竹富島で起きたこと(その2)

(前巻から続く)

竹富での最後の晩に「やがちゃんに相談があります」と言って来た若い二人とは、民宿の大浜荘で働く「ヒロ君」と「くみさん」。共に30代半ば。

上の写真の左右に立つ二人です。真ん中に立つのは、宿のご主人の大浜勝さんです。

沖縄県竹富島。石垣島からさらに船で行く、小さな離島です。

神戸から来て・・・

二人は神戸で介護の仕事をしていた同僚の男女ですが、昨年夏に竹富島に遊びに来て、その自然と人情の温かさに心を打たれました。ちょうど神戸での辛い仕事に見切りをつけたいと思っていたところなのです。

二人で相談し、決めました。だめでもともとです。思い切って、宿のご主人の勝さんに打ち明けました。

「旦那さん、私たちを住み込みで雇ってください。給料はいくらでもいいんです。ただ、生活さえできれば。宿の仕事は何でもしますから!」

驚いた勝さん。しかし、迷いましたが、事情を聞いて納得。結局二人を住み込みで雇ったのです。
勝さんも60歳を超え、一人で民宿を維持することに限界を感じていました。そして、若い二人の真摯な態度に心を動かされたのです。

竹富で頑張った二人

夏から秋にかけては、一年でも宿泊客が多い時期です。

大浜荘は、竹富の民宿の中でも一番大きいひとつです。母屋のほかに鉄筋コンクリートの二階建ての別棟が二棟あり、部屋数も多いです。バストイレつきの民宿も、竹富では唯一だそうです。
その代わり、仕事は多いです。
部屋掃除、バストイレの掃除、石垣島に往復しての食材の調達、朝食夕食の準備、洗い物、洗濯、風呂掃除、客の送迎・・・・一日中やることだらけです。

それでも、二人は勝さんと一緒に一生懸命働きました。

そこに私が・・・

そして3ヵ月経った頃、千葉からキムチ屋の私がやって来て、一人で大浜荘に4泊したのです。

いい歳のオヤジが、一日中島を自転車で駆け回ったり、海で泳いだり釣りをしたりして大はしゃぎ。夜は民宿の軒先で他の宿泊客や宿の人達と泡盛を飲んで盛り上がります。

商売はキムチ屋。自分の店で全部作り、店とネットで全国に届けている。

千葉から竹富に送ったキムチも届き、ほかのお客やヒロ君たちに振る舞い、竹富名産の「モズク」もキムチに出来るよ、と嬉しそうに言います。
それを聞いて、若い二人にはひらめくものがありました。

そうだ、そうだ・・・と。

そして相談!

そうして4日後の私の最後の晩、ヒロ君とくみさんは、相談して来たのです。

ヒロ君は普段は無口。ほとんど自分からは喋りません。でも、一生懸命訴えます。

「やがちゃん。僕達に商売を教えてください。この宿の離れに、閉めたきりの商店のスペースがあるんです。そこで僕達、商売をしてみたいんです」

「スペースって、そこの雨戸が閉まったままの所? うん、場所的には悪くないけど、何を売るわけ? みやげ物とか?」

「あと、やがちゃんのとこのキムチとか」

「うーん。竹富まで宅急便で4日もかかるし、運賃も高いしなあ」

「だったら、名産のモズクのキムチ、できますよね? 作り方教えてください」

「ああ、いいけど・・。タレだけ送ってこっちで作るなら、できるかな」

「あと、何より、僕達自身の手作りのものも売りたいんです」

「手作りのもの? たとえば?」

「それは今、いろいろと考えているんです」

「ああ、いいと思うよ。でも、そのスペースも勝さんのものでしょ? 家賃とかどうなるの?」

「勝さんは、好きに使えっていうんです。売り上げも全部自分達のものにしていいからと」

「ほう! それはいいね、勝さんらしい! うん、わかった、協力するよ!」

と、こんなやり取りをしました。

いったんお別れ・・・

翌日、二人は私を港まで送ってくれて、「またいろいろと連絡します。よろしくお願いします!」と言ってくれました。ちょうどその日は、年に一度の種籾祭の朝です。港は石垣から渡ってくる人であふれていましたが、その中で私たちは手を振ってお別れをしました。
そして私は千葉に帰り、新店舗の準備に突入したわけです。

竹富の二人とはその後もLINEで頻繁にやり取りし、モズクキムチのレシピを教えたり、商品アイデアの提供をしたりしました。ネット通販の基本も伝えました。

再会!

そして、5ヶ月が経った、今年3月後半。

新店舗も落ち着いたので、私は家族を連れ、二度目の竹富へ。
前の晩に「明日行くからね」とLINEするまで、竹富の二人には伏せておきました。
翌朝、石垣港から船に乗り、竹富に上陸。港からまっすぐに「大浜荘」に向かったのです。

大浜荘のお店は、昨年12月に開店していました。

その中に入ると、くみさんが店番をしていました。
10月のときよりも、はるかに綺麗です。
私を見るなり

「あ! やがちゃんだ! わー!」
と叫んでくれました。

「くみさん、なんか、すごく綺麗になったじゃん。どうしたの?」

「だって、今日やがちゃんが来るって聞いたから、化粧したん。一張羅も着たん。どう? 似合うやろ?」

奥からヒロ君も出てきました。
前より色が浅黒く、笑顔です。無口だった10月とは、まるで別人のようです。

「やがちゃん、いらっしゃいませ。ご家族も! すっごくうれしいです!」

そこにご主人の勝さんも登場。

「おお、やがちゃん、いらっしゃい。おかげでね、この二人、すっかり元気になったよ」

「ほんまよ、やがちゃん。みんな、おかげさまです」「いやいや、俺は何もしていないじゃない。二人でがんばったからだよ」

「あのな、今な、ヒロ君が海で貝拾ってきて、貝細工のアクセサリー作ってるねん。結構売れますよ。そしてな、私はな、ほら、そのサーターアンダギーとか、食パン焼いて売ってるん。予約取ったりしてるんよ。みんなやがちゃんのおかげやねん」

「だから、俺は何もしていないって!」

「いや、そのきっかけは、やがちゃんだよ」と勝さん。頷く二人。

何か、恥ずかしいというか、照れくさいというか。
私はただ、一人旅で好き放題のことをし、気楽にしゃべっていただけでしたから。

 

 

几帳面なヒロ君の作る貝細工は丁寧です。でもお値段はお安め。
くみさんのサーターアンダギーは、紅芋入りで美味しい。パンもなかなかのものです。

船乗りでもある勝さんは天然モズクを捕って来ます。

竹富モズクキムチ、ネットで売っています。こちらです!

竹富は、石垣港から船で15分。水牛観光で有名ですが、さんご礁に囲まれた人口300人の小さな小さな綺麗な島です。

島唯一の郵便局の隣が大浜荘。沖縄に行かれたら、ぜひ、寄ってあげてください。
やがちゃんキムチのブログで知ったと仰れば、きっと喜んでくれます。

竹富島で起きたこと(その1)

私が竹富を初めて訪れたのが、昨年の10月の下旬でした。

旧店舗から新店舗への移転の狭間で時間が出来たので、思い切って5日間の一人旅を実行しました。初めてのことです。

成田から4時間で直行で石垣島へ。竹富へは、石垣島からフェリーで15分。30分に1本出ています。
離島観光の拠点石垣島からは、竹富以外にも、小浜島、西表島、黒島などにも気軽に行くことが出来ます。

周囲20キロの竹富島の人口はわずか300人あまり。
主要産業は観光です。
大型ホテルが数軒。
そして、民宿が13軒だけ。
私が泊まったのは、そのうちの一軒、「大浜荘」です。ご主人は、大浜勝さん。私と同じ歳の63歳。

5日間の私の旅の目的は、

「のんびりすること」

です。

創業以来、5日はおろか、2連休を取ることも殆どなかった数十年でしたが、久々の新店舗出店を控えて、英気を養うために作った時間でした。

特に何をしようという旅ではありませんでした。
ただ、そこで「時を過ごす」。それだけが目的でした。

竹富の集落には、サンゴ礁を積み上げた家壁が続いています。ただ積んであるだけですが、台風の風でも飛ばされずに家を守ってくれるそうです。
ハイビスカスはブーゲンビリアの花は、一年中咲いています。

宿で自転車を借りて、海まで行って、ただ時間を過ごします。

透き通る海。遠浅の海なので、サンゴが海藻が綺麗です。小魚も見えます。

島の西には古い桟橋があり、ちょっとした観光スポットになっています。

向かいの小浜島や西表島まで農作業に出かけるための船が出る場所だったそうです。

夕日が沈むときには、幻想的な光景が見られます。

 

泊まった大浜荘は、竹富の民宿がみなそうであるように、古い作りです。

部屋に入ると迎えてくれたのは、大クモでした。

このクモは、人には害を与えないそうで、ゴキブリなどの害虫を食べてくれるそうなので、5日間一緒に暮らしました。姿が見えないと、寂しくなったほどです。

島には石垣牛がたくさん飼われています。

水牛車観光が有名ですが、この水牛たちも、集落のはずれに放牧されていました。

ちょうど年に一度の収穫祭の準備の時期で、夜になると公民館で練習が行われていました。

そういうところで、本当にのんびりと5日間を過ごしたわけですが、泊まった大浜荘には、ご主人の勝さんのほかに、お手伝いの若い男女がいました。

神戸から移住してきた、30代中盤のお二人です。

毎晩夕食後、同宿のお客さんやこの二人と、宿の軒先で焼酎を飲みながら語り合いました。実はこの時間が、竹富で一番楽しい時間だったのですが、この若い二人が、私の竹富最後の晩に、「やがちゃん、聞いてほしいことがあるんや」と言ってきたのです。

真面目な顔でした。

何事かと思いました。

最後の夜です。

それは、こういった話でした。

続きは、次のブログに書きますね。

(続く)