どうやるか、ではなく、何を何故やるか

久々の投稿です。1年近く経ってしまいました。
様々の事がありましたね。
ウクライナの侵略戦争は2月に始まり、いまだに終わりません。
東京五輪は、はるか昔のことのようです。
コロナは、ようやく終息するようです。

長く生きてきて、いろいろ技術革新を見て来ました。

通信手段の「電話」にしても、ほとんど全部見てきた気がします。

自宅に黒電話が入ったのが小学生の時。父があちこちに「電話が入ったよ」と嬉しそうに知らせていた光景を記憶しています。

プッシュホンになったのが中学生の時。同級生の女の子と長電話して、母に怒られました。

ポケベルを使ったのが40年前の20代の時。鳴ると慌てて公衆電話を探して、自宅(兼会社)に連絡しました。

ショルダーバックのような初期の巨大な携帯電話を買ったのがが35年前です。通信料が月に10万円はかかりました。当時、北海道で商売をしていましたが、その店の駐車場で車の屋根に携帯電話を乗せて、東京によくかけていました。屋根に乗せないと、電波が通じなかったのです。

折り畳みのガラケー携帯が30年くらい前から使いました。段々小さくなり、メールが打てるようになったり、ネットの画面も見られるようになりました。ワンセグのテレビまで見られたので、重宝しました。北京五輪の400メートルリレーで日本が3位に入った時は、このガラケーでテレビを見て興奮しました。

シャープのザウスという端末を使ったのが20年前。エッジと呼ばれる差し込み式の通信機を指して、ネットを見られました。速度は遅かったですが、それなりに便利でした。

スマホの初代(iphone3)は15年位前に、渋谷の友人の店で初めて見ました。
指先で画面のサイズを広げる機能に感心して、すぐに買いました。「これで電話ですべてが出来るな」と思った時でした。

wifiは当初、無線LANという言葉で語られ、ある団体の勉強会で知り、驚きました。

インターネット自体に触れたのが25年位前。
ネット通販でキムチを売り始めたのが20年ちょっと前。
今の自社サイト開始は15年前です。

この長い利用履歴の中で、わかったことがあります。それは・・・

「人はちっとも変わらない」

ということです。

こういう技術革新は。それ自体はただの「手段」。
少し遅れたからといっても、そのうちいやでも手にするようになるから全然大丈夫です。

問題は、こういう技術の嵐の中で、自ら「何」を作るか。創るか。
さらには、どういう哲学を背景に持つか、・・・ということでしょう。

「何をやるかで業績の7割は決まる。どうやるかでは、3割しか決まらない」と、尊敬するある方から何十年も前に学んだことは、やっぱり正解でした。

方法論ばかりに右往左往するより、しっかりとした哲学を持て。
方法などは、そのうちいくらでも現れる。
その通りの時代になっていますね。

要は、「お前は何者なのか?」という問いに、すぐにはっきりと答えを出せる存在になれ、ということです。

時代の中で浮わついていてはいけない。
たまたま時流に乗っても浮かれていてもいけない。

地面に根の張った、不動の姿勢をとれるかどうか、です。
結局、自分という人間などは、ほとんど進歩していないのですから。