常にB店のような考え方でやって来ました。

お客様から、多くのご支持をいただけるようにもなりました。ですがA店のような考えでやれば、ビジネス的には、今より成功していたのかもしれないです。それはどちらかは、分かりません。

しかしながら、これだけは言えます。

  「今の道を進んでよかった!」と。

なぜなら、今、やがちゃんキムチが出すすべての商品は「無添加」を貫き、「超美味」を目指し作った、自信をもって出せる商品ばかりだからです。後ろめたさの一点もありません。やっていて、迷いも後悔もありません。お客様の真の喜びの方向を向いてやってきたと、断言できます。

これが、私の答です。

さて、あなたの考えは?

 

ボランティアと人間の本能

ボランティアという言葉の意味は?

「ボランティア」という言葉は、元々「慈善事業」とか、「無料奉仕」という意味ではありませんね。

元々、「自発的な行動(者)」という意味なのです。

ですから、災害ボランティアと言う時には、「自発的な支援活動」という意味なのです。自発的という時に、「利」を考える余地はありません。損得勘定などは抜きなのです。

ただ、困っている人を放っておけない。何とかしたい。それでも何も出来ないから、せめてお手伝いをしたい。それも出来ないから、傍に寄り添って、一緒に話をしたい。泣きたい。

そういう自然と湧き出る善意の感情に裏打ちされた行動こそが、ボランティア活動なのだと思います。

被災地への義援活動は?

東日本大震災の時はもちろん、昨年の熊本地震、今年の九州北部豪雨など、多くの人が、ボランティア活動に参加しています。行政の出来ないこと、足らないことを補填し、またそれ以上に、心の通った地域支援の活動が展開されています。

その全てが、「自発的」なものです。

原始時代は、弱肉強食であったのか?

最近聞いた話です。

アフリカの数百万年前の地層から人間の骨が発見されました。衣服など無い、原人の時代です。

女性の遺骨で、年齢は20歳前後で、足の骨に先天的と思える異常があり、歩けなかったと推測されます。その女性の胃の部分から、魚の骨が発見されたのです。

未開の原始の時代です。文化的なものはありません。みな、生きるために必死の時代です。

弱肉強食であったと想像しがちなその時代に、生まれつき歩けない人は、邪魔にされたのではないかと、現代のわれわれは考えがちです。

しかしこの女性は、成人しているのです。魚も食べているのです。

つまりは、ハンデを背負った人を助ける精神と行動が、この時代にも存在していたということの証明でもあるのです。

驚きですよね。弱肉強食ではなかったのです!

優れたものを優先する、「優性志向」ではなかったのです!

今、我々は?

それと比べて、我々はどうでしょう?

これだけ文化が発展し、毎日お腹いっぱい食べられて、命の危惧も感じないで、安心して生きていられる現代。ハンデのある方を、邪魔にする方はいませんか? 体のことだけではありません。人種や国や言葉によって、差別をする人はいませんか?

原始の時代に、歩けない女性に食べさせ、一緒に生きた人々には、きっと笑顔があふれていたのだと思うのです。

それに比べて、自分の仲間だけの「利」を優先し、ほかの人たちを排斥し、殺し、殺される、現代の地球。この国。この時代。

被災地へのボランティア行動を、文字通り、自発的に行う、行える社会、国、そして自分でありたいと思います。

本来は、それが人間の本能だと思うのです。

 

 

 

 

人の数だけ物語がある。声の大きくない人々の物語です。

声の大きな人の言う事には、心は動かされません。社会の片隅で静かに暮らす人の真実の物語にこそ、感情が動きます。

「やがちゃんキムチ」が、今の柏店の場所に移って来たのは、10年と少し前の、12月。

当初は私が一人で営業しておりました。
営業といっても、店はほとんど開けません。通販が主体であったため、表のシャッターは閉めてキムチを作り、宅配便の集荷時間にだけシャッターを開ける、といった具合でした。

一人ですので、寂しいです。

しばらくしてその寂しさを紛らわせるためにラジオを買い、聞きながら仕事をするようになりました。

高層団地の中にある店のためか電波の通りが悪く、ラジオは一部の局しか鮮明に聞こえません。一番綺麗な音で聞こえるのが、「文化放送」です。開店の翌5月に、その文化放送で始まった番組が、午後一時からの「大竹まことのゴールデンラジオ」でした。

1時から3時半までの、2時間半。キムチつくりの仕事を一番集中して行う時間です。

不思議なもので、真剣にキムチを作れば作るほど、同時にラジオにも真剣に聞き入ることが出来ます。

そしていつからか、午後2時からの「ゴールデンヒストリー」というコーナーを特に楽しみにするようになりました。ある時そのコーナーで放送された「江ノ電の奇跡・鉄道少年」という物語には涙を禁じえず、声を出して泣きました。

このコーナーには、光の当たる場所にいる人、声の大きな人は出てきません。

人生に失敗した人、逆境にある人、目立たない人、障害を持つ人、弱い人、負けた人など、とても表舞台には出て来れない人達の物語です。

大竹まことさんが、その物語を、静かに読み上げます。

読み終えた余韻の中、物語に関連する楽曲が流されます。

楽曲が終わったあと、女性キャスターが、補足の情報を読みます。
感動のため、涙でその声が詰まることもしばしばあります。

この「ゴールデンヒストリー」のコーナーはしばらく続いた後、長く中断して、最近また復活しました。

徹底した取材に基づいた物語の書き起こし、大竹まことさんの抑揚を抑えた朗読。

その魅力は今も変わりません。

やがちゃんキムチの味わいの裏には、このコーナーで感動した私の心が反映されています。

味は心で作るものですから、それは確かです。

 

数年前から従業員が入り、会話や指示が必要となり、また、店もシャッターを開けて小売をするようにもなり、現在はあまりラジオを聴く余裕が無くなりました。

そんな最近のある日、所要で店を出ていた私が午後2時過ぎに戻ると、パートさんが、キムチのタレを白菜に塗りながら、泣いています。

「どうしたの?」と聞くと、「ラジオを聴いて、泣いちゃった・・」と。

文化放送がかかっていて、「ゴールデンヒストリー」で、重い病のお子さんのストーリーが流されていたようなのです。

このパートさんには、小学生のお子さんが二人います。「子供のことは泣けますね」と、目を真っ赤にして言っていました。

別に宣伝するわけではありませんが、この「ゴールデンヒストリー」の中の物語をいくつか所収したCDつきの本が、発刊されました。

私は早速買い、CDを聴きました。

そこには、病の人、障害のある人、故郷を奪われた人、戦争ですべてを亡くした人など、弱い立場の人の物語が並んでいました。弱いだけではありません。その中で必死にもがき、明るみに向かって進む人たちの物語です。

最終章には、あの「江ノ電の奇跡・鉄道少年」もあります。

私は文化放送と無関係ですから、頼まれて宣伝しているわけでは全くありません。

それでも、このCDつきの本は、お奨めします。

人の数だけ物語がある」です。

AIに「やがちゃんキムチ」が作れるか

ネット通販のお店は、個人も含め、どんどん増えていますね。

新たな技術の登場で、誰でも気軽に、ネットで物を売れる時代になりました。
詳しい知識など、ほとんど要りません。

やがちゃんキムチがネット通販を開始したのはもう20年近く前のことですが、当時と今は、様相がまったく変わって、隔世の感があります。

特に「AI」・・・電子知能の登場は衝撃ですね。
今後、AI が物をつくり、売り、AIが接客し、人間が入り込む余地が無くなってしまうのでしょうか?

ある部分はそうなるのでしょうね。工程が定型化しやすい商品は、すべてそうなる可能性もあると思います。

やがちゃんキムチはどうでしょうか?

やがちゃんキムチのレシピをAIに渡し、製造から販売まですべて任せたら、どうなるでしょうか?

今よりはるかに売れるようになり、品質も安定するのでしょうか?

答え・・・・・・「分からない」・・・です。やってみなければ、そんなことは、分かりません。

ただ、これだけはいえると思います。

◎AIには絶対作れないものがある。

それは、人が「何故美味しいものを欲するのか」ということを考えると、分かると思います。

人は、出来上がったそのグルメを食べているようで、実はそれだけではないのです。

あなたが一番好きな味噌汁やカレーライスの味は?、と聞かれたら、一流料亭やレストランのメニューを挙げる人は、多くは無いでしょう。ほとんどの方は、「母の味」と答えると思います。

ものを「美味しい」と判断する基準には、「愛情」があります。愛情といって悪ければ、単に「感情」でもいいでしょう。人は、ものを食べながら、さまざまの感情を味わうのです。

それを作り出すことは、人工知能にはできませんね。

やがちゃんキムチは、小さなお店です。
その分、作り手の「感情」を、たっぷり「作品」に乗せることが出来ます。

単純なレシピの味に乗せたその「それ以上のもの」を、お味わい頂けたら、幸いです。

練れば肉は旨くなる

やがちゃんハンバーグ、大好評です。

 

まかない用に作っていた「贅沢つくりハンバーグ」を、商品にしたものです。

原材料は、合い挽き肉、炒めたまねぎ、牛乳、卵、パン粉、塩、です。これに「オリーブ七味」を少量加えて、練ります。

ハンバーグの美味しさの原点は、お肉の美味しさ。

この肉の旨みを引き出すため、最初に、肉に塩を加えて、練ります。よく練ります。糸を引くまで練ります。

続いて、牛乳や卵を加えて、また練ります。徹底的に練ります。

この練り作業、機械ではできません。

5本の指を微妙に動かしながら練り、均一に混ざるように練らなければいけないからです。

この作業、やがちゃんキムチのある別の商品と共通するところがあります。

そう、「ギョーザ」なのです。

やがちゃんキムチの「安食店」では、手つくりのギョーザが大人気メニュー。
(※ギョーザはネット販売をしていません)

このギョーザの具を作るときに一番肝要なのが、同じく、「肉の練り作業」なのです。
肉に醤油等の調味料を加えた後、徹底的に手で練ります。糸を引くまで練り続けます。

練れば練るほど、美味しくなります。

まさに、「ハンバーグ」と一緒なのです。

なぜ、練れば美味しくなるのでしょう。

それは、「肉の旨み成分が絡まり合い、うまみの相乗効果で、いい味になる」としか、言いようがありません。

カレーやシチューのように、時間が経てば旨みが増す料理と、理屈は一緒でしょう。

敢て混ぜ合わせることで、その時間を縮めている、ということだと思います。

キムチのタレ(ヤンニョムジャン)も、同じことが言えます。練れば練るほど、美味しさが増します。

うどんやそばでも、粉をよく「練る」ことで、グルテンが生まれ、旨みが増します。

味は、「練り」で、旨くなるのですね。

裏でもなく、まかないでもない、闇メニュー

大手ハンバーガーチェーンで、「裏メニュー」というのを盛んに宣伝していますね。

「裏」が気になって、数日前にドライブスルーで裏ナントカマフィン、というのを買って食べました・・・・が・・・

どこが裏なのか、表なのか、よくわからなかったです。普通に売っていましたし。

裏メニューとは、本来、メニューにも書いていなくて、こっそり店員さんに頼んで出してもらう・・・というイメージでしたが・・・何か違いますよね。

それから、飲食店ではよく、「まかないメニュー」というのがありますね。

まかないというのは本来、、お店の従業員さんが、しごとの合間に自分たちの食事を作って食べる行為のことを言うのですね。
お店では出さない、特別に美味しいものだったりします。

それが最近は、「当店のまかないメニュー」などと、堂々と売り出している例があります。
なにか、おかしいですね・・・・

などと書いている私ですが、実は、裏でもなく、まかないでもなく、もっとすごいものを発売する決意をいたしました!

これ、店の「まかない」で、自分だけのために、自分で作って食べているものです。

あの「キムチカレー」に、大粒の牡蠣を酒蒸しして、牡蠣だけでなく、染み出る牡蠣のエキスもろとも入れたものなのです。

キムチカレーには、大量の国産鳥の「振袖肉」を使います。すごい量ですよ。
10キロのキムチカレーを作るために入れる振袖肉、何キロだと思います?
企業秘密ですから詳細は書けませんが、おそらくあなたの頭に浮かんだその量の、大体3倍以上は使うのです。

振袖肉のゼラチンのうまさが、たっぷり。

そこに持ってきて、酒蒸し牡蠣も、ゴロゴロと入れる!

そして、無添加のカレーパウダーとヤンニョムジャンで味付けして、この超裏メニューのカレーができるのです。

何とこれを呼びましょうか?

裏でもなく、まかないでもなく、・・・・・そう、「闇」です。闇メニュー!

やがちゃんの、闇カレー!

闇から這い出て、発売しました。こちらです。

 

原点はここ。諏訪の山奥にて。

先日の日曜日、自分が生まれた信州の山奥の土地に行ってきました。

中年の仲間たちに「俺が生まれた山は僻地の中の僻地で、もう人はいない。家があった広い土地はそのままであるよ」と酒飲み話で自慢したところ、「見てみたい、連れて行け!」というのです。

彼らは、大型バイクを操る「おじさんライダー」。バイクに無関心な私だけが四輪で、天気のいい日曜日にその場所に向かいました。

諏訪湖から「有賀峠」という急峻な峠を登り、さらに車一台がやっと通れる山道を上り下りし、「後山」(うしろやま)という山間の集落に着きます。ここまで諏訪湖から4.50分です。

後山には今でも数十軒の人家が建ち、廃校になった校舎が依然と壊されずに建っています。

ここからさらに、伊那方面に10分ほど進むと、私が生まれた旧「椚平」集落に着きます。廃墟となった家が数軒。住んでいる人はゼロ。

私は4歳のときの昭和35年に親に連れられてこの集落を出たまま、東京、千葉でずっと暮らしています。

私の生まれた家そのものは隣の後山集落の方に移築されていて、今回はその外装を見られましたが、人様のおうちなので、画像は控えます。

肝心の生まれた土地はこのとおり。

山すそには、山桜。緑も濃いです。

家跡の裏山を少し登ると、滾々と水が流れ出る場所があります。この上には人家もありません。純粋な「山の水」です。

ライダーの友人たちが、それを「美味しい美味しい」と、ごくごく飲んでいました。

私も飲みました。実は、初めてです。幼いころは飲んでいたのでしょう。でも、何度かその後ここを訪れても、飲みませんでした。

恐る恐る口に入れたその水は、土の香りでしょうか、味でしょうか、豊かな風味を感じました。これが本当の、自然水なのでしょう。

土地の前には、田無川と呼ばれる、川が流れています。魚影も見えそうです。

その川の水音。キジの鳴き声。山裾を二羽の鮮やかな青の冠を被ったキジが、ケケー、ケケーと鳴きながら歩いていました。

それ以外には、何も聞こえません。

何度来ても思います。人は、生まれてくる場所を選ぶことはできない、ということを。

この場所から、隣の集落のあの学校まで、歩けば子供の足で2時間。それを皆、当時の子供は歩いて通ったのです。私の姉も、熊除けの鈴をつけて通ったそうです。

父は時代の流れを感じ、ここで子供を育てられない、と思い、私たちを連れて東京に出ました。
記念碑にその名前と年が刻まれています。矢ケ崎茂というのが、私の父です。

その流れの上に、今の私がいて、今は千葉でキムチの商いをしています。

その原点は、ここです。生まれた場所です。そう、私の原点は、この場所なのです。
つまり、この場所で生まれたから、今は千葉に居る。そういうことなのだと思います。

今度はいつここに来るのでしょうか? 実は、水を飲むどころか、この土地の中に足を踏み入れたことも、初めてなのです。以前何度か来た時は、車の中から「すごいところだなあ」と眺めていただけです。実際その場に立った今回、表現できない感覚を覚えました。

友人たちは、ここを何かに利用したいそうです。それもまた、いいと思います。

原点は、実は、目に見えるものの中にはありません。原点は、心の中にあるものです。土地の上に立った時に感じたあの不思議な感覚・・・それは、土地から心に伝わる、見えざるものです。そうに違いありません。

仮にこの場所に新たな建物が作られたとしても、私の心の原点は、変わりません。4歳の時、裏山で遊んで湧き水を飲み、飼っていたヤギの乳を飲み、時々キジ鍋のご馳走を食べて喜んでいたあの頃。

あの頃から今に至る時間は、遠いようで一直線です。しっかりと、今の心につながっています。

 

キムチ屋の弁当は美味しいか?!

やがちゃんキムチは2店舗ありまして、ひとつが私のいる、柏本店。

もうひとつが、成田空港近くの栄町安食(あじき)にある、安食店です。

安食店は、店内で飲食もできるし、「お弁当」のテイクアウトもしています。カルビ弁当、スタミナ弁当等、「安くて美味しい」お店として、昼時には行列のできる、地元で知らない人はいない人気店です。

そして今回、柏店でも、ついにお弁当を始めました!

ラインナップは以下のとおりです。

やがちゃんですから、お弁当も手つくりで「無添加」ですよ!

キム唐弁当・・・500円!(国産鶏肉使用)

牛焼肉弁当・・・600円!(オーストラリア産牛バラ肉使用)

マーボ丼・・・・・400円!(国産合挽き肉使用)

キムチカレー丼・・400円!(国産鶏肉使用)

 

キムチ屋のお弁当・・・・・意外や意外、美味しいですよ!

お問い合わせ・ご注文は  TEL          0471715701

場所は  柏市光ヶ丘団地4-200-1 (ビッグA向かい) です

無料駐車場あります。

(日曜定休です)

茨城へ行こう!

茨城が注目されています。朝の「ひよっこ」、見ていますか? 史実ではなく全くの創作だそうですが、いいドラマですね。

主人公のみね子の一家が住む「奥茨木村」という村は実在しませんが、高萩から常陸の一体の農村部を想定しているということです。

高萩という駅名は、常磐線の利用者なら、東京の人でも知っています。上野発高萩行きという電車があるからです。

その手前、電車で数十分のところに、「牛久」(うしく)という駅があります。この牛久は、最近急に話題になりました。そう、あの横綱稀勢の里の出身地なのです。

牛久には牛久沼という湖があり、うなぎが名産とされています。稀勢の里さんもうなぎが好きなようですね。

さらに東京方面に20分も電車に乗ると、やがちゃんキムチの町、千葉県柏市です。

ということで、やがちゃんキムチと、茨城は非常に近い「沿線のつながり」です。

そこでこの連休に、ちょこっと牛久に行ってきました。車でもわずか30分ほどの距離です。

牛久沼の辺を散策していると、畑の地面を歩く大きな鳥を見つけました。この画像は、50メートルほど離れた位置で撮りました。

そっと近づくと、なんと、もう一羽! そうです、これはキジの番(つがい)です!

都会では見ることは決してありません。私の生まれた信州の山奥でも、めったに見ません。
それが、都会に近いこの牛久沼で見られたことに感動しました。

お腹も減っていたので、湖の入り口にある料亭でうなぎを食べ、その後、有名な牛久大仏に向かいました。

この大仏は、過去に数回訪れたことがありますが、とにかく、大きい。
いや、大きすぎる。
ただ、その一言です。

有料で大仏の体内に入れるのですが、そのエレベーターに乗るのに、70分待ちだそうです。
もちろん諦めて、霞ヶ浦産(と書いてあります)の佃煮を買って帰りました。

牛久沼には、河童の伝説があります。
河童は想像の生き物ですが、私には、どうも「存在」するような気がしてなりません。

周辺には、印旛沼、手賀沼、という、沼という名の湖が散らばっています。少し進むと、琵琶湖についで大きい、霞ヶ浦です。それでも「湖」という名前は、このあたりでは使わないのですね。河童が住むには、お似合いのように思えます。少し泥でにごっていて、魚が沢山いて、豊かな沼。

キジも棲み、河童が隠れる沼。

沼には、河童の匂いがします。気のせいでしょうか? でも、ザバーっと、河童が水の中から現れても、あまり驚かないような気がします。

東京、柏、牛久、奥茨城。まっすぐつながる、茨城への道。

茨城。行きましょう!

 

揚げたての美味しさが1ヶ月続く唐揚げとは?

Q:唐揚げが一番美味しいのは・・・?

A:揚げたての時!

正解!・・・・ですね。

冷めた唐揚げも、特に「キム唐」などは十分美味しいのですが、やはり揚げたてにはかないません。揚げたその直後・・・・を逃すと、一番美味しい時も逃すのです。

ですが・・・手立てはありました。
揚げたてでなくても、その美味しさをずっと保つ唐揚げ・・・。それを、作りました!

それが、「キム唐肉味噌」です。一言で言えば、唐揚げの味噌漬けです!

この製法ですが、

1)まず、キム唐を揚げます。そして、小切れにします。

2)ねぎを油で炒め、そこに、味噌と甘みを加えます。

3)「オリーブ七味」をたっぷり加えます。オリーブ七味は、アミ、いわし、くるみ、ゴマ、オリーブ油、ニラ、レーズン等で作る、やがちゃんオリジナルの「薬味」です。

4)そして最後に、唐揚げを加えて火を通し、混ぜます!

こうして、手間をかけてできた「キム唐味噌漬け」なら、冷蔵で約1ケ月の間、揚げたての唐揚げの美味しさを、肉味噌、味噌漬けという形で味わえるのです。

4月下旬から発売したこの「キム唐肉味噌」ですが、店頭で、予想以上に売れています。うわさを聞いて、買いに来られる方も増えています。

味噌漬けですから、唐揚げのように「がぶり」と食べるのではなく、ご飯のおかずとして、少しずつ食べるといいです。

唐揚げの量は・・・それこそ、「ゴロゴロ」状態で、たくさん入っています。

どんなものかは・・・まず、「食べればわかります・・・!」

からあげグランプリで連続金賞受賞!その一日。

4月28日、GW前の繁忙日でしたが、お店の運営を従業員さんに託して、私は単身で大阪に行きました。成田から関空への飛行機便の日帰り往復です。強行軍でした。

関空に到着後、すぐに路線バスに乗りました。バスの行き先は、あの「USJ」です。

乗り込んだときには私一人。でも、その後、アジア系の観光客の団体がどどっと乗り込んできて、あっという間に満席。通路の補助席まで全部埋まりました。
後部に乗っていた私は焦りました。

この観光客さんたちは、全部間違いなく、USJ行き。
そして私の目的地は、USJの一歩手前の「インテックス大阪」という、イベント会場だったからです。

インテックス前について、「すみませーん、降ります!」と声を上げ、補助席の人に全部降車してもらって、なんとか地上に。車内から、アジアの人たちが不思議そうに私を見下ろしています。

私が日帰りでインテックスに来た目的。それは、「からあげグランプリ」の授賞発表会への出席のためです。

インテックスでは、4年に一度の食品の大博覧会、「食博」の開催中。その中のステージでの発表会なのでした。

そして午後2時。いよいよグランプリの発表です。

「唐揚げ協会」のやすひささんが登場です。

そして、発表。

「東日本味バラエティ部門」で、今回も「金賞」を頂きました。2年連続です!
大阪に来た甲斐がありました。

今回の総エントリー数は、全国の約600店舗。
投票総数は、11万票以上あったそうです。

事前に授賞したかどうか、知らされませんでした。ですから、会場に来て、受賞しないで帰られた店も多かったようです。

賞状を頂いてからも、そうはゆっくりは出来ません。

翌日も、唐揚げを揚げ、キムチを作る仕事が待っているからです。

それでも、4年に一度の食博。急いで見て回りました。

まずは、ビールに唐揚げ! 唐揚げが少し硬かったかな?

次に、大阪名物、「鳥天」です。あれま。こんなにやわらかく揚げるのはどうするんだろう?ここでもまた。生ビール。

ほろ酔いになって、さあ帰ろうと思ったら、「祭りの広場」から「ねぶた」の音が聞こえてきました。慌てて、覗きました。

そしてとうとう会場を後にして関空へ。
今度は地下鉄とJRを乗り継いで帰りましたが、電車の車内の広告ポスターが少ないのが気になりました。大阪は、景気が悪いのでしょうか? 東京の電車広告は常に満杯ですから、意外でした。

千葉に帰った後の深夜、空港で買った「551豚まん」と「生八橋」を食べながら、考えました。

2年連続受賞に向けて、ご投票にご協力くださった皆様に、何か御礼をしたいな、と。

何が出来るだろうか・・・と。そして、一晩寝て、考え付きました。そうだ!

「2年連続受賞記念 謝恩内祝い 500円クーポン」です!

どなたも、このクーポンを利用してお買い物をすると、500円分のお値引きをいたします。
こちらからどうぞ。

ご遠慮なくご利用いただきたいと思います。

やがちゃんキムチは、千葉の名もない町の、名も無いキムチ屋です。

ですが、全国から、「おたくのキムチで無ければだめ」と、ご指名を受けて、買って頂いております。

作るものは、すべて「無添加」。この一線だけは、何があっても、崩せません。
そして、無添加でありながらの「美味」の実現。この困難な道を、この先も歩み続けます。
これは、職人としての、矜持でもあります。

先日のように、テレビがわざわざ取材に見えるようにもなりました。

また、からあげグランプリの金賞という、貴重な賞もいただけるようにもなりました。

すべては、お客様のおかげです。

どうもありがとうございます。

 

 

実るほど 頭を垂れる 稲穂かな

「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」

いい言葉ですね。

成功して偉くなった人ほど、言動は謙虚になるものだ、というたとえですね。日本人にぴったりの教えだと思います。

ところが最近、うちもそうですが、この言葉を忘れがちな傾向がありますね。

記者に激高して暴言を吐いたかと思えば、「震災は東北でよかった」などと口を滑らせた復興大臣。「言葉のあや」では片付けられませんね。復興大臣に一番なってはいけなかった人だと思われます。

フェイクニュースを鵜呑みにして、学芸員が諸悪の根源などと言い放った閣僚もいます。学芸員さんたちがどれだけ苦労して、国の宝を守って来てくださったか、学び直すべきです。(学ばないでしょうが)

不透明な寄付金問題を覆いかくそうとしているとしか思えない、首相。一言真実のことを言えばいいだけなのに、取り繕い、時に興奮する姿は、日本のリーダーとして似合わないとも思えます。

自分の腹を見せて、天下国家を論じて、誤ったことは正直に訂正謝罪する。
そういった「男の中の男」のような「偉い人」は、居ないものですかね?

昔は、そういう指導者がたくさんいたような気がしますが・・・。

・・・

などと、私自身も偉そうに言える訳はありません。

まだまだ、道途中。この歳になっても、毎日、わからないことだらけです。

あなたの職業は? と聞かれれば、今はすぐに「キムチ屋です」と答えます。

以前なら、「食品商社です」とか「グルメ関連です」などと、格好つけて答えていました。
そうすることが自分を「偉く」見せるような気がしたからだと思います。

でも、

キムチ屋です

 この手で作っています

 すべて無添加です

 和食や洋食からも学んでいます

などと、自分が本当に気持ちを入れてやっていることを一生懸命表現したほうが、よほど格好がいいですよね。

まだ、頭を垂れるほどに、実っていません。

まだまだ、現場で試行錯誤し、お客様から叱咤激励されながら、味つくりにまい進するしかありません。

冒頭の大臣さんたちを見ながら、「人の振り見てわが身を直せ」ですね。

がんばります。

25年前の記憶の食べ物・・にらスタミナ薬味

記憶に残る味、ありますか?

あの時あそこで食べたあれを、また食べたい!・・・と思うことはありませんか?

ありますよね。ところが、それがどんなものだか、詳しいことはなかなか思い出せない。
でも、美味しくて感動したことだけは覚えている。

ああ・・なんだっけなあ・・・・思い出して、またそこに行って、食べたいなあ・・ということ、ありますよね。

私がそう思い続けたある「モノ」があるんです。

キムチ屋を始めて間もない、今から25年ほど前のこと。
唐辛子を仕入れに、韓国のソウルから車で数時間かかる、コチャンという農村に行った時のことです。

用を済ませるともう、夕方。案内役の方と、その村の食堂のような店に行って食事をしたのです。

何をメインに食べたかも忘れましたが、テーブルの上に、ニラのような、或いは葱のような野菜を小切れにして、醤油のような液体につけた調味料が置いてありました。自由に取って食べていいのです。

それを、ご飯に乗せて食べました。あまりに美味しいので、メインのおかずにはあまり手を出さずに、そればかり食べました。記憶に残っているのは、そのことばかりです。

その記憶が、頭からずっと今まで消えないで来たのです。

それを再現できました

そして、25年後の今、それを再現する気になり、ここしばらく躍起になって試作を続けて来ました。

ニラにしようか、ネギにしようか・・・辛味はどうしようか、甘みをどう加えようか・・・あれこれと試しました。

そして出来上がったのが、これです。

「にらスタミナ薬味」

ネーミングはちょっと固いですが、25年前の記憶をもとに、いいものができたと思います。

25年の間、全商品の無添加化や、醤油だれ、みそだれ、オリーブ七味、唐揚げ等の肉用のたれ、等々、新たな味の開発にまい進してきた結果が、この再現につながりました。

いや、再現以上のものができたと思います。

もちろん、無添加です。

この薬味は、このままご飯のおかずにもなります。薬味として、麺類や鍋物の取り皿に入れて使えます。

天ぷらのタレとしても最高です。うどんやラーメンに乗せると、おお、とうなるほどに美味しくなります。

使い方は、ご自由。きっと、記憶に残る味になると思いますよ。

ホームページはこちらです

にらスタミナ薬味

桜の寿命は60年? ではやがちゃんキムチは?

今年の桜は遅いですね。入学式の終わった今頃、ようやく満開です。

桜の花がここまで日本人に愛される理由は何でしょうか。

冬が終わりを告げ、春がようやく来たことの証の花だから。

 出会いと別れの季節に咲き誇る花だから。

 一斉に咲く華やかさと、一斉に散るはかなさを併せ持っているから・・・・・

理由はいろいろでしょう。そして今年も咲き、満開の日曜になるはずだった本日の千葉は、雨。
花散らしの雨になってしまいました。

ソメイヨシノの起源は?

江戸時代の末期に、江戸の染井村の植木屋が、奈良の「吉野桜」を真似て作った桜。だからソメイヨシノというのだそうです。最初の一本から接木をしてどんどんと増やし日本中に。接木だから、同じ遺伝子で、果てしないクローンの連鎖の花ということになります。

クローンなので、木が成長して密生して来ても、互いに嫌がらないそうです。だから、驚く程に密度の濃い桜並木が生まれるわけですね。

なぜ寿命が60年?

よく、ソメイヨシノの寿命は60年といわれます。これは、上記のように密生してくると、互いに陽光を遮ってしまい、枯れて来ることからだそうです。
また、30年くらいかけて並木が育ってくると、「桜の名所」として人が押しかけ、根の張る地面を踏みつけてしまい、これも枯れにつながるそうです。

もともと人工的に作った花だからこそ、こういう理由で消滅していくことは仕方ないことでしょうか。

もちろん、こういった特質を理解して、人間の側が万全の注意をすれば、桜の絶景はまだ長い間楽しめますね。

さて、うちの商品は?

論理が飛躍しますが、やがちゃんキムチの寿命は何年でしょうか? と、やや深刻なことまで考えてしまいます。

たくさんのお客様に愛していただいている「やがちゃんキムチ」。毎日必死に作っております。

年頭にも書きましたが、私は、商品を「作品」と考えて作っております。
それを召し上がる方から愛でていただけるような作品。
ただの利益を上げるための手段とは、まったく考えておりません。

この考えは、年々高まってきています。

まずは、作り手がいる限り、作品は作られます。

「寿命」のことは今敢えて考えず、お客様お一人おひとりのご満足を呼べるような、「いつでも唯一の品」と思って頂けるような、無添加で美味の「作品作り」を続けてまいります。

味の合わせ技

柔道の国際ルールが変わり、「合わせ技一本」がなくなったそうですね。

今までは、「技あり」を二度取ると、「合わせ技」として、一本勝ちが認められていたのに。

それでも、味の世界では、「合わせ技」は大有りです。

合わせ技の定義・・・by やがちゃん ですが・・

異なる風味の味を一緒に使うと、おいしさが倍加する!

ということなんです。一例ですが、

●赤味噌だけ、白味噌だけの味噌汁より、「合わせ味噌」の方が美味しい

というのがありますね。ほかの例ですと・・

●豚だけの挽肉、牛だけの挽肉より、両方使った「合い挽き肉」の方が美味しい!

ということもあります。

どうしてこういう事が起きるかというと・・・

★異種の味の組み合わせは、互いの特徴を引き出し合って、より良い風味を感じさせる

ということですね。

「お出汁」でもそれはいえます。

煮干だけ、昆布だけ、しいたけだけ、の出汁より、それを一緒に使った出汁のうまみは、はるかに強くなります。
やがちゃんキムチが自作している出汁は、この組み合わせです。

科学的にいうと、煮干のイノシン酸、昆布のグルタミン酸、しいたけのグアニル酸が混ざって、相乗効果で強いうまみを作り出すのです。一説によると、単体の出汁と比べて、2の3乗、つまり8倍の旨みになるそうです(詳しくはわかりません)

「おしるこ」お好きですか?
小豆を砂糖で煮た後、一つまみの「塩」を入れると・・・甘みが増します。

「カレー」を美味しくするには・・・?
うちでは、ビールを入れます。そうすると、ビールの苦味が、カレーの旨みを引き出すのです!

いろいろと工夫すると、面白いですよ。

合わせ技一本! 決めましょう!

「白熱ライブ ビビット・カトシゲのお取り寄せハウス」で誉められました

今月の初め、TBSの人気ワイドショー番組「白熱ライブ ビビット」の担当の方から突然電話がありました。

「今度、唐揚げのお取り寄せの特集をやるんですが、よかったら貴店のキム唐を送ってもらえませんか。食べてみたいので」ということでした。半信半疑で聞きましたが、御代もいただけるということでしたので、お送りしました。

その3日後。またお電話をいただきました。

「おいしいですねー! びっくりしました。 それで、お店に取材にいっていいですか?」と。

よくよく聞くと、ジャニーズの人気グループ、「NEWS」の加藤シゲアキさんが司会の人気のコーナーで、毎週テーマ商品を数品紹介するとのこと。

テレビでうちの商品を紹介してもらうのは、初めてではありません。ただ、わざわざ来店取材を受けるというのは、初めてです。これはえらいことだと、大焦りで、取材当日を迎えました。

取材の日は、担当ディレクターさんがお一人で、ビデオカメラを提げて見えました。

聞くと、数々の人気番組を担当されてきたという方でしたが、非常に気さくな方で、こちらは普通に仕事をしながら、それを邪魔にならないように要所要所を撮影し、質問される、という形でした。都合3時間ほどの取材でした。

揚げたての唐揚げや作りたてのマーボ丼をお昼に食べていただきましたが、「うまい、うまい!」を連発されていました。

その数日後、再び局から電話があり、「スタジオで当日出演者にたべてもらうので、また送ってください!」と。 え!? まさか!? あの国分太一さんや真矢ミキさんが召し上がる? ヒョエー!

・・・ということで、時間は過ぎ、放送当日。

店にはテレビがありません。パートさんの持っているスマホでワンセグ放送が映るのですが、画面も音量も小さく、また、電波もよく切れて、あまり内容がわかりません。

すると・・・突然電話が鳴り止まなくなりました。次から次へと、「テレビを見た」というお客様からの電話注文です。

そして、ネットでもすごい勢いで受注が入りだしました。

番組が終わっても、それは続きました。お店に唐揚げを買いに来られる方も続きました。

 

あれよあれよという感じで、何とか一日を終え帰宅し、録画しておいたその番組の場面を見ました。

・・・・すごい。驚きました。

カトシゲ君は、「何これ! ウマシゲ!」と、目をまん丸にして驚いてくれ、国分太一君も、「うまい!うまい! これでビール10杯は飲める!」と興奮気味。真矢ミキさんも、「美味しい~~、柔らか~~!」と感嘆してくださっていたのです。

 

というわけで、ただいま、降って沸いたようなご注文の嵐を処理している最中ですが、ここでお伝えしたいこと。

●いくら忙しくても、商品つくりに手抜きはいたしません。いつも通りにじっくりと真面目にお作りいたします。

●従来からのお客様には、ご迷惑を極力かけないようにします。どうぞ、いつも通りに普通にご注文ください!

やがちゃんキムチが一番嬉しいのは、有名になったり、売り上げが何倍にもなったりすることではありません。

一番嬉しいのは、お客様から、

「美味しかったよ! いつまでもがんばってね!」というお言葉をいただくことです。

幸い、体は丈夫です。あと10年20年は、平気で仕事が出来ます。

そして、お客様からの「美味しかった」という笑顔の言葉を聞いて、頑張っていきたいと思います。

いつもまことにありがとうございます!

 

震災から6年で思うこと

昨日、3月11日でした。あの震災から6年です。

震災を機に、変わったこと

考えてみれば、あの地震の前と後で、うちのキムチ屋としての仕事の質が一変したように思えます。
表面的には、同じようにキムチを作り続け、売り続けているだけですが、その商売の基本に、「何かの、誰かのために」という視線が入ってきた、ということだと思います。

無添加で作り続けるのは、震災前は、「無添加で作るのは、売れるポイントになるから」という考えでした。これは正直に、そうでした。商売人として、それ以上は考えていなかったというのが、正直なところです。

ですが震災後の今は、「無添加で作るのは、召し上がるお客様の心と体の健康にいいはずだから」と、真剣に思っています。

こういう風に考え方の方向が変わったきっかけが、あの震災であったと思うわけです。

社会のため、などという大仰なことは申しませんが、それが結局それにつながるのであれば、嬉しいことです。

支援活動をするうちに、気がついたこと

震災被災者さんへの支援は、当店はあまり大したことができませんでした。

身内に福島のものが多数おり、そちらは訪ねたり連絡を取ったりしておりましたが、結局それより北の東北にはまだ行っていません。

それでも、微力ながら売り上げの10%を数ヶ月間義捐金として送ったり、福島からの被災者の方が集まる千葉県内の施設にキムチをお送りしたりした経験の中で、感じたことがあります。

それは、まず何よりもこの世で大切なのは、「人に寄り添う心」である、ということでした。

表現は難しいのですが、とにかく、「金額や数字」から出発するのではなく、「心」から出発しないと、行動は意味を成さないのではないか、と思えてきたのです。

お客様の方向を向く

人と人の関わりは、数字では解決できないものがある。それは今も強く思うことです。

商売は、決してゲームではありません。命の通った、人と人との交わりが商売です。

うちの作るキムチを召し上がる方には、命があり、ご家族があり、毎日の生活があります。

ですから、その生きたお客様にお出しする商品に、嘘はつけません。

結果として売り上げや利益が上がっても、もともとの「思い」に歪んだ間違いがあれば、それは褒められることではない。嘘をつかずに、零細であっても、時に無駄かもしれないことであっても、「思い」を強く保って、仕事をしていく。

そして、3月11日が来るたびに、この思いを新たにする。

そうして行きたいです。

これからも、お客様の方を向き、「思い」から出発した仕事をしていこうと思います。

なぜ「無添加」か

「キムチ 無添加」でも、「無添加キムチ」でも、「キムチ無添加通販」でも、とにかく、検索してみてください。
一番上に来るのが、間違いなく、当店「やがちゃんキムチ」のサイトです。これはもう、10年以上そうなのです。

表現上のテクニックではありません。

どの商品もすべて合成添加物無添加で作っているので、その表現がサイト上に満ち満ちています。だから検索エンジンも、当店を長年に渡って圧倒的に最上位に表示するのだと思います。

それだけ、「無添加」を徹底している当店ですが、では、肝心の「無添加の理由」は何でしょうか。

無添加で作る理由です。根本的な理由はただひとつ。

★添加物を入れる必要がないから

です。

なぜ入れる必要がないのか。

●天然素材を驚異的な濃度で使用しているので、素材が濃密に交じり合い、保存性が高くなっています。同時に、粘度も高いのです。ですから、「保存料」「増粘材」「PH調整剤」などを使う必要がありません

●天然の素材の色は、自然で輝いています。ですから、「着色料」などを入れる必要がありません。

●和洋中華の食材の研究を進め、旨みをいかに効果的に築いていくかを徹底的に学んできました。ですから、化学調味料などの「アミノ酸」などを使う必要がまったくありません。

以上です。

逆に言えば、添加物を使う商品というものは、「使う必要があるから」使うのです。

保存料や増粘材を使うという行為は、素材が薄いから、そうせざるを得ないのです。希薄なものに形を与えるために、また、希薄なものに保存性を与えるために、本来の食品とはまったく関係のない添加物を加えるわけです。

着色料を使うという行為も、基本的に同じです。本来の素材を使わないか、微量しか使わないために、色が出ません。だから、人工的に色をつけざるを得ないのです。

そして、「アミノ酸調味料」(化学調味料)を使うという行為は、最も根本的な欠陥につながります。その使用は、「味に自信がないから」行われるのです。これは、味作りの技術の不足の証明でもあ化学調味料の使用は、職人として、恥じざるを得ない行為だと思います。

さて、ここでひとつ、補足意見です

だめなものを探すのも大事だが、それ以前にいいものを選ぶ重要性に気がつくこと

「無添加」にこだわるお客様は一定数おられます。それは当店にもありがたいことです。
ただ、「何が何でも無添加のものしか食べない」という考え方だけでは、ある面、「窮屈」ではないかな、とも思います。

この物質は食べてはだめだ、あれもだめだ、あれも絶対にだめ・・・などと、過度に神経質になることよりも、逆の方向の考え方で、「本当に美味しいものは無添加である」という事実にまず気がつくべきです。

天然の素材の味に勝る美味しさは、この世にないということが体でわかれば、あとは単純に、「本当に美味しいものだけを食べる」ことを意識していけばいいのです。

そうすれば、自然と無添加のものを多用することになります。

 

 

 

 

「混ぜる」食文化

キムチは、お隣の朝鮮半島の生まれ。

その韓国へは、近いところなら船で2時間。飛行機で30分ほど飛べば、韓国に着きます。

ですが、そんなに近くても、日本と朝鮮半島とでは、食の文化が相当に違います。

たとえば、当店で作っている「ビビンバセット」ですが、ビビンバの素材の「ナムル」をご飯に乗せると、こんな感じになりますね。

もやし、青菜、ぜんまい、なます、そぼろに、コチジャンが添えてあります。

この「ビビンバ」を出されたら、あなたはどうやって食べますか?

(1)このまま、上から食べる

(2)乗っている具とご飯をかき混ぜて食べる

私なら、実は(1)なのです。ですが、ご存知のとおり、本場の韓国では、これは(2)の食べ方が圧倒的に多いのです。

ビビンバだけでなく、他のメニューでもこれは同じで、たとえば「チゲ」などの鍋物でも、日本では、ご飯と鍋のものは、 別々の器に入れて、それぞれを食べますね。

韓国では、鍋のものとご飯やキムチを同じ器に入れて、ザーっと混ぜて食べます。

韓国語で「混ぜる」ことを「ピビン」というそうです。「バ」は「ご飯」のことですので、つまり「ビビンバ」とは、「混ぜご飯」なのですね。
そういえば、日本の「混ぜご飯」も、ご飯と具を混ぜて食べますね。その意味では、日本にも「混ぜる」文化はありますが、韓国ではそれが全メニューに共通して言える「文化」だということだと思います。

お好みの食べ方は、人それぞれ。

気の向くままに、いろいろな食べ方をするのも楽しいですね。

終末時計を進めないように

久しぶりの ブログになりました。今日の千葉は朝から雪が降っています。

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「世界終末時計」が、アメリカのトランプ大統領就任を受けて、30秒進められて、「終末まであと2分30秒」になったそうです。

トランプ大統領の、イスラム圏7カ国からアメリカへの入国禁止措置は波紋を呼んでいますね。一方裁判所がその措置を禁じ、問題は法廷に持ち込まれました。

いくら物理的に入国を阻止しても、テロの基本的な問題は解決しません。テロばかりではなく、世界中で起きている民族紛争、宗教紛争は、「力で解決できる」ものではないことは、人類の歴史が証明するところです。

ペンは剣よりも強しといいます。

言論こそ、人間が持つ叡智。

ボタンひとつで世界を破滅させ得る時代に、それを食い止める方法は、「武」ではなく、「文」であることを、世界中のジャーナリスト、有識者だけでなく、われわれ一般庶民も改めて学ばなければばなりません。

一介のキムチ屋ではありますが、キムチも、他のグルメも、この世が平和であることを前提に成り立っています。

いつまでも、笑顔で食卓を囲める世でありますように。

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謹賀新年:やがちゃんキムチは「作品」です

           謹賀新年

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あけましておめでとうございます。

2017年の本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

やがちゃんキムチは、本年も

●無添加製法を守り通します。

●さらなる美味を追求します

●新たなグルメを創造していきます

そしてその目的は、

★お客様にお喜びいただき、お心を少しでも和らげていただく

ということにあります。

たかがキムチですが、毎日作る一つ一つのキムチは、

すべて、私どもからお客様お一人お一人に個別にお送りする「作品」なのです。

「作品」であるからには、手抜きは絶対に許されません。
常に全力でお作りいたします。

今年も、当店の「作品」達を、どうぞご賞味くださいますよう、お願い申し上げます。

 

年末も佳境です 全力で真摯に作ります!

今日は天皇誕生日で、あすはクリスマスイブ。明後日のクリスマスは日曜日。

世間は、年末の連休でゆったりとされている方が多いでしょうが、やがちゃんキムチは、最終週を目の前に、製造と販売に佳境を迎えています。

例年の年末と今年が違うのは・・・

★店舗へのお客様が相当に増えたこと・・・です。

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もともと店頭販売を重視しないで長年やってきたところに、様々の方面からご指導を頂き、品揃えやレイアウトを改良してまいりました。

「キム唐」を毎日揚げて売ることを始め、焼きそば、マーボ豆腐、キムチカレー等もメニューに加えました。ご飯も毎日炊いて、「丼もの」にも対応しています。

それから・・・

★自社サイトだけでなく、アマゾン、ヤフー等のモールにも出店し、通販も拡大・・・しています。

キム唐や「ホールタトリタン」「サムゲタン」「焼きそば」等の、キムチ以外の商品も通販対応し、日本中でやがちゃんキムチ全品を味わえる品揃えを実現しました。

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その結果・・・・

めっちゃ忙しくなりました!!!

昨年まではほとんど「一人体制」でやってきましたが、今年は、従業員さんと複数で、フル体制で製造販売に勤しんでいます。

やがちゃんキムチは、ネットでもリアルでも、広告宣伝は一切しません。

そんなことにかけるお金があったら、もっといい原料を買うことに使います。
すべては、ハイレベルな味わいの更なる向上に使いたいのです。

ですから、やがちゃんキムチに新規に来て頂くお客様のほとんどが、

 ★美味しいという噂を聞いてきた・・・!!

とおっしゃってくださいます。

本当にうれしい事です。

そう期待してくださるお客様を、裏切るわけには参りません。

ますます精進し、無添加製法を守り通し、どこまでも美味しい商品を作り続ける所存です。

残る本年の日々も、全力で、真摯に、お作りします!

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今年もお世話になりました!(本年の最終メルマガです)

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最後の職人、全て無添加の「やがちゃん」からです
2016.12.22
◎ やがちゃんキムチ ◎
http://www.umakim.com
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●年末スペシャルセット、やがちゃんの味の粋です!
ホールタトリタン入り、サムゲタン入りもあります!
http://www.umakim.com/second-kimuchi/

こんにちは! やがちゃんキムチの矢ケ崎です。
暖冬なのか、厳冬なのかわかりずらい年の瀬ですが、千葉も急に年末らしくなってきました。

今年もあと10日ですね。
世相は落ち着きませんが、しっかりと年末年始を迎えたいですね!

★まず、年内のお届けのご注文の締めについてです。

今年は例年に増して、事前に頂いているご注文が非常に多く、年末の製造予定が非常に
立て込んでおります。

年内お届けのご注文は、一日でも早くいただきたく、お願い申し上げます。

今年は、

24日までに頂くご注文は年内のお届けに間に合わせる予定です●
それ以降のご注文は、明年1月6日以降のお届けとなります
特に、悪天候や交通渋滞で宅急便の遅れも予想されますので、

★出来るだけ早めのご注文をお願い申し上げます★

現在の予約受注状況ですが・・《刻々と変化しています》

23~26日発送分(到着は24~27日)・・○まだ余裕あります

27日発送分   (到着は28日)・・・・・△若干余裕あります
28~29日発送分(到着は29~30日)・・×ほとんど余裕ありません
30日発送分   (最終:到着は31日)・・△若干余裕あります
(北海道・九州・沖縄は、到着日が1日遅れます)

何とかご指定の日にお届けするようにしますが、物理的に不可能になる場合は、何卒
ご容赦ください!

今年は、いつものお味に加えて、唐揚げやマーボ豆腐、焼きそば等、新たな試み
もしてきた一年でした。
年末年始に、いろいろとお楽しみいただけたら幸いです。

どうぞ、お買い忘れの無いように、よろしくお願い申し上げます!

もちろん全て無添加でお届けします!

———————–

《年末の五大おすすめ》

●ホールタトリタン・・・鶏の丸煮キムチ・・クリスマスにもこれがいい!
http://www.umakim.com/hole/

●竹塩サムゲタン・・・レトルトのものとはまったく違う無添加のおいしさです!
http://www.umakim.com/san2/

● 白菜キムチ 頂  これがなくては年が越せない!
http://www.umakim.com/betu/

● 本タラバガニケジャン 年末年始のメインディッシュに とろける旨さ!
http://www.umakim.com/taraba/

●タレ(ヤンニョムジャン)さえあれば、なんとかなります!
http://www.umakim.com/yamuyon/

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≪最後にもうひと記事≫

今年もいよいよあとわずかです。

この一年、どんな年でしたか?
嬉しいことも、悲しいことも、あったのではないでしょうか。

最近よく思うのですが、だれかが、どこか上のほうから自分を見ているような気が
します。

ちょっと怠けると「こら!」とたしなめてくれたり、精一杯がんばると、「えらい!」
とほめてくれたり・・・・。

そんなことは実際に無いでしょうが、しかし、「いつも何か大きなものに見つめられて
いる」と考えると、それだけ、自分の行動が謙虚になるような気がします。

それが結果として、いい流れにつながるのではないのだろうかと・・・。

その「大きなもの」とは、何でしょうか?

神様? 仏様? ご先祖様? 宇宙?

何だかわかりませんが、取りあえずは、毎朝、自宅の小さな仏壇に手を合わせるように
しています。
その程度でも、やらないよりはいいと思って・・・。

来年もいい年であるように。

自分と周囲の人々が前を向いて笑顔で過ごせるように。

どうぞ、やがちゃんキムチのお客様も、良き新年をお迎えください。

本年も真にありがとうございました!

——————————————————————

それでは、どうぞよろしくお願い申し上げます!

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(このお知らせは、やがちゃんキムチ本店サイトでお買い上げのお客様に
お出しいたしました。今後お知らせメールがご不要の方は、このまま
ご返信くださいませ。次回以降の配信を停止させていただきます。

有限会社ワタマン  (やがちゃんキムチ)
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メール   yagachan@gmail.com
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千葉県柏市光ヶ丘団地4-200-1-12
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最後の職人、全て無添加の「やがちゃん」からです
               2016.12.16
   やがちゃんキムチ
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●★ 年内配送のご注文は、24日に締め切ります ★●
 
 
 
  ★年末には「お買い得セット」がお得で便利!
   http://www.umakim.com/second-kimuchi/
 
 
 
こんにちは、やがちゃんキムチの矢ケ崎です。
 
今日は12月16日。押し迫ってきましたね。
 
さて、やがちゃんキムチ、年内の配送のご注文受付は、「12月24日締め切り」とさせていただきます。(実際には25日早朝8時まで受けます。)
 
それ以降のご注文は、すべて新年1月7日以降のお届けとなりますので、何卒お早目のご注文をお願いします!
 
配送は30日出荷が最後ですが、現在、次々とご注文が入り、ぎりぎりの日程のお届けがかなり込み合って来ました。
 
どうぞ、お早目のご注文をお願いします!
 
 
さて、「年末にやがちゃんキムチを食べたい」と思っても、注文する時間もない、あれこれ選びたいけど、暇がない・・・という場合には、ぜひ、「お買い得セット」のページをご覧ください。
 
選りすぐりのキムチセットが、いろいろあります。
  http://www.umakim.com/second-kimuchi/
 
価格も、単品で揃えるよりはかなりお得です。
 
 
たとえば、「やがちゃんキムチ お奨めデラックスセット」は、内容が超豪華です!年末にぴったりのセットですね。
 
 ●スーパーボッサム 1700g(超豪華なたっぷりの魚介を挟み込んだ最高峰白菜キムチ)
 
 ●本タラバガニケジャン ●ホタテキムチ ●チャンジャ ●丸大豆醤油だれ
 
のセットですが、定価を合計すると、なんと、10830円です。
 
これが、セット価格で、8800円です。2000円もお得!
 
ほかのセットも同様に、お買い得価格を揃えています。
サムゲタンやホールタトリタンの入ったセットも揃えました。
 
どうぞご利用ください!
  http://www.umakim.com/second-kimuchi/
 
 
 
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  《年末のスペシャルお勧め》
 
 
★ 《ホールタトリタン、衝撃の鶏の丸煮キムチです!! 》★
  見てびっくり、食べてびっくり!
   http://umakim.com/hole/
 
 
★ 無添加竹塩サムゲタン、絶妙のお味です。年末こそ、滋養強壮!
  朝鮮人参、銀杏、栗、なつめ、黒米、エゴマの種などがぎっしり!
   http://www.umakim.com/san2/
 クリスマス時期のご予約は,一刻もお早めに!
 
 
★白菜キムチ頂。これさえあれば、なんとかなります、これが無ければどうにもならない!
  http://www.umakim.com/betu/
 
 
★本タラバガニケジャンは、年末年始の風物詩!。
 とろけるううまさ、たまりません!
  http://www.umakim.com/taraba/
 
 
★やがちゃんの味だけがほしい・・・のなら、タレ(ヤンニョムジャン)を!
  http://www.umakim.com/yamuyon/
 
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  《 四方山話 》
 
 
12月も中旬を過ぎますと、いろいろ気ぜわしくなりますね。
年末のこの雰囲気、私は嫌いではありません。
 
東京下町の小さな商店で育った私は、小学生時代から、父母の店の手伝いをしていました。
酒の扱いを始めるとバイクの免許を16歳で取らされ、近所への配達をして回りました。
配達先の台所まで酒やビールを運ぶので、いろいろなお宅の中を見せて頂けました。
 
どのお家にも、「生活のにおい」があるのですね。
 
そうやって都合20年近く配達を続けましたが、「人の生活の匂い」に、今でも親近感を感じます。
 
どのご家庭にも、笑顔があります。
どの奥さんも、「ご苦労様ね。がんばってるわね」と言ってくださいます。
寝たきりのご老人が、「いつもすまないねえ」と声をかけてくださいます。
小学生の子が、配達のおまけにつけるポテトチップを受け取って大喜びしてくれます。
赤ちゃんの泣き声が聞こえます。
 
ずいぶん前のことですが、今でも、あの配達の思い出が、時々蘇ります。
 
今は、自分の作るキムチを宅急便さんが届けてくれて、そしてそのお宅では、笑顔で食卓を囲まれる・・・・そう想像します。
 
笑顔をお届けする。
 
年末も、美味しいキムチを作ります!
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それでは、よろしくお願い申し上げます!
 
 
 
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それでは、よろしくお願い申し上げます
 
 
 
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  千葉県柏市光ヶ丘団地4-200-1-12
  TEL&FAX 0471-71-5701

魚介系キムチ、バイキング等の値上げのお知らせ

大変残念なお知らせです。

やがちゃんキムチの製品の原料の価格高騰が止まりません。

野菜だけでなく、魚介系の原料が軒並み価格上昇し、今までの製品価格を維持
出来なくなってしまいました。

大変申し訳ありませんが、以下の魚介系キムチと「キムチバイキング」「初めての方
向けセット」は、12月1日より価格を改定させていただきます。

(野菜系キムチは、今回は価格据え置きとさせていただきます)

(以下、税抜き価格です)

キムチバイキング 現行 5990円→12月より 6880円

初めての方向けセットA 3980円→ 4280円

タラバガニケジャン 200g 1680円→ 1880円
400g 3380円→ 3780円
800g 5980円→ 6780円

タラバガニケジャンの入ったセット 200円~400円アップ

ブロークンホタテキムチ 300g 1480円→ 1680円

紅ズワイガニの棒肉ケジャン 5本 1050円→ 1260円

アトランティクサーモンキムチ 150g 980円→ 1280円

わけあり海鮮キムチ350g 1680円→ 1880円

北海するめイカキムチ250g 980円→ 1180円

スルメイカキムチ塩辛     1280円→ 1380円

大変申し訳ありませんが、12月1日より、上記のように改定させていただきます。

なるべく、11月中にご注文になり、12月のお届け日時をご指定くださいますよう、
お願い申し上げます。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

トランプ当選に驚いた後、冬が来る前にすることは・・・

アメリカ発の衝撃に、世界が揺れました。

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トランプ氏が次期大統領に決まりましたね。

いったいアメリカはどんな国になっていくのでしょうか。
TPPは、沖縄の基地は、米中関係はどうなるのでしょうか。

何にせよ、世界が平和でありますように。格差が無くなり、家族がいつも寄り添い、美味しいものを笑顔で食べられる日々が続きますように。

・・・

さて、日本ではこれから、厳しい冬が来ます。

風邪やインフルエンザも注意しなければなりません。

自慢するわけではありませんが、私自身、おそらく30年以上、風邪を引いていません。それは、私のキムチ屋の歴史と重なります。
正しく作られたキムチには、

●腸内環境が正常化し、免疫力がアップする、魚介塩辛由来の乳酸菌が大量に含まれています。

●唐辛子、にんにく、しょうが、にんじん等の、抵抗力アップ効果が高い素材がたっぷりと使われています。

ですから、常食すれば、風邪を引きにくくなる・・・と思われます。(なります、と書くと、薬事法に反するので、書けません・・・)

そこで、冬を目の前に、やがちゃんキムチをたっぷり召し上がっていただける、あの「おまけセール」開催です!

3000円お買い上げごとに、お好きなおまけがひとつずつ選べる、超人気企画。

6000円ならおまけが二つ、9000円なら、3つ!

おまけは以下の8品から自由に選べます!

 

《おまけ商品》(価格は税込みです)

1)白菜キムチ 頂 300g簡易パック入り(定価1004円)

2)ウチムラサキ(大アサリ)貝柱のキムチ 200g(想定1000円)

3)マイルドヤンニョムジャン400g(定価950円)

4)チャンジャ200g  (定価1069円)

5)柏のねぎキムチ 400g (定価1058円)

6)オリーブ七味160g(定価777円)

7)やがちゃん焼きそば2食(1080円相当)

8)麻婆豆腐 中袋 400g (900円相当)

 

たとえば、「7品キムチバイキング」を選べば、おまけを二品選べて、合計9品!

受付は20日まで。配送は1ヶ月先まで予約OK.。

頼むなら、今です! こちらからどうぞ。

メルマガ 2016.11.4発行分です

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最後の職人、全て無添加の「やがちゃん」からです
2016.11.04
やがちゃんキムチ
http://umakim.com
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★やがちゃんの「驚きの麻婆豆腐!」、人気です!
圧倒的な味わい、調理済み!★
http://www.umakim.com/st/

こんにちは! やがちゃんキムチの矢ケ崎です。

秋がぐっと深まり、いよいよ今年も残りわずかになってきました。

先般発売した、「驚きの麻婆豆腐」・・・好評です。

何が「驚き」かというと、
1)無添加です。化学調味料で味をごまかしていません。

2)中華素材(豆板醤やテンメンジャン)は一切使いません。「やがちゃんの味」
です!

3)たっぷりの合いびき肉とネギ、にんにくが、味わいをいっそう豊かにします!

4)調理済みです。温めるだけで、美味しく頂けます!

です。

ご注文を受けてから、調理、包装、そして出荷。
一品一品、作り立てをお送りします。

袋ごと湯煎で温めるか、お鍋にあけて、温めてどうぞ!

きっと「こういうのは初めて!」と驚かれます!
http://www.umakim.com/st/

次に、もうすっかりおなじみの、からあげグランプリ金賞受賞の「キム唐」です。

キム唐は、鶏の「振袖肉」(手羽小間肉)に、ヤンニョムジャンやオリーブ七味で
味付けをした、唐揚げ用のお肉です。
片栗粉も添付しますので、ご家庭で油で揚げて召し上がってください。

いや、油を使って揚げるのは面倒・・・とおっしゃる方には、「揚げ済み」のキム唐
も今般発売。
ご家庭で温めなおしてどうぞ!
http://www.umakim.com/kmk/

そして極めつけは・・・・

●キム唐揚げ済み ●麻婆豆腐 ●三色ナムル ●チャンジャ ●白菜キムチ頂

の5点がセットになった、「調理済みおかずセット」も登場しました。
お一人様が「少しずつ」召し上がれる、おかずのセットです。
http://www.umakim.com/oy/
晩秋です。やがちゃんの味、ご堪能ください!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《 お奨め3品 》
★白菜キムチ頂。これが無くては始まらないです。食生活の基本です。
冷蔵庫に常備してください! 白菜が高くても、価格維持です。
http://www.umakim.com/betu/
★キムチバイキング! 実はこれが一番お得です。
http://www.umakim.com/viking7/
★寒くなったから、ホールタトリタン! 驚異の鶏の丸煮キムチです!
http://www.umakim.com/hole/
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《四方山話》

来週の11月8日、やがちゃんキムチの柏のお店で、お客様向けの「セミナー」を
行います。

セミナーのテーマは、「無添加で美味を出す5つのポイント」です。
講義時間は約30分。
あとは、「実演」と「試食」です。
無料ですが、お昼のお食事(代わりになるものもお出しします。

定員は5名。

実はすでに、5名を超えるお申し込みを頂いています。

だったら書くな、とおっしゃるかもしれないですね。

でも、その「5つのポイント」については、今後、このメルマガやブログなどで、
発信させていただく予定です。

お楽しみに!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

それでは、よろしくお願い申し上げます!

公式ブログも、更新続行中です
http://kimuchishokunin.blogspot.com/

フェイスブックもよろしくお願いします
http://www.facebook.com/umakim
それでは、よろしくお願い申し上げます

(このお知らせは、やがちゃんキムチ本店サイトでお買い上げのお客様に
お出しいたしました。今後お知らせメールがご不要の方は、このまま
ご返信くださいませ。次回以降の配信を停止させていただきます。)
有限会社ワタマン  (やがちゃんキムチ)
http://www.umakim.com
メール   yagachan@gmail.com
〒277-0062
千葉県柏市光ヶ丘団地4-200-1-12
TEL&FAX 0471-71-5701

1個1000円の白菜に悩むと同時に・・・

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野菜の高値が続いていますね。
ご家庭でも、スーパーや八百屋さんでのお買い物に、苦労されていると思います。

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多少は落ち着いたとはいえ、当店でもっとも多く使う「白菜」は、つい先日も、一玉1000円近くする値がついていて、とても商売に使える状態ではありませんでした。

この高値の原因は、夏場からの長雨や、日照不足での「生育不良」、それと、台風などの天災が産地を襲ったためとされています。野菜が育たずに、市場に出てこないのですね。

たとえばいつもは100個出されている白菜が、半分の50個しか出てこないとなれば、それを「競り」にかけて値段を決める場合、理屈上は、1個あたりの単価は倍になる、と考えられます。

ただ、そう単純ではないようです。

ひとつには、スーパーなどの大手業者と産地が直接契約をしている場合、全体の生産量が半分になっても、契約分の数量はそのまま送られるのが建前なので、その残りは、半分以下になってしまいます。

それだけでなく、産地で生産物を破棄した場合などは、「補助金」が出ることもあるようで、それがまた、市場に出る量を減らす原因になるようです。

 

こうした要因が複合して、野菜にとんでもない値がつく、ということのようです。
困ったものですね。

ただ、一番困るのは生産者さんでしょう。

極端に言えば、消費者は、高い野菜を食べないでも、生きていけないわけではありません。
ほかに栄養を摂る方法はいくらでもあります。

それでも、四季折々の旬の野菜や果物を、手軽に存分に味わうことは、健康的にも、精神的にも、理想の状態であるはずです。

ですが、よくよく考えてみれば、そんな流暢なことを言っていられる場合では無いかも知れないです。

元はといえば、天候異変。それを惹き起こす、環境破壊、地球温暖化や天災の問題。

もはや、自分たちの目先の利益だけを考えるだけでは、とても太刀打ちできる問題ではないのです。

日本やほかの先進国ではは人口が減り続けますが、一方では、発展途上国を中心に地球人口は激増し、食糧不足が顕在化しつつあります。

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たとえば、国会で議論されている「TPP」は、日米を中心とした貿易協定ですが、大生産国であり消費国であるほかの「ある国」とも連携しなければ、本来の問題解決にはつながらないのではないか、という考え方もあります。

店頭の1個1000円の白菜を前に悩むと同時に、この地球をどうするかを真剣に全人類が考えなくてはなりませんね。

化学調味料は、すべてを覆い隠す

研究を続けてきた、「麻婆豆腐」、発売しました。

 

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当店の商品ですから、もちろん「無添加」です。敢えて言うまでも無いです。

ところが、世間の「麻婆豆腐」を含めた中華料理は、ラーメンも含めて、本当の意味での「無添加」からはほど遠いと考えざるを得ません。

レシピ投稿サイトで「麻婆豆腐」を検索しても、すべてが化学調味料使用と判断されます。
皆さん、あまり添加物への関心が薄いと思われます。

キムチもそうですが、麻婆豆腐も「辛い」ですね。

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辛いものは辛さが味の前面に出て、「旨さ」を覆い隠してしまいます。それを「旨く」感じさせるのに手っ取り早いのは、「化学調味料」の使用なのです。化学調味料は、甘、酸、辛、苦、塩の「味の要素」を全部上から覆い、「化学的な旨さ」を前面に出させます。

ですが、これでは、素材の本来の旨さがすべて消えてしまいます。
麻婆豆腐の場合も、ひき肉や葱の美味しさを、化学調味料のグルタミン酸ナトリウムの味が殺してしまうのです。

つまり、麻婆豆腐でも、ホイコーローでも、エビチリでも、化学調味料を使えば、すべてその味が全部を覆ってしまうのです。
よく思い出してください。
あの中華屋さんのあの料理もあの料理も、全部同じ「旨さ」ではないですか?

化学調味料とは、まさにそのような「強い化学的な力」を持つ物質なのです。

やがちゃんの「麻婆豆腐」も含めた全商品は・・・・もちろん、化学調味料などを使っていません。

無添加です。

ですから、体の正面から素材の美味しさがスーッと入ってきて、自然となじんでくれます。

だから、キムチにしても、麻婆豆腐にしても、「たくさん食べられる」のです。

無添加麻婆豆腐で、それをご体験してください。こちらから。

 

 

 

 

あのハンバーガーをメチャメチャ美味しくする秘訣!

某ハンバーガーチェーン、利用されますか?

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私、正直に書くと、あまり好きではありません。味がです。

ハンバーグ部分の舌触りとか、味付けの単純さとか、あまり好みではありません。

ただ、たまに利用するんです。時間がないとき、ドライブスルーで温かなものがさっと出てくる便利さに負けて・・・。

そうして食べて、「うーん、もっと美味しくできないのかなあ・・」などといつもの感想を感じるのですが・・・。

それが今日!

車の中で半分まで食べて、「あ! そうだ!」と思いつき、急いで自分の店に向かいました。

そして、残りのハンバーガーに、うちの「マイルドヤンニョムジャン」を塗ってみたのです。

これです。

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これが・・・・

びっくりするほど美味しいんです! まるで別物! 驚きました。

もちろん無添加ですし、このタレの素性のよさを大いに感じた、というわけです。

マイルドヤンニョムジャンは、これです

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みりんを多用しましょう

やがちゃんキムチのある千葉県柏市の隣に、流山(ながれやま)市があります。

流山が歴史上有名なのは、「みりん」の大産地であったことです。江戸時代には流山から江戸に大量の「白みりん」が運ばれて消費され、その運搬のために、水運や街道も整備されました。

「天晴れみりん」 や 「万上みりん」 が特に有名ブランドだったそうです。

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また、その資力をバックに文化も栄え、小林一茶などの俳人の活動の場所にもなったそうです。
また、幕末の「新撰組」の近藤勇が捕われた地としても有名で、その史跡が今でも残っています。

さて、その「みりん」。使っていますか? 現在も流山にはみりん工場があり、やがちゃんキムチでも、その工場で作られる「」本みりん」を使っています。「本みりん」とは、安い「みりん風調味料」とは違い、もち米を本格的に発酵させて作るお酒です。

江戸時代には、今の「カクテル」のようなおしゃれなお酒で、女性に好まれて飲まれていたそうです。

現在は、ほとんどが調味用。上品な甘みと深い旨みを兼ね備えた調味料として、これほど優秀なものはありません。

やがちゃんキムチでも、「丸大豆醤油だれ」の主要成分のひとつとして、利用しています。
丸大豆醤油だれは、さまざまのキムチのタレに加える必須の調味料なので、みりんは欠かすことのできない発酵調味料です。

自然の甘みを与え、素材の味を殺さないで旨みを加える調味料として、本みりんは本当に優秀です。

煮物や焼き物、スープものや鍋物など、熱を加える料理で「砂糖」の代わりにみりんを使う習慣をつけてください。みりんは照りも出しますし、料理の見栄えを良くします。そして甘みと旨みを演出して、料理を一段グレードアップします!

だしは何からでも取れる!

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だし・・・・漢字で書くと出汁。最近、ちょっとした「だしブーム」ですね。

だしメーカーの「だしパック」なるものが人気を呼んで、若い女性が競ってそれを買い求めたりしています。

そこでちょっと、ご注意を。

だしとは、天然の素材の旨みを抽出するものです。旨みは化学的に合成したものは、一部は「化学調味料」として「添加物」とて分類されます。これは、天然のだしとはまったく無縁のものです。

一部のメーカーの「だし」製品には、堂々とこの化学調味料が加えられています。表示としては、「調味料(アミノ酸等)」と書かれているものが多いです。これは、だしとは違う、、いわゆる「おクスリ」だと思ってください。

また、化学調味料無添加と謳っていても、「たんぱく加水分解物」や「酵母エキス」などを加えている例もあります。これらは「添加物」ではありませんが、本来のだしの味とは関係なく抽出されるものですから、これらをだし商品に加える行為は、いかがなものかと思われます。「おクスリ」とは言わないまでも、「サプリメント」のようなものです。

さて、邪道から離れて、だしの本道を語りましょう。

「だし」は、いろいろなものから取れます。

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肉、魚、野菜、海藻類、キノコ・・・・さまざまの地域で、さまざまのだしが取られています。

味噌汁を作る場合、あなたは何からだしをとりますか?

昆布? かつお節? 煮干? ・・・何を選びますか?

答・・・・何でもいいんです。そのときに味わいたいだしを選び、楽しんでください。

味噌の種類でも違ってくるし、何より、作る本人の気分次第ですべてが違ってきます。

私が一番好きな味噌汁は・・・アサリの味噌汁! これはもう、たまりませんね。小さいころから、本当に大好きです。東京湾のアサリは身が厚く味が濃く、本当に美味しいです。

では、アサリの味噌汁を作るときに使うだしは・・・・・・???

私の答ですが・・・・・何も要りません! あさりだけで、十分なだしが出るのです。
下手にだしを取ると、味がくどくなります。
アサリには、二枚貝特有の旨みがたっぷりありますから、ほかにだしの素材は不要です。
ハマグリでも、シジミでも不要ですね。

では、カレーを作るとき、何かだし素材を使いますか?

蕎麦屋のカレーが旨いのは、かつおだしがよく効いているからだと言われます、それはひとつの真実でしょう。

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でも、玉ねぎと鶏肉を良く煮出していれば、十分な旨みのスープが取れます。これにも特別のだしの素材は不要なのです。
さらにジャガイモを加えれば、なお深みのある味わいとなります。あとはカレールーを入れるだけで、十分美味しいカレーとなりますね。そう、野菜や肉だけでも、美味しいだしが簡単に取れるということです。

だしを十分取ったものは、味がベースについていますので、その後どういう加工をしても、味が割れることがありません。
日本料理が薄い味付けでも十分に美味しいのは、だしが効いているからに他ならないのです。

だしといえば、「昆布」「鰹節」「しいたけ」「煮干」などを思いつきます。

ですが、それ以外の素材でもだしが取れることを知っておくと、役に立ちますね。

いろいろな料理の場面で、「ちょっと味見」を繰り返し、その場面での「だし」の味を覚えておきましょう!

 

上手に作るより、何を思い作るか

いきなりですが、

カレーはどんなカレーが好きですか?

 

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おそらく、殆どの方の答えが一致すると思います。

それは、

「家のカレー!」

でしょう。

世の中にはカレー専門店が山ほどあり、最近は本場のインドやネパール料理の専門店がどんどん出来ています。

一流ホテルやレストランでも、カレー料理が売り物のところが結構あります。

それでも、殆どの方が「うちのカレー!」と答えるのは、なぜでしょうか?

多くの方が使っているでしょう、市販のカレールーがよく出来ているからでしょうか。
まあ、それも一部あるでしょう。
でも、本質は違うところにあると思います。

どう作るかではない

私はキムチ屋ですが、日本人です。キムチを食べて育った訳でもなく、中年になってから事情があり始めたのがキムチ屋です。
キムチの作り方を覚えるとき、在日の韓国の方々に、何度も聞きました。
「キムチをおいしく作るコツって何?」と。

答えは、驚くほど一致していたのです。それは、最後の行に書きますね。

今朝の、NHK朝ドラ「べっぴんさん」。

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主人公の女の子が、家を抜け出して、町の靴屋さんに駆け込み、靴を作るところをこっそりと見せてもらいます。病に臥すお母さんに刺繍を縫ってあげようとしたけどうまく出来なくて、そのコツを靴屋さんに教わろうとしたのですね。

すると、市村正親さん演じる靴屋さんはこう言います。

「上手に作ることより、誰がどんな思いで作るのかということが一番大事なんです。そうして思いをこめているうちに、自然と上手になるものなんです」

つい先ほど見たシーンでしたが、いいシーンでした。

誰が何を思い作るかです

冒頭のカレーの件。

どんな一流シェフよりも、うちの人が作るカレーの方がおいしいのは、同じ理由ですね。

何を入れるとか、どのルーを入れるとか、レシピがどうのかではありません。食べる人のことを一番愛する人が作る「おうちのカレー」が、この世で一番美味しいのです。

私にキムチつくりのコツを問われたおばさんたちは、みなさんこう答えてくれました。

「気持ちだよ。もっと美味しくなって、食べる人に喜ばれなさいっていう、気持ちだよ。それが美味しく作るコツなんだよ」と。

 

キムチは腐る? 腐らない?

発酵がブームですね

最近、「発酵」がブームですね。
私の身近な友人の中にも、「発酵」に関心を持つ人が増えています。

そうした友人の一人から先日、「やがちゃんはキムチ屋だから発酵の専門家だね!」と言われて、びっくりしました。
え?! 専門家? そうなのだろうか・・・。

実は発酵を意識していません

正直に書けば、30年近いキムチ屋稼業の歴史の中で、「発酵」を意識したことが、ほとんど無いのです。

キムチの場合、特に白菜などの野菜のキムチの場合ですが、作ってから日が経つと、酸味が出てきます。

これは自然と起きる「乳酸発酵」の結果なのですが、実は、あまり意識したことが無いのです。

理由はまず、発酵を促進する酵母や菌を加えるわけも無い「自然発酵」ですから、「自然とこうなるから意識しない」、というもの。

それと、、ほとんどすべてのやがちゃんキムチは、作ってすぐに売れてしまうからです。
発酵して酸っぱくなったキムチを売ることはもちろん、それを見ることもありません。
もちろん、保存サンプル等で見ることはあるのですが、少なくとも、発酵が進んで腐ったものは、一度も見たことがありません。実は製造後数年経つサンプルもあるのですが、それですら、腐っていません。
それどころか、甘い香りすら漂っています。口すると、まろやかな酸味が出て、旨味も強くなり、かなり美味しいと感じます。

ですがもちろん、それを売り物にはできません。

ウィスキーやワインの「何年もの」はありますが、キムチの何年もの・・・はありえないでしょう。

もともと、どんどん作ってどんどん消費するものですから、長期保存する前提で作ってはいません。

にもかかわらず、腐らない、「年代もの」すら存在する、と考えると、その理由を知りたくなりますね。

発酵と腐敗の違い

ところで、「発酵」と「腐敗」は、どう違うのでしょうか・・・?

実は、本質的には同じことなのだそうです。

ただ、発酵が進んだ結果、人間にとって有害な菌が繁殖する場合が「腐敗」となり、有害でない場合は、「発酵」と呼ぶだけの話で、現象としてはまったく同じだということです。

腐らない理由

それを踏まえたうえで、やがちゃんの野菜系キムチが腐りにくい理由は二つあると思います。

1)やがちゃんキムチはもちろん無添加で、保存料なども加えておりません。しかし、そのメイン素材には、唐辛子、にんにく、しょうが、魚介塩辛等、殺菌保存作用の強いものが大量に使われてます。キムチのタレ(ヤンニョムジャン)に含まれる上記4種類の素材の合計は、実に全体の5割程度。半分です。これは実は、標準的なキムチの数倍の量なのです。

これでは、そう簡単に腐るはずが無いですね・・・。

2)やがちゃんキムチは無添加のまま、乳酸発酵が進みます。添加物に影響を受けることなく、発酵が「正式に」進みます。添加物の中には本来の発酵を止めたり阻害したりするものもありますが、無添加の場合は関係ありません。

乳酸発酵で増殖される「乳酸菌」は、腐敗作用を止めます。乳酸菌は腐敗につながる菌を一瞬にして殺します。

ですから、尚更腐らないのですね。

それでもやはり賞味期間内に!

ただ、魚介系や肉系キムチなどは、素材のたんぱく質がやがて腐敗しますので、この限りではありません。

野菜系キムチに関しては、上記の通り、発酵しても、ほとんど腐りません。

ただ、それぞれの商品には、「食べごろ」と言うものがあります。

それを考えた上で、「賞味期間」を設定してあります。

また、ご家庭での保管は、さまざまのイレギュラー要素が絡んできますので、カビがついたり、腐敗したりすることは、大いに考えられます。

やはり、賞味期間内に召し上がって頂くように、お願いしています。

塩があるから味がある

人間は海から生まれてきた!

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人間はどこから生まれてきたのでしょうか・・・?

というより、地球上の生物が生まれたのはどこでしょうか・・・。

はい。それは「海」ですね。海こそ、生命の母。海から生まれた生命の根源が、進化に次ぐ進化を遂げて、人間誕生にまで行き着いたのですね。

その海の水には、塩分があります。その塩分の濃度は、約3.5%前後。海の水をなめた時のあのしょっぱさが、「3.5%」の塩の強さなのですね。

キムチの塩分は?

ところで、白菜や大根などの野菜キムチの塩分は、平均で2.5%から3%くらいだといわれています。
つまり、海水より少しだけ弱い塩分ですね。

また、ホタテやサーモンなど、やがちゃんキムチ得意の海鮮もののキムチは、これよりも若干低い塩分です。2%前後です。

長年の経験から言いますと、海水よりもしょっぱいものは、「塩が強い」と感じます。

やはり、海から生まれた人間の味の感覚の基準は、海の塩分濃度に由来しているのだと実感しています。

塩が無ければ、味はどうなる?

ところで、塩分の無い食べ物の味は、人はどう感じるでしょうか。

それは一言で、「まずい」です。

たとえば、塩分の無いラーメンの味を想像してみてください。

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実際に作ってみればわかることですが、無塩のスープ(実際にはこれはありえませんが)に無塩の麺(これもありえません)を入れ、化学調味料だけを入れてみても、何の味もしません。化学調味料を入れても、ですよ。

つまり、人間の感じる「味」の基本は「塩」にあり、これが無ければ、塩以外の味の成分は、いくら入れてもまったく感じないのです。

実際には、「塩」を入れなくても、自然の食材にはそれぞれ塩分が含まれていますから、こういうことはありませんが、よくよく考えてみれば、「塩があるから味がある」ということが、間違いなく言えると思います。

海の味を思いながら、適度の塩を!

塩分の摂り過ぎは、もちろん体によくありません。

ですが、塩の無い生活は、文字通り、「味気ない」ものになります。

適度の塩で、楽しい食生活を。

その基準は、「海の味」にある。そう考えれば、判断の元になるかも知れません。

 

キムチパーティのお奨め

やがちゃんキムチでは、時折、勉強仲間やネットを通じてお知り合いになった方々向けに、「やがちゃんを味わう会」という、いわゆる「飲み会」をやっています。

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場所は、私のいる柏店であったり、近くのコミュニティスペースを借りたり、また、原宿の「タタンカ村」というボランティアのグループの事務所であったり、友人の花屋さんの店舗を借りたり・・・いろいろです。

その場所で、カセットコンロなどで唐揚げを揚げたり、キムチはあらかじめ作って持ち込んだり、焼きそばを焼いたり・・・等、そうですねえ・・・最大20人くらいまでは、私が一人で調理してお出ししています。

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もちろん、商売でやっているのではありません。

ワイノワイノとにぎやかに、みんなと食べて飲んで話すのが好きなのです。

でも、メニュー内容は、かなり豪華ですよ。

キムチの盛り合わせから始まり、メインディッシュには、キム唐やウィング、あるいはサムゲタンやホールタトリタンなどをお出しし、〆には「やがちゃん焼きそば」まで出て来る・・・。

いつも皆さんから「美味しい~」というお声を頂戴して、自らご満悦状態になっている次第です。

今回は、これに「マーボクル」(麻婆牡蠣)まで加わりそうですね。

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いや、豪華になります・・・。

今月30日に予定している原宿タタンカ村での予定メニューをご紹介しますと・・・。

●アトランティックサーモンキムチ
●岩手産あぶりだこのキムチ
●白菜キムチ頂
●パクチーキムチ

●振袖キム唐!
振袖とは鳥の「二の腕」の小さな部位で、ゼラチン質を含むうまみの強い希少部位でです。

●マーボクル
マーボとは「麻婆」、クルとは韓国語の「牡蠣」、つまり、「麻婆牡蠣」です。
絶品です!

●〆は「やがちゃん焼きそば」!
地元で大人気の、自家製無添加ソースで焼く、美味やきそばです。

量的にもたっぷり。絶対にお腹いっぱいに食べていただきます。

これで、フリードリンク(お酒もですよ!)がついて、会費いくらだと思います?

会場費用なども入れて、なんとお一人3000円台・・。

柏で行う場合などは、それ以下です・・・。ヤスイ・・・ですよね・・・。

商売でやっているのではないことを、お分かりいただけますね。

 

もしこれを商売でやったら、いくら頂けますかね・・・? 考えても仕方ないですが。
でも、もしご自宅でキムチパーティをやられるというのなら、ご相談くださいね。

少なくとも、いろいろご提案はできます!

マーボクルって? 

マーボとは「麻婆」のこと。麻婆豆腐のマーボです。

もともとは、「顔にアバタのある奥さん」という意味で、外見がそんな感じの食べ物だからだそうですが、ちょっといやな比喩ですね。
とにかく、豆板醤やごま油で肉や野菜を炒めて作るソースのことですね。

麻婆豆腐、麻婆茄子、麻婆春雨・・・・・みんな美味しいですよね。

そこで、やがちゃんキムチが麻婆を作るとどうなるか・・・!!

答えはこれです。

マーボクル! クルとは、韓国語で「牡蠣」のこと。

そう、「麻婆牡蠣」です!

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牡蠣は、広島産。

これを縮まないようにふっくらと加熱するには、技術が要ります。地元広島の方に聞いて覚えました。

「片栗粉をまぶしてひと茹でする」・・・・これで本当にふっくらとあがります。

そして、自慢のタレです。タレなら、無添加のやがちゃんにおまかせあれ。

ねぎを細かく大量に刻み、ヤンニョムジャンを基本に、清酒、果汁を加えたタレで炒め、煮込みます。もちろんごま油も加えます。
そこにふっくらあがった牡蠣を加え、仕上げの一煮立ち。

絶妙の味わいのマーボクルです。

密封袋に入れて発送します。

ご自宅で容器に開けて、温めて召し上がれ。

できれば豆腐も加えて量を増やし、一袋でざっと3~4人前分。

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驚きの美味ですよ。麻婆って、こんなに美味しいものとは、びっくりです。

こちらから。 もう一度。名前は「マーボクル」です。

韓国料理にあるかって?

あるはずないです。やがちゃんの創作ですから!

やがちゃんキムチは、ガラパゴスキムチ

ガラパゴス化とは

ガラパゴス化する、という言葉がありますね。

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ガラパゴス諸島では、他の大陸とは別の生態系が育ち、独特の生物が見られます。
それと同じように、ある場所で独特の発展を遂げる様子を、「ガラパゴス化する」というのですね。

たとえば、「ガラケー」と呼ばれる携帯電話。世界の趨勢が「スマホ」に占められているのに、日本で独特の発展を遂げた「ガラケー」は、いまだに40%以上のシェアがあるそうです。

さて、やがちゃんキムチ

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やがちゃんキムチも、実は「ガラパゴス化」して発展してきました。

もともと、私は、キムチの修業を特別に積んだわけではありません。

30年ほど前、経営していたラーメン店で出していたキムチを工場化して作り出したのは事実ですが、韓国人の方に作ってもらっていただけで、私が製造をしていたのはありません。

会社の形が変わって、私が自分で作り出したわけですが、それも最初から見よう見真似。

そのうち、ネット通販をはじめたので、「売れそうなキムチ」をいろいろと勝手に考え出しては、ネットにアップしてまいりました。
レシピも、誰にも教わらずに勝手に発展させて来ました。

その過程で「無添加キムチ」を作るようになり、やがてそれが全品無添加化に向かいます。

その方が体にいいだろうし、本来の美味しさであろうと信じて進んだだけで、誰にもそうしろ、といわれたわけでもありません。それどころか、当初は、「無添加になったからまずくて仕方ない!」と苦情が殺到していたくらいです。

それでも、「これしかない」と思い、和食や洋食にも学び、気がついたら、今の姿になっていました。

あまり、韓国の食品には学びませんでした。ですからいまだに、「スンドゥブチゲ」とか「サムギョプサル」とか言われても、どんなメニューかピンと来ません。キムチ屋のくせに、知らないことが多すぎます。

やがちゃんキムチの今は・・・

一方今、約50種あるやがちゃんキムチのアイテムは、他のどこにも無い姿を示しています。

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「ホールタトリタン」? 「キム唐」? 「ブロークンホタテキムチ」? 「本タラバケジャン」?「ウィング」? 「オリーブ七味」?  等々・・・・・・すべて、やがちゃんキムチだけでしか見かけない商品名ですし、実際召し上がっていただければ、「ああ、こんな味はよそには無いね」と仰っていただけると思います。

それもこれも、キムチというジャンルにこだわらずに、

 無添加の美味なグルメ

を提供しようとしている結果です。

やがちゃんキムチは作品です

また、一つ一つの商品は、商品という「モノ」ではなく、お一人お一人のお客様へ向けた「個別の作品である」という意識をもち、作っています。

お客さまからの「美味しかった!」の声が、何よりもの励みになります。

これからも、「ガラパゴス化キムチ」として、発展させて参ります。

 

 

 

店頭でも「作品」を召し上がれます

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キム唐、焼きそば、ナムル、オイキムチ、白菜キムチ頂・・・・・

やがちゃんキムチは、全品を自分で作っています。仕入れ品はありません。
すべて自社製造です。

これらはもちろん、やがちゃんキムチの「商品」ですが、ただの「モノ」ではありません。

作り手としては、心を吹き込んだ「作品」であると思っています。

作品であるからには、日本でひとつ、世界でひとつの美味しさで無ければなりませんね。

その「作品」たちは、もちろんネット通販でもお送り出来ますし、店頭でお渡しすることもできます。

また今回、店頭に小さなテーブルと椅子を用意しましたので、その場で召し上がることが出来ます。
アーケード内なので、雨の心配もありません。

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どうぞお味わいください。

 

辛くないものもあります(オイキムチとナムル)

やがちゃんキムチは、キムチ屋です。

キムチは、辛いものです。

唐辛子がその辛さの原因で、生にんにくのすりおろしを使っているのも、辛さを増す要因になっています。

最近あらためて思うことですが、「辛いものがだめ」「にんにくがだめ」という方が、意外と多いのです。
「おたくのキムチが美味しいという噂はよく聞くのですが、私は辛いものが駄目なんです」というお客様、よくいらっしゃいます。

キムチの味の大元は、ヤンニョムジャンという「タレ」ですが、このタレには、多くの唐辛子、にんにくが使われています。ですから、キムチは「辛いもの」「にんにくが効いたもの」であるのは、自明の理なのですが・・・

辛くないキムチも、実はあるんです!

オイキムチです! にんにくゼロ、唐辛子は超微量です。

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きゅうり、大根、にんじん、ニラ、りんご、しょうがを刻んだものを、塩、砂糖、酢、コショー等で無添加の味付けを施したものです。

微量の唐辛子粉末も使っていますが、辛さを感じるほどではありません。
お子様でも大丈夫な辛さです。
甘酸っぱい味付けを施した、サラダ風キムチ。

いや、やはり辛いほうがいい、とおっしゃる方には、「オイキムチ辛口」もあります。

このオイキムチ、創業以来高い人気を誇っており、店頭でも、作るとすぐに売り切れてしまうほどです。

もうひとつ。

ナムル」です。

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もやし、小松菜、ぜんまい等の野菜を煮て、塩とごま油で味付けしたものです。

いわゆる「ビビンバ」のもとですね。

唐辛子ゼロ、にんにくゼロです。

いままで、「ビビンバ7点セット」として、3-5人前のビビンバのセットを2880円で売ってまいりましたが、このたび、「もやし、小松菜、ぜんまい」を、ごはん二杯分を想定した量で、同じパックにまとめた「ナムル3点パック」を500円で発売しました。

いわゆる「独身サイズ」ですね。日持ちは3日間です。

また、これにお好みで加える「コチジャン100g」「とりそぼろ100g」を、各300円で別売りも始めました。コチジャンは日持ちが2ヶ月。そぼろも7日間あります。

必要に応じてご注文になり、「無添加ナムル・ビビンバ」をお楽しみいただけます。

野菜をたくさん食べる生活。

続けましょう!

グルメは脇道にある

8月の終わりに、3日間店舗を休み、工場と店舗の設備の配置換えを行いました。

新たな店舗は、お客様がより入りやすくなりました。こんな感じです。
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お近くのお客様、お待ちしています!

工事の3日間、お店の管理は工事業者さんにお任せして、沖縄に行ってきました。
忙しい旅でした。

旅行中の食事はほとんど、地元の商店や通行人の方から仕入れた情報で知った、「地元の人が良く行くお店」です。これが旅の醍醐味ですね。

間食も含めて約10回の「地元食堂行脚」でした。

中でもナンバーワンだったのは、うるま市のはずれにある、「かね食堂」。
ホテルから車で30分ほどかけて行きました。
そしてそこで、豚肉「骨汁」というもを頼みました。

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大型どんぶりに入っているのは、豚の肉つきの骨。あるいは、骨付きの肉。

それに空心菜。骨からに出したスープがたっぷり。

ご飯、もずくがついて、なんと550円。

このスープのおいしさときたら! ラーメン店経験者の私としても、これほどの「骨のだし」を味わったのは初めてです。もう、夢中で飲み、食べました。

これ以外にも「ギョーザ」と「足テビチ」を頼みましたが、すべて美味で、しかも全部で1000円ちょっと。
いやはや、堪能を通り超えて、陶酔いたしました。

ほかの食堂もどこもおいしかったです。
「恩納の駅」という道の駅で食べた「マンゴー満載かき氷」(1600円)も最高でした。
高いようですが、マンゴーの量が半端ではありません。

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さらには、「真栄田共同売店」という、地域の売店で食べた、「100円の沖縄そば」も、空腹を満たすには十分な量と味でした。これも忘れられません。

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グルメとは、ホテルや高級レストランで食べられるものばかりではありません。

いや、それどころか、市井の脇道の辺、生活に根ざしたところにあるものなのだと、あらためて実感した旅でした。

やがちゃんキムチに戻って、これからも皆様に愛される商品つくりに勤しもうという思いを強くしました。

日の丸は無理に背負わなくてもいい

リオデジャネイロ五輪、佳境ですね。

地球の裏側で行われているので、テレビの生放送は、真夜中か、早朝。
しかも日本選手が好調で、連日のメダルラッシュ。

おのずと、毎日寝不足になってしまいますね。

さて、惜しくもメダルを逃した選手へのインタビューなどで、

「日の丸を背負って頑張りましたが、力不足でした」

などというコメントを聞くことがあります。

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そういう時、おっと、それはないよ! と思うのです。

この「日の丸」って何でしょう? 日本の国威? 日本そのもの?

そうだとしたら、背負う必要など無いのです。
日本で一番その競技で優秀だから、代表選手に選ばれただけです。
それは、選手個人の努力の賜物。それ以外の理由は、考えるべきではないと思います。

「日の丸の権威を汚して申し訳ない」などと、自分で自分を責めないでいただきたい。

日の丸は、背負わないでいいのです。

日本代表選手として頑張り、敗れる。
その時は、自分を責めるより、自分を上回った他国の選手を讃えましょう。

応援するわれわれ一般人も、わが日本で一番優れた選手よりさらに強く、早く、美しい他国の選手たちに拍手し、その栄誉を讃えましょう。

また、勝った時には敗者に配慮し、派手な喜びの表現などは控えたいですね。

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これこそが、「日本の心・日の丸の心」だと思うわけです。

大会は終盤に入りました。

寝不足に気をつけながら、「人類の融和」である五輪の世界に、いま少し没頭しましょうか。

 

 

 

リオ五輪と「ふるさとクーポン」

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リオデジャネイロオリンピック、パラリンピックが始まりますね。

オリンピックの起源

いろいろと問題が山積しているようですが、無事に遂行され、世界中に感動が届くように祈ります。

オリンピックの起源は、古代ギリシャ。

小国に分かれて戦争を繰り返していたギリシャが、4年に一度、戦争を止めてスポーツに興じる期間を設けたのが、始まりだそうです。

マラソンの起源!

スパルタと戦争をしていたアテネが「マラトンの丘」の戦いで勝利して戦争が終わり、それをアテネに知らせようと一人の兵士がアテネまで走り続け、国王に勝利を伝えて、息絶えた。そのマラトンの丘からアテネの宮殿までの距離が、42.195キロだったので、今、マラソン競技としてその距離を走っている・・・というのも、よく知られた話です。

争う場でなく、握手の場

つまり、オリンピックは、「争う場」ではなく、平和精神の元、「競う」場であるのですね。

ルールの下に競い合い、そして競技のあとには、手を握り合う。

国威発揚や経済振興の場として使うのではなく、全人類の友好精神促進の場として使う。そうありたいものです。

全力でがんばる選手たちを称え、勝者にも敗者にも拍手する。あらゆる国境や宗教や人種の枠を超え、この半月間は世界がひとつになる。

そういう場と時間であってほしいものです。

 

ご案内!

そして・・・・

ご家庭で、ふるさとで、オリンピックを見ながら、やがちゃんキムチを召し上がる。そういう時間にもいたしましょう。

●ふるさとにやがちゃんキムチを送るご注文!

●ふるさとに持参するやがちゃんキムチのご注文!

●(特別に!)ふるさとを思い、あるいは、五輪を楽しみながら、召し上がるキムチのご注文も!

このご注文には「ふるさとクーポン」をご利用ください。

 

★ふるさとクーポン

      5%引きクーポンボタン

上のボタンを押してから、普通にお買い物をしてください。自動計算は出来ませんが、決済時に送料を除いた金額から5%のお値引きをさせて頂きます。

受付 8月10日までです

 

 

焼きそばもやがちゃんの味

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かねてより店頭で販売してご好評をいただいてきた「やがちゃん焼きそば」。調理済み。
ネット通販を開始しました。こちらです

ところで、以前から次のようなお声を陰に陽に頂いて来ました。

「やがちゃんキムチは次々と新商品を出すけど、キムチだけを作っていればいいのに、奇をてらってあれこれやりすぎ」

「韓国伝統のキムチを作る業者として、少し邪道ではないか」

こういうお声は、当店に関心を寄せていただいている証明でもありますので、ありがたく拝聴していますが、説明させていただくとすれば

●やがちゃんキムチは、無添加で美味で、健康にもいいキムチやその周辺の食べ物を一心に作っている

ということです。それ以上でもないし、それ以下でもありません。この思いでキムチを作ってきたら、派生商品がいくつか生まれた、ということなのです。

今回の「やがちゃん焼きそば」にしても、それは変わりません。

「キム唐」や「ウィング」の開発で得た新型タレの応用で「無添加焼きそばソース」が出来たのですが、もともとはキムチのヤンニョムジャンの研究から始まっています。

 

★焼きそばソースは、自家製無添加ソースです

 

このソース、最近の新商品である「キム唐(キムチ唐揚げ)」や「ウィング」の味付けのタレを応用し、シャープな味わいとたっぷりの旨みを持つ優れもの。無添加ならではの、自然なやさしい味わいで、後を引く美味しさです。

具は単純。キャベツとニンジンと豚肉だけです。

一食一食、フライパンで手つくり。結構大変な作業ですが、「やがちゃんが作るとこうなる」という焼きそばのお味、お試しください。

ただいまのところ、「無料ご試食セール」もやっています。

どこまでも自分で作ります

すべて自前で作る業者は稀有です

たとえば、ラーメン。

ラーメンは、基本的に「麺」と「スープ」だけで成り立つ食べ物ですが、普通、ラーメン屋さんは、麺を自分で作りません。専門の麺工場から仕入れます。

スープも、全部自分で作るとは限りません。チェーン店などでは、スープもチェーン本部から濃縮で仕入れて、お店で水で薄めて温めるだけ、というのが普通です。

つまり、仕入れた麺を仕入れたスープの中に入れて終わり、ということなのです。

「こだわり」「手作り」「秘伝」などという文字が躍るラーメンですら、お店で実際には「何も作らない」という状態があるわけです。

ラーメンだけではありません。他のどの種類の食べ物のジャンルでも、似たり寄ったりの状況です。一業者が最初から最後まで全部「自分で作る」、という例は、本当に少ないのが実情なのです。

そうなる理由は、効率化してコストを下げ、利益を増大させようとすることにあります、

自分ですべて作る手間は、大変なコストを伴うのです。

やがちゃんキムチは、違います。

やがちゃんキムチは、逆の方向を歩いています。すべてを自前で作ります。これは社是というか、私自身の「生き方」「哲学」の問題でもあります。

一例ですが、現在試作を繰り返している「焼きそば」にも、市販のソースなどは使いません。
ソースも自分で作ります。

私はソース職人ではありませんが、自前でソースのすべてを作ります。たまねぎやんにくを炒めたり、レモンやりんごを絞ったり。本当に手間がかかります。

自前で作る際の絶対条件が二つあります

それは以下の二つです。

1)無添加であること

2)美味であること

です。

こうして文字で書くと、「それだけ?」と思われるかもしれないですが、この二つを同時に実現させるためには、大変な苦労と工夫と失敗の連続と呆れるほどの時間が必要になります。

本来、「無添加」と「美味」は、今の時代の消費者の感覚では並立しないのです。

刺激になれた現在の消費者のかたがたに、「美味しい」と感じていただけるものを無添加を守り通して作る。すべて自前で。

やがちゃんキムチが毎日行っていることは、そういうことです。

 

 

永六輔さんのご逝去を悼みます

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永六輔氏が亡くなりました。

私が中学3年生の時の担任の先生が、ある時NHKの前を歩く永六輔さんを見つけ、勇気を出して駆け寄り、ご意見を伺った、ということがあったそうです。

そのとき先生は、「私には間もなく卒業する40数人の担任生徒たちがいますが、彼らにこれから何を目指して生きていけばいいか、アドバイスをお願いします」と訊いたそうです。

いきなりの唐突な質問を嫌がりもせず、永さんは真面目な表情でしばらく考え、こう仰ったそうです。

「生徒さんたちには、物事を自分でよく考える癖をつけるようにして欲しいです。常識を疑い、真実がどこにあるかを見極める力をつけるように、と」

この話は、もう40数年前の話ですが、非常に印象深く、今でもはっきりと覚えています。

その時から、「上を向いて歩こう」の作者であるこの永六輔さんのことが、私の記憶で今に至るまでつながっていきます。

特に近年、キムチを作りながら聴くラジオの番組で語る氏の真摯な生き方には、非常な感銘を受けて来ました。

あらゆることに教養が深く、言葉の使い方に厳しく、弱者に常に寄り添い、権力の横暴を批判する勇気を持ち、伝統文化に造詣を深くし、日本というものを誰よりも理解していた、「知の達人」であられました。

「知性的」とは、永さんの持つこの生き方のことだと思っておりました。

晩年、お体を壊しながらもラジオを通じて、反知性的な傾向を持つ権力に対する苦言を堂々と呈されてもおりました。一度もお会いしたこともなく、投書もメールも致しませんでしたが、深く尊敬しておりました。

ご逝去を悼み、ご冥福をお祈り申し上げます。

私と同様に、全国で永さんの死を悲しむ方々は、それぞれの道で、今までとおり真摯に進んでいくことが、ご供養になる道でもあると思います。

私は、これからも、よりよい商品を真面目に作り続けてまいります。

 

無添加の味はトータルで考える

ラーメン店時代の出来事

私は以前、チェーンに加盟してラーメン店を経営していて、他の加盟店のラーメン店主とお付き合いする機会も多かったです。

ラーメンにもギョーザにもチェーンの基本レシピがあるのですが、ギョーザに関しては比較的自由で、それぞれのお店が味にこだわりを持ち、まさに「味自慢」を競っていました。

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ある店主さんが私に、「うちのギョーザは牡蠣エキスを入れているからよそとは違うんだ」と教えてくれました。私がそれを真似て、牡蠣エキスを入れて試してみると、確かに牡蠣の味がして美味しい。

別の店主さんは、「コショーを増やせば味がしまって美味しくなるよ」と言います。
それで私がまたそれを真似ると、確かに刺激感が出て、味が引き締まりました。

化学調味料という魔法の粉

そうやって、いろいろな人から教えてもらったものを真似をしたのですが、ある日、「今日のギョーザの味はおかしい」というクレームがお客様から相次ぎました。

食べてみると、味が腑抜けています。ぜんぜん美味しく感じません。

ギョーザを作った従業員に確認すると、牡蠣のエキスも、コショーも間違いなく入れたと言います。

しかし、「あ、あれを忘れました!」と言いいました。それが、味の素、そう、化学調味料だったのです。

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このときのギョーザの味付けは、塩、しょうゆ、ごま油、酒、それに牡蠣エキス、コショー、味の素(化学調味料)、でした。

化学調味料を入れなければ、まったく旨みが出ない・・ということは、ほとんどの旨みは、化学調味料で出している、ということになります。新米ラーメン店主の私には、それは衝撃でした。

それはキムチでも同じだった

その後キムチ屋を始めたときも、韓国の方に教わったタレのレシピは、大量の化学調味料を使用するものでした。その量の多さに、驚きました。

それから幾年月。

今はキムチだけ作っていますが、化学調味料をゼロにして、無添加キムチを標榜して久しくなりました。無添加で美味しさを出すために、「あれを入れたから」「これを加えたから」などという生易しい改善では済みません。
ギョーザに牡蠣エキスを入れるとか、コショーを増やすとかいう問題ではないのです。

無添加への道は遠く困難

まずベーススープに10時間かけて「肉と野菜のコク」を取り、和風のだし(昆布、煮干、しいたけ)を作り、醤油系のタレを作り、味噌系のタレも作り、魚介類の素材をたっぷりと使い、そしてキムチ本来の唐辛子やにんにくやエビ塩辛と混ぜる・・・。

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ベーススープも、和風だしも、醤油系、味噌系のタレも、当初のレシピにはありません。ホタテやあさり、牡蠣などの魚介類も材料にはありませんでした。
あったのは、唐辛子やにんにく、エビ塩辛などの基本素材と、大量の化学調味料だけだったのです。

無添加で美味しいものを出すと言うことは、「あれを入れる」「これを入れる」ということでは出来ません。

最近は、「添加物」に分類されない、たんぱく加水分解物や調味エキスなどを加えて旨みを演出し、「無添加です」と名乗る商品が増えて来ました。安易といわざるを得ません。

無添加には哲学が必要

まず、味の設計図を作り、それを味の要素に分けて、それをどうやって組み立てるかを、試行錯誤の中で決めていくしかありません。

またその大前提として、「なぜ無添加でいくのか」という、「哲学」を確立させなければなりません。

売るため、儲けるためではありません。それは哲学ではありません。

しっかりとした、食の安全と美味との関わりを説明できるだけの、「生き方」としての哲学です。

無添加の味は、こうして、すべてをトータルで考えながら作っていくものです。

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ビールのおつまみ、おまけします!(大おまけセールご案内)

ビールが美味しい夏が来ました

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ビールのおつまみ、大おまけセール、初開催です

       6月24日~7月4日

 

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3000円お買い上げごとに、1000円程度のおつまみキムチを、無料で選べます!

採算度外視の大おまけセール。

今ですよ!

もちろん、何から何まで、無添加です!

梅雨時の食中毒にご用心

食中毒の多い季節です。

食中毒は、冬場にノロウィルスなどの「ウィルス」原因のものが多く、梅雨時や夏場は「菌」によるものが多いといわれています。
高温多湿の今の時期、十分気をつけましょうね。

営業者として食中毒に気をつけている要点は、ご家庭でも通用することばかりですので、ご参考にしていただければ、幸いです。

1)洗う

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洗うこと・・・これが食品衛生の大基本です。

手を洗う、食器、まな板、包丁を洗う、食材を洗う。洗い流してさえしまえば、菌は働きません。「水がもったいない」などといわずに、とにかく「菌を洗い流す」ことを徹底してください。

2)消毒する

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最近は家庭用の消毒用アルコールなども、ホームセンターで気軽に買えます。当店でも、多用しています。
さらに、「次亜塩素」といわれる、塩素系の漂白消毒液も必須です。いわゆる、「キッチンハイター」ですね。これで、まな板、包丁などは定期的に消毒しましょう。また、排水パイプなどに詰まったヘドロから発生する虫(チョウバエ等)に対しても、この次亜塩素が非常に有効です。

さらには、熱湯消毒も有用です。面倒ではありますが、習慣付けましょう。

3)加熱する

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ほとんどの食中毒菌は、75度以上の加熱を3分以上続けると、死滅します。

「煮る」「ゆでる」「焼く」「蒸す」「揚げる」等の加熱方法を、必ずこの温度と時間を意識して行ってください。その際、食材の中の温度が75度以上になっていることが必要です。

最近流行の「低温揚げ」などは、時間をかけて中まで温度を通し、さらに、150度以上まで温度をいったん揚げて、念には念を入れて、加熱するようにしてください。

4)冷蔵する

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肉、魚、野菜などは、必ず冷蔵保管してください。調理前に菌が繁殖してしまっては、非常に危険です。

さらに、出来あがった料理の保管も、冷蔵が基本です。

スープやシチュー等も、出来上がったら放置せず、冷蔵庫で保管することが必要です。

お弁当を朝作り、ご主人やお子様に持たせることはどこでも行われていることですが、これでよく食中毒が起きます。朝からお昼までの間、会社や学校では「冷蔵保管」は普通出来ませんよね。

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40度から50度という温度帯は、「セレウス菌」や「ウェルシュ菌」が急速に繁殖する温度帯で、もしお弁当の食材にこの菌が存在していたら、非常に危険なのです。

カレー、シチューなどを冷蔵保管するのも、これと同じ理由です。

「セレウス菌」や「ウェルシュ菌」は熱にも強いので、加熱調理でも死にません。まずは「洗い流す」ことが必要です。お弁当の素材も、十分洗ってからの使用をしてください。

5)菌のつくような道具は使わない

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せっかく手を洗っても、それを拭く「タオル」には、菌がたくさんついています。

せっかくお皿を洗っても、それを拭く「フキン」にも、菌がつきがちです。

普通、当店のような営業者には、手拭用のタオルは存在しません。また、食器を拭くフキンも存在しません。すべて、「ペーパータオル」の使い捨てです。

また、調理作業中に「帽子」や「手袋」は営業者には必須アイテムですが、家庭でそこまで出来ないのもわかります。ならばせめて、手洗い、消毒はこまめに行うように心がけてください。

また、野菜などの食材を冷蔵庫に入れる場合も、ホームセンターで売っている「ポリ袋」などに入れてから保管するようにしましょう。むき出しのままの保管では、泥などがほかの食材についたり、また冷蔵庫の中で散乱したりして、結果として不衛生になりがちです。

 

6)発酵食品は安全です

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菌は菌でも、安全な菌があります。発酵食品などを作る菌は人間にとって有用であり、また、有害菌を殺す働きも持ちます。これらを総称して、「乳酸菌」とも呼びます。

日本は世界に冠たる、発酵食品の王国です。

味噌、しょうゆ、酒、みりん、焼酎、漬物、酢、豆腐、納豆・・・和食に不可欠なこれらの食材は、食中毒を防ぐ食材でもあります。

当店のメイン商品のキムチなども、発酵食品を多用するだけでなく、キムチそのものが強力な発酵食品です。キムチの乳酸菌に出会うと、あらゆる食中毒菌が瞬時に死ぬともいわれています。

ただし、よく安売りされている添加物だらけのキムチでは、それを期待できるとは限りません。
数年前に北海道のキムチ業者で起きた食中毒は、ただ塩漬けの白菜に、添加物メインのタレを合わせるだけの「キムチ」だった故の事故だったと思われます。

「正しい発酵食品」を、ぜひ多食してください。

手前味噌ですが、「無添加」で「正しい発酵食品」のやがちゃんキムチは、創業以来、事故の経験が一度たりともありません。

 

◎まとめです

洗い流す

消毒する

加熱する

冷蔵する

これが食中毒を防ぐ4要素です。

それに加えて、「道具」のチェックや、「発酵食材」の多用もできていれば食中毒とは無縁の生活が送れるはずです。

さらに、人間にはもともと、ちょっとやそっとの菌なら抵抗する免疫力があります。

楽しく美味しい「食生活」を楽しんでまいりましょう!

 

 

日本一という言葉は、日本で一つだからこそ、出せます

うちのキムチは日本一だ・・・・そういう言葉をある場所で出したときに、誤解をされたことがあります。尊大な言い方だととられたようです。

日本一とは、どういう意味か。以下のような例で、お分かりいただけると思います。

例は、「ハンバーグ」です。

美味しそうなハンバーグのディッシュの写真ですね。

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私は洋食についてはほとんど素人です。ハンバーグを自宅で作ったことはありますが、それほど得意とはいい難いです。

もし、ある日突然、やがちゃんキムチで、今日のメニューで「ハンバーグ定食」をどうしても作らなければいけない事態になったとしたら、、私はどうするでしょうか?

極端な話ですが、「ハンバーグ定食を作れば、許す。作れなければ、店を爆破する!」・・などといわれたとしたら・・・です。爆破されたらたまりません。そんな緊急事態になったら、気の弱い私は、すぐに近くの市場に仕入れに行くと思います。

そして、調理済みで真空パックになっていて、温めるだけですぐにメニューに出せるようになっている市販のハンバーグを買います!

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ついでに、つけあわせのポテトも買います!

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野菜も冷凍野菜を買って解凍します!

・・・・・・

今、こうした、解凍するだけで出せるような、調理済みの出来合いの惣菜類は、山ほどあります。
誰もが、その日から食堂やレストランを経営できるほどです。
こういうものを利用すれば、一からつらい食の職人の修業などする必要はないのです。

そして、これだけの種類と量の業務用惣菜があるということは、それを利用している人がいかに多いかを物語っています。

これが、「外食、中食」ブームの現実でもあるのです。

でも、よく見たら、そういう素材には、こんな添加物の表示が。

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それだけではありません。

もっとも肝心なことは、そうやって簡単に作るハンバーグ定食などは、私以外の誰でも作れる、ということなのです。

卑しくも食の職人。人様が作ったものをそのままお出しすることは、一言で言えば、「恥」です。
職人の恥なのです。

誰でも作れるものを提供するだけの者は、もはや職人ではありません。

そんなことをしたら、食の職人のあなたは信頼を亡くし、たとえ爆破を防げたとしても、良心的なお客様は、いずれ来てくれなくなります。

あなたのお店に来てくれるお客様というのは、あなたが作っているから、それがあなたの苦心惨憺して作り上げたメニューだからこそ、召し上がりに来るのです。

・・・・・

世の中に、「美味しいもの」はいくらでもあります。

でも、「あなたが作るもの」は、あなたのところにしかありません。

私はそう信じています。
これからもずっと、それを変えることはありません。

その私が、自信を持ってお勧めするものを発売しました。

国産手羽中の素揚げキムチです。「やがちゃんウィング」という商品です。

先日発売した「キム手羽」へのご反応をもとに、一から作りました。

素材も変え、揚げ方も変え、タレもすべて変えました。

そしてもちろん、言うまでもなく、無添加です。

すべて、オリジナルです。よそ様が作ったものではありません。

だからこそ、「日本一」とう言葉を出せるのです。

日本にひとつしかないですから。

比べるものがないほどに、 オリジナルであること。それが日本一、世界一という言葉につながります。

 

 

 

生きているから、無添加を

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前回のブログで書いた「手羽先キムチ」は、「キム手羽」として発売しました。

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壮絶な美味です。何人ものお客様から絶賛のメールが寄せられて、うれしい限りです。
ぜひどうぞ。こちらから。

なぜ美味を求めるのか

さて、キム手羽も含めて、「味のこと」です。
人はなぜ、美味を求めるのでしょうか。

この世にはいろいろな食の材料がありますが、味付けをしないでそのまま食べられるものももちろんあります。
また、味付けをしないと食べられないようなものももちろん多いです。

なぜ人は、「味付け」をし、「美味しさ」を求めるのでしょうか。

人と動物とはどう違うのか

つい最近まで、私はその理由を、「人間が文化的な存在だから」と思ってきました。
人間以外の動物は、生きるための栄養摂取の目的で、食べる。
人間は文化を持つ動物だから、そこにさらに「美味しさ」を求めるのだと。

しかし、最近思うのです。

なぜ、春に初夏に、秋にも冬にも、あれだけ多くの種類の花が地球上で咲き誇るのでしょう。
春に梅や桃の花が咲き、桜の花弁がいっせいに開き、花みずきが咲き、初夏にはつつじやサツキが一斉に咲く。

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なぜでしょう。なぜ、あれほどに美しいものが次々と現れるのでしょうか?

それを考えていて、閃きました。

「あれは、花粉を運んでもらいたくて、蜂や虫を呼び寄せるために美しく咲いているのだ」と。

地球上の生き物は、美を理解できるのかも知れない

そうだと思います。蜂でも虫でも、美しいものを好むのです。だから、私たち人間が美しいと感じるように、虫たちも美しいと感じて、花に近寄るのです。
私たち人間と同じように、昆虫も動物も、「美」を理解できるわけです。

つまりは、より美しいものを求めるという本能があるわけです。

美味であることと、無添加であることは同じ意味!

さらにいえば、食べることに関しても、「より美味しいものを求める本能」があると思うのです。

ですから、味付けをしてより美味にしようという行為は、一動物としての、人間の本能であると思うのです。

そんなことを考えながら、毎日の「味つくり」に励むと、「自分は地球の一員であるのだ」という思いにもかられます。

だからこそ、化学的に合成した添加物は使ってはだめだ。無添加を押し通すべきだともいます。

自然の味こそ、美味の原点。

無添加であることの原点に気がついたような気がします。

 

 

手羽先キムチ(?)、試作中です

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先日の「唐揚げグランプリ」の授賞式で、あの有名な「世界の山ちゃん」の部長さんとお話できました。
名古屋で発祥したスパイシーな手羽専門店「世界の山ちゃん」は、今では海外も含めて80店舗にもなったそうです。私も何度か行ったことがあります。

ところで・・・私、実は「スパイシーな手羽」のことで、何十年も不思議に思っていたことがあります。

若いころアメリカで暮らしていたときに、「チキンウィングス」というファーストフードが流行っていて、町中に様々の店舗がありました。私もよく買って食べましたし、スーパーで手羽肉とソースを買って、アパートで自分で作ったりしていたのです。

「これはまもなく日本でも流行るだろうなあ・・」と思っていましたが、その後何十年たっても、別段流行りません。あれは何だったのだろうか・・? 今でもアメリカにチキンウィングスはあるのだろうか・・・と訝っていたのです。

でも、ネット全盛時代。検索すればすぐにわかったことでした。つい先日、検索してみて・・・。

あれは、「バッファローチキンウィングス」というのだそうです。発祥の地は、ナイヤガラの滝にも近いニューヨーク州バッファローという、人口50万ほどの町。今では他州にも広まったようです。
そうです。
このバッファローこそ、私が一年過ごした町なのです!

つまり、私がいたころにバッファローで流行り、今それが全米各地に広まったところ。日本に来るかどうかは、これからのこと、というわけです。

名古屋の「世界の山ちゃん」が数十年かけて他県に広まり、海外にも進出しだした経緯を思い出させますね。

さて。世界の山ちゃんならぬ、千葉のやがちゃん。美味しいものを広めるには、それほど時間をかけられません。

というわけで、20代のあのアメリカのアパートの一室で作った「チキンウィングス」の記憶を頼りに、国産手羽先を使って試作を繰り返してきました。

手羽肉には、「チューリップ」型にもする「手羽元」、一番端の「手羽先」、その間の肉の多い「手羽中」の3部位があります。バッファローのチキンウィングスは、手羽中の部分だけで作りました。いわゆる指先の細い「手羽先」は食べないのです。

しかし、日本で手羽先といえば、普通は、手羽中と手羽先の両方。

人気の「キム唐」でも使う宮崎産の非冷凍の鶏肉の手羽を使い、キム唐で培った「油で揚げる」技術を駆使して揚げます! 程よく揚げるには、火加減の微妙な調整が必要です。

揚げ終わったら、次はやがちゃんの得意技の「タレ」。
抜群に手羽に合い、抜群においしいスパイシーな専用タレができました。

このタレを絡めて、パック詰めして冷蔵庫で数日寝かして味を染ませて、出来上がりです。

味わうには、パックごと湯煎で温めるだけ。

コラーゲンたっぷりの肉質。絶妙のタレの味わい。冷凍でも送れます。賞味期間は、解凍後2~3日。

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これを食べるには、お行儀は無視。両手でガバリとつかみ、口の周りをタレだらけにして食べましょう。ティッシュかお手拭を用意してから食べなければいけませんね。

あのバッファロー時代の自作チキンウィングスとは比べ物にならない出来映えです。

作る作業に非常に手間がかかりますので、定番商品にはできないとは思いますが、あまりに美味しいので、近日中に臨時発売するかもしれないです。あくまで、予定ですが。

臨時にしても名前をつけなくてはいけません。

「キムチキンウィングス」

「手羽先キムチ」

「手羽タレキムチ」

・・・・

何かいい名前がありませんかね?

 

 

 

キム唐のチャリティー会をタタンカ村で開催しました

昨晩は、東京原宿の「タタンカ村」オフィスで、定期的に開いていただいている「やがちゃんキムチ会」でした。

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本来は「からあげグランプリ」金賞受賞をお祝いしてくださる会だったのですが、今回は、受賞直前に熊本地震があったので、収益を熊本大分震災義捐金として送るチャリティー会とさせていただきました。

参加15名。やがちゃんキムチを愛してくださる方ばかりです。

キム唐4キロ!

サムゲタン3キロ!

キムチ8種数キロ!

などなどを、揚げ尽くし、食べ尽くしていただきました。

会費から原材料費を引いた収益を、義捐金として日本赤十字に送金させていただきます。

それにしても、美味しい物を食べる方々は、話が弾む!

ワイワイガヤガヤと、にぎやかな会でした。

タタンカ村は、こういうところです。善意の人が集まる、善意の村です。

千枚田の奥のレストランで、野菜の力を知りました

5月の連休に、同じ千葉県内でありながら、普段はなかなかいかない「南房総」を旅しました。

初日には九十九里浜で話題の「焼きはまぐり」を食べたり・・・

翌朝は早く起きて、日本三大朝市のひとつといわれる「勝浦朝市」に行ったりと、夏を思わせる日差しの中で楽しみましたが、もっとも印象的だったのが、鴨川から山に登ったところにある、「大山千枚田」と、そのさらに上にある、自然栽培農法の野菜を食べられる「カフェ EN」でした。

千枚田は、思ったほどには観光地化はしていなくて、訪れる方々もみなマナーがよく、その細やかな配慮が行き届いた美しい伝統農法の結実を見ることができました。

そして、千枚田からさらに車で登ること15分ほどの奥地に忽然と現れる「鴨川自然王国」と、「カフェレストラン EN」。

このENで昼食を摂ったのですが、非常に印象的でした。

ヤギも飼われていました。人懐こくて、すぐに近づいてきます。

そしていただいたのが、「トマトソースのパスタ」と、「豚の軟骨肉のどんぶり定食」です。

こちらのお店は、歌手の加藤登紀子さんの亡くなったご主人、藤本敏夫氏が切り拓いた農園の作物を使っているところで、どのメニューにも無農薬自然栽培の野菜がたっぷりと使われています。

その野菜は、とにかく「よく育って」いました。何もかもが「肉厚」で、「丈夫」なお野菜でした。

しかも量が多い為、ボリューム感が立体的なのです。味も濃厚で、お野菜がメインディッシュでも十分に通用するほどの質のよさでした。

この写真に写る野菜の量は普通だと思われましょうが、実際は、ものすごい量感と質感がありました。

口の中でよく噛み、味わってから飲み下す野菜です。肉やパスタと同じ程度の、いや・・・それ以上のボリュームを感じます。

お肉もパスタも美味しかったのですが、それを凌ぐ野菜の存在感に圧倒されたひと時でした。

いいものを味わえました。

加藤登紀子さんの歌声は大好きです。

旅から帰った今宵は、ネットでそれをあらためて聞いてみましょうか・・。

キム唐の震災義援金について

熊本、大分の震災はいまだ余震が収まらず、被災されたかたがたは大変な困難に直面されています。

弊店としてご協力できることはわずかですが、以下のように、お客様のお力をお借りして、微力ながら義援金を送金させていただくこととしました。

 

本年発売したキムチ味の無添加唐揚「キム唐」が、先日の「からあげグランプリ」のイベントで「金賞」を受賞いたしました。

グランプリ

◆からあげグランプリ  主催:一般社団法人日本唐揚協会
総投票数:113,479票 予選エントリー数:670店舗
授賞店舗数78店舗      グランプリの結果サイトはこちらです。

被災地である大分は、俗に「唐揚げの聖地」とも言われ、先日の授賞式の日には、被災しながらもご出席された店舗さんが複数いらっしゃいました。

 

(義援金送金要旨)

やがちゃんキムチは、この「キム唐」を当店サイトでお買い上げの場合、その商品代金の30%を、お客様名で、日本赤十字の震災義援金口座に送金させていただきます。送金後の領収証は、画像を撮ってお客様のメールアドレスにご送付いたします。

(発送から義援金送金、領収証送付まで、10日程度のお時間を頂戴いたします)

キム唐のサイトはこちらです。

ページ内にも説明がございます。

お客様のご理解とご協力をお願い申し上げます。

 

震災のお見舞いを申し上げます

一週間前から続く、熊本、大分の地震。

大変な被害に遭われていらっしゃる方々に、心からお見舞いを申し上げます。

続く余震が収まり、一刻も早く平穏な日常が回復されるよう、お祈りします。

また、弊店としても、単独、または種々の仲間組織、あるいは地元商店街などを通じて、微力ではありますが、できるだけのご協力をさせていただくつもりでおります。

そのためにも、引き続き、営業を平常に継続させていただく所存です。

日本のすべてに笑顔が戻るように、心から願います。

やがちゃんキムチ  (有)ワタマン

 

 

ムヒカ氏に学べ

ウルグアイのムヒカ前大統領が来日し、話題を呼んでいますね。人呼んで「世界で一番貧しい大統領」です。

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大統領としての収入のほとんどを貧しい人への寄付に回し、自らは郊外の古い家に住んで、オンボロのフォルクスワーゲンを自ら運転し通勤していたとか。途中、歩いている人を車に乗せて送ってあげたりすることなど日常茶飯事だったそうです。

一国の大統領がですよ。

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そのムヒカ氏が昨年ブラジルで行われた国連の「環境リオ会議」で、小国ウルグアイの代表として最後の最後に登壇し、ほとんど聴衆ゼロの中で行ったその演説の中身が世界中で話題になりました。「今世界中の人が欧米の人と同じように消費したら、それに耐えられる資源が地球に残っていると思うのか!」

誰一人聞いていないガランとした会場に響いたその言葉の数々を、しかし海外の優秀なメディアは聞き漏らしませんでした。

残念ながら日本のマスコミでは当初あまり報道されませんでしたが、ムヒカ氏をテーマにした絵本が日本で作られ、それが16万冊も売れるなど、日本でも着実に「知る人には知られる」存在であるわけです。

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ムヒカ氏は言います。

「民主主義は多数派が政権を取るのだから、多数のための政治をするべきなのです」と。

当然ですよね。

今や日本の多数を占めつつある、「下層階級」。「貧困世帯」。こうした多数派のための政治が行われているでしょうか? 否ですね。
消費税はどんどん上がる、年金はどんどん減る。収入も減る。

そんな中で、ムヒカ氏は日本の現状を憂います。

「日本人は選挙があってもあまり投票に行かないという。それではいけない。同じ志の人が集まって、力を合わせて、運動をしなければなりません。そうしないと、世の中は変わりません。」

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そして有名なこの言葉。

「本当の貧しさとは、経済的な貧しさを言うのではありません。いろいろなものを手に入れて、それで飽き足らずにさらに手に入れたいと思うその心を、貧しいというのです。そして最大の貧困とは、孤独です。」

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今のわれわれは、この方から学ぶことが大きいのではないでしょうか。

なぜ今われわれが毎日あくせく働き、物を作り、物を消費しているのか。

心はどこにあるのか。

心はどこにつながっていくのか。

たとえば、「心」を扱う場所である大学の文学部を無くそうとしている国の一部のかたがたには、心を取り戻していただきたいし、それ以前に、私たち一人ひとりが、「心」とは何かを考えなくてはいけません。

毎日のキムチつくりにおいても、さらに深く考えなくてはならないと思います。

本日のメルマガです

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最後の職人、全て無添加の「やがちゃん」からです
2016.04.08
やがちゃんキムチ
http://umakim.com
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「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、
いくらあっても満足しない人のことだ」

(巻末の 「四方山話」に続きます)

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★無添加チャンジャ 30%増量キャンペーン開始! 14日までです ★

ページ内の増量ボタンを押してお買い物をして頂くと、チャンジャを30%
増量してお届けします!
(必ずボタンを押してください!)
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こんにちは! やがちゃんキムチの矢ケ崎です。

花散らしの雨が降った千葉ですが、まだ桜が元気に咲いています。ことしは長い間
桜の花が見られていいですね。

さて、定評の「チャンジャ」の30%増量キャンペーンが始まりました!
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チャンジャとは、実は「和製韓国語」で、韓国で「チャンジャ」といっても、あまり
通用しません。

「チャンラン」とか「チャンランジャ」というのが普通で、それも、日本で言う
「チャンジャ」とは違うもので、魚の内臓の塩辛の総称として用いられる言葉の
ようです。

日本のように「真鱈」の胃袋を洗浄カットして塩辛にして味付けした「チャンジャ」
は、韓国ではあまり見られないということです。
実際は、日本の焼肉店などで独自に誕生、発展したものなのです。

ですが、この「チャンジャ」は、添加物の多い日本のキムチ業界では、ほとんど例外
なく、「化学調味料の塊」ともいえるような存在でもあります。
私・・無添加のチャンジャに、よそでは出会ったことがありません。
原料の真鱈の胃自体には苦味もあるので、化学調味料でお化粧しないといけない、と
いう事情も手伝っているのだと思います。

そんな中で、やがちゃんのチャンジャは、完全に「無添加」です。

信州生味噌をメインにした生味噌コチジャン中心の味付けで、シンプルで飽きの来な
い、深い味わい。原料の持つ本来の旨みを引き出すように工夫いたしました。
白いご飯にこれほど合うおかずも珍しいです。
よそ様のチャンジャとぜひ、比べていただきたいと思います。
チャンジャとは、これほど自然で美味しいものなのです。

ページ内の「増量ボタン」を押してからお買い上げいただくと、30%増量してお届け
いたします。本日より14日までです。

200gなら260gに。500gなら650gに。1キロなら1.3キロに!

ぜひ、無添加チャンジャの世界をたっぷりご体験ください!
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さて、皆様に投票ご協力いただいた「唐揚げグランプリ」ですが、今月の18日に結果
発表があります。

マスコミが10数社取材に来る中で、「目黒雅叙園」で発表されるということです。

私もその発表会に出席しますが、果たして栄光の「金賞」が取れているかどうか・・。
まだわかりません。

取れたら、「金賞記念セール」を行います。
いや・・・
取れなかったとしても、「残念セール」でもいいですね。

18日はもうすぐ・・。ドキドキします・・!!

無添加キム唐は、本当に美味しい唐揚げです!
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《 お奨め3品 》

★白菜キムチ頂。春白菜が美味しくなりました。腸内環境浄化にもいいですよ!
免疫力増大! 冷蔵庫に常備してください!
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《四方山話》

ウルグアイの前大統領の、ホセ・ムヒカ氏が来日しました。

ムヒカ氏のことは、不思議なほど日本では報道されて来ませんでしたし、私も最近まで
こんな大統領が他国にいたという事実を知りませんでした。

ボロボロの愛車で郊外の自宅から政府に「通い」、給料の90%は福祉団体に寄付し、
貧しい人々に善政を敷いた大統領。
「世界で一番貧しい大統領」といわれ、国民から愛され、任期満了で惜しまれながら
退任されたということです。

世界の資源は有限です。

有限の資源の中で、「足ることを知る」生き方をしなければ、人は他人や他国から奪わ
なければ生きていけなくなる。

そうなれば、奪うための「戦争」が始まります。
戦争は、わずかな勝者と大多数の敗者を生みます。
戦争とは、実際の戦いばかりではなく、経済戦争も含みます。
今、世界中が、この「戦争」状態になり、多くの敗者が悲鳴を上げています。

この矛盾に真っ向から立ち向かった勇気あるムヒカ氏。

こんな政治家が、日本にいたら・・・と思うのは、私だけではありませんね。

尾崎放哉(おざきほうさい)の俳句に

「爪を切ったゆびが十本ある」

というものがあります。

神様は、指という便利なものを10本も人間に与え、おまけにその繊細さを守る爪
まで指先につけてくれた。おかげで人はものを作り、生み出すことができるように
なった。
これに感謝しなくてどうするんだ・・という句ですね。

だから人は指を合わせて、神に感謝の祈りを捧げるのでしょう。

足ることを知る人生・・・送りたいですね。

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それでは、よろしくお願い申し上げます!

公式ブログも、更新続行中です
https://umakim.jp/

フェイスブックもよろしくお願いします
http://www.facebook.com/umakim

(このお知らせは、やがちゃんキムチ本店サイトでお買い上げのお客様に
お出しいたしました。今後お知らせメールがご不要の方は、このまま
ご返信くださいませ。次回以降の配信を停止させていただきます。

有限会社ワタマン  (やがちゃんキムチ)
http://www.umakim.com
メール   yagachan@gmail.com
〒277-0062
千葉県柏市光ヶ丘団地4-200-1-12
TEL&FAX 0471-71-5701

勝手な「柏近辺味比べ」

前回のブログから大分時間が空きました。

ショップが書くブログとは

ネットショップを営む者が書くブログは、ネットショップへ顧客を誘うことを目的として書かれることが多いです。また、意識してショップの検索順位を上げることを狙う場合も多いようです。

ですが、私は従前からそういう姿勢が好きではありませんでした。

ショップはショップ。ブログはブログ。何か商売上の魂胆があって書く記事は、それなりに見え透いたものになりがちです。そういうものは書きたくない。考えるところを自由に書くブログでなくては、書く方も読まれる方も面白くないでしょう。
ですので、今までもそうですが、今後はさらに自由にあれこれ書いていこうと思います。

さて、今日は「味」の話です

私、こういう商売をして数十年経ちますが、自分の味覚を磨かなくてはと思い始めたのは、そんなに昔のことではありません。若いころは、繊細な味など分からずに、ただ「ウマイ」を思うものをバカスカ食べていたような気がします。化学調味料でも添加物も何でもござれ。いわゆる、「悪食」の部類だったのかもしれません。

薄味に慣れたおかげで

それが、なぜ今のようになったのか・・・そのきっかけは何だったのか・・・。よく思い出せないのですが、ひょっとしたら、心臓の発作を十数年前に起こした時、お医者さんに「塩分や化学調味料は血圧を上げるから控えなければいけないよ」と言われたことかも知れません。

自然と食事が薄味になり、化学調味料の味が気になるようになり、自分の作るキムチも無添加になり、外で食べるものにも注意するようになりました。

人にお薦めできるようになりました

以前は私の薦める食べ物は必ずしも受けがいいものばかりではありませんでしたが、ようやく最近、人様に自信を持って、「これは美味しいよ!」と言えるようになった気がします。

口が、つまり味覚が厳しくなったような気がします。

キムチのタレを作る場合でも、数十種類の素材を使うので、たまにある素材の分量を間違えることもあります。以前ならそれをそのまま分からずに出していたのですが、最近は出来上がりに試食すると、「あ、あの量を間違えた!」と大体分かるようになりました。

そういう観点で、今、地元の千葉の柏周辺の地域で体験した店の中に、「あそこは美味しいよ」と自信を持って言えるお店がいくつあるかな・・・?と考えます。飲食店の数はそれこそ数百、いや、もっとあるのでしょうが・・。もちろん、自分の店以外に、です。

柏近辺味のあれこれ

たとえば、蕎麦。蕎麦は、今のところ2件だけです。松戸八柱のおば田さんと、流山駅近くの無名庵さん。

焼肉。人気のともさんかくさんは、なかなかです。経営者はまだ20代ですが、研究熱心です。

パン。松戸のZOPFさんの生地はいいですね。揚げパンの生地が特にいい。

駅蕎麦では、我孫子弥生軒さんの大型唐揚げは圧巻ですね。

ラーメン・・・お店は多いのですが、無いのですよね。ラーメンなら、どうしても、30キロ離れたうちの姉妹店の「やがちゃんキムチ安食店」の「やがちゃんラーメン」を挙げてしまいます。えこひいきかも知れません。ですが、あの辛味スープと生めんの味わいは、どこの行列ラーメン屋さんより、美味しいと断言できます。

キムチ。すみません。これだけは、他にありません。わが、やがちゃんキムチです。
無添加は当たり前と言うところから出発していて、いかにその上で美味しくするか、その工夫を数重に重ねています。もちろん、まだまだな部分はあります。そこを今、改善中です。

唐揚げ
私、実は唐揚げはあまり好きではありません。すぐに胸焼けし、一粒あればたくさんなのです。
でも、うちの「キム唐」だけは、毎日でも平気です。
食べ過ぎないように注意していますが、どうしても毎日数粒、「試食」という名目で食べてしまいます。

うなぎ・・・もつ焼き・・・焼き鳥・・・・パスタ・・・
まだ思いつきません。

カレー店も多いのですが、まだ挙げられないです。

寿司。回転チェーン店ですが、銚子丸さんは、かなりハイレベルですね。

もっとあれこれ見て、味わって行きたいです。

 

 

みんな「おまけ」が大好きです

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上野のアメ横で有名な、「お菓子のおまけ屋さん」。志村商店さんというらしいです。

「テレビ見た人手を上げて! はいー、おまけだよ! はい、チョコもおまけ、アメもおまけ、ビスケットもおまけ、これもおまけ、あれもおまけ・・」といいながら、どんどん袋に入れていきます。

「はいーーー、これでも1000円! いや、もうひとつ、はい、ふたつおまけ! それでも1000円!」
というように、おまけのお菓子をどんどん入れて、手を上げたお客さんに1000円で売る・・・

お客さん、「おまけ」が大好きですね。

さて、やがちゃんキムチも、年の二度の大おまけセール中です。

3000円お買い上げごとに、お好きなおまけ商品を選んでもらえる。大人気のセールです。

今回はなんと、今をときめく、あの「キム唐」もおまけに入っています!

おまけ一覧は以下のとおり!

  《おまけ商品》(価格は税込みです)

1)白菜キムチ 頂 300g簡易パック入り(定価1004円)
2)甲羅なしケジャン 100g(定価950円)
3)マイルドヤンニョムジャン400g(定価950円)
4)チャンジャ200g  (定価1069円)
5)プレミアカクテキ(大根キムチ) 500g (定価972円)
6)有機ねぎキムチ 300g(定価950円)
7)オリーブ七味 160g(定価777円)
8)キム唐(唐揚げ用肉)350g (900円相当)

これが、3000円お買い上げごとにひとつずつもらえるのだから、これはお得。

28日までです。お忘れなく、どんどんおまけをもらってください。

こちらからどうぞ!

KED 開催!

先週18日の金曜日、「KED」という催しを主催しました。

KEDとは、「唐揚げ エンターテイメント デザイン」(KARAAGE ENTERTAINMENT DESIGN)の英語の頭文字です。

有名な「TED」(テクノロジー~~^)や、1月に参加した「PED」(ピースト~~)のもじりだといわれますが、そのとおりです・・。

ただ、唐揚げがテーマではありません。

もちろん、懇親会のメインメニューは「唐揚げ」でした。ですが、スピーチのテーマは、「私の生き方」です。

参加16名。いつものネット勉強会のメンバーが12名で、地元の光ヶ丘商店会や、お客様から4名です。やがちゃんキムチの真向かいの建物内にできた、新装のコミュニティスペースを使わせていただきました。

16名が、30秒の紹介、入場テーマソングとともに入場、9分間スピーチ、そして評価コメントと、時間割に沿って、都合3時間、ノンストップで行いました。

3時間の間、全員が集中して参加。片時も息つく間もない、濃厚な時間でした。

終了後は、キム唐やホールタトリタン、サムゲタン、キムチなどで、大懇親会。地元の方とネット関連の方もすっかり打ち解けて、また新たな交流の輪が広がりました。

やがちゃんキムチは、ネットのキムチ店であると同時に、地元の商店街の一員でもあります。
「朝市」などにもでております。

ネットでも店舗でも、まったく姿勢は同じです。

おいしく健康なものを、笑顔でご提供。

このKEDを契機に、さらに大きな笑顔を広げたいと思います。

キムチは「お金儲けの道具」ではなく、「哲学のある作品」です

やがちゃんキムチは、無添加のキムチを作り、実店舗とネット通販で売るキムチ屋です。

商売ですから、たくさん売れたほうがいいに決まっています。

そのための勉強もかなり積んで来ました。
(実際、そういうネット通販の勉強会も主宰しています)

ですが、実際には、広告宣伝にお金はまったく使っていませんし、SEOという、ネット検索で上位に表示されるような手法の実践もほとんど行っていません。

なぜか・・?

理由は単純に、二つだけです。

1)実質一人で運営しているので、忙しくてそこまで手が回らない。

2)たくさん売ることがいいことだと、実は思っていない。

以上です。

やがちゃんキムチが関心を持つのは、

たくさん売ったり利益を上げたりすることではなく、自分で作るさまざまの形のキムチという「作品」を、お客様に喜んでいただけるか否か、その一点なのです。

その結果としてたくさん売れて儲かるなら、それはそれでもちろん嬉しいです。

ただ、品質を落として原価を下げたり、添加物を入れたりすることは、絶対にいたしません。

それを行う時は、やがちゃんキムチが無くなるときです。

無添加を貫くということは、こういう覚悟がなくてはできないことだと思います。

あらゆる誘惑が、食品製造にはつきまといます。「こんな高価な食材を入れなくても、味は大して変わらない」とか、「少しくらい化学調味料を使ったってわかるはずがない・・・」とか。

その誘惑を敢然と断つには、キムチ屋の目的を「売り上げや利益」に置いてはいけないということです。

まず、哲学を。それがない会社や人が食品を作るから、間違いが起こるのだと思います。

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震災後5年で考えること

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あの日・・・

あの日、所要で店の裏口から出ようとした時に、建物が軋みだしました。

掛けっ放しだったラジオから、女性のキャスターの悲鳴に近い声が聞こえてきました。

揺れは大きくなり、よろけながら戸外に出て、そこにあった自分の車のボンネットにつかまろうとして、車が飛び跳ねるように上下に揺れていることを知りました。子供の泣き声が聞こえ、電線が撓み、金属音が激しく響きました。2分間もそれが続きました。

柏は震度6弱でした。

あの日を境に、世の中の色が変わりました。

ただ物を作り売っていただけの時代が終わりました。

「悪いことをしないだけでよかった」時代は終わり、何か人のため、社会のために「よいことをする」時代に入ったと思いました。

それから今日で5年

私たちは、どう変わったでしょうか。変われたでしょうか。

毎年この日を迎えるたびに、それを思います。

震災後約半年間、売り上げの一割を毎日郵便局から義援金送金し、何度か東北の諸施設にキムチをお送りし、やがちゃんキムチの「直接的な震災支援」は終わりました。

世の中のためにもなっていると自信を持って言えるキムチを

直接的な支援は終わったのですが、5年間、品質にうそはつかないということは守り抜いてきました。

無添加で体に安心な製品だけを作ること。

決して手抜きはしないこと。

より一層の美味を目指すこと。

このようなことを、頑なに守ってきたつもりです。そしてそのことこそが、大きな意味での震災支援につながり、さらには回り巡って、自分の生き方に意味を与えてくれて来たのだと思います。

美味しいもの、安心なものを食べるだけで、人は心を和らげることができます

たかがキムチではありますが、いや、たかがキムチであるからこそ、この道を外れずに、この先も地道に進みたいと思います。

世の中のためにもなっていると自信を持って言えるキムチを。

それを作り続けること事が、やがちゃんキムチがこの国に存在する理由であると思います。

 

 

味付けに計りは必須です!

 

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家庭用のデジタルはかり、持ってますか?

1g単位で1キロか2キロまで測れるものが、1000円台で買えますので、ぜひ台所に常備してください。なぜかというと・・・・

◎料理に使う調味料の量を正確に測るためです!

料理に使う砂糖、塩、醤油、酢、酒などの基本の調味料の量を、あなたはどうやって測っていますか?
目分量?
手の感覚?

はい、それもいいです。慣れた主婦の感覚は、若い職人の腕よりはるかに頼りになります。

それでも・・・それでもなお、言いたい。「やっぱりはかりで計ってください!」と。

なぜかというと、「閾値」ということがあるからです。

閾値とは・・

たとえば、お汁粉に入れる砂糖の量が、50gのときと100gのときの甘さの違いは、100gのほうが2倍甘いと思いますか?

これは、2倍ではありません。

味の感覚というのは、味の素材がある一定の量に達するまでは、人間の脳で感じないのです。

ですから、このお汁粉の場合、5gや10gでは、「甘さゼロ」と判断してしまいます。

ひょっとしたら、50gでもほとんど甘みを感じないかも知れません。

ある時点で、甘さを感じるようになる・・・それがこの場合に言う、閾値です。

閾値が40gだった場合、50g程度では「ほのかに甘い」程度で、100gの場合は、「断然甘い」ということになるでしょう。
閾値が60gだった場合、50gでは「まったく甘さがない」ということになります。ですから、100gの場合の甘さは、50gの場合のときの2倍、ということは、無いのです。

ということは・・・

閾値を超えると、少しの量で味はものすごく変わってしまうのです。

だからこそ、「正確に計ること」が必要になるのです。

閾値はそのつど変わる

味の閾値は、素材の組み合わせや入れる順序でも違ってきます。

塩を入れると甘みが逆に強く感じられるとか、最後に入れたほうがその調味料の味を強く感じるとか・・・・味の世界は、不可思議な現象が盛りだくさんです。

こういう不可思議な現象を経験的に知っている人こそ、熟練の主婦や職人さんでしょう。

ですが、その経験を踏まえた上で、実際に調味料を使う段になって、きちんとはかりで計る。

ほとんどのプロの職人さんは、どんな場合も、それをしています。

私も、必ず計ります。

知っているからこそ、計る。

計ってくださいね。

 

商店街って・・・・。

二つの商店街があるのですが・・・

やがちゃんキムチ柏本店(私のいるお店です)は、千葉県柏市の「光ケ丘団地」というURの団地の中の商店街の中にあります。

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商店街といっても、小さな小売店やサービス店が13あるだけの本当に小規模なところです。
ただし、アーケードや駐車場もあり、それなりに便利なのです。
しかし、商店街としての活動はほとんどありません。店主は団地に住むのではなく、他の地域から「通い」の人ばかりです。

一方、この団地商店街を取り囲むように、団地の外には、別の商店街があります。

こちらは約70店舗。歴史も古く、地域住人の商店主が多く、活発に売り出しやイベントの活動を行っています。
でも、アーケードも無いし、70の店は地理的にまとまらずに点在しています。駐車場もありません。

長所と短所を合わせて、長所を二倍にしよう!

つまり、

◎団地の中の商店街は立地がよく便利だけれど、商店街活動は貧弱

◎団地の外の商店街は、立地条件は悪いが、商店街活動は活発

なのです。

そこで双方の商店街の有志が相談し合って、今、「合併」の話が出ています。

互いの長所と短所を合わせて、いいところを伸ばしていこう、と。

つまり、1とマイナス1を合わせて、ゼロではなく、2にしていこう、ということです。

基準はお客様!

変なムラ意識を出さずに、また、「どっちが得か損か」、ではなく、「どうしたらお客さんが喜ぶか」を基準にしよう、と話し合っています。

もちろん、「勝手にすすめるな」とか、「面倒だから今のままでい良い」という意見もあります。

ですがあくまで、基準は「お客様視線」で。

「お客さんが喜ぶこと」ができる商店街に!

それでなくては、商店街の意味がありませんね!

タタンカ村で、ホールタトリタンパーティ!

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先週の金曜日の夜は、原宿の「悟空」さんのオフィスで、「タタンカ村」主催の

第二回の「ホールタトリタンパーティ」でした!

参加者さんは、総勢14名。今回は、ホールタトリタン5羽と、キム唐(キムチ唐揚げ)を5キロ分! それに、白菜キムチ頂、赤ねぎキムチ、チャンジャ、ぜんまいナムル、甲羅なしケジャン、オリーブ七味など、キムチ類もたっぷり!

それでも、すべて食べつくして頂きました!

キム唐は私が連続で揚げたのですが、1回にできるのがせいぜい10個ほど。
その10個を次は誰が食べるか、じゃんけんでの争奪戦まで繰り広げられました。

和気藹々、にぎやかに飲んで食べて、皆さん大満足。

こちらは、「悟空」の岡空代表が主催されている「タタンカ村」で、善意の人々が集う場所なのです。
こうしたパーティや、さまざまのセミナー、演奏会、トークショー、諸相談会、また、足つぼマッサージ会など、いろいろなイベントが行われています。

人がその人らしく振舞え、善意が集まるタタンカ村です。宗教色や政治色は一切ありません。

村民になるのは無料です。ホームぺージ、ご覧くださいね。実は私も、村民の一人です!

 

 

最近のうまーーーーー写真!

気がついたら本日はバレンタインデーですね。

チョコをもらわなくなって久しいですが、私の周りにはチョコ以上に美味しいものがあふれています。

最近撮った、美味しい写真です

向かいのスーパーで買った特売の鍋焼きうどん。
アルミの簡易なべになっているあれですが、そこに、卵を落として、キム唐を乗せてみました。

うまーーー。

チェーン店のラーメン屋さんではあまり食べませんが、ここ松戸の「珍来」は、お気に入りのひとつです、。

このうま煮そばは、行くと必ず食べます。

まずますの、うまーーー。

うなぎの通販で名高い、「浜名湖山吹」さんが、蒲焼を送ってくださいました。

以前からこちらのうなぎが最高だと思ってきましたが、相変わらずの美味しさ。
ふっくら柔らかな肉質。増粘剤を入れない無添加のタレが特にいい。

超うまーーーーー。でした!

店での昼食用に自分で作った、「あさりチャーハン」。

味付けは塩と「丸大豆醤油だれ」だけです。具はねぎ、にんじん、卵、あさりです。

かなりの、うまーーーーー。

最近、「アマゾンプライム」で、洋画や邦画をよく見ます。

オリーブ七味をつまみに、芋焼酎のロックをちびちびやりながら。

うまーーーー!

親しい友人が送ってくれた、秋田名物きりたんぽ!

比内鶏つきです。(鶏肉は鍋の底です)。

激うまーーーーー!

 

美味しいものを食べるために、また明日から、美味しい無添加キムチを作ります!

 

2月16日まで、送料半額キャンペーンです!

やがちゃんキムチ、昨年2月に、上記のような画像から始まる新ページにいたしました。

そのリニューアルから1周年。おかげさまで、大変忙しくさせていただいております。

もちろん、無添加美味の絶対コンセプトは変わりません!

   送料半額キャンペーン!

リニューアル1周年を記念しまして、「送料半額キャンペーン」を開催いたします。

本日(2月9日)から2月16日までの1週間、すべての商品送料が半額となります。

 

   ★送料半額キャンペーン (2月16日受け付け分まで)

5000円までのお買い上げの場合、通常は送料が800円ですが、それが400円に!
5000円以上お買い上げの場合、通常は送料が400円ですが、なんと200円に!
  (沖縄のみ、600円、400円です)
1万円以上お買い上げは、送料無料です。

先日付配送は1ヶ月先までお受けします。

どうぞご利用ください! やがちゃんキムチはこちらです

 

 

キムチの酸味について

キムチの酸味について書きますね。

キムチは保存しておくと徐々に酸っぱくなります。

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(酸味がないキムチも、あるキムチも、私は両方大好きです。)

酸っぱいキムチがお嫌いな方も多いので、「酸味が出たものは腐っている」と誤解されがちです。

ですので、ここでまとめておきましょいう。

1)野菜のキムチが酸っぱくなるのは、糖分の乳酸発酵のせいなので大丈夫!

これは、野菜の「糖分」がキムチの乳酸菌で分解されて、「乳酸」と「酢酸」と「炭酸ガス」が生まれることから起きる現象です。酸味の正体はこの「酢酸」、つまり酢なので、酸っぱくなっても、腐っているわけではありません。また、炭酸ガスが出るので、キムチを入れた袋が膨らんだりするのです。

むしろ、「正しいキムチ」の場合は、発酵により旨みもどんどん出てきますので、よりおいしくなるのです。無添加キムチが酸っぱくなったものを、白いご飯と一緒に頬張る・・・・ああ、たまりませんよ!

やがちゃんキムチの野菜系キムチの賞味期限は、この酸味が出る目安の日付で設定しています。ですから、実際は期限が切れても、まだまだ大丈夫なのです。

私自身、この30年間、自社製品でキムチが腐ったものを見たことがありません!

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2)肉や魚が酸っぱくなるのは、たんぱく質の腐敗のせいなので、ダメ!

同じ微生物による分解でも、たんぱく質が分解すると、発酵ではなく、腐敗となります。ですから、肉や魚に酸味を感じ出したら、食べないほうがいいですよ。

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3)人工的に酸味を加えたらどうなのか?

ここが問題なのです。

キムチに、最初から添加物で酸味を加えてしまう製法があります。クエン酸などの酸味料が多用されます。これはなぜでしょうか?

これは、「素材が貧弱で正しい発酵が期待できないので、最初から酸っぱくしてしまい、発酵自体を止めて賞味期間を延ばす」ということを狙っているわけです。

こういう「偽酸味」のキムチは、つまり、発酵による旨みの増加も期待できません。
ならばどうするか・・・そうです。だから、添加物である化学調味料で旨みの演出をするのです。
さらには、品質の均一化を図るために、PH調整剤などで、味を固定させてしまいます。
こうなるとキムチは、食べ物というよりも、「工業生産品」ですね。

 

◎結論です

 

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正しく作られた無添加のキムチは、乳酸発酵で自然と酸味が増し、旨みも増す。

添加物で酸味を加えられたものは、そのような醍醐味は期待できない。

醍醐味の醍醐とは、「チーズ」の漢字呼称です。

乳酸発酵の代名詞、チーズのように、自然の恩恵に浴するものを頂くことこそ、人生の醍醐味のひとつですね!

 

 

目標を持たない生き方がいい

1月30日夕刻から、「PED」 という催しに参加してきました。ped

Peacestrategy  Entertainment  Design  略して PED です。

Youtubeで有名なトークイベント TED のもじりのようですが、今回で2回目。
場所は青山の「ウィメンズプラザ」の大ホール。

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そこに、100人近い聴衆を集めて行われました。

8人のスピーカーが10分ずつ、「好きなことをし続ける生き方」というテーマで、それぞれの経験や考えを語りました。

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尼僧漫画家で「仏様カード」で有名な悟東あすかさん、売れっ子声優の有野いくさん、タタンカ村という「善意の村」の活動を進める岡空俊輔さん、「戦わずして勝つ」のコンサルティングをする小川景久さん、集客コンサルタントで地位を確立した荒木学さん、アスペルガー症候群のコンサルタントとして活躍する吉濱ツトムさん、健康運動指導士の黒田恵美子さんら、各界の第一人者がスピーカーを勤めたのですが、不肖私も、キムチ界を代表して(?)スピーチさせていただきました。

テーマは、

 「目標を持った生き方をやめよう」

という、ちょっと変わったコピーでやりました。

正確に言うと

「目標に縛られると、その達成のために手段を選ばなくなりがちで、時として本末転倒になるから、そこを気をつけていきましょう」

ということです。

極端な例ですが、「平和実現のために戦争をする」ということがいい例です。

それより、目の前の課題をひとつひとつ真摯にこなしていくことで、方向性を見誤らずに進めるのではないか、と思います。

うちのキムチの例で言うと、目の前のお客様に喜んでいただけるように、素材選び、素材の調理方法、ヤンニョムの選定、パック形態の選定、などのすべての段階で、とにかく全力を尽くす。どこにおいても手抜きをしない。

たとえば、無添加を守ることは、「まず無添加であることを目標におく」という順序ではなく、各段階で全力を尽くせば、自ずと無添加になっている・・・・・ということなのです。

そんな事を、慣れない立派な舞台上で、照明を浴びながら10分間しゃべってきました。

終了後、聴衆の方も半分以上が残って、居酒屋さんで大懇親会!

楽しかったです!

 

 

それを入れちゃあおしまいよ!

映画「男はつらいよ」。全48作の名シリーズ。

この中で、寅さんが何度も怒ります。
「おいちゃん」と口喧嘩し、「てめえなんか、もう出て行きやがれ!」と言われたときのことです。

それを言っちゃあおしめえよ!

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「おいちゃん!! それを言っちゃあおしめえよ!」と吐き捨て、寅屋から出て行ってしまうシーン。
何度も見ますよね。

ところで私、外食に行って、カウンター越しに調理人さんの作業を見るのが好きです。

ラーメンや中華料理の店では、オープンキッチンで見やすいところが多いですよね。

そんな時に、「あの白い粉」を料理に入れる瞬間を目撃した時、独り言でつぶやくんです。

「お兄さん。それを入れちゃあ、おしまいよ!」と。

はい、そうです。
白い粉とは、化学調味料のこと。

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化学調味料は、本来の味と関係のない物質(さとうきびとか、でんぷんとか)を化学的に変化させて、人が旨みと感じる成分にして商品化したものです。

ですから、昆布やかつおの旨みの化学調味料には、昆布もかつおも入っていません。
「それらしき偽物の味の物体」が入っているだけです。

この偽物の物体の力は強く、一口目からその味で食べる人の口を覆います。
そして、すべての料理をその味で隠すのです。

いくら天然の素材を使っても、一粒でも化学調味料を入れたら、素材の味の上に、化学調味料の味が来ます。化学調味料というのは、そういうものなのです。

ダメですよ。

お店もダメ。ご家庭でもダメ。使ったらダメです。お料理が下手になります。食した人の味覚は麻痺し、偏食が進み、健康にもよくありません。

そうです。

「それを入れたら、おしまいよ!」

自然のもので作った穏やかな味わいのものを食べて、喧嘩せずに穏やかに行きましょうね。

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千住ネギのあれこれ

葱(ネギ)は日本中で年間食べられる、代表的な野菜の一種ですね。

関東は千住ネギ 関西は九条ネギ

でも、関東と関西では葱の種類が違うのです。

関東は、長くしっかりした、いわゆる「長ネギ」で、主に白い部分を食べます
千住ネギともいます。

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関西は、青い葉の部分を食べる、「九条ネギ」が主流ですね。

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なぜ千住ネギと呼ぶかというと・・・

あの「北千住」のある、足立区千住で取れるから・・・というのは間違い!

でも、千住の町は関係あります。
ご存知のとおり千住の町は江戸時代の宿場町で、江戸の北の入り口でもあったのです。

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地方で取れた野菜も集まり、特に、ネギの専門市場があり、大量のネギが集荷されていたのです。

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千住にも語源があり、そのさらに昔、この地域を流れる川のほとりに「千手観音像」が流れ着いていたという伝説から、千手、千寿、千住・・となったのだそうです。

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その、関東の千住ネギ。

独特の香味と食感で、食卓に欠かせませんね。

そこで、キムチ屋の本能が湧き出て、専用のヤンニョムを作って、キムチにしてみました

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千葉のネギの名産地、松戸の長ネギを使いました。

タレには、長期にわたり継ぎ足しで作ってきた、にんにくの醤油漬けの醤油だれをベース味として使い、そこに無添加のヤンニョムジャン、清酒、唐辛子を加え、独特の香りと繊細な味わいを持つ、「香味野菜のキムチだれ」として採用しました。

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我ながらよくできました。

千住ネギ、美味しいですね。

 

サザエさん症候群から脱け出すために

サザエさん症候群とは

サザエさん症候群という言葉があります。

毎日曜日の夕方にテレビで放送される「サザエさん」。人気の長寿番組ですね。
その時間になるころに、翌日から始まる新たな週に対して、不安を感じる症状のことを、こう呼ぶのだそうです。

腸内環境が影響する!

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その「サザエさん症候群」と「腸内環境」との関係を調べたユニークな研究があります。

順天堂大学の小林弘幸教授と、ヨーグルトメーカーのダノンが共同で行った研究で、結果、「腸内環境の悪い人には、サザエさん症候群が多い」、という結果だったそうです。

「腸は第二の脳」といわれるように、精神状況と腸内環境は密接に関係しているわけですね。

そして、ヨーグルトメーカーの研究らしく、結論は「腸に届く乳酸菌を多く含むヨーグルトと、繊維質の多いものを一緒に摂る」ことを推奨しています。ヨーグルトとキウイフルーツの組み合わせは最強だとか。

ヨーグルトも、すべてがいいわけではない

ちょっと待ってください。

ヨーグルトの場合、以前にもこ ブログで何度も書いてきていますが、

◎ヨーグルトなどに含まれる動物性乳酸菌は腸に届く前に、胃酸でほとんど死滅する

という残念な事実がありますね。

そこで各メーカーが最近、特殊加工して、胃で死なない乳酸菌入りのヨーグルトを開発しています。このあたりは、よく選ばないといけないですね。

キウイフルーツも、常に冷蔵庫にあるとは限りませんし、お嫌いな方もいらっしゃるでしょう。

ということで、気がつくこと。

そう、キムチです!

そう。

キムチ。

何度も書いてきていることですが、

◎魚介塩辛を豊富に使う無添加キムチは、そこに含まれる多量の動物性乳酸菌に触発されて、白菜などの野菜が乳酸発酵し、植物性乳酸菌が大量に生まれる

のです。

そして、白菜などの野菜は豊富に繊維質を含みます。

ですから、無添加の本格キムチを食べるだけで、多量の植物性乳酸菌と繊維質が同時に摂れるわけです。

もちろん、すべてのキムチがいいわけでもない

ただし、諸処の添加物が含まれるキムチは、この限りではありません。添加物により乳酸菌が死んでしまうことも多いかと思われます。(保存料やPH調整剤が特にそうです)

また、魚介塩辛を使わない簡易的なキムチや、使っても微量のキムチも、その限りではありません。

・・・・

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真面目な無添加の白菜キムチ。 (この画像は、「白菜キムチ頂」です。)

常食して、サザエさん症候群から脱出しましょう!

 

銃を取るのは凡人の策

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毎年正月に大間のマグロを高値で競り落とす、「すし三昧」の木村社長。

こんなこともやっていたのですね。

http://hbol.jp/77365

ソマリア沖で海賊行為を行っていた住民たちを説得し、船と冷蔵庫を与え、マグロ漁法を伝授し、獲れたマグロを全量買い取るということをここ数年続けているそうです。

一銭の税金も使わずに、自力でやっているとのこと。

当然赤字だそうですが、国を挙げてやるのならともかく、私営の会社でここまでするという例があったでしょうか?

そして、年間300件あった海賊行為は、とうとうゼロになるに至ったそうです。

軍艦を派遣して海賊警備に当たるよりも、はるかに頷ける方法です。

銃を取るものは、銃で滅ぼされる。

勇ましい言辞で若者たちを戦場に走らせ、命をまるで国の道具のように浪費させる・・・

そんな国に未来はありません。これは古今東西の歴史が証明してます。

そんな策は、凡人、いや、愚人の策です。

 

木村社長の勇気と英断を、少なくとも日本政府は見習っていただきたい。

日本にもこういう英傑がいるのですね。

同じ食の世界に携わる者として、うれしく思います。

キムチ唐揚げを焦げなくしたのは発酵の力

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苦労していた「キムチ唐揚げ(キム唐)」がようやく発売できました。

国産鶏もも肉に、無添加ヤンニョムジャンを絡めた商品です。

片栗粉をまぶして揚げるだけですが、開発の苦労は相当のものでした。
とにかく、揚げるとすぐに「焦げる」のです。
タレの唐辛子、しょうゆ、味噌などが反応して、焦げるのはどうしても避けられませんでした。

ここを一気に解決したのが・・・

発酵の力

でした。

タレにはもともと、清酒、みりんが加えられていますが、その量を調整して、よりタレの発酵を促すようにいたしました。
ヤンニョムジャンには大量の魚介類(アミエビ塩辛、ホタテ、あさり、牡蠣)が含まれており、ここに含まれる乳酸菌に作用して、さらに発酵がすすみます。

タレに絡められた鶏肉にも変化が起こり、ある時間を熟成させると、

◎より熟成が進み、旨みが増す

◎やわらかくなる

◎揚げても焦げにくくなる

ことは突き止めたのです。

タレを絡めてすぐに揚げると焦げますが、時間がたてばそれが嘘のように焦げなくなります。
これは衝撃でした。

発酵の力は、何とすばらしいものでしょうか。

あらためて感じた商品開発でした。

思い起こせば、うちで作ってきた「キムチのタレ(ヤンニョムジャン)」が「腐ったこと」や「カビが生じたこと」を、30年の経験の中で見たことがないのです。

冷蔵庫の中には、数年前に作ったタレをサンプル的に保管しているのですが、何年たっても、腐りません。それどころか、どんどん旨みが増してきているように思えます。
こういうものを商品としてはお出ししませんが、個人的に楽しんではおります。

発酵の力を、あらためて感じた次第です。

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味付けの悪の循環(化学調味料)は避け、食の善の循環を

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お醬油や塩、味噌、どういうものをお使いですか?

日本の基本的な調味料ですから、スーパーの棚に並んでいるものはどれも「安全」であるのは間違いないですが、こういう調味料ですらも、ラベルの「原材料表示」を確認する癖をつけていただきたいです。

お醤油なら、「新味醤油」「うまみ醤油」「だし醤油」というような、ちょっと変わった名前をつけたもの。

塩なら、「アジ塩」「エンリッチ塩」というような名前をつけたもの。

味噌なら「だし入り味噌」のようなもの。

これらはすべて、「化学調味料」入りです。ラベルには、「調味料(アミノ酸等)」というような記載が必ず成されています。

日本の誇る天然調味料に、わざわざ人工的に化学抽出された化学調味料を加えて、より「旨み」を出し、さも高級なものであるかのように装っているものです。

ここで、味付けに関する間違いのない事実を大きく記載しておきます。それは、

一粒でも化学調味料を加えれば、その食材の味わいはすべてその化学調味料の味になる

という事実です。一粒でそうなります。

化学調味料の味わいは、素材の天然の味と関係なく、素材を「一番上から覆い」、その食材の味になってしまいます。

人が食べて「旨い」と感じるグルタミン酸などのアミノ酸の味を化学的に合成した味で、その食材の味のすべてを覆うのです。繰り返しますが、一粒でも使えば、必ずそうなります。

それは、表現を変えれば、

天然の味わいなど、そのどこにもない

ということになってしまいます。あるというのなら、それだけで出すべきです。

日々食しているそのメニューの味わいが、ひょっとしたら化学的な物であるというその事実。

妙な名前の醤油や味噌や塩を使うだけで、そのメニューももちろん、そうなってしまいます。

化学的な味わいは味覚を麻痺させ、さらに刺激を欲するようになり、行く行くは、糖尿や高血圧などの症状にもつながるとされます。

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精神的にも不安定になるのではと私は思います。

このような「食の悪の循環」は、ぜひとも絶ちたいものです。

旨みは、自然が人間にご褒美として与えてくれたもの。

それを頂き、「本当の味わい」を知り、本物の美味しさを味わって健康になる。

味噌や醤油は、世界に誇る日本の伝統的な発酵調味料。
それだけで十分な味わいを出せるはずです。

食材の自然の味わいを生かし、穏やかな味付けで、適量だけ美味しく頂く。

本当に穏やかで美味しいものは、人の心をも和らげます。

食の仕事を長らくしくしてきた私は、喧嘩していた人たちが、美味しいものを食べて心を落ち着かせ、笑顔で分かり合うというシーンを、この目で数限りなく見てきました。

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そういう食の「善の循環」を、ぜひ作り上げていただきたいと思います

キムチ唐揚げ?

昨年から暇があればトライしていた事があります。
失敗ばかりしていたので、人にはお伝えしてきませんでした。
ようやくうまくいきそうになって来たので、今現在の状況でお伝えしますね。

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それは、「キムチ唐揚げ」なんです。
鶏の唐揚げにキムチのヤンニョムジャンの味がついていたらどうか・・・。

出来た唐揚げに「ヤンニョムジャン」をつけるのでしたら、間単にすぐに出来ます。

(もちろんそれでもとてもおいしいです)

それではなくて、肉にヤンニョムジャンを絡めて、そのまま揚げるという、最初からやがちゃんキムチの味がついている、唐揚げです。何もつけずにガブリと噛んだら、「あ、キムチの唐揚げだ!」と叫んでいただけるような唐揚げです。

もちろん、無添加です。

もちろん、ごまかしの味わいではなく、にんにくも、アミエビ塩辛も、しょうがも、牡蠣もホタテもあさりも使う、丸ごと、やがちゃんの味がついた、正当な「キムチ唐揚げ」です。

ところが、試作は失敗に告ぐ失敗。

本当に、失敗続き。とにかく、すぐに「焦げる!」

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ね!?見事なまでに、焦げますね。 油に入れたら、あっという間に焦げるんです。
油の温度を下げても駄目。
とにかく、せっかくのキムチ味の肉が、数秒で焦げに覆われてしまいます。
タレの唐辛子が、あっという間に焦げてしまうんです。
唐辛子がないキムチなどはありえませんので、とにかく、絶望的な状況でした。

 

それでも、挑戦し続けました。

いろいろな食材を試し、実験に次ぐ実験。すると、

1)肉の下処理に工夫を凝らし

2)タレの配合に大きな変化を施す

ことで、劇的に改善することがわかりました。唐辛子はもちろんそのまま。
油の温度は、若干低目がいいですが、超低温というわけでもなく、きちんとカリッと揚がります。

見てください、これ!

 

そう。赤いんです。ヤンニョムジャンの色がちゃんと出ます。

味は・・・・うん。いけます。後を引きます!

発売は未定ですが、今後も美味を磨いていきます。

 

 

オリーブ七味を広めたい!

急に冷え込んだ日本列島。千葉にも今週、初雪がちらつきました。

さて、やがちゃんキムチの本年したいことの一つは、

◎オリーブ七味の小さな口コミを広めたい!◎

ということなのです。

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オリーブ七味は、一昨年秋に発売したものなのですが、とにかく、「ジワジワ」と
売り上げが増えてきています。
そして、大きな特徴は、「ネットより店頭売り上げの方が、好調である」という、
非常に珍しい商品なのです。

店頭に並べだしたのは、昨年の夏あたり。

最初はほとんど動かなかったのですが、ご来店のお客様が、それをご覧になり、
「このオリーブ七味って何?」
とお聞きになるようになりました。

ご来店のお客様は、ホームページをご覧になる方はあまりいらっしゃいません。
初めて目にする「オリーブ七味」に、ご興味を示されるのです。
そこで、原材料やご利用法などをご説明すると、半信半疑ながら、ご購入くださいます。
それが、しばらくすると、「とってもおいしかったわ!」とリピートを下さるようにな
ったのです。そして、「友達にも紹介したわよ」とおっしゃる方も!

口コミが発生!

そのうちに
「○○さんからおいしいと聞いたから!」と言う方がお見えになるようになり、今では、
その輪がどんどん広まり、店頭の売れ筋商品となってきたのです。

つまり、ほとんど、「口コミ」で売れてきました。

ご近所のラーメン屋さんも、「坦坦麺」で使ってくださったり、ますます好調です。
今、ほとんど毎日、新たに作るようになりました。

そこで、この動きを、ネットでも広めたいと思っています。

そのオリーブ七味のご利用法ですが・・・

◎そのまま食べてももちろん美味しい

◎うどん、ラーメン、カレー、シチューなどの汁物に入れるとグッと味が豊かになる

◎鍋に入れると、すぐに極上のチゲ鍋に!

◎煮魚等の煮物に使うと、あっと驚く新グルメに!

◎チャーハン、パスタ、などにもGOOD!

・・・これ、実は、お買い上げ下さったお客様から「直接お聞きしたご利用例」なのです。

 

もう一個サービスキャンペーン!

今回、簡易丸パック入り160gを、通常720円のところ、21日まで

★おひとつご注文の場合、ふたつお送りします!!★

ご注文ボタンを1回押すと、「二つ」届くように設定してあります。

お一人2回ご注文分、つまり、4個分まで!・・です。

サービスで届いた分は、どんどんご利用になり、お友達、お知り合いに「お裾分け」し
ていただくなりして、是非「口コミ」を広めてください!

また、「こうやって使ったら美味しかったよ!」と、そのご利用法をご紹介下されば
嬉しいです!

やがちゃんキムチのオリジナルの味の世界。

ぜひ、お披露目ください!

オリーブ七味のページは、こちらです!
http://www.umakim.com/neri/

なお、フェイスブックページにも、オリーブ七味のページを作りました。
ご感想、メニューアイデアなどをお書き込み下さい。
また、ぜひ、「いいね!」もお願いします!
https://goo.gl/u2RWpN

やがちゃんキムチの本年の三つのお約束です

あけましておめでとうございます

年末にはたくさんのご注文を頂き、そのすべてを手作りして、お送り申し上げました。

まことに有難い限りです。

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本年の三つのお約束です

1)無添加を貫きます

2)最高の美味をさらに追求します

3)新たなグルメの開発にも邁進します

詳細は以下のとおりです

1)無添加を貫きます

やがちゃんキムチは味が穏やか。体にすっと入ってくる。食べ飽きない。自然の味がする。・・・・このようなご感想を頂くことが本当に多いです。これはすべて、「無添加」であることから来るものです。

アミノ酸調味料、たんぱく加水分解物、保存料、着色料、増粘材、PH調整剤、酸味料等々、lあらゆる食品添加物は使いません。一粒もです。やがちゃんキムチには、そのような添加物が置いてありません。ですから、自然の食材のみを使って作っております。全商品です。これは、今後もずっと変わることはありません。

使う必要がないからです。そんなものを使わなくても、正当な食材を十分に使えば、これだけの美味を提供できると知っているからです。

やがちゃんキムチを食べるようになってから、風邪を引かなくなった・・・こんなご報告も数多く頂戴します。それはそうでしょう。唐辛子、にんにく、ショウガ、アミ塩辛等々、免疫を高める効果が知られている食材をこれだけの濃度で使っているキムチは、おそらく当店以外にはありません。
私自身も、もう数十年風邪を引いていません。

添加物に頼らない、濃度の高いタレ(ヤンニョムジャン)で作るキムチだからこそだと思います。

2)最高の美味をさらに追求します

「無添加」イコール「まずい」というのが、業界の「常識」のようです。特にアミノ酸調味料を用いらないと、十分な旨みがでない、とほとんどの職人さんが考えています。

ですがそれは誤りです。

食材の研究をして、和洋中華の料理法を学び、独自の工夫を凝らせば、無添加でも美味しくすることができます。いや、無添加だからこそ、本来の素材の美味しさを表現できるのです。

3)新たなグルメの開発にも邁進します

昨年は肉関連のメニューにも注目し、まったくオリジナルの鶏の丸煮キムチ、「ホールタトリタン」を開発、販売しました。

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おかげさまで多方面からご評価いただき、予想をはるかに超えるオーダーを頂きました。

本年も、商品開発の力は弱めません。また「新たな美味」を追求し、発表させていただきます。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

年末年始の営業日程

本年も大変お世話になりました。

今年も、「無添加美味」を守り抜き、皆様から多くのご支持を頂いた一年でした。

ただいま年末の製造発送の真っ只中です。
年末年始は、以下の日程で営業をさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。

年末年始の営業日程

12月24日15時・・・年内配送分の受注締め切り
(この日15時までのご注文は、年内に配送いたします)

12月30日・・・・製造発送最終日

12月31日~1月4日 休業

1月5日より 平常営業

何卒よろしくお願い申し上げます

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(今年の人気ナンバーワン・・・ホールタトリタン!

年末のおすすめ商品

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何といっても、白菜キムチ頂!(20日受付まで30%増量中!)

本タラバガニケジャン、とろけるおいしさ!

竹塩のみ味付け、無添加サムゲタン!

 

 

乳酸菌なら、キムチ!

本日のテレビのバラエティ番組で、「乳酸菌を含む食品」の効能について、放送していました。

乳酸菌は腸内の発酵環境をよくし、免疫力を高め、病気にならない体を作る!

がん予防の効果もある!だからたくさん摂りましょう・・・・という内容でした。

それには、ヨーグルトなどもそうですが、日本特有の「漬物」もいい、と強調されていました。

ですが、乳酸菌の話のときに、なぜ「キムチ」が出てこないのか。私には不満でした。

まず、乳酸菌についてまとめてみましょう。

乳酸菌とは、一般的には特定の菌のことを指すのではなく、「人間に害を与えない有用な菌の総称」として使われる言葉です。

そして、その種類や由来で、特質に大きな違いがあります。

動物性の乳酸菌は豊富で強力だが、胃酸で多くが死んでしまう

ヨーグルトなどに代表される動物由来の「動物性乳酸菌」は、その量が多量です。ヨーグルトには、1mlに少なくとも1000万個以上(時には億の単位で)乳酸菌が存在します。(そういう規定があります)
けれど、これらはほとんど、胃酸で死ぬといわれています。つまり、腸まで届かないのです。

せっかく摂っても、これではもったいないですね。

植物性の乳酸菌は、少量だけれども、腸まで届く

野菜の塩漬けや糠漬けなどには、植物性の乳酸菌があります。これは、ヨーグルトほどの量はないですが、胃で死なずに腸まで届きます。

そこで腸内環境を良くし、免疫力を高める働きをするわけです。

キムチは、動物性乳酸菌が植物性乳酸菌になる!

さて、キムチです。

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キムチは、「動物性」と「植物性」の両方の側面を持つのです。

どういうことかというと・・・

●キムチのたれ(ヤンニョムジャン」に含まれる魚介の塩辛(アミエビや鰯などの塩辛)には動物性の乳酸菌が大量に含まれています。

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●この動物性の乳酸菌が、白菜などの野菜の塩漬けに移り、そこで増殖します。それは、植物性乳酸菌となり、発酵が進みます。(発酵が進みすぎると、乳酸菌が分解して、乳酸と酢酸が生まれ、それで酸味を感じるのです)

こうしてできた、大量のキムチの乳酸菌は、胃で死ぬこともなく、腸まで届くのです。

腸内で善玉菌を増やし、免疫力を高めます。

そして、健康な体つくりに役立つ・・・・と、こういうわけですね。

つまり、いいキムチには、条件があるのです

この、世界にも類を見ない、動物性と植物性の両方のいい面を持つキムチの乳酸菌。

その力を発揮するためには、条件があります。

●大量の魚介塩辛を使っていること・・・です。

アミエビなどの魚介塩辛は、「旨み」を出すために使います。
ですが、大手メーカーのアミ使用キムチの多くが、それを少量だけしか使いません。それは、コストダウンのためと、少量でも使えば、原材料表示に「アミ塩辛」などと書くことができ、「本格キムチ」を装うことができるから・・・と類推もできます。

少量しか使わないから、旨みが足らなくなります。そこで、化学調味料(アミノ酸)を加えるわけです。アミ塩辛を使いながらアミノ酸表示があるわけは、こういう理由なのです。

本来、化学調味料を使う必要などないのです。

やがちゃんキムチは、おそらくもっとも塩辛・魚介を使うキムチです

よそ様のキムチのことはわかりませんが、やがちゃんキムチが、桁外れに大量の「アミ塩辛」を使っているのは事実です。その量、タレ(ヤンニョムジャン)の量の20%以上です。普通にはありえない量です。
また、アミエビ以外に、ホタテ、牡蠣、アサリを大量に使います。
こうした魚介類の総量は、タレの30%にも及びます。

だから、無添加でも旨みが出て、さらに、腸内に乳酸菌が届き、健康にいいキムチとなるわけです。

平和とキムチ

本日の内容は、随想です。大仰な題名ですみません・・。

父母のこと

私の母は大正14年生まれで、長野の田舎町の勤め人の娘。父は13年生まれで、山奥の農家の長男でした。ともにもう他界しております。

嫁ぐときに母は、実母(私の祖母)に、「百姓の嫁になるだから、これからはおめえは食うものには困らねえからな」と言われて送り出されたそうです。昭和の23年。日本中が食べるものに困っていた時代です。父は2年前に抑留されていた中国から復員してきた旧陸軍の兵隊でした。

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しかしやがて日本の食糧難は解決し、人は食べるものよりも「仕事」「金」を追求するようになります。高度経済成長の時代になるのです。

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私が父母の間に生まれたのが、昭和30年。長野から東京に出てきた両親は、小さな食品店を始めていました。

私の記憶には、「食べ物に困った記憶、腹を減らした記憶」というものがありません。

どんなに忙しくても、母は私たち子供に食べさせてくれました。学校にも、弁当をもたせてくれました。
その代わり、父と母がお金のことで喧嘩している様子は、何度も見た記憶があります。

人が求めるものの順序

戦争で「命」を追い求め、

食料難で「食べ物」を追い求め

経済社会で「お金」を欲しがる・・・

人が欲求するものは、結局こういう順序で変わっていくのでしょう。

ならば、お金の次は?・・・・・お金の次は何でしょうか?

知恵と教養

お金の次にさらにお金を求める人も、きっと多いと思います。世界中が今、そういう人だらけなのかも知れないです。
でも、本来は、「知恵」なのでは無いでしょうか? 知性と言い換えてもいいです。

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知恵。教養、知識。考える力。そういうものが今、実は一番必要な時代に入った気がします。

知恵さえあれば、無益な戦争を起こさないでしょう。人の命も、食べ物も、財産も奪いません。

人が人である理由は、ひとえに、知恵があるからだと思うのです。知性のある人は、他者を恨むより愛するべきであることを知っています。何故なら、過去の歴史で、一度も人は戦いで幸福になっていないという事実を学んできたからです。争うことは、虚しいことであると、知っているからです。

キムチだって役に立てる

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私が作るキムチも、そういう知恵のある方が、「ああ、無添加で本当の美味しさに満ちているね」と言っていただけるようなものにしたい。

食する人の心を和らげ、穏やかな心持になっていただけるような味わいにしたい。そう思います。

たかがキムチですが、私にできることはそれだけです。

ですから今後も、ずっと無添加で穏やかな美味を追及してまいります。

魚介キムチの作り方はこんな感じです

やがちゃんキムチの大きな特徴は、「魚介系キムチ」の種類が豊富なことです

通常、「チャンジャ」や「ケジャン(ワタリガニキムチ)」はどこでも作りますが、これに加えて、当店では

「タラバガニ、いか、たこ、あさり、ほたて、牡蠣、サーモン、エビ、カレイ縁側」などもキムチにしてしまいます。カニも3種類、(タラバ、セコガニ、渡りの身)、イカも数種類(するめ、ヤリイカ等)、エビも数種類(ボタンエビ、天使のエビ、赤エビ等)と、バリエーションも豊富です。

それも、すべて、素材ごとに違う味付けのタレを使います。各々の素材の味が違うのですから、それは当然のことです。

 

アトランティックサーモンキムチを作ろう!

今好評の、「アトランティックサーモン」のキムチ・・・ご自分でも作れます。ここに、レシピを書きますね。

まず、買ってきたサーモンを、サイコロ状に切りましょう。お刺身の形に切るより、この方がいいのです。

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タレの配合ですが

マイルドヤンニョムジャン10に対し、丸大豆しょうゆだれ 1 を加えます。これだけでいいです。

ピリ辛感を加えたかったら、青唐辛子を刻んで加えてもいいです。

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こんな感じに出来上がります。

すぐ食べてもいいし、一晩二晩置いておいても、またコクが深まります。

二つのタレの配合は、ご自分の好みで調整してください。

 

もちろん、マイルドヤンニョムジャンも丸大豆しょうゆだれも、当然「無添加」です。

よそ様のタレで漬けても、絶対にこうはなりませんで、悪しからず。

マイルドヤンニョムジャン 魔法のタレの製法図解

最近、「マイルドヤンニョムジャン」の売り上げが急激に増えています。

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何にお使いになるか分からないのですが、個人の方で、400グラムや1キロだけではなく、業務用サイズの5キロ、20キロサイズをご注文になる方も続出しています。

何にお使いになっても、その可能性は無限大。

やがちゃん最大の傑作が、このタレだといっても過言ではありません。もちろん、まったくの無添加です。
このタレを無添加だと知って、まず、プロの方が驚かれます。通常は、不可能なことだからです。

それが真実であることを、以下で図解いたします。

「マイルドヤンニョムジャン」の「製品構造」の図解です。

マイルドヤンニョムジャンは、次の4種の「タレ」を混ぜ合わせたものです

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これは、キムチの基本の「ヤンニョムジャン」です

 

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これは、和食の基本の「だし」です

 

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いわゆる「焼肉のタレ」ですが、もちろん無添加です

 

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信州味噌の旨みを最大限に生かす、オリジナルのコチジャンです

 

以上4種のタレを作り、練り合わせるのに使う時間は、数十時間。丸2日です。

非常に手間がかかっているのが、お分かりだと思います。

 

マイルドヤンニョムジャンの用途ですが・・・

●キムチのタレ(塩漬けした白菜、大根、小松菜などに塗れば、極上の無添加キムチができます)

●お刺身のタレ(魚介系のキムチが、すぐにできます)

●極上無添加のうまからソースとして

煮物、焼き物、炒め物・・・に、何でもお使いになれます

応用範囲は無限に広く、お使いになる方の工夫次第です

●キムチ鍋の味として

鍋の具材を入れて、このタレを入れるだけです。市販のタレは問題外の美味しさです

このタレを使う方は、本当のお料理上手です

使い慣れだすと、本当に便利なのがこのタレです。

このタレをご自分で作ることは不可能ですから、ご利用に徹してください。間違いなく、お料理の質が上がります。

お買い上げはこちらから

やがちゃんキムチ自社サイトはこちらから

アマゾンのサイトはこちらから

 

 

 

 

 

唐揚げフェスティバルで・・・人はなぜ食べるのか・・・

日本唐揚げ協会という団体があります。

鶏の唐揚げが好きな人たちが集まっている団体で、その数、なんと、7万人とか!

最近もすごい勢いで増えていて、この調子なら10万人も遠くないということですが・・・すごいですよね。

コンビニの唐揚げメニューとか、唐揚げ用の粉のプロデュースも手がけていて、日本の昨今の唐揚げブームの牽引役にもなっています。

その団体の年間最大イベント、「忘年謝肉祭」に参加してきました。
そして、うちの「ホールタトリタン」も、特別参加させていただきました。

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会場は数百人の唐揚げマニアで熱気ムンムン。

一人1キロの唐揚げを食べられるということですが、皆さん、本当に1キロをひたすら食べていらっしゃいました。出品されていたのは、有名店の唐揚げ4種類。

私は、ホールタトリタンの調理で厨房にいたので、4種の唐揚げをつまみ食いさせてもらいましたが、それぞれに個性ある味で、納得の美味でした。

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そんな中、うちのホールタトリタンも、驚くほどに好評。

たまに会場に顔を出すと、「この鶏のキムチ、サイコー!」「びっくりするほど美味しい!」などと声をかけて頂いて、作り手冥利に感じておりました。

唐揚げ協会の会長は、あの「やすひさてっぺい」氏。

「唐揚げを通じて世界平和を!」という、突拍子もないテーマを、真面目に掲げている方です。

でも、この日の皆さんの笑顔を見ると、まさに、これこそが平和への道、と、実感できました。

美味しいものは人の心を和らげる・・・それは、食の世界に30数年いる私の経験で、感じてきたことです。

人は、なぜ食べるか。それは、平和のために。

本当のことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スポーツマンシップと武士道

相撲の北の湖さんが急逝されました。驚きました。

現役時代、憎らしいほどに強くて、口数も少なく、どちらかといえば「近寄りがたい」雰囲気のある方でした。
押し出した相手にも手を貸さず、(以下の写真の千代の富士にも手を貸していませんね)

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「冷たい」と言われたこともあったようですが、ご本人があとから語るには、

「負けた相手に失礼に当たるから」ということだったそうです。「惻隠の情」のある、武士道精神にも通じる心配りのできる大横綱であったということですね。

さて、野球の世界では、プレミア12という大会が開かれ、優勝候補の日本が準決勝で韓国に敗れ、小久保監督の采配に批判が集中したようです。

でも、考えてみてください。毎日間近に選手を見て、プロとしてあれこれ悩み続けて、その結果ああいう采配を選択をして、それで負けただけです。勝負は時の運。監督も選手も全力を尽くした結果、試合に敗れただけです。

その結果を素人の私たちがやいのやいの言ってどうなるんでしょう。

一番傷ついているのは監督ご本人。まずは「お疲れ様でした」とねぎらい、夢を与えてくれたことに感謝しなければ。

Samurai Japan Press Conference & Training Session

日本に勝った後、決勝でもアメリカを下し優勝した韓国の金監督は、恒例になっていたマウンドに国旗を立てる「儀式」をせずに、きちんと整列して、日本の観衆に礼をしたそうですね。

「実力は日本がナンバーワン。小久保監督は敗戦を糧に、大監督に成長されると思う。国旗を立てなかったのは、日本の方に失礼に当たると思ったから」と言われたそうです。

まさに、武士道精神。言葉を変えれば、これぞ、スポーツマンシップ。

賭博問題を覆い隠すような体質を持つ日本球界の方々には、もっとこの精神をお持ちになっていただきたいと思います。賭博問題を起こした巨人所属の代表選手が台湾で乱痴気騒ぎを起こすなど、言語道断だと思いました。

ちなみに、キムチ屋ですが、私は生粋の日本人です。よく韓国人の方と間違えられますが、嫌だと思ったことは一度もありません。

人を傷つけない。偏見を持たない。正々堂々と対する。惻隠の情を持つ。気配りをする。

人は生まれる国を選べないのですから、どこの国の人間だからというだけで色眼鏡をかけるのは、恥ずかしい行為だと思います。

「勝負」だけにこだわると、大切な心を失いがちです。

私たちは、「武士道」や「スポーツマンシップ」に、もっと学ばなければいけませんね。
それが無益な争いを避け、平和につながることだと思うのです。
物事は、勝ちと負け、数字の大小だけでは語れるものばかりではないのですから。

パクチーお好きですか?パクチーキムチ発売!

パクチーがブームです!

ハーブがブームですね。特に、「パクチー」。別名、コリアンダー。香菜ですね。

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実は私、パクチーは嫌いでした!

私が始めてこれを体験したのは、30年近く前のタイです。
そこでいろいろな料理に使われているパクチーには参りました。
あの独特な香りには耐えられませんでした。

そのトラウマか、最近に至るまで、パクチーを敬遠し続けておりました。

ところが日本では、どんどん広まっています!

しかし、世の中は、そんな私にかまうことなく、パクチーはどんどん日本に広まります。
「パクチー専門店」というのも珍しくなくなりました。
日本でのパクチー栽培も始まりました。

そして今年、友人が三軒茶屋にパクチー料理の居酒屋を開店して、そこでいただいたパクチー目ニューや、「パクチーハイ」(パクチーをミキサーしたハイボール)などで、トラウマが一気に解消しました。お店の名前は、「シンチャオ」です。パクチータワーというのもあります。

国産パクチーは本当に美味しかった!

パクチーは、香りと刺激のハーブです。

国産パクチーは全般にマイルドな味わいで、大葉やセリの延長上にあると言ってもいいかもしれません。

そうです。

パクチーは、こんなにも美味しいのです!

ならばキムチを作っちゃおう!

それならば、無添加キムチでは日本一と勝手に自称している私が、そのキムチを作らないわけにはいきません。パクチーキムチ、研究しました。

パクチーとよく合う野菜の筆頭・・・・そうです。にんにくです。

このにんにくを、生醤油(非加熱の高価な醤油)に漬けて、エキスを搾り取ります。
これは、最低半月を要します。

そのにんにく醤油に、やがちゃんのヤンニョムジャン、純米酒、ゴマ、唐辛子などを配合して、パクチーに合う専用のタレを作ったのです。もちろん、もちろん無添加です。

こうして手間隙かけた、本邦初(かどうか知りませんが)の、「パクチーキムチ」

発売しました。国産パクチー使用。無添加です。

こちらからどうぞ

 

★華やかな香りと味わい

パクチーキムチ

120g 880円(税込み950円)

《送料別》


★華やかな香りと味わい

パクチーキムチ

240g 1680円(税込み1814円)

《送料別》

冷蔵のみ 冷凍できません。

やがちゃん製法一覧図

やがちゃんキムチが

無添加で

美味

という、相反する二つのことを実現させるためにしていることは、本当にいくつもあります。

その一つ一つが、大きなテーマとなるので、一度にはそのエッセンスを書ききれないのです。

そこで、ひとつの図式に「やがちゃん製法」をまとめてみました。
これで全体の構図が多少はご理解頂けると思います。

 

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簡便に作るキムチとは、同じ視点で語っていただきたくありません

キムチは、野菜などの主素材に、ヤンニョムジャンというタレで味付けした食品です。

アミエビこそ旨みと健康成分の原点

ヤンニョムジャンには、唐辛子、にんにく、しょうがなどともに、旨みを出すメイン素材として、アミエビの塩辛が使われます。

 

アミエビはエビの一種です。古くから食用として親しまれているエビですが、海から上がるとすぐに劣化が始まるので、塩を入れて塩辛にして冷凍保存されます。

このアミエビの塩辛の中にこそ、キムチの重要な栄養成分である動物性乳酸菌が豊富に含まれているのです。

その乳酸菌が白菜などの野菜に移って植物性乳酸菌として発酵増殖するから、キムチは世界に類を見ない高栄養食品となるわけです。

アミエビを使わないのに乳酸菌?

ところが、市販の大量生産キムチの中には、この乳酸菌を、アミエビ塩辛を使わずに、人工的に加えて「乳酸菌数億個」などと宣伝しているものがあります。
これは言ってみれば、不完全なキムチにヨーグルトを混ぜたようなもので、とてもまともな製法とはいえません。

ところでこのアミエビですが、その名のとおり、「エビ」の一種で、旨みの宝庫です。正式名は「アキアミ」と言います。

釣りの撒き餌としてつかうのは、形も名前も似ていますが、「オキアミ」です。

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オキアミはエビではなく、プランクトンの一種ですし、通常は人の食用にはなりません。ところが最近、オキアミ使用などと堂々と銘打ったキムチも現れています。

オキアミは旨みも少なく、キムチの素材としてはまったく不適当です。

「アミエビ」を使っていると誤認させて売っているとしたら、褒められない話だと思います。

アミエビは高騰しています

アミエビは乱獲がたたり、資源が減少して、価格も高騰しています。
ただ、キムチを作るのにはアミエビはどうしても不可欠です。

韓国では、アミエビのほかに、イワシやイシモチなどの塩辛をキムチの原料として使う方法もありますが、やはりアミエビの上品な風味には及びません。

韓国の政府が十数年前、「アミエビ塩辛を使って発酵したものだけをキムチと呼べる」と発表したことがありましたが、頷ける話です。

アミの他に・・・

やがちゃんキムチでは、タレの総量の15%をアミエビが占めています。これは日本ではもちろん、韓国のキムチでもありえない数値です。

それに加えて、国産の牡蠣とホタテ、それにあさりも大量に加えて、魚介の旨みを極限まで利用して味つくりをしています。

よく「やがちゃんの味わいは複雑で奥が深い」と言われますが、このような徹底した素材の研究利用があるからです。

ですから、化学調味料の使用で簡便に作るキムチとは、同じ視点で語っていただきたくありません。

 

 

 

駅弁の添加物・・・?

駅弁、好きですか?

先週大阪に用事があり、始発の新幹線で行ってきましたが、朝6時前から混んでいた東京駅内のお店がここ。駅弁専門店です。

全国のありとあらゆる駅弁が百種以上。みなさん、どんどん手にとって、レジに並んでいました。

朝4時に起きて出発した私も空腹でしたので、さっそく「越後の豚鶏弁当」を手にとって並びましたが、少し気になって裏面の表示を見てびっくり!

うわーー。添加物オンパレード!

では浜名湖のうなぎ弁当にしようとしてそのラベルを見ると、やはり同様。

それはそうですね。

全国各地で作られたお弁当を朝一でこの東京駅で売るとしたら、このような添加物を入れざるを得ないんでしょう。
それに、お値段も高い!
一番安くて1000円くらい。うなぎなど高いものは2000円程度します。
しかも・・・今の駅弁は、「冷たい」ですよね。

昔、急行列車が駅に止まると、駅弁の売り子さんが、作りたての温かなお弁当を抱えて、ホームで売っていたものです。慌ててホームに出て、それにお茶をセットで買って、電車が出るまでに席に戻る・・・そんな経験があるのは、おそらく50代以上の人たちでしょう。

それが駅弁だったのです。

ご当地、作りたて、ホームで販売、温かい・・そして、お茶!

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名画「遥かなる山の呼び声」の中のラストシーンで、高倉健扮する主人公が網走に搬送される途中で、刑事さんが駅弁とお茶を買うシーンが印象的です。

この当時は、熱いお茶をその場で入れてくれたのですね。

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お値段も、それほど高くはなかった気がします。添加物については分かりませんが、すぐにその場で食べるものですから、今ほど使っていなかったことは間違いがないと思います。

結局この朝私が選んだのは、この店頭で職人さんが握って売っていた「おにぎり」。

これなら無添加でしょう。

始発のガラガラの指定席に座り、それほど温かくなかったけど、鮭おにぎりと昆布おにぎりを缶ビールで流し込むうちに、新横浜駅に着いて、隣の席にも乗客が座りました。

美味しくもなかったですが、まずは空腹は満たされました。

消費税外税化11月から・送料は本日より1万円以上無料に・年末配送受付ます

やがちゃんキムチからのご連絡です

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消費税外税化させていただきます

前回の消費増税の際、当店は、なるべくお客様のご負担増を避けるべく、ほとんどの商品の価格に増税分転嫁をせずに参りました。
しかし、最近の野菜、魚介類、輸入食材(唐辛子等)の値上がりは激しく、この価格体制を維持することが非常に困難になっております。

本年(平成27年)11月1日よりのご注文から、消費税を現行の表示価格に別途加算させて頂きます。なにとぞご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。

1万円以上お買い上げは送料無料!

現行は、送料800円、5000円以上お買い上げの場合は送料400円ですが、10月21日(本日)よりこれに加えて、1万円以上お買い上げの場合は送料無料とさせて頂きます!
(沖縄県は、5000円未満1200円、以上800円、1万円以上400円となります)

年内配送のご予約を、今月いっぱい現行の価格でお受けします!

10月中に限り、現行の内税価格で、12月いっぱいまでの配送ご予約をお受けします。

どうぞ月内に、お得な価格でご予約ください!

ホールタトリタンのクリスマス時期ご予約を今のうちに!

鶏の丸煮キムチ「ホールタトリタン」は大変に好評で、現在でも製造に四苦八苦しております。

クリスマス時期にはご注文が殺到し、お受けできなくなることが考えられます。
お得な内税価格でご予約できる今月のうちに、ぜひご予約ください!

以上、まことに勝手ながら、なにとぞよろしくお願い申し上げます

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ホールタトリタンのできるまで

ホールタトリタンはこうやって作ります

まず、丸鶏を選ぶ。丸く肉付きのいいものがいいですね。

それに塩胡椒を振ります

そして、「秘密の液体」で煮ます。数時間!中身はトップシークレット

甘みや風味の出る野菜をたっぷり入れます。

動画があります。

 

そして、やがちゃんの

特製無添加ヤンニョムジャンを入れます!

ヤンニョムジャンは、鶏肉用に調整した、無添加の旨みの極みです!

これをさらにグツグツ煮れば、出来上がり。

仕込み開始から完成まで、優に7時間!

 ぐつぐつ煮ている動画があります!

GooglePhotoで思い出した、100年後の日本への手紙

Google Photo(グーグルフォト)という機能を最近知り、使えるように設定してみました。

設定といっても、スマホにこのアプリをダウンロードしただけです。

そうしたら・・・なんと・・・スマホで撮りだめていた画像やビデオが、一気に「全部」、グーグルのサーバーにアップされていました! その数、約6000!

私のスマホはipone5sなのですが、iphoneは、3、4、5、5sと4台使ってきています。
そのすべてのiphoneで撮った画像がアップされていて、もう、びっくりびっくり。ituneというアプリが上手に使えない私は、このGoogle Photoで、「何もせずに」保存ができて、助かりました!

それで、・・・・・アップされた画像をパソコン上で眺めていたら、2010年6月に撮ったこんな画像が出てきました。

千葉県の松戸にある、「戸定亭」という、徳川昭武(15代将軍 慶喜の弟)の邸宅です。
ここを訪ねた時のスナップ画像です。

2010年6月といえば、あの震災の9ヶ月前。

私だけではないでしょうが、最近は「震災の何年前」「震災の何ヵ月後」というような時間の数え方をするようになりました。

邸の外にはこんな花が咲いていました。依然ここを訪ねられた皇后様がお好きな花だそうです。

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邸の中は、明治の時代のまま保存されています。この庭の向こうには、富士山が見えたそうです。

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そこに、こんな部屋があり、なにか書けるように紙と鉛筆がセットされていました。

 

 

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これ、「100年後の日本人に残す手紙」を書こう、という試みでした。

この静かな部屋で、机に向かい正座して、しばらく目を瞑り考え、私は文章を書き、「百年箱」という箱の中に納めました。

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その文章がこれです。

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書いたことすら忘れていましたが、こうして GooglePhotoで思い出せました。

震災の9ヶ月前。あの時は、民主党の政権でしたね。

そのときも、こういうことを考えていたようです。

今書けといわれたら、同じことを書くかもしれないです。

100年後。この美しい国と花々と人々が、平和で続いていますように。

 

 

なんちゃって無添加にご注意を

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食品添加物を使用する理由はいろいろありますが、私なりに大別すると、以下のような分類になります。

1)保存性を増す

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流通ルートに乗せて、長期間の店舗販売や在庫に耐えられる保存性を確保するために使います。
ソルビン酸などの保存料、PH調整剤、酸化防止剤などが含まれます。

2)きれいに見せる

見てくれを鮮やかにして、購買意欲をそそります。合成系や自然系がありますね。
いわゆる、着色料や、粘性を高めて「照り」感をだすために、増粘剤も含まれると考えます。

3)粘性を高める

希薄な素材しか使わないと、商品はだらだらとして形を成しません。これを固めたり粘性を高めれば、少量しか自然素材を使わなくても、形になります。
増粘多糖体として、さまざまの添加物が使われます。カラギーナン、キサンタンガムなどが代表的です。

4)美味しく感じさせる

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代表的には、グルタミン酸ナトリウムなどの化学調味料です。「調味料(アミノ酸等)」などと表現されています。「等」と書くのは、アミノ酸の一種であるグルタミン酸だけではなく、核酸の一種であるイノシン酸、グアニル酸、コハク酸などの旨みを化学的に合成して使われているものもあるからです。
添加物には分類されませんが、たんぱく加水分解物も、本質的には同じです。

 

◎使用量は、100分の一ルールで決められる

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これらの食品添加物は、使用限界量が決められています。
その決め方ですが・・・・

ラットなどの動物実験で、その添加物を注入して、健康異変が起きた量を測定し、ラットと人間の個体の大きさに換算して限界使用量を計算し、さらにそれを「100分の一」の数値にして、食品添加物としての使用許容量、としているのです。

◎複合使用は野放しです

ラットの体重を人間に換算して、さらにその100分の一にするにせよ、それはひとつの添加物についての数字です。

添加物をいくつ使っていいのか、という制限はありません。
極端に言えば、100個の添加物を許容量いっぱいまで使えば、計算的には、健康異常が起きる可能性が出てくる・・・・ということなのです。

 

◎「なんちゃって無添加」にご注意ください

マスコミで激しい宣伝合戦を繰り広げる加工食品。キムチもまた例外ではありません。

宣伝文句には、「ナントカカントカ無添加」とか、「~~~~不使用」の文字がよく使われます。

たとえば、「保存料着色料無添加」は、よく見る文句です。

ところが、これは逆に、「ほかの添加物は使っていますよ」という宣言でもあるわけです。

キムチ屋として、保存料や着色料が無添加であることなど、当たり前のことです。宣伝文句に使うことすらおかしいです。
こういった、「化学調味料は使っています」という「裏宣言」の商品の宣伝に、決して安易に乗らないでいただきたいです。
やがちゃんキムチのお客様には、そういう方はいらっしゃらないと思います。

 

◎化学調味料(アミノ酸)不使用であれば、俎上に乗る

化学調味料の味わいは強烈です。
一粒でもそれを使っている食品の「味」は、その素材の味ではなく、化学調味料の味を味わっているといっても過言ではありません。

化学調味料無しのラーメン、食べたことがありますか?

化学調味料無しのスナック菓子食べたことがありますか?

ありませんよね。なければ商品が存在できないくらいに、もう製造の現場に入り込んでしまっているからです。そして、使わなければおいしく感じない、売れない、という不自然な循環に、社会の食生活全体が染まってしまっているからです。

化学調味料不使用であれば、当然ほかの添加物も使っていないと思われます。

このような食品を選び、吟味できるような食生活をお送りください。

上記の「複合汚染」の要因は、あらゆる「現代病」の原因になっているかもしれません。
怖いですよね。
体に変異が起きることを、国が認めているのは確かなものがほとんどなのですから。

◎やがちゃんキムチは、堂々と「無添加」です。しかも美味。

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あらゆる添加物を使わない。

これが「やがちゃんキムチ」の矜持です。

そして、さらにいうと、「無添加でも抜群の美味を実現している」。これは、更なる矜持です。

だから、体にスッと入ってくる。

不自然な味わいではなく、自然のやさしい味わいに満ちている。

今後もこの道を歩みます。

 

 

 

「キムチ 無添加」41万件中検索1位記録 5年間継続中!

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キムチ 無添加で検索してみると・・・

あなたのスマホやパソコンで、「無添加キムチ」とか「キムチ 無添加」とかのキーワードで、検索をしてみてください。

有料広告のいくつかのサイトのあと、「自然検索」の検索結果がずらっと出てきますね。
合計41万件あまりの検索結果です。

その41万件の中の第一位は、間違いなく、「やがちゃんキムチ」のサイトです。

この検索結果、無添加キムチだけを作り販売している当の本人として、非常に光栄なことではあるのですが、実はそれだけではありません。

 

これが、5年以上続いています

やがちゃんキムチがこの検索キーワードで1位と判定されているのは、なんと、この5年間以上、毎日必ずのことなのです。
一度たりとも、他のサイトが上位に来たためしがありません。これは、毎日確認していますから、間違いのない事実です。

「キムチ 通販」 「キムチ」などのキーワードでも上位に選んで頂いていますが、これはかなり順位が上下しますし、また、一位のサイトもしょっちゅう入れ替わります。

ですが、「無添加 キムチ」「キムチ 無添加」だけは、一度の例外日もなく、最低5年間以上、まちがいなく、やがちゃんキムチが1位です。はい。

 

ですから、これからも守り抜きます

 

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とにかく、無添加。

何があっても、全商品無添加。

そして、味をよくする添加物などを加えないでも、定評の美味。自然の恵みのおいしさ。

お客様のはじける笑顔。

グーグルさんの高いご評価。

がんばります。

ホールタトリタンパーティを開いていただきました!

昨晩は、お客様のオフィスに15人以上が集まって、

「やがちゃんキムチのホールタトリタンを味わう会」を開催して頂きました。

 

このオフィスは、原宿駅から歩いてわずか5分という好立地。「悟空」という名の会社のオフィスで、オーナーの岡空さんは、「タタンカ村」という、「誰もが楽しく集えて語り合える場所」を運営されています。今年の夏にスタートしたこのプロジェクトには、すでに100名以上の「村民」が集まったそうです。

昨日もそのメンバーを中心に、15名もの人が集まってくださいました。

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そこで、やがちゃんキムチのキムチたちと、メインディッシュに「ホールタトリタン」を味わっていただいたのです。

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キムチは、

ホタテキムチ 白菜キムチ頂 甲羅なしケジャン チャンジャ 生タコチャンジャ オイキムチ

の6品。

まずはこの6品をオードブル的に味わっていただきました。

皆さん、初めて召し上がる「やがちゃんキムチ」の味に驚かれ、

「おー!」

「深いーーー!」

「うんめーーー!!」

と感嘆のお声が続出。

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そしてメインディッシュのホールタトリタンが登場!

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オーナーの奥様で、体操療法士として有名な、黒田恵美子さんが皆さんによそってくださいました。

使ったホールタトリタンは、中サイズが5個。これに男爵ジャガイモを10個カットしてゆでて入れ、そのゆで汁で辛さも調整しました。

これがまた、大絶賛の嵐!

争うように召し上がっていただけて、多いかな・・と思われた、3人でひとつ見当のホールタトリタンは、見事に完食して頂けました。

すばらしいお仲間と、おいしい食事と、楽しい会話。

ワンダフルな夜でした。

キムチの作り手として、幸せな時間を過ごさせて頂きました。

本当にありがとうございました!

これから秋冬です。皆様のコミュニティでも、ホールタトリタンパーティ、いかがですか?

 

 

 

 

 

 

味作りは、図形を描くことから入る

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上の奇妙な形の図、実はこれ、私の頭の中にある「味の図形」です。

何か味を作ろうとするときには、これらの図形を頭の中で組み立てながら、味のイメージを作るのです。

たとえば、甘みと酸味が同居していて、しかも舌触りが滑らかなプリンを作ろうとしたら・・・

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こんな図が浮かんでくるのです。

「旨みは感じられるけど、化学調味料のツンツンした味わい」を表現するなら、こんな感じ。

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つまり、「味つくりは、味そのもののイメージを、形のある図形に置き換えると、やり易くなる」ということなのです。

お分かりいただけるでしょうか・・・。

やがちゃんキムチのさまざまの味わいには、こうして、すべて「形」があるのです。

文字通り、「美味の設計図」を書く作業をするわけです。

この作業、本当に楽しいですよ。ぜひ、やってみてください!

 

 

白菜の価格が(一時的に?)下がったので・・・

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白菜の異常高値が続く今年です。

4玉入り12キロの箱が、2000円を下ることが珍しくなりました。つまり、白菜一玉500円以上です。
ひどいときには、1000円を超えます。

原因の大半は「異常気象」ですが、業者である私たちの感覚では、価格決定のメカニズムに不透明な部分が多く、しかもその不透明さが増しているような実感があります。
実際、誰がどうやって決めているのでしょうか?

それはともかく、今一時的に、一玉300円程度まで下がっています。

またいつ上がりだすか、わかりません。

 

そこで、今のうちに、「白菜キムチ頂 30%増量キャンペーン」を行うこととしました。

9月の月末までの緊急措置です。

この期間内に「白菜キムチ頂(いただき)」をご注文の分は、3割増量してお作りしてお届けします。

1キロなら1300g、2キロなら2600g、400gなら520g、ということになります。

ページ内に「増量ボタン」がありますので、それを押してから、通常とおりお買い物をしてください。

配送は、先日付予約も可能です。

どうぞこの機会に!

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この上のボタンを押すと、商品ページの頂が全品30%増量となります!(9月27日~30日)

常にノーサイド

ラグビーワールドカップが佳境ですね。ジャパンチームの活躍がすばらしいです。

 

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ジャパンは、アジアのラグビーの雄ですね。過去すべてのワールドカップのアジア代表は日本だけです。韓国がその牙城に挑んでいますが、まだ日本には及びません。それでも、日韓戦になると、お互いに燃えるそうです。

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ところで、いわゆる「嫌韓ブーム」が起きてから、もうかなりが立ちます。

新大久保あたりで始まった「ヘイトスピーチ」は下火になっているようですが、密集していた韓国関連のお店はかなり減ってしまったようですね。

わたしどもの商売にも、少なからず影響は広がっており、キムチ業界は今、風前の灯かもしれないです。

こうした動きには、やがちゃんキムチは実は無縁であって、おかげさまで年々ご注文の量は増えております。まことにありがたいことです。
ですが、親しく付き合っていた韓国関連の業者さんが廃業したりするのを聞いて、複雑な思いを抱くのもまた、事実です。

声を大にして言いたいこと。

●こうした嫌な風潮の原因は、どの国の善意の市民にも、全くありません!●

必要以上の言辞を投げる方々は、みな、「外側」から言っているだけなのです。政治的な思惑や、それに乗ってしまった方々で、「内側」でつつましい生活を送っている善意の庶民には、何の罪もありません。

お客様に、健康的でおいしい食生活を送っていただきたい。

やがちゃんキムチの信念はそこからだけ発します。

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国籍や政治のことは、マイナスの意味で考えないし、利用しません。それは全く関係のないことです。

常に、「ノーサイド」。 いつも公平に物事を考えたいです。