味作りとラグビーと、子供の経済教育と

ラグビーのワールドカップ、日本チームの戦いが終わりましたね。
俄かファンとなった私も、手に汗を握って応援しました。感動を感じました。
今回のイベントは、日本で行われて本当によかったですね。
いまだに来年の真夏の東京での五輪開催について懐疑的な私ですが、ラグビーワールドカップについては、拍手したいです。

五輪の真夏開催は、大スポンサーであるアメリカのテレビ局の都合によるそうですね。秋になると、アメリカのプロスポーツのイベントが重なるため、4年に一度の五輪は、夏にしか出来ないのだそうです。

一方、聞いた話に寄りますと、日本のラグビーチームのメンバーの年収合計よりも、たとえば、日本のプロ野球のある一選手のそれのほうが上だとか。アマチュアリズムが堂々と働いているラグビーは、「お金」がまだ絡み付いていない部分があるのですね。それを知って、さらに好感を持ちました。

ところで話は変わりますが、最近、子供に「投資」や「経営」の教育をする、という動きが増えているようですね。会社経営や投資のシミュレーションをさせて、優劣もつけるようです。

小さいうちからそのような「技術」を身につけることはいいことだ、という考えには、私は大いに違和感を持ちます。

子供の頃に妙に「金銭感覚」や「経済観念」を身につけたら、ある類のものを敬う気持ちを失うと思うからです。
ある類のものとは・・・一言で言うと、「その価値を数字や金額で表せないもの」です。

言うまでもありませんが、世の中、すべてがお金の経済で回っているわけではありません。
夢、愛、善意、恋、憎しみ、悔悟、喜び、・・・そういった言葉で表せる「心」で動くことも多いのです。そして、子供の頃こそ、この純粋な心の世界を助長するべきなのです。アマチュアリズムもそのひとつですね。

お金のことや経済のことは、大人になれば否応なしに直面することです。
子供の頃にその教育をすれば、必ず「優劣」を競い合う結果になるでしょう。シミュレーションゲームでより利益を上げた子が「出来る子」として尊敬を集めるでしょう。その子は、仕事で成功することこそ人間の価値だと誤解してしまうかもしれません。

それでよいのでしょうか?

それより、稼げない子、打ち解けない子、負けてばかりいる子、心を閉ざしている子、成績が悪い子・・・そういう子に「どうしたの?」「一緒に遊ぼうよ」「大丈夫だよ」と声をかけ、寄り添える心。
それこそが、子供時代いっぱい時間をかけて、育むべきものだと思うのです。

それは、大人になってもとても重要な心の要素となります。

大人の世界は、少しの経済的成功者と多くの非成功者で成り立っています。
それは資本主義の宿命です。

その中で、弱きものに寄り添う心が持てるのか持てないのか。
それは人生を豊かにすることにつながります。

「誰一人置いていかない教育」
それこそが、若い人たちに成されるべきものだと思います。

そして、経済的に成功することと豊かに生きていくことは全く別のことです。

これはすでに、「共生の時代」の重要性を感じ始めた世界共通の認識と言っていいでしょう。

それに逆行する、子供への経済・投資教育。意味がないと申し上げたいと思います。

そしてそれに関連して強調したいのは、私のいる「味」の世界も、「数字」「利益」とは関係のないものだということです。

そう。ラグビーと一緒です。

味やラグビーの精神の本質は、むしろ、そういうところとは「逆」の側にあります。
お金や名誉の影がちらついては、いい味は作れません。
いくら売れたとか、マスコミで紹介されたとか、ナントカ賞をもらったとか、そんなことは味の本質とは何の関係もありません。

選手の年収が何億円だとか騒がれても、アマチュア選手のタックルに倒れたら、直ちにその看板は崩れます。

一人の喫食者に、感動を与えられるか与えられないか。
一人の観る者に勇気を与えられるか与えられないか。
そこで全てが決まります。
つまり、味作りもラグビープレーも、一つの芸術と言って過言ではありません。

笑われるかもしれないですが、食に携わる私は、日々そう思いながら仕事をしております。

日本中を感動させたラグビーチームのあの頑張りにはとても適いませんが、さらに精進していきたいと思います。