知性があれば、戦いは起こらない

パリ五輪が始まりました。

もともとスポーツ観戦は好きですが、今回の五輪にはあまり関心も持たなかったのですが、いざ始まれば、やはり見てしまうものですね。

それでも、五輪開催中でもウクライナやパレスチナでの戦火は消えず、多くの人の悲鳴が上げられています。
同じ地球という星の上で、平和の祭典と言われる五輪と、無垢の人を殺す戦争が同時並行で行われている矛盾。
言葉を続けられません。

このような時に、一番必要なものは何でしょうか。
世界には様々の宗教があり、宗教対立による戦争も頻繁に起きます。ですから、宗教の語る教義は、この矛盾の解決策にはならないでしょう。
「愛」という言葉も、その解釈次第で正反対の意味にもなり得ますから、「愛」だけでは解決できません。

私は、人間の「知性」こそが、いま最も必要とされるものではないかと思うのです。

知性とは何でしょうか。

知性とは、知識や計算力のことではありません。人を論破する力のことでもありません。学歴や地位などとも関係がありません。

Youtubeとかインスタとか、自分が見たいものだけを見ていると、人は馬鹿になります。
望まないこと、見たくないことから、敢えて人は学ぶものだからです。

実体験でも、成功体験より失敗体験の方がよほど貴重です。
一度失敗している人は、成功だけ重ねてきた人よりも数段たくましいし、危機に対する防衛力もあります。
などと書いてもわからない人は分からない。

そういう人は、夜空を見上げましょう。
ほら、銀河鉄道が走っているでしょう。
ジョバンニやカムパネルラのように、想像の世界で宇宙を巡る。
そこで多くの人と触れ合い、優しさに出会う。

知性とは、世界の真実を探る想像力のことであり、探求心の事であり、その結果自らが宇宙の中で取るに足らない小さな存在であるということを知る能力のことです。
それを知れば、陰謀論などには決して与しなくなり、ましてや隣国や他国の人を殺す行為など、最も忌むべき行為であることを知るのです。

知性のある場所に、戦争はありません。

ぜひこの五輪が、世界の人にそれを気付かせる場になることを、祈ります。

日本のメダルはどうでもいい。
ただ、全力を尽くし、相手を称え、スポーツで集うことのできる平和の貴重さを訴え、笑顔で世界が埋め尽くされるようになることを。

あの気球の聖火が消える前に、出来るだけ多くの人が、その知性の大切さに気付くことを。