先日の日曜日、自分が生まれた信州の山奥の土地に行ってきました。
中年の仲間たちに「俺が生まれた山は僻地の中の僻地で、もう人はいない。家があった広い土地はそのままであるよ」と酒飲み話で自慢したところ、「見てみたい、連れて行け!」というのです。
彼らは、大型バイクを操る「おじさんライダー」。バイクに無関心な私だけが四輪で、天気のいい日曜日にその場所に向かいました。
諏訪湖から「有賀峠」という急峻な峠を登り、さらに車一台がやっと通れる山道を上り下りし、「後山」(うしろやま)という山間の集落に着きます。ここまで諏訪湖から4.50分です。
後山には今でも数十軒の人家が建ち、廃校になった校舎が依然と壊されずに建っています。
ここからさらに、伊那方面に10分ほど進むと、私が生まれた旧「椚平」集落に着きます。廃墟となった家が数軒。住んでいる人はゼロ。
私は4歳のときの昭和35年に親に連れられてこの集落を出たまま、東京、千葉でずっと暮らしています。
私の生まれた家そのものは隣の後山集落の方に移築されていて、今回はその外装を見られましたが、人様のおうちなので、画像は控えます。
肝心の生まれた土地はこのとおり。
山すそには、山桜。緑も濃いです。
家跡の裏山を少し登ると、滾々と水が流れ出る場所があります。この上には人家もありません。純粋な「山の水」です。
ライダーの友人たちが、それを「美味しい美味しい」と、ごくごく飲んでいました。
私も飲みました。実は、初めてです。幼いころは飲んでいたのでしょう。でも、何度かその後ここを訪れても、飲みませんでした。
恐る恐る口に入れたその水は、土の香りでしょうか、味でしょうか、豊かな風味を感じました。これが本当の、自然水なのでしょう。
土地の前には、田無川と呼ばれる、川が流れています。魚影も見えそうです。
その川の水音。キジの鳴き声。山裾を二羽の鮮やかな青の冠を被ったキジが、ケケー、ケケーと鳴きながら歩いていました。
それ以外には、何も聞こえません。
何度来ても思います。人は、生まれてくる場所を選ぶことはできない、ということを。
この場所から、隣の集落のあの学校まで、歩けば子供の足で2時間。それを皆、当時の子供は歩いて通ったのです。私の姉も、熊除けの鈴をつけて通ったそうです。
父は時代の流れを感じ、ここで子供を育てられない、と思い、私たちを連れて東京に出ました。
記念碑にその名前と年が刻まれています。矢ケ崎茂というのが、私の父です。
その流れの上に、今の私がいて、今は千葉でキムチの商いをしています。
その原点は、ここです。生まれた場所です。そう、私の原点は、この場所なのです。
つまり、この場所で生まれたから、今は千葉に居る。そういうことなのだと思います。
今度はいつここに来るのでしょうか? 実は、水を飲むどころか、この土地の中に足を踏み入れたことも、初めてなのです。以前何度か来た時は、車の中から「すごいところだなあ」と眺めていただけです。実際その場に立った今回、表現できない感覚を覚えました。
友人たちは、ここを何かに利用したいそうです。それもまた、いいと思います。
原点は、実は、目に見えるものの中にはありません。原点は、心の中にあるものです。土地の上に立った時に感じたあの不思議な感覚・・・それは、土地から心に伝わる、見えざるものです。そうに違いありません。
仮にこの場所に新たな建物が作られたとしても、私の心の原点は、変わりません。4歳の時、裏山で遊んで湧き水を飲み、飼っていたヤギの乳を飲み、時々キジ鍋のご馳走を食べて喜んでいたあの頃。
あの頃から今に至る時間は、遠いようで一直線です。しっかりと、今の心につながっています。