無添加の味はトータルで考える

ラーメン店時代の出来事

私は以前、チェーンに加盟してラーメン店を経営していて、他の加盟店のラーメン店主とお付き合いする機会も多かったです。

ラーメンにもギョーザにもチェーンの基本レシピがあるのですが、ギョーザに関しては比較的自由で、それぞれのお店が味にこだわりを持ち、まさに「味自慢」を競っていました。

0GYO

ある店主さんが私に、「うちのギョーザは牡蠣エキスを入れているからよそとは違うんだ」と教えてくれました。私がそれを真似て、牡蠣エキスを入れて試してみると、確かに牡蠣の味がして美味しい。

別の店主さんは、「コショーを増やせば味がしまって美味しくなるよ」と言います。
それで私がまたそれを真似ると、確かに刺激感が出て、味が引き締まりました。

化学調味料という魔法の粉

そうやって、いろいろな人から教えてもらったものを真似をしたのですが、ある日、「今日のギョーザの味はおかしい」というクレームがお客様から相次ぎました。

食べてみると、味が腑抜けています。ぜんぜん美味しく感じません。

ギョーザを作った従業員に確認すると、牡蠣のエキスも、コショーも間違いなく入れたと言います。

しかし、「あ、あれを忘れました!」と言いいました。それが、味の素、そう、化学調味料だったのです。

img_5

このときのギョーザの味付けは、塩、しょうゆ、ごま油、酒、それに牡蠣エキス、コショー、味の素(化学調味料)、でした。

化学調味料を入れなければ、まったく旨みが出ない・・ということは、ほとんどの旨みは、化学調味料で出している、ということになります。新米ラーメン店主の私には、それは衝撃でした。

それはキムチでも同じだった

その後キムチ屋を始めたときも、韓国の方に教わったタレのレシピは、大量の化学調味料を使用するものでした。その量の多さに、驚きました。

それから幾年月。

今はキムチだけ作っていますが、化学調味料をゼロにして、無添加キムチを標榜して久しくなりました。無添加で美味しさを出すために、「あれを入れたから」「これを加えたから」などという生易しい改善では済みません。
ギョーザに牡蠣エキスを入れるとか、コショーを増やすとかいう問題ではないのです。

無添加への道は遠く困難

まずベーススープに10時間かけて「肉と野菜のコク」を取り、和風のだし(昆布、煮干、しいたけ)を作り、醤油系のタレを作り、味噌系のタレも作り、魚介類の素材をたっぷりと使い、そしてキムチ本来の唐辛子やにんにくやエビ塩辛と混ぜる・・・。

画像 027

シンガポール 003

ベーススープも、和風だしも、醤油系、味噌系のタレも、当初のレシピにはありません。ホタテやあさり、牡蠣などの魚介類も材料にはありませんでした。
あったのは、唐辛子やにんにく、エビ塩辛などの基本素材と、大量の化学調味料だけだったのです。

無添加で美味しいものを出すと言うことは、「あれを入れる」「これを入れる」ということでは出来ません。

最近は、「添加物」に分類されない、たんぱく加水分解物や調味エキスなどを加えて旨みを演出し、「無添加です」と名乗る商品が増えて来ました。安易といわざるを得ません。

無添加には哲学が必要

まず、味の設計図を作り、それを味の要素に分けて、それをどうやって組み立てるかを、試行錯誤の中で決めていくしかありません。

またその大前提として、「なぜ無添加でいくのか」という、「哲学」を確立させなければなりません。

売るため、儲けるためではありません。それは哲学ではありません。

しっかりとした、食の安全と美味との関わりを説明できるだけの、「生き方」としての哲学です。

無添加の味は、こうして、すべてをトータルで考えながら作っていくものです。

kk999