「人生最後の食事」をするとしたら、どこでしますか? 何を食べますか?
有名な料理長が腕を振るうミシュランの3つ星のレストランでしょうか。
いや、もっと気さくな、下町の居酒屋でしょうか。
または、獲れたてのウニが食べられる北海道の浜辺でしょうか・・・。
よく考えてみると、「食べ物」の価値、「食べること」の意義というものは、その人の人生観と深く関わってくることに気がつきます。
高価なもの、名声のあるものを重視するのか。
或いは飾らぬ庶民の味わいを求めるのか。
それとも、自然の恵みを尊ぶのか。
どれにも正解は無いと思います。
高価で名声を誇るものにはそれなりの理由があるから、それを信じてついていくのも立派な態度だと思います。
いや、庶民が味わえる日常の美味しさこそが本当の味であると考えることもまた、素敵な考え方だと思います。
そうではなく、人工の手を介さない自然の味そのものこそが美味であると思うこともまたいいことだと思います。
ですが、どの場合においても言えることがひとつだけあるとすれば・・・。
どんな場合においても、「食の作り手」が必ずいる、と言うことです。
浜で獲れるウニにしても、その環境を保つ人々の手で「作られている」わけです。または、漁師さんが獲るとすれば、漁師さんこそ「作り手」でしょう。
この世に、「作り手」のいない食べ物はありません。ひとつもありません。
作り手がいるから、食べられる。食べられるから、生きていられる。命が保てる。
つまり、食の作り手は、命の作り手でもあるわけです。
食べるものを作るという行為は、この世でもっとも貴重な行為であるということを、作り手はもっと自覚するべきです。ですから、その名に恥じない作り方をしなければなりません。
売れればいいとか、儲かればいいとかいう発想は、最初にあってはなりません。結果としてそういうものが付いてくるのなら、それはそれでめでたい事で、非常にいいと思います。
そう思いながら、私は毎日キムチを作っています。
冒頭の話ですが、私は、家族といつもの食事をしたいと思います。