私にキムチの基本を教えてくれた方
私のキムチ業の経験は約30年になりますが、もともとキムチが好きなわけではありません。
子供のころ、実家の食品店で売っていた「朝鮮漬け」などは、臭くて辛くて酸っぱくて、大嫌いでした。
それが様々の経緯で、自分でキムチを作って売ることになったとき、3日間だけ「キムチの基本」を教えてくれた方がいました。ヤンさんという当時60歳前後の女性です。
ヤンさんからそのとき学んだ「イロハ」に無数の改良を加えて、幾多の変遷の末、今の「無添加」レシピにたどり着いたのです。
済州島に伝わる伝説の鶏料理
そのヤンさんがそのときに、「私の田舎では鶏肉を丸ごと煮たキムチがあって、それは特別なときに作る料理なのよ」と教えてくれたのです。いろいろ聞くと、その料理の背後には、おばさんの郷里の済州島で実際に起きた、悲しい愛の物語があることを知りました。
その後15年ほどを経て、私はその話を思い出し、鶏を丸ごと一羽煮込んだチゲ「ホールタトリタン」の試作をして、苦心惨憺の末、売り出してみました。ダイナミックなその鶏キムチは意外なほどに大好評を呼んだのですが、その作り方があまりに大変なため、継続は諦めました。
レシピが見つかった!
今年の夏、その話をある韓国出身の職人さんに話したところ、非常に興味を示され、済州島のお知り合いなどに連絡を取ってくれたところ、その「ホールタトリタン」の悲恋伝説は確かに存在していているが、料理自体はもう絶えて亡くなっている、ということがわかりました。
そこで、その職人さんが、「レシピがあれば、私も協力しますから、再現しましょうよ」と言ってくださいました。
それならば、ということで、散々レシピを探し、記憶をたどりましたが、15年の間に二度引越しをしていることもあり、見つかりません。もう二度と作ることがないと思い、せっかくあれほど苦労してたどり着いたレシピを、放棄したのだと思いました。
半ば諦めかけたところ、 なんと最近、私の自宅から、15年前のレシピのコピーが見つかりました。
これも何かの「縁」かも知れません。
出てきたレシピと、おばさんの教えの記憶、自分自身の現場の記憶をかき集め、もう一度トライしてみようと思います。
伝説の「ホールタトリタン」ができるか否か・・・。がんばります。