足利には、有名な「足利学校」があります。
昼時、その参道を息子と腹をすかして歩いていると、「馬車道」という食堂がありました。
こじんまりとした、歴史を感じさせる洋食食堂です。
行楽客の行列が出来、先頭の組が中を覗き、店の人と何事か話しては、中に入らずに去っていく。
それが、何組か続いています。
近寄って見ると、いかにも美味しそうな匂い。
清らかで上品なだしの匂いが香ってきたので、ああ、ここは旨いな、と確信して、息子と行列に並んでみました。
行列といっても、次から次へと、店に入らずに帰っていくので、すぐに順番が来ます。
私達の前は、若い夫婦と、幼稚園くらいの男女の子供の4人連れでした。
店先には、80を超えてるだろう、腰の曲がった店主らしきお婆さんが立っていて、お客さんと話をします。
4人家族のご主人とそのおばあさんのやり取りが聞こえます。
「4人ですけど、席、空いてますか?」
店の中も覗けて、空席も見えるのです。
「すみませんねえ。今一杯で、時間掛かるんですよ」
「あ、そうですか。あの席、空いてるようだけど」
「いえね、作るのに時間がかかってね」
「どのくらい待てばいいのでしょうか」
「それがね、はっきりといえないんですよ。今日は混みあっていてね。すみませんねえ、せっかくきてもらったのにねえ」
丁寧な言葉使いの中にも、凛とした強い響きがあります。
ご主人は奥さんと何かやり取りしたあと、諦めて、子供の手を引いて帰っていきました。
その次が、私達の二人連れ。当然断られるのだろうと思いましたが、一応、聞いてみました。
「すみません、一杯ですか?」
おばあさん、私達の様子をササ、っと見渡し、
「はい、いらっしゃいませ。どうぞどうぞ」
と招き入れてくれました。あれ?・・・・・
案内された席に座ると、すぐに、さきほどの店主らしきおばあさんがお茶を運んできてくれました。
腰が45度は曲がっていますが、お茶をお盆に載せて歩くさまには、危なげがありません。
「いらっしゃいませ」
「前のお客さんが返されたんで、うちらもダメだと思ったんですが」
「いえね。ほら、小さい子が二人いたでしょう。今日は出来上がるのに時間がかかるから、小さい子だと、むずかって他のお客さんに迷惑かけるから。だから帰したんですよ。お宅の坊ちゃんは大きいし、賢そうだから、入れてあげたの。はい、コーラ」
「え? コーラは頼んで無いですが」
「サービスよ、サービス」
「はあ」
「うちはね、昼時の中年の男客も入れないの。必ずビールを飲むでしょ。そうすると声が大きくなってね、他のお客に迷惑だからね。はい、坊ちゃん、コーラ遠慮なくお飲みなさい」
つまり、この店主のおばあさんは、お店の前で、昼時のこの店にふさわしいお客を選んでいたという訳なのです。
頼んだのは、ソースカツ丼とハンバーグ丼。
驚きました。ロースのカツは今まで経験したことの無いような柔らかさ、ハンバーグは滴り落ちるジューシーな肉汁があふれ、掛け値無しに美味しい。僕も息子も、夢中で食べました。
食べ終わった頃、制服を着た男女の高校生の5,6人連れが入ってきた。
僕達の隣のテーブルに座り、お喋りもせずに大人しくしている。へえ、この子達は入れてもらえたんだな。それにしても、祭日なのになんだろう、と思い、一人の男の子に聞いてみた。
すると、
「そこで、ボランティアで町おこしのお菓子やパンを売ってたんです」
と、行儀良く答えてくれた。さらに詳しく聞くと、昨年市内の県立高校が合併されたのを機に、この参道で、手作りパンやお菓子を販売する公社のようなものが立ち上げられて、高校生が社会勉強のためにその業務を請け負っている、ということなのだ。
企画も販売も、全部自分達でやるということだ。
感心していると、あのおばあさんが、コーラを人数分運んできた。
「はい、ご苦労様ね。さあ、あんた方もコーラお飲みなさい。ハンバーグ丼は今作っているからね」
とニコニコしながら、高校生をねぎらっている。
生徒達は、皆礼儀正しくお礼を言って、コーラをラッパのみし始めた。
そうだ。
このお店は、一見の観光客より、地元で毎日生活する人々を大切にしているわけだ。
おばあさんのお歳や店の造りから考えても、もう4,50年はここで商売を続けているのでしょう。
その長い時間の中で培った商法には、誰も何も言うことが出来ません。
お客を選ぶことは、このお店では当然のことなのです。
そして、だからこそこの素晴らしい味を維持し、ゆったりとした店の雰囲気を保ち、誇り高く、矍鑠(かくしゃく)として、毎日お店に立ち続けているのでしょう。
おばあさんの強く美しい生き方そのものが、このお店の形となっています。
お店を出るときに、おばあさんは息子に話しかけてくれました。
「坊ちゃんは何年生?」
「3年です」
「そう、勉強はお好きかい?」
「うん、あ、ハイ」
「そう。これから、足利学校見学に行くんでしょう。あの学校はね、もう千年以上前からあった、日本で最初の大学なのよ。人間はね、あなたくらいの頃から、あたしくらいの歳まで、ずっとずっと勉強なのよ。がんばってくださいね。はい、ありがとう」
腰が曲がっているので、おばあさんの顔は、息子の顔と同じ高さにあります。
皺をさらにくしゃくしゃにして、最高の笑顔を、息子に送ってくれました。
by やがちゃん of やがちゃんキムチ