頂(いただき)を発売して、1か月ほど経った3月11日。午後2時46分。
所用で店の裏口から出ようとドアノブに手を掛けた途端に、あの揺れが始まりました。
すぐに収まるだろうと思って待っていると、段々と揺れが強くなります。思わずドアを開けて、外に飛び出ました。
店の裏は、商店街の駐車場です。私は自分の車のドアミラーにつかまって、揺れに耐えていました。すると、さらに揺れが強くなります。もう立ってはいられなくなり、しゃがみこむと、目の前の自分の車のタイヤが、宙に跳ねているのに気づきます。
悲鳴が聞こえ、物のぶつかる音がします。ゴウゴウと地鳴りのような音も響きます。それは、長い、長い時間でした。
それが、私が千葉の柏で体験した、震度6弱の揺れでした。
揺れが収まり、店に戻ると、鍋や食器が散乱していました。
冷蔵倉庫の中では、タレの入った容器がひっくり返り、食材が転がっています。
その時を境に、日本がまるで違う国になったと思いました。
幸い、柏はインフラに異常なく、電気も水もガスも使えました。しかし、その日から、インターネットの注文はパタリと途絶えました。5日間、一件の注文も入りませんでした。
毎日、店に出ても、することがありません。ただ片付けをして、今後はどうなるのかを考えていました。
5日後、初めて注文が入りました。
青森県の昔からのお客さんからのご注文でした。
コメント欄に、「そちらに被害はないですか?先日食べた、頂というキムチは最高に美味しかったです。作れる状態であるなら、送ってください」と書いてくださいました。涙が出るほどに嬉しいご注文でした。
3月20日から、売り上げの10%を震災義援金として送金することを始めました。
店の裏の郵便局に毎日通い、お客様の名前で手書きで振替送金を一枚一枚、いたしました。
領収書の半券をデジカメで画像に撮り、メール添付でお客様に「送金しました」とご報告を1件ずついたしました。
何かをしなければならない。でも、ここで商売をやっている以上、ここは離れられない。それであるなら、お客様に代わって義援金をお送りすることにしよう、と決めたのです。
これは、8月までの約5か月間続けました。毎日毎日郵便局に通うと、そのうち、局員さんが「今日も有難うございます」とおっしゃってくださり、順番待ちの他のお客様も、「キムチ屋さんを先にやってあげて」と、気遣ってくださることもありました。
領主書の束が溜まりました。その一枚一枚は、すべて画像でお客様にご報告したわけです。
そしてその間、徐々に回復してくれた売り上げの中核を担ってくれたのが、「白菜キムチ 頂」だったのです。
殆どのお客様が、「頂」を繰り返しご注文下さいました。その味が、高い評価を完全に頂いたな、と確信できました。そして5か月間の間、その売り上げの10%を、送金することも出来ました。
今でも、頂を作り、頂を食すときに、この頃のことを濃密に思い出します。
頂は、その意味でも、私にとって特別なキムチなのです。