焼きそばもやがちゃんの味

0ayaki8

0yaki2

かねてより店頭で販売してご好評をいただいてきた「やがちゃん焼きそば」。調理済み。
ネット通販を開始しました。こちらです

ところで、以前から次のようなお声を陰に陽に頂いて来ました。

「やがちゃんキムチは次々と新商品を出すけど、キムチだけを作っていればいいのに、奇をてらってあれこれやりすぎ」

「韓国伝統のキムチを作る業者として、少し邪道ではないか」

こういうお声は、当店に関心を寄せていただいている証明でもありますので、ありがたく拝聴していますが、説明させていただくとすれば

●やがちゃんキムチは、無添加で美味で、健康にもいいキムチやその周辺の食べ物を一心に作っている

ということです。それ以上でもないし、それ以下でもありません。この思いでキムチを作ってきたら、派生商品がいくつか生まれた、ということなのです。

今回の「やがちゃん焼きそば」にしても、それは変わりません。

「キム唐」や「ウィング」の開発で得た新型タレの応用で「無添加焼きそばソース」が出来たのですが、もともとはキムチのヤンニョムジャンの研究から始まっています。

 

★焼きそばソースは、自家製無添加ソースです

 

このソース、最近の新商品である「キム唐(キムチ唐揚げ)」や「ウィング」の味付けのタレを応用し、シャープな味わいとたっぷりの旨みを持つ優れもの。無添加ならではの、自然なやさしい味わいで、後を引く美味しさです。

具は単純。キャベツとニンジンと豚肉だけです。

一食一食、フライパンで手つくり。結構大変な作業ですが、「やがちゃんが作るとこうなる」という焼きそばのお味、お試しください。

ただいまのところ、「無料ご試食セール」もやっています。

どこまでも自分で作ります

すべて自前で作る業者は稀有です

たとえば、ラーメン。

ラーメンは、基本的に「麺」と「スープ」だけで成り立つ食べ物ですが、普通、ラーメン屋さんは、麺を自分で作りません。専門の麺工場から仕入れます。

スープも、全部自分で作るとは限りません。チェーン店などでは、スープもチェーン本部から濃縮で仕入れて、お店で水で薄めて温めるだけ、というのが普通です。

つまり、仕入れた麺を仕入れたスープの中に入れて終わり、ということなのです。

「こだわり」「手作り」「秘伝」などという文字が躍るラーメンですら、お店で実際には「何も作らない」という状態があるわけです。

ラーメンだけではありません。他のどの種類の食べ物のジャンルでも、似たり寄ったりの状況です。一業者が最初から最後まで全部「自分で作る」、という例は、本当に少ないのが実情なのです。

そうなる理由は、効率化してコストを下げ、利益を増大させようとすることにあります、

自分ですべて作る手間は、大変なコストを伴うのです。

やがちゃんキムチは、違います。

やがちゃんキムチは、逆の方向を歩いています。すべてを自前で作ります。これは社是というか、私自身の「生き方」「哲学」の問題でもあります。

一例ですが、現在試作を繰り返している「焼きそば」にも、市販のソースなどは使いません。
ソースも自分で作ります。

私はソース職人ではありませんが、自前でソースのすべてを作ります。たまねぎやんにくを炒めたり、レモンやりんごを絞ったり。本当に手間がかかります。

自前で作る際の絶対条件が二つあります

それは以下の二つです。

1)無添加であること

2)美味であること

です。

こうして文字で書くと、「それだけ?」と思われるかもしれないですが、この二つを同時に実現させるためには、大変な苦労と工夫と失敗の連続と呆れるほどの時間が必要になります。

本来、「無添加」と「美味」は、今の時代の消費者の感覚では並立しないのです。

刺激になれた現在の消費者のかたがたに、「美味しい」と感じていただけるものを無添加を守り通して作る。すべて自前で。

やがちゃんキムチが毎日行っていることは、そういうことです。

 

 

永六輔さんのご逝去を悼みます

0302

 

永六輔氏が亡くなりました。

私が中学3年生の時の担任の先生が、ある時NHKの前を歩く永六輔さんを見つけ、勇気を出して駆け寄り、ご意見を伺った、ということがあったそうです。

そのとき先生は、「私には間もなく卒業する40数人の担任生徒たちがいますが、彼らにこれから何を目指して生きていけばいいか、アドバイスをお願いします」と訊いたそうです。

いきなりの唐突な質問を嫌がりもせず、永さんは真面目な表情でしばらく考え、こう仰ったそうです。

「生徒さんたちには、物事を自分でよく考える癖をつけるようにして欲しいです。常識を疑い、真実がどこにあるかを見極める力をつけるように、と」

この話は、もう40数年前の話ですが、非常に印象深く、今でもはっきりと覚えています。

その時から、「上を向いて歩こう」の作者であるこの永六輔さんのことが、私の記憶で今に至るまでつながっていきます。

特に近年、キムチを作りながら聴くラジオの番組で語る氏の真摯な生き方には、非常な感銘を受けて来ました。

あらゆることに教養が深く、言葉の使い方に厳しく、弱者に常に寄り添い、権力の横暴を批判する勇気を持ち、伝統文化に造詣を深くし、日本というものを誰よりも理解していた、「知の達人」であられました。

「知性的」とは、永さんの持つこの生き方のことだと思っておりました。

晩年、お体を壊しながらもラジオを通じて、反知性的な傾向を持つ権力に対する苦言を堂々と呈されてもおりました。一度もお会いしたこともなく、投書もメールも致しませんでしたが、深く尊敬しておりました。

ご逝去を悼み、ご冥福をお祈り申し上げます。

私と同様に、全国で永さんの死を悲しむ方々は、それぞれの道で、今までとおり真摯に進んでいくことが、ご供養になる道でもあると思います。

私は、これからも、よりよい商品を真面目に作り続けてまいります。