生きているから、無添加を

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前回のブログで書いた「手羽先キムチ」は、「キム手羽」として発売しました。

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壮絶な美味です。何人ものお客様から絶賛のメールが寄せられて、うれしい限りです。
ぜひどうぞ。こちらから。

なぜ美味を求めるのか

さて、キム手羽も含めて、「味のこと」です。
人はなぜ、美味を求めるのでしょうか。

この世にはいろいろな食の材料がありますが、味付けをしないでそのまま食べられるものももちろんあります。
また、味付けをしないと食べられないようなものももちろん多いです。

なぜ人は、「味付け」をし、「美味しさ」を求めるのでしょうか。

人と動物とはどう違うのか

つい最近まで、私はその理由を、「人間が文化的な存在だから」と思ってきました。
人間以外の動物は、生きるための栄養摂取の目的で、食べる。
人間は文化を持つ動物だから、そこにさらに「美味しさ」を求めるのだと。

しかし、最近思うのです。

なぜ、春に初夏に、秋にも冬にも、あれだけ多くの種類の花が地球上で咲き誇るのでしょう。
春に梅や桃の花が咲き、桜の花弁がいっせいに開き、花みずきが咲き、初夏にはつつじやサツキが一斉に咲く。

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なぜでしょう。なぜ、あれほどに美しいものが次々と現れるのでしょうか?

それを考えていて、閃きました。

「あれは、花粉を運んでもらいたくて、蜂や虫を呼び寄せるために美しく咲いているのだ」と。

地球上の生き物は、美を理解できるのかも知れない

そうだと思います。蜂でも虫でも、美しいものを好むのです。だから、私たち人間が美しいと感じるように、虫たちも美しいと感じて、花に近寄るのです。
私たち人間と同じように、昆虫も動物も、「美」を理解できるわけです。

つまりは、より美しいものを求めるという本能があるわけです。

美味であることと、無添加であることは同じ意味!

さらにいえば、食べることに関しても、「より美味しいものを求める本能」があると思うのです。

ですから、味付けをしてより美味にしようという行為は、一動物としての、人間の本能であると思うのです。

そんなことを考えながら、毎日の「味つくり」に励むと、「自分は地球の一員であるのだ」という思いにもかられます。

だからこそ、化学的に合成した添加物は使ってはだめだ。無添加を押し通すべきだともいます。

自然の味こそ、美味の原点。

無添加であることの原点に気がついたような気がします。