東京下町に住んでいた子供時代、春になると朝早くから、リヤカーを引いたおじさんの声が町に響きます。
「あさりーーーー、しーじみーーーー」
すると母に起こされて、
「ほら、これに一杯もらっておいで」
と、アルミのボールと板垣退助の100円札を渡されます。
寝ぼけ眼のパジャマ姿で出て行くと、近所のおばさんたちがもう並んでいて、
「あら、乾物屋の僕。起こされたの?」
と笑って迎えてくれました。
おじさんにボールにあふれるほどのアサリをもらって帰ると、姉達も起こされてきて、歯を磨いています。
そこに、千住の市場に買出しに行っていた父のオートバイの音がして、みんなで外に飛び出ます。
オイルの匂いをプンプンさせたオートバイの後ろにはタイヤ付きの荷台が付けられていて、木箱に入った魚やお菓子の箱が山ほど積まれています。
あっ!チョコレートだ!
と、下の姉が目ざとく見つけて触ろうとすると、父が、
「こら、これは売り物だぞ。さあ、朝飯を食おう!」
と、汗を拭きながら家に入っていきます。
茶の間に入ると、もう、5人分のご飯と鮭の塩焼きとアサリの味噌汁が、丸いちゃぶ台の上にぎっしり!
母の料理の手早さは、天下一品でした。
朝ごはんを食べながら、姉二人が学校で起きたことを言い争って母にたしなめられたり、父が今日の市場の様子を話したりしていると、ラジオから宣伝が流れてきます。
船橋ヘルスセンター!
船橋ヘルスセンター!
長生きしたけりゃちょっとおいで♪
チョチョンノパ チョチョンノパ♪
それを聞いた父が母に、
「今度の休みにはヘルスセンターでも連れて行くか」
と言います。母は、
「婦人会の集会があるわ」
と不安顔。しかし、子供達は黙っていません。
「ヘルスセンター行こう! 行こう! 行ってアサリ獲ろうよ!」
今は船橋ららぽーとになっている場所にあった、健康ランドの走りの「船橋ヘルスセンター」。
一歩でれば、遠浅の砂浜が続く、アサリの産地でもありました。
未だ砂の抜けないアサリの味噌汁をぐいっと飲み干し、
「わあ! ヘルスセンターいけるぞお!」
と叫んで、ランドセルを背負った、私の、45年前。
平成の今も、5月はアサリの美味しい時期。
船橋近くの三番瀬や、富津の砂浜で獲れるアサリを使った、「あさりチゲ」。
美味しいです。