最近やはり「老い」を感じることも多く、それではいけないと、思い出したように運動をしています。プールで泳いだり、ジムでマシンで鍛えたり。
でも、体は多少丈夫になっても、精神的なことは、また別の話ですね。
歳を取ったからこそ、思うことも多くあるのです。
そこで今回は、ちょっと真面目で深いお話。
私は今まで、様々の業界の多くの経営者の方々とお会いし、お話もし、交流もしてきました。
中には若くして短期間で株式一部上場をされた方もいます。
飲食業界の風雲児と呼ばれ、あっという間に日本中に店舗網を築かれた方もいます。
海外の有名雑誌の表紙を飾った方もいます。
一方、志を果たせずに去った方も多くいます。
手元に、経営者仲間で30年以上前に東南アジア旅行をした時に、タイで撮った一枚の記念写真があります。数えてみると、20名の経営者が写っています。端っこに一番の若手だった私が居ます。
写っている一人一人の現況を知っている限り思い出し、数えてみました。
条件により重複しますが、
不慮の事故や病気で亡くなった人、6名。
それも含めて自分の会社が倒産した人、12名。
命を絶った人、3名。
一方、見方はいろいろあれど、会社を発展させて「成功」させたと言える人、2名。
経歴は色々あれど、今でも元気で経営を続けているだろう人、3名から5名。
消息不明の方、少なくとも5名。
30年という月日は、それだけ人の世の表向きの姿を変えてしまうものです。
私自身は、こうして元気に仕事を続けているので、幸いな事だったと思っています。
そして今、こうして思い返して一番強く感じることを、敢えて書きます。
人は、功成り名を遂げることを目指せども、それだけでは決して成功しない。
自らの名を捨て、この世の人の役に立つを信じることを為せば、神は少なくとも見放さない。
後はどうなるか、全ては運命のなせる業だ。
何を知ったようなことを言うかとお思いでしょう。
ですが今、どう思い出して考えても、これ以上のことは書けません。
人は神にはなれません。これは真実です。
自分が神であると誤解した時、神は間違いなく何らかの罰を我々に与えます。
それが倒産であるか、死であるか、単なる絶望であるかは神が選び、与えます。
だから、自分を唯一絶対の存在だと自惚れてはならないのです。
私が出会った風雲児と呼ばれた方は、私の大恩人ではありますが、その最期は私にすら知らされない寂しいものでした。数年後に私はそれを知りました。
あれだけの魅力的な方が、自分を神と勘違いされ、そうなったと、近い存在であった私は今思っています。
謙虚であり続けるということは、最も難しいことなのかも知れません。
人生の目標は「名前も跡形も無くこの世を去ること」と仰った、尊敬する経営者のある方の言葉を思い出し、あらためてそう思います。
世に役に立つ仕事をすること。
それを誇らないこと。
そしてその実りは、この世に残して逝くこと。
胆に銘じて、今のキムチ業に邁進したいと思います。
(画像は、ウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカ氏夫妻。大統領になっても中古車を自分で運転し、月たった1,000ドルの収入で生活して、世界一貧乏な大統領と呼ばれました。善政を敷いたこの方から、我々が学ぶべきことは多いと思います)