ダルマの思い出

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小学一年か二年の正月。つまり、昭和37.8年のこと。

祖父に手を引かれて、バスに乗り浅草に行きました。バス代が、30円の頃でした。

仲見世を通り、浅草寺の境内に入ると、ダルマを売る露店が並び、押すな押すなの人の群れ。

信州弁丸出しの祖父が、私に大きなダルマを買ってあげたくて、一番大きなダルマを指差して値切ります。
「そいつはいくらすんのけ?」

売り子は、ああ、田舎もののカモが来たと思ったのでしょう、高飛車に出ます。

「そりゃあ高えよ。5000円はくだらねえ。いくら持ってきたんだい?」

私の手を握っていた祖父は、その手に力を込め、

「500円じゃ、500円。それ、500円にしてくりょ」

売り子は、祖父の顔をまじまじと見て、大笑い。

「じいさん。冗談こくなよ。500円じゃあ、これが関の山さ。ほれ、こいつさあ」

と言って、下の段に並ぶ、手のひらに乗るほどの小さなダルマを指差します。

ところが祖父は負けません。

「そいつを500円にしてくりょ」

と、大きなダルマを指差して粘ります。

「だめだと言ったらだめだい。帰(け)えった、帰えった!」

と売り子は息巻きます。それでも、祖父は動かずに粘ります。

そのやり取りを聞いて、野次馬が集まってきました。顔を真っ赤にして頑張る祖父に、声援が飛びます。

「おいダルマ屋!少しは負けてあげろい! じいさんかわいそうじゃねえか!」
「そうだそうだ!」

たじろいだ売り子、顔をしかめて、

「じいさん、それじゃこれだ、ほれ、これなら500円でいいぜ」

と言って、下から3段目くらいのダルマを示します。それでも祖父は納得しません。相変わらず大きなダルマを指差し、

「そいつを500円にしてくりょ」

と繰り返します。
野次馬は、さらに罵声を浴びせます。

「ダルマ屋、いい加減に負けろ! てめえ、境内で店張って、お釈迦様に申し訳ねえと思わねえのか!」
「そうだ!負けろ」
「負けろ、負けろ!」

辺りは騒然としてきてしまいました。

と、そこに、人ごみを分けて、白い背広を着た恰幅のいい中年の男性が現れました。
売り子に、
「この騒ぎは何だ?」
と聞いています。

売り子は、祖父と私のほうを指し、事の顛末を説明しました。

すると、その男性、ポカリと売り子の頭を殴り、怒鳴りました。

「バカヤロウ、てめえ、人の情がねえのか!」

そして手を伸ばして大きなダルマを下ろし、私の目の前に突き出したのです。

「ほれ、坊、持ってきな。じいちゃんとワシからのお年玉だ。片目を入れて大事にして、将来出世したときにもう片方の目を入れるんだぞ」

そういって、両手で大きなダルマを抱える私の頭を撫でてくれました。

「よ!親分、日本一!」

と言う掛け声と拍手が沸きあがりました。

 

・・・・・・・

 

実際の話です。

一昨日の高崎日帰り旅行でダルマを目にし、思い出しました。

ダルマ弁当は、美味しい味付けで900円。貯金箱にもなっています。
私の息子は、早速昨日から小銭を入れています。

 

  by やがちゃんof やがちゃんキムチ