私が生まれたのは、信州の標高1000メートルの山の中。赤石山脈の東の端です。
親戚ばかりの8軒の家しか無いその集落には、昭和30年代まで、里から一日二便のボンネットバスが走っていました。
今は過疎で閉鎖して山も崩れ、バスどころか、オートバイも行けません。
親に連れられて東京に出て来て、昭和39年、オリンピックは、四本足のテレビで見ました。
重量挙げの三宅やハードルの依田郁子の活躍に、夢中になっていました。
その頃の東京足立区には、家庭のトイレから肥料用に集める「肥えたご」を担いだ農家の人が結構いました。
今思えば、自然循環のエコ農業ですよね。
大根もきゅうりもにんじんも、今よりずっと太く、しっかりしていた記憶があります。
千葉の流山市立博物館は、そんな東京近郊の現代史の展示が面白いミュージアムです。
その建物がそびえる小高い丘は、幕末、近藤勇率いる「新撰組」の最後の陣屋を張った場所ということでした。
この地で、近藤は官軍に捕らえられます。
昭和や江戸時代のそんな話に思いを馳せながら、今晩は、松戸や流山地域の農業の名産品、「小松菜のキムチ」でご飯が進みました。
あ、そういえば・・・
近藤勇も土方歳三も、もともとは多摩の農民の出だったんですよね。
新時代の近代装備の官軍に投降した、剣の達人、近藤勇の心模様や、いかに・・・・・・・。