邪(よこしま)な心では本当の味わいは生み出せない

本当に美味しいものとは、どういうものでしょうか?本当に美味しいものとは、どういう力を持つのでしょうか?

そう考えたことはありますでしょうか?

人は必ずしも楽しい人生を過ごすだけではありません。むしろ、悲しいこと、腹立たしいこと、恨めしいこと、残念なこと、取り返しのつかないミス、運の悪い結果、等々、否定的な意味合いの事柄の方が多いのではないでしょうか。

でも間違いなく言えることは、そんな状況でも、人はものを食べるということです。

多くの人は、恵まれない境遇にいると、自分を正当化したいものです。

自分は決して間違っていなかったけれど、状況が悪くてい結果にならなかった。自分は正しかったのに・・・と、後悔することも多いです。それが自己正当化ですね。

ただ、ネガティブなことも、ポジティブなことも、するのは自分という一人の同じ人間です。一人の人間が、同じことでああだこうだ、右だ左だ、上だ下だ、と悩むわけですね。

悩みながらも、間違いなく言えるのは、それでも人はものを食べる、ということです。

物事には表と裏の側面があり、それは同じものの表と裏であり、裏返してみたら表も同じものであった、ということはよくあります。正しいか間違いではなく、敢えて言えば、我々がどちらが好きか嫌いか、という違いであり、結局は同じことになる、ということですね。

そう気が付くと、気が楽になりますよね。無理に決めなくていいからです。どちらに転んでも、究極では同じ結果になるのだと思えばいいのですから。

そして、気が付くための一番いい処方箋だと思うのが、「美味しいものを食べる」ということです。

長い間食の仕事に就いてきた私が持つ、一つの信念があります。

それは、「真に美味なるものは、人の心を和らげる」ということです。

本当に美味しいものを食べると、人は怒りや心のこわばりを忘れるものです。そして、和らいだ心は、「何もそうこだわらなくていいじゃないか、右を向いても左を見ても、結果は結局同じなのだから」という「真実」に、近づくことが出来るのです。

そのようなきっかけを作るものこそ、真に美味であるものであるし。その美味を生み出そうとする心持ちなのです。

大きな声で言わせてください。

「邪(よこしま)な心では本当の味わいは生み出せない」

と。

これは、絶対の事実です。

みんなが同じ方向を向いているのが一番危ない

あなたが何か言おうとして、躊躇ってやめる。本当は言いたいのに、言えない雰囲気を感じてやめる。そういうことはありませんか?

なぜやめてしまうかといえば、あなたが「少数派」だからですよね。こんなことを言ったって、多くの人には理解されないだろうし、非難されるかもしれないから、言えない。そういうことだと思います。

長いものには巻かれろ。出る杭は打たれる。雉も鳴かずば撃たれまい。
そんな言い回しにも使われるこの雰囲気、私は好きではありません。

キムチ職人としての自分についても、同じです。

私は日本人でもあり、キムチについては全くの無知な門外漢でしたが、いざ始めてみると、「キムチ屋」として括られることが嫌だと感じてきました。

自分が作るものは、確かにジャンルとしてはキムチに入るものですが、私自身は、「キムチにヒントを得た、無添加の美味しい食べ物」という意識です。
ですから、従来のキムチジャンルには入らないだろうと思われる商品もいろいろと作ってきました。

キムチは、確かに優れた食品です。その製法の特異さ、健康効果の高さ、保存性、そして何よりその素晴らしい味わいの世界は、世界有数のグルメ文化だと確信しています。

しかし一方で、「やがちゃんキムチ」は、「いわゆるキムチではない」と言われても、少しも構わないという考えでいます。なぜなら、前述の通りに、「やがちゃんキムチはキムチにヒントを得た独自の食品」であり、「やがちゃんキムチはあくまでやがちゃんキムチである」という強い信念を持っているからです。

つまり、キムチジャンルに入っても入らなくても構わないのです。

みんなが同じ方向に進まなくてもいい。いやむしろ、別の方向に向いているものから新たなものが生まれる可能性が高い。
これは、キムチだけでなく、食品だけでなく、社会全体にも言えることではないでしょうか。

昨日行われた総選挙で、一つの党に大変な議席数が与えられることになりました。

私たちは、歴史を学んできたうえで、これが喜ぶべき結果か否かを考えなくてはならないと思います。

「強く豊かな国」である必要はありません。強いという概念は、弱いものを蹴落とす結果が伴うものです。異質なものを排除する可能性があるということです。豊かであるということも、貧しいものがいるから出てくる概念です。

みんなが同じ方向に向いてしまった社会は、危ないです。

それが理解されるために、また国が大きな破綻を迎えなくてならないとしたら、絶望の二字が浮かんできます。

どうか、様々の考えが許され、共存し、分かり合える世の中が続きますように。

やがちゃんキムチは、これからもよそ様とは違う独自の方向を向いて歩んでまいります。
「こうしなくてはいけない」ではなく、「これもいい、あれもいい」という優しい心を持った「やがちゃんキムチ屋」として。