「あずましや」の焼き鳥の向こうに見えるもの

『水戸で高校出てから、移動販売の焼き鳥屋に勤めたんです。10年間。スーパーの駐車場とか、花火大会とか祭りとか、ずっとやりました。10年間。
焼いてたのは、中国産の冷凍の鶏です。鶏肉の入った段ボールを見られないように隠してました。
売れたら売れたで歩合でいろいろ取られるんで、あんまり儲からなかったです。それでも10年やったんで、もう独立したいと思って、そこを辞めて、埼玉の焼き鳥の師匠に弟子入りしたんです。1年間修業しました。最後まで、焼かせてもらえませんでしたけど。

それで、この場所を紹介してもらって、借りたんです。ちょうど3年前です。最初の1、2年は、全然売れなかったです。それでもここのところ売り上げが伸びてきて、なんとかやれそうだなあ、と思っていたところで、やがちゃんさんのキムチの噂を聞いて、女房に「買いに行こうぜ!」って言って、その日に行ったんですよ。去年の秋でしたよね。土浦から来ました、焼鳥屋です、と自己紹介したら、やがちゃんさんが、遠いところ悪いねえ、って言ってくれたの、よく覚えています。それで、食べてみて美味しくて、店で出したらお客さんが「うまいうまい」と褒めてくれて、
あの、物まね芸人で有名な方がうちの常連さんなんですけど、こんな旨いキムチやチャンジャは他にないって、どこのキムチ屋かって聞かれたから、南柏のやがちゃんキムチですって言ったら、奥さんが千葉の方で、やがちゃんさんのこと知ってたんですよ。

とにかく、飲み物で儲ければいいから、焼鳥はいいものを安く出そうって。遠くから食べに来てくれる人も増えて、食べログとかでも評判がいいらしくて、これで何とかやっていけるなって、女房と言ってたんですよ。今、僕は32になりました。女房は昨日の土曜に忙しすぎたんで、今日は休ませています。

ところが、コロナで。
店は開けてやってましたけど、4月5月なんか、1日一人か二人しか飲みに来るお客が来ない日があったりして。テイクアウトで焼き鳥丼やりましたけど、ほとんど原価ですから、もう、自分たちの飯代が出ればいいくらいの気持ちでいました。でも6月に解除になって、お客さんが戻ってきましたね。

とにかく田舎なんで、悪いうわさが広まるのは早いんで、いいものを出すことに努めてるんですよ。焼き鳥のタレは、壺に半分くらい師匠から最初にもらったものに、ずっと継ぎ足し継ぎ足しで作って来ました。
鶏は筑波の生の鶏です。塩も、モンゴルの塩に色々味をつけて使っています。とにかく、新鮮な肉を毎日仕入れて、炭火でお客さんの目の前で焼いて、美味い美味いって言ってもらえるのがうれしくて・・・・

もう、それだけですよ。出来る限り、最高のものをたっぷり食べてもらいたいです。それだけでよね』

・・・・・・・・・

茨城の荒川沖の町に入った。駅から歩いて10分ほどの、真っ暗な田舎道の辺に、その焼き鳥屋はある。「あずましや」という名前だ。「ほっとする」という意味の方言の「あずましい」という言葉からつけたという。

開店3年経ち、4年目に入った。店主、まだ32歳。朴訥な茨城弁で恥ずかしそうに喋って、いろいろ話を聞かせてもらい、そして、今まで僕の人生で食べた中で、間違い無く最高の焼き鳥の数々を食べさせてもらった。

モモ。砂肝。ネギ間。皮。どれもが、柔らかい。もちろん、焼けている。ジューシーそのもの。今まで焼き鳥はタレで決まると思っていたが、違う。味なんかつけなくてもいい。新鮮な肉をこれだけ上手に焼けたら、それだけで、もう十分だ。
その焼き鳥が、一串わずか100円から150円。

レバー。牛ハラミ。牛タン。こういうものが一串350円。
もう、焼き肉専門店に行かなくてはいいのではと思うほど、旨い。

肉がいい。焼き方がいい。タレがいい。塩がいい。文句のつけようがない。

実に、実に美味かった。

この場所で繁盛するには、最高の味を、地域の人に受け入れられるそれなりの値段で出すしかない。それを、弱冠32歳のこの青年が、やってのけている。32歳と言っても、もう15年の経験を持つ、焼鳥の達人だ。とんでもない、超一流の焼き鳥職人だ。

都心で、かつて何度も「匠の技」などと賞される焼き鳥店に行った。バブル時代やバブルがはじけてからも、そういう超高級店で、1本1000円近くもする串を有難がって、拝むようにして食べたものだ。
そういう自分の過去が、おかしくなった。
都心で「一流店です」と、土地と店名と、かなりの虚飾に彩られた「味」に、いったい今までどれだけ無駄な金を払ってきたことだろうか。バブル以前のことまで入れたら、それこそ、天文学的な無駄遣いを自分はして来た。

茨城の荒川沖に、焼鳥一筋15年焼き続けて来た、32歳の素朴な青年がいる。3年経っても、店は新築のように美しい。焼き鳥の煙を吸い続けるフードのステンレスはピカピカしている。

虚飾に染まらない、今の彼は、ザ・焼鳥屋だ。

都心の一等地で、コロナを境に苦境に立つ飲食業の方々が長い間掛けて見失ったものを、32歳のこの彼は、今は100%持っている。今、彼は「旬」だ。

何か、数十年前の、汚れない頃の僕自身を思い出してしまった。
行け、行け、このまままっすぐに行ってくれ。
目の前で焼き鳥を焼き続けるその姿を見て、煙の向こうに、失ってしまった自分の姿を見ている錯覚に捕われた。
もし、飲んでいたのがノンアルコールでなかったら、口に出して言っていたかも知れない。
「お前、おい、曲がるなよ! 曲がっちゃだめだぞ! このまま行けよ! このままだぞ!」と。

どうか、このまま焼き鳥道に励んでくれるように。
そう祈らずにいられない、身に沁みる美味しさでした。

食とは、心です。
これを失ったら、崩れる。
今、寸分も狂わない青年が、茨城の荒川沖の町中で、「あずましや」の看板を掲げて焼き鳥を焼いています。