八月や六日九日十五日

八月や六日九日十五日

俳句です。日本人なら、意味は書かずともわかりますね。

毎年毎年、うだるような暑さの中の盆の時期、広島長崎の惨禍や、戦争の無意味さ、悲惨さがメディアで表現される時期です。

八月の3つの日にちを並べただけのこの俳句は、一瞬でその日本人の記憶と心に働きかけます。

私自身は、ラジオで永六輔さんがこの句の紹介をされたのを聞いて、すぐに記憶に刻みました。忘れようのない言葉の句だからです。記憶では、「八月や」ではなく、「八月は」だったと思うのですが、どちらでも同じですね。

実は作者が6人もいる

それで、この句の作者は誰か?・・・と調べましたら、なんと、複数いらっしゃるんですね。

ブログ等で「自分が書いたのに、先行で書いた人がいる」と書かれている方が、少なくともお二人います。記事をよく読むと、なんと、6名もの方が同じ句を書かれていることがわかります。真似をしたということではなく、まったく別の時期と場所で、偶然6つの同じ句が生まれたということなのです。

そして、まったく同じものが6つも生まれたこと自体が、実はこの俳句の価値を語っているように思えます。

戦争は起こしてはいけない。人は殺してはならない。傷つけてはならない。戦争は愚か者の行いである。・・・・・この真実に、日本人は、大戦で300万人もの命を失ってようやく、気がついたのです。

偶然の一致の、6つの同じ言葉の俳句が存在するということは、日本人なら誰しもそのことをわかっていることのひとつの証明であるのでしょう。私にはそう思えます。

権力は何のためにあるか

広島、長崎、終戦。

毎年その日に、記念式典が開かれ、為政者が演説します。ですが、ここ数年のそれは、空々しく聞こえてなりません。

国である以上、為政者は必要です。その為政者が「権力」を持つことも、もちろん必要です。

ですが、その権力をどのように使うかに関しては、厳格な規制と監視が必要です。
それが出来なかった最も不幸な結果の例が、「八月や六日九日十五日」の句に示される、日本の国を挙げての戦争だったのだと思います。

権力は、その国の人々の幸福の実現のためにだけ、使うべきものです。
それ以上でも、以下でもあってはなりません。

権力を私することは、絶対にあってはならない。

特定の思想や宗教のために使うこともあってはならない。

権力とは、弱い立場の人を救うために、使うべきものなのです。

平和だからこそ、美味しさが味わえる

八月や六日九日十五日

今一度この句を、為政者にも、人々にも、読んでいただきたいです。

やがちゃんキムチは、一介のキムチ屋です。政治や宗教には関わりません。

ですが、平和な世の中でなければ、やがちゃんキムチも、その味も、存在しません。

八月のこの時期、その思いを強くします。