『わだつみのいろこの宮』

 

この絵は幼い頃から憧れの絵でした。

でも、その作名の意味も、実物の素晴らしさも、先日初めて知りました。

兄の海幸彦から借りた釣り針を海に落とした山幸彦は、それを探しに海に潜り入り、魚の鱗(うろこ=いろこ)のように煌めく、海の神の「わだつみ(綿津見)」の宮に辿り着く。
井戸端で座って休んでいると、水を汲みに来た侍女に見つかり、侍女は慌ててわだつみの娘を呼びます。
絵の左側で山幸彦を見上げるのがその娘。

やがてこの二人は愛し合い、結ばれて子を成し、それが天皇家の始まりとなる・・・。

という古事記の一節を基に描かれた、この絵。
初めて、実物を観られました。

60年も前に小学生の時に本で見て、細身の白い体で座るこの人を「綺麗な女の人だなあ」と思っていたのですが、それが山幸彦という男性だったのも、知りました。こんな大事なことを。

作者の青木繁は28歳で夭折した天才画家ですが、生前はあまり評価されず、作品は散逸します。それを嘆いた親友の美術家の坂本繁二郎が、たまたま学校の教え子だった実業家の石橋正二郎に青木の絵の収集を依頼します。

それを受けた石橋が青木の作品に感銘し、経営するブリジストンの本社ビルを東京日本橋に建設中だったところ、その2階に急遽美術館を作り、「わだつみのいろこの宮」や「海の幸」などの青木の絵を飾った・・・ということだそうです。

小学生の時に本で見た「わだつみのいろこの宮」には、「ブリジストン美術館蔵」と記されていたのを、よく覚えています。

今はこの美術館は、「アーチゾン美術館」となり、世界の名作が気軽に見られるようになっています。
今年になり2回訪れましたが、積年の願いだった青木繁の本作品とは今回遂に出逢えました。思いが実ったとも言えるし、よっやくその時が来たとも思えました。人にはそういう瞬間があるのでしょうか。

石橋の遺志を受けてか、私設でありながら入場料も1200円と安く、しかも学生は鑑賞無料。盛んにテーマを探り、様々の角度から所蔵作品を身近に見せてくれる、いい美術館です。

絵を見た後、うちの通販のお客さんである、日本橋の「だしいなり海木」さんにお邪魔しました。

oplus_2

九州出身の女将さんにご挨拶をして話をしたら、うちを海木さんにご紹介下さったのは、ある女優のお客様だったとお教えくださいました。

海木さんのおいなりさん、極上のお味です。
4個で1500円弱というお値段ですが、決してお高くはありません。それは食べればわかります。本当に、美味しいです。

美術作品も、食べ物も、その価値を表すのは価格という「数字」ではありません。
その「作品」を味わったり鑑賞したりして得られる「感動」の深さこそ、その価値なのです。

それを分かろうとする人には、作品の方から語り掛けるのでしょう。
その語り掛けを聞いた人は、価格は副次的なものだということを体感するのだと思います。

買いたくて買えれば買えばいい。買えなくても見られる機会に見ればいい。それはどちらも同じ行為です。
味わう、感じる、感動するということは、そういうことだと確信します。
数字で測ることが出来ないことです。

その事をこうして書くまでに、私は長い人生の時間を要しました。そしてまだ、修業中の身です。まだまだ、駆け出しです。

世の中、動かないと、見て歩かないと、知っていたようで知らないことばかり。
まだまだ、駆け出しですから、学ばなければなりません。

美術作品の良し悪しを分かるためには、いい作品を多く鑑賞することが必須だそうです。
私見ですが、食べ物の良し悪しを分かるようになるためには、素材そのものの味を理解することが必須となると思います。

たとえば料亭のふろふき大根を食べる前に、生の大根の味を理解することです。
それをしている人は意外と少ない。私も毎日、仕入れた白菜を生で齧っています。
そうしていれば無添加の味わいが段々理解できます。

上から化学調味料等を人工的に被せたような味は、このほんの100年未満で出来たものなのです。

おそらく昔の人は、土の味、水の味、空気の味を感じられました。

今の私たちがその境地に至るためには、まず素材の味を知ること。そして、天の恵みに対して敬虔になること。

そうすれば、料理を値段で判断するような下卑た味覚からは離れられます。
ある意味、味を「芸術」として感じられるはずです。

そうしなければと思い、毎日仕事をしています。

猛烈な暑さの今年の夏も終わりに近づきます。時間だけは容赦なく進んでいきます。

残る人生の時間も、容赦なく少なくなっていきます。

いい物事、いい人、いい機会と出会い、大切に過ごして行きたいと思います。