あさりの記憶

あさり 011
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東京下町に住んでいた子供時代、春になると朝早くから、リヤカーを引いたおじさんの声が町に響きます。

「あさりーーーー、しーじみーーーー」

すると母に起こされて、

「ほら、これに一杯もらっておいで」

と、アルミのボールと板垣退助の100円札を渡されます。

寝ぼけ眼のパジャマ姿で出て行くと、近所のおばさんたちがもう並んでいて、

「あら、乾物屋の僕。起こされたの?」

と笑って迎えてくれました。

おじさんにボールにあふれるほどのアサリをもらって帰ると、姉達も起こされてきて、歯を磨いています。
そこに、千住の市場に買出しに行っていた父のオートバイの音がして、みんなで外に飛び出ます。
オイルの匂いをプンプンさせたオートバイの後ろにはタイヤ付きの荷台が付けられていて、木箱に入った魚やお菓子の箱が山ほど積まれています。

あっ!チョコレートだ!

と、下の姉が目ざとく見つけて触ろうとすると、父が、

「こら、これは売り物だぞ。さあ、朝飯を食おう!」

と、汗を拭きながら家に入っていきます。

 

茶の間に入ると、もう、5人分のご飯と鮭の塩焼きとアサリの味噌汁が、丸いちゃぶ台の上にぎっしり!

母の料理の手早さは、天下一品でした。

 

朝ごはんを食べながら、姉二人が学校で起きたことを言い争って母にたしなめられたり、父が今日の市場の様子を話したりしていると、ラジオから宣伝が流れてきます。

 

 船橋ヘルスセンター!

 船橋ヘルスセンター!

 長生きしたけりゃちょっとおいで♪

 チョチョンノパ チョチョンノパ♪

 

それを聞いた父が母に、

「今度の休みにはヘルスセンターでも連れて行くか」

と言います。母は、

「婦人会の集会があるわ」

と不安顔。しかし、子供達は黙っていません。

「ヘルスセンター行こう! 行こう! 行ってアサリ獲ろうよ!」

 

今は船橋ららぽーとになっている場所にあった、健康ランドの走りの「船橋ヘルスセンター」。
一歩でれば、遠浅の砂浜が続く、アサリの産地でもありました。

未だ砂の抜けないアサリの味噌汁をぐいっと飲み干し、

「わあ! ヘルスセンターいけるぞお!」

と叫んで、ランドセルを背負った、私の、45年前。

 

平成の今も、5月はアサリの美味しい時期。

船橋近くの三番瀬や、富津の砂浜で獲れるアサリを使った、「あさりチゲ」。

美味しいです。