ボランティアと人間の本能

ボランティアという言葉の意味は?

「ボランティア」という言葉は、元々「慈善事業」とか、「無料奉仕」という意味ではありませんね。

元々、「自発的な行動(者)」という意味なのです。

ですから、災害ボランティアと言う時には、「自発的な支援活動」という意味なのです。自発的という時に、「利」を考える余地はありません。損得勘定などは抜きなのです。

ただ、困っている人を放っておけない。何とかしたい。それでも何も出来ないから、せめてお手伝いをしたい。それも出来ないから、傍に寄り添って、一緒に話をしたい。泣きたい。

そういう自然と湧き出る善意の感情に裏打ちされた行動こそが、ボランティア活動なのだと思います。

被災地への義援活動は?

東日本大震災の時はもちろん、昨年の熊本地震、今年の九州北部豪雨など、多くの人が、ボランティア活動に参加しています。行政の出来ないこと、足らないことを補填し、またそれ以上に、心の通った地域支援の活動が展開されています。

その全てが、「自発的」なものです。

原始時代は、弱肉強食であったのか?

最近聞いた話です。

アフリカの数百万年前の地層から人間の骨が発見されました。衣服など無い、原人の時代です。

女性の遺骨で、年齢は20歳前後で、足の骨に先天的と思える異常があり、歩けなかったと推測されます。その女性の胃の部分から、魚の骨が発見されたのです。

未開の原始の時代です。文化的なものはありません。みな、生きるために必死の時代です。

弱肉強食であったと想像しがちなその時代に、生まれつき歩けない人は、邪魔にされたのではないかと、現代のわれわれは考えがちです。

しかしこの女性は、成人しているのです。魚も食べているのです。

つまりは、ハンデを背負った人を助ける精神と行動が、この時代にも存在していたということの証明でもあるのです。

驚きですよね。弱肉強食ではなかったのです!

優れたものを優先する、「優性志向」ではなかったのです!

今、我々は?

それと比べて、我々はどうでしょう?

これだけ文化が発展し、毎日お腹いっぱい食べられて、命の危惧も感じないで、安心して生きていられる現代。ハンデのある方を、邪魔にする方はいませんか? 体のことだけではありません。人種や国や言葉によって、差別をする人はいませんか?

原始の時代に、歩けない女性に食べさせ、一緒に生きた人々には、きっと笑顔があふれていたのだと思うのです。

それに比べて、自分の仲間だけの「利」を優先し、ほかの人たちを排斥し、殺し、殺される、現代の地球。この国。この時代。

被災地へのボランティア行動を、文字通り、自発的に行う、行える社会、国、そして自分でありたいと思います。

本来は、それが人間の本能だと思うのです。