ものつくりは、優しさ作り

私は元々、酒屋をやっておりました。

それが紆余曲折を経て今のキムチ屋になったのには、根本的な理由がありました。それは、「自分で作ったものを売りたい」という思いです。

ビールやウィスキーを、何億円も何十億円も売ったって、それが何だ。結局、メーカーのやっていることの「おまけ」、いや、「残りかす」に過ぎないじゃないか。私じゃなくても、誰でも出来ることじゃないか。そう思いました。

それなら、自分がこの手で作ったものなら、たった100円でも千円でも、売れたらはるかに嬉しいじゃないか。そうだ、金額じゃないんだ。作ること、そして作ったものを買ってもらって食べてもらって、美味しかったと言ってもらうこと。それに勝る喜びはないじゃないか。そう考えたのです。

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この画像は、白菜キムチの仕込みをしている画像、そして、タラバガニケジャンの巨大タラバニをこれからブツ切りにするところの画像です。

冬の水は冷たいです。でも、キムチつくりは素手でしかできません。包丁は素手で握るものです。凍れます。凍えます。震えます。でも、こうしてこの手で作るから、旨いのです。無添加の「やがちゃんキムチ」を、こうして35年間、作り続けているのです。

途中、様々のことがありました。

しかし、しないで来たことがあります。
それを曲げれば、自分が生きてきたことが無になってしまうから、それだけはやらないできたことです。それは、「自分が作るものに嘘をつかない」ということです。できる力で、最高のものを作る。明日は、今日よりもっといいものを作る。明後日は、明日よりもっといいものを作る。その思いだけは、絶対に守り通して来ました。他で嘘はついてきたと思いますが、このことだけには、嘘を絶対につかないで来ました。今日まで、間違いなく。

だから、そこをいい加減な言葉で揶揄されたり、金額や数字のことで馬鹿にされたりすることには、憤りを感じます。少なくとも、いい思いは致しません。

そのうち、うちのキムチの技術を、金の力で買おうとする人が来るかもしれません。こんなに美味しいキムチを作るいい歳の男がいるが、安く買い取ってしまって、ひと儲けしよう、などという者たちです。

でも、こちらは命を何度も捨てるようなことをして今の味を作り上げて来ました。もちろん自分のキムチのことなら全部わかります。分かるから、そういう方々には、敢えて嘘を教えてあげることだってできます。もちろんそんなことはしませんが、しかし万が一最後にお渡しするなら、これまでの思いや苦しみを分かろうとする、心のある方にだけ譲りたいです。当たり前のことです。そうでなければ、悔やみます。

最近、本当に必要なものが、ないがしろにされているように思えます。
国を作るものは人であり、人を作るものは、優しさだと私は思っています。自分は食べなくても、飢えた人に食べさせる。そうあるべきだと思っています。
でも、そういう優しさがあたかも「死語」のように扱われてしまっています。「お人よし」「お花畑」などと言われます。
本当にそうなのでしょうか?

ものつくりのことにしても、商売の根本の根本は、ものを作ることです。そしてそれを売ることは次のことです。

最初にものを作れなければ、売ることもできないです。売ることが出来なければ、お金も得られないです。ですから、ものつくりこそ、物事の出発点なのです。

ものを作ることの大切さを、大いに感じる世の中、国、人間であってほしいと思います。
それこそが、優しさのあることであり、無益な争いや戦いをせず、お互い敬意を抱き合って共存する、唯一の方法だと思っています。
町の子供たちが笑って遊んでいる姿を、いつまでも見たいですよね。