1枚の絵があります。それを書いた女子中学生のコメントもあります。
ブログの更新が滞りました。半年以上経過しました。
半年前に見た一枚の絵の事を書きたいと思います。
この絵は、昨年秋に東京ビッグサイトで行われた「ジャパンモビリティショー」(旧名:東京モーターショー)の会場に貼られていたものです。
多くの観客でごった返すビッグサイトの片隅の、トイレの向かい側の壁面に無造作な形で貼られていました。同じ場所には、交通事故で障害を負った方の絵、親を事故で失った遺児が描いた絵などが数枚飾ってありました。
トイレに立ち寄った方で、これらの絵を鑑賞する方はいませんでした。私はこの場所に10分以上立っていましたが、絵を見ていたのは私だけでした。数十人、数百人が通り過ぎて行っただけでした。
この赤ん坊を抱くお父さんは、事故で天国に行かれたのだと思います。
そして赤ちゃんは、実際抱かれていたのか、あるいは以前抱いていた姿をこの作者の中学生が見たのか、あるいは、想像の姿を描いたのか、定かではありません。
しかし作者の文面を読み、この絵を見ると、父親の愛情、赤ん坊の無垢の笑顔、家族の結びつきの強さを温かさ、そしてこの家族に起こった悲劇の大きさがひしひしと感じられ、会場で私は涙を零してしまいました。
会場では、鮮やかな光彩に照らされて、華々しく自動車の展示が行われており、それを夢中で見入る多くの観客がいます。喧騒と感想と興奮とが渦巻いています。その傍らに、この絵があります。
そして確かなのは、この絵の示す悲劇の側面こそ、自動車社会の負の側面であることは誰にも否定できないことであるということです。
自動車事故は、一瞬にして、人間の最大の喜びを奪います。
落ち度のない人の人生を、奈落の底に落としてしまいます。
その反面、もちろん、自動車の無い世界はもはや、考えらないのです。
しかし、自動車製造の担い手であるメーカーは、これらの事故について全く責任が無いのか・・・と考えた時、どうでしょう。
現代の技術では、防ぎようのない事故だ、とばかり言えるのでしょうか?
たとえば、最近よく話題になる、アクセルとブレーキの踏み間違い。
高齢化社会になればなるほど、運動能力や認識能力が落ちた高齢者が増えるはずですから、この間違いは起こる可能性が高いです。
今、自動運転の時代です。半導体の大きさは加速度的に小さくなり、宇宙衛星を利用した安全運転の技術も飛躍的に向上していると聞きます。
それなのになぜ、踏み間違いの単純なエラーが重大事故を引き起こすことが防げないのでしょうか。
民間では、何年も前から、そういう高度な技術ではなく、アナログ的な方式で踏み間違いを防ぐ装置も完成されているという報道も見ました。
それなのになぜ、それを緊急的にでも応用しようとする大メーカーや国の姿勢が見られないのでしょうか。
いろいろな事情があると思います。
出来ない理由づけも山ほど聞かされると思います。
「個別の案件についてはコメントを差し控えます」という不思議な日本語の用法も聞かされるかも知れません。
ですがもし、それを担当する国や大メーカの方々のお身内でこうした不幸な事故に遭われた方がいたとしたら、その方はそれでも姿勢をあらためないのでしょうか。
そういう思いが込み上げてこないのでしょうか。その方の「心」は、それだけのものなのでしょうか。
違うはずです。
「無作為」の犠牲を生まないこと。「何もしないことが最良のこと」と思わないこと。
「失敗するかもしれないが、別の方法を試そう」という動きを止めないこと。
それもまた、管理管轄する方々の「義務」だと感じて欲しい。
「上」にいる方は、そうして自らの「心」を律してほしい。
そして私たち車ユーザー、つまり「下」の我々が、思いを一つにしてそういう気運を高めていきたい。上とか下とかは、単に役割や立場上の違いであり、双方が一つとなった存在こそが「社会」であり、それを為す核心こそが、他ならず「人の心」であると、私は信じています。
目の前に、手の届くところに悲劇を生まない技術や方法ががあるのに、何らかの理由でそれが実現されない。実現さえできれば多くのいい結果が生まれると思われる。今の日本には、そうした事象があふれていると感じています。
政治の世界も、税制の問題も、平和の問題でも、エネルギーの問題でも、ありとあらゆる分野で、「こうすればよくなるのに」と思われていることが実現できない。実現を阻止する何らかの力が、意識的に、或いは無意識に働いている。
そこを切り崩そうとする動きが、霧消してしまう。「前例がない」とも言われてしまう。前例など、もともと存在しないのに。
最初の物事には、前例など無かったのです。前例は、無作為の言い訳、保身のレトリックの言葉です。
この冒頭の絵を描かれた方の悲劇に思いを馳せる人としての想像力、善意、「心」があれば、そのようなことは無いはずなのです。