孤独感こそエネルギーである

類は友を呼ぶ、と言います。

人は、似た者同士で集まるようです。親戚、友人、あるいは同じ地域の出身者、同じ学校の同窓生、さらには、同じ宗教や思想の信奉者、セオリーの実践者、等々。
こうした「同じ」でくくられる中にいると、人は安心感を感じるのでしょう。周りを見れば皆、「同じ」仲間なのですから。

ですがその「同じ」を、「違う」立場で見るとどうなのでしょうか。

「同じ」人たちの中に、「違う」人はなかなか入って行けません。入っていても、話題は合わない、思想も合わない、「仲間」どころか、「異邦人」扱いされて、「敵」とみなされることもありそうです。

ネットなど無い時代の伝統的な人間関係では、実際に「対面」してから関係が築かれることが殆どでした。

ところが、この数十年で、スマホや携帯電話、パソコンなどのインターネット環境が発達した今では、LINEやフェイスブック、ツイッター等のSNSが人間関係のプラットフォームとなり、そのSNSの場で、「類」が集団を作ります。

その集団に入って行けない人は、そこでは疎外感を感じます。

本来は人間関係の自由な往来に寄与するはずのSNSが、こうして、「分派」と「疎外」の行為を促すことになるのです。
過去、こうした被疎外感から、自分は社会関係から「排斥」されていると感じ、それに反発した人が大きな犯罪を起こした例がいくつもありました。

これは、ネット社会で生きて行く上で、実に大きな問題となります。

そして、これは誰にでも起こり得る問題なのです。
今や、良い意味でも悪い意味でも、ネット環境から離れて生きて行くことなど、非常に困難なのです。

では、何か解決策があるでしょうか。

私事ですが、私自身、こうした疎外感を感じた時に心がけていることです。

「孤独は最大の自由である」と思うことです。

孤独であることは、いい言い方をすれば、他者からの束縛が無い、ということです。
どこで何を思い、何をしようが自分の自由。邪魔をするものはありません。

人間の自由とは、物質的なものだけではありません。
精神の自由も含みます。心の自由です。
心が何物にも縛られていなければ、どれだけ強いことか。
あなたは、キリスト以上にも慣れれば、お釈迦様以上にもなれるのです。
こんな無敵な状態があるでしょうか。
敢えて孤独を選ぶことで「比較」する対象が無くなり、ひいては「敵」という概念も無くなります。

そう、「無敵」なのです。

私自身が今行っているキムチ製造業は、日本では、ほとんどが韓国系の方々の生業のような形で行われてきました。当然、業界の人間関係もその中で築かれているのです。

ですが、日本人である私には、そうした「しがらみ」もありません。
キムチ屋と名乗っていますが、旧来の常識からは、とてもキムチと呼べないようなものを作っているのも、オリジナルな発想と工夫が出来る立場だからです。それを止める人間関係も、仕事関係の条件もありません。

和食や中華等の別ジャンルの料理のノウハウをキムチに応用しているのも、同じ理由です。
私は、業界の因習や人間関係に縛られることなく、全く自由に「キムチ」を作ることが出来、やがちゃんキムチという名の世界を構築することが出来ています。

私は孤独なキムチ屋です。そして自由なキムチ屋です。
そうでなくなった時、やがちゃんキムチは一気に生気を失うこととなります。

添加物も酵母エキス等も使わないで、今の日本でキムチを作り、商い続けることは困難なことです。その困難に立ち向かえるのも、この「孤独」なパワーがあるからです。

無添加の味の世界を、これからも大きく、広く、深くしてまいります。