それでもオリンピックは必要か?

私が子供時代を過ごしたのは東京足立区の東部で、環状7号線の「大谷田交差点」がすぐ近くにあります。

この環7は未舗装の砂利道で、「十三間道路」と呼ばれていました。1間(けん)が1.8メートルですから、23メートルもの幅のある大きな道路です。

この環7が、近くの「綾瀬川」で分断されていました。橋を架ける予定の場所に、通称「バナナ工場」という黒い大きな建物があり、そこが立ち退かないからだ、という話を聞いていました。黒い建物の中では、輸入のバナナで何か製品を作っていた工場だったらしいです。

ところがその工場が突然立ち退いて、「十三間道路」が舗装されて開通しました。そして、町にはうれしい噂が飛び交いました。

「オリンピックのマラソンが十三間道路を走るらしいぞ! 大谷田交差点がその折り返し地点になるぞ! だから、バナナ工場が立ち退かされたんだぞ!」と。
昭和39年のことです。
私たち子供は皆その噂を信じていました。

小学校3年生だった私は、親にある少年向けの本を買ってもらいました。オリンピックの歴史が書いてある本で、古代五輪のマラソンの由来や、歴代の日本選手の活躍の様子も書いてありました。何度も何度も読み返し、文章を暗記するまでになりました。4年前に、ローマオリンピックでエチオピアのアベベ選手が、裸足で走って優勝した様子も、目の前で見たかのように心で描けました。

私の家は下町の小さな食品店です。
ようやく黒電話が入り、近所の人たちが電話をよく借りにきました。

そしてある日、電話以上に待ちに待ったものが現れました。
テレビです!
オリンピックを見るために、親がなけなしのお金を出して買ったのです。
店も居間もつながっていた小さな家ですから、買い物に来たお客さんや、買い物もしない人までもが、家の中に入って、テレビを見にきました。
力道山のプロレスの時や、美空ひばりが出る歌番組の時などは、人がたくさん押しかけて来ました。。
10月についに始まったオリンピックの時は、家じゅうが大変な騒ぎになりました。
一人息子の私は、それがうれしくてたまらなかったです。
としちゃん、としちゃんと近所の人にかわいがられ、すし詰めのような人と人の間から、真新しいテレビの画面で、開会式や、三宅選手の重量挙げや、東洋の魔女のバレーボールに熱狂しました。

そして、あのマラソンの日。国立競技場のスタートの様子を見てから、私は、友達と一緒に、大谷田交差点に走りました。
「アベベがやってくるぞ! アベベを見に行こうぜ!」
「アベベはまた裸足かな?!」
「大丈夫だよ。もう十三間道路は舗装されてるから、裸足でも大丈夫だよ!」
などと叫びながら。

ところが、着いてみると交差点には誰もいません。日の丸の旗を持つ人もいません。
車が盛んに行きかいますが、オリンピックのマラソンが来る雰囲気ではありません。
おかしいな?と思い、急いで自宅に帰ると、アベベは東京の逆方向の府中の道路を走っていました。戻ってきた私たちに、大人たちが大笑いでからかいました。
「アベベはいたかい? 速かったろう?」

その日、アベベは独走で優勝しました。靴を履いていましたが、世界新記録で、ローマに続く二連覇です。
日本の円谷選手も、最後の競技場内でイギリスのヒートリーに抜かれましたが、見事に銅メダルを取りました。国立競技場に、初めて日の丸の旗が上がりました。それをテレビで見た私たちは、大人も子供も興奮しました。

 

この1964年の東京五輪は、大人も子供も、日本中が熱狂して観覧しました。あの五輪を境に、高速道路や新幹線が通り、日本の高度成長が一気に進み、世界の先進国の仲間入りをし、私たちの世代は、青春時代に突入していったのです。良いにつけ悪いにつけ、日本の国が一つにまとまっていました。騒々しく喧々諤々しながら、それでも結局同じ方向を向いて、進んでいました。

政治では保守と革新が激しく対立し、日本中で公害が発生し、自然と国土が壊されながらも、それでも日本全体が「成長」の同じ方向を見ていました。
「もう戦敗国ではない」「アメリカやイギリスを抜くんだ」「世界に向かって扉を開こう」「今日よりも明日、明日よりも明後日のほうが、より豊かになるはずだ!」と信じながら。

57年経って、今。

私は65歳です。東京を離れ、千葉で小さな商売をしています。
東京にも千葉にも、未舗装の道路は既にありません。
電話は一人一台持っていますし、映像で世界中の様子を見ることも出来ます。世界中で何が起こっているか、その場で分かります。
人がすし詰めの状態になってものを見たり、奪い合ったりすることもほとんどなくなりました。

一方でコロナという厄介な風邪が流行り、人が集まることは避けられてます。

生活に必要なインフラはとうに出来上がっています。
若い人や子供が少なくなり、町には老人の姿が目立ちます。
外国語がしゃべれなくとも、外人としゃべれます。
原子力発電所が何か所もできて、そのうちの一つが、10年前の大地震と津波で破壊されました。

都心は超高層ビルが林立しています。
タワーマンションという巨大な集合住宅が人気を集めてます。
高速道路も地下鉄も、これ以上必要のないほどに張りめぐされました。

そんな中、コロナで人と人の接触が避けられています。

外国から人が入ってこれません。日本からも簡単には出ていけません。
それだけではありません。
家族が入院中の人は、病院に見舞いにも行けません。
介護施設に入ったおじいちゃん、おばあちゃんに気軽に会いにもいけません。
病院で危篤になっても、駆け付けることもできません。手を握ることも、最後の声をかけることも出来ません。

それがたった一人の配偶者でも、親でも、子供でも兄弟でも、触れることすらできません。
亡くなっても、葬式すら出せません。

若い人同士が愛し合い、新たな家庭を作ろうと決めても、その結婚式すら開けません。
大人になる大きな節目の、20歳の成人式すらなくなりました。

心から愛する人との、人生で一番大切な出会いや別れの儀式すら、出来ないのです。

そしてその憎きコロナは、まだ感染者を増やしつつあります。

ワクチンが出来たといっても、一般の日本人は今年中に受けられるかどうかも分かりません。特効薬ができるのは、まだまだ先の話です。

そして、問います。

今東京でオリンピックを開くことは、こうした、人としての大切なことすら出来ないさなか、許されることですか?
今、どうしてもやるべきことですか。

何のためのオリンピックですか。

誰のためのオリンピックですか。

オリンピックとは、いったい何ですか?

 

私は東京五輪が決まった当初から、成熟した社会の日本で、しかも灼熱の真夏に行われることに懐疑的でした。幾度かそれは発信しています。コロナ禍の中、その思いは決定的に強くなりました。

少なくとも今、オリンピック開催より優先しなければいけないことが、山ほどあるでしょう。

今、最後に問いたいです。

本当に東京オリンピックは必要ですか?