料理の順位付け自体がおかしい
一例ですが、ミシュランガイドというものがありますね。
といっても、興味がないので、私は実際にその本とやらを見たことがありませんが、高級レストランや和食店などに「星」をつけて評価するものらしいですね。最高ランクは、三ツ星だそうです。
それでどうした?・・・・と思います。
食べるものに、順位がつけられるのでしょうか?
しかも、基準がはっきりしない。
もちろん、「味」とか「雰囲気」とか「サービス」とか、さまざまの基準があるのでしょうが、それはそれとして、それで何点とろうが、それでどうした?・・・・と思います。
味の評価は「主観」です。
サービスへの評価も「主観」です。
雰囲気をどう感じるかも、どこまでも「主観」です。それ以外のもので判断のしようがありません。
主観でしか判断できないものに、数字で表現する客観的な「順位」をつけるという行為。それ自体が間違っていると思うのは、私だけでしょうか?
数字で評価を表現することは、あまりにも安易です。
たとえば、一皿の料理には、料理人やそのお店のさまざまの歴史や人生が影響しています。
食材の選択にも、調理の方法にも、盛り合わせの仕方にも、その人の、その店のすべてが反映されます。
それを単純にランキングや星の数で他の料理と「比較」など出来るわけがないのです。
それは、星をつけられた店にも、つけられなかった店にも、同時に失礼な行為ですし、料理という人間の崇高な行為に対する冒涜にもつながると思います。
料理は、ただ料理として味わう
料理は、ただそれとして味わう。
そして、美味しいか、そうでないか、感動するか、心を揺さぶられるか、そうでないか、それを一人ひとりがそれぞれに感じる。それだけでいいのです。
作る人と、食べる人の静かな会話。
それが、料理を味わうという行為です。
真剣に食べる人には、時には他の人に見えないうそやごまかしが見えることがある。
それも含めて、料理を作る、食べるという行為は、人間だけが味わえる一つの芸術作成行為、芸術鑑賞行為であるともいえます。
それを、やれランキングだ、やれ星の数だ、やれグランプリだなどと、下心の含まれた商業行為で汚してはなりません。
そして、作る側も、徒にそういうコマーシャルベースに乗ってはいけないです。
やがちゃんキムチがそのような星の対象になることは間違ってもないでしょう。
が、それはそれとして、その手のイベント等からは距離を置き、これからもずっと「わが道」を行きます。